吉井理人は、現役時代、今はなき近鉄で野球人生をスタートさせた。 1983年、和歌山・箕島高のエースとして夏の甲子園で活躍したあと、同年のドラフト2位で入団。プロ2年目には一軍初登板を果たし、4年目に初勝利を挙げるのだが、その当時、若かりしころから、「コーチは選手のためになっていない。プレイの邪魔になっている」と感じていた。 「僕は結果的にモチベーション高くコーチをしてましたけど、はじめは、『最低な職業やな』と思いながらコーチになったんです(笑)。なぜかというと、自分が選手だったときのコーチの存在がすごく嫌だったから。 現役を終わって、野球に携わる仕事がほかになかったこともあって、とりあえずやってみよう、という感じで引き受けたんですね。だから、そのときのモチベーションはめっちゃ低かったですし、はじめはもう、どちらかといえば仕方なしにやってたんです」 引退後に日本ハムの投手コーチに就任したとき