(目次)
はじめに
第1章 人類の登場~ホモ・サピエンス前史
1 人類の起源をどう考えるか
2 人類の進化史
コラム1 脳容積の変化と社会構造
第2章 私たちの「隠れた祖先」~ネアンデルタール人とデニソワ人
1 ゲノムが明らかにした人類の「親戚関係」
2 ネアンデルタール人のDNA
3 謎多きデニソワ人の正体
4 ホモ・サピエンス誕生のシナリオ
コラム2 DNA・遺伝子・ゲノム
第3章 「人類揺籃の地」アフリカ~初期サピエンス集団の形成と拡散
1 「最初のホモ・サピエンス」から出アフリカまで
2 アフリカ内部での人類移動
3 農耕民と牧畜民の起源
第4章 ヨーロッパへの進出~「ユーラシア基層集団」の東西分枝
1 出アフリカ後の展開
2 ユーラシア大陸へ
3 ヨーロッパ集団の出現
4 農耕・牧畜はいかに広がったか
5 現代に続くヨーロッパ人の遺伝子変異
コラム3 最古のイギリス人の肖像
第5章 アジア集団の成立~極東への「グレート・ジャーニー」
1 「アジア集団」とは何か
2 南・東南アジア集団の多様性
3 南太平洋・オセアニアへ
4 東アジア集団の成立
第6章 日本列島集団の起源~本土・琉球列島・北海道
1 日本人のルーツ
2 琉球列島集団
3 北海道集団
コラム4 倭国大乱を示す人骨の証拠
第7章 「新大陸」アメリカへ~人類最後の旅
1 「最初のアメリカ人」論争
2 アメリカ先住民の祖先集団
コラム5 ヴァンパイアのDNA
終章 我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか
~古代ゲノミ研究の意義
おわりに
【はじめに】
ホモ・サピエンス(現生人類)は、DNA解析によると、最も近縁な人類であるネアンデルタール人の祖先と別れたのは、60万年前だった。分岐の後も、両者は交雑を繰り返していた。他の絶滅人種とも交雑していた(Pⅰ~ⅱ)
民族集団は、DNAから見ると、全く性質の違う集団の集まりだというケースがある。世界各地に展開している人類集団は、ある地域における、これまでのヒトの移動の総和だ。よって、特定の遺伝子分布の地域差は、集団の成立を解明する有力な手がかりになる(Pⅲ~ⅳ)
【第1章】
属は、ある程度近縁関係にある種をまとめたカテゴリー。ホモ属で現在生存しているのはサピエンス種だけ。人種は、さらに下位の区分(P5)
(人類の起源:年代)(P5~6)
・250万~200万年前:ホモ属(人類)と認められる種が登場
・30万~20万年前:ホモ・サピエンス(現生人類)が登場
・数万年前までは、同時に、数種類の人類が地球上で暮らしていた
チンパンジーとの共通祖先から人類の系統が分岐したのは、人類の祖先が樹上生活から地上に降り、直立二足歩行を始めたことを契機にしている。直立二足歩行がヒト化の最大の要因(P12)
(人類の進化)(P11~
①初期猿人⇒ ②猿人⇒ ③原人⇒ ④旧人⇒ ⑤新人
①-1サヘラントロプス・チャデンシス(700万年前:チャド)
①-2オロリン・トゥゲネンシス(600万年前:ケニア)
①-3アルディピテクス・カダッパ(580~520万年前:エチオピア)
①-4アルディピテクス・ラミダス(440万年前:エチオピア)
②-1アウストラロピテクス属(華奢型猿人):肉食傾向
・アウストラロピテクス・アナメンシス(420~370万年前:ケニア)
・アウストラロピテクス・アファレンシス(370~300万年前:エチオピア)
・アウストラロピテクス・アフリカヌス(南アフリカ)
・アウストラロピテクス・ガルヒ(250万年前:エチオピア)
②-2パラントロプス属(頑丈型猿人):植物食(サバンナ)で他の属と共存
260万年前出現⇒130万年前絶滅
②-3ホモ・ハビリス(200万年前:東アフリカ:初期ホモ属)
②-4ホモ・ルドルフェンシス(同上)
⇔アウストラロピテクス・セディバ(195万年前:南アフリカ)一部ホモ属の特徴
③-1ホモ・エレクトス:200万年前にアフリカで誕生⇒出アフリカ⇒世界に拡散(北京原人・ジャワ原人)身長140~180㎝ 体重41~55㎏ 脳容積550~1250ml
③-2ホモ・フロレシエンシス(エレクトスから進化~6万年前絶滅:フローレス島(インドネシア)身長100㎝ 脳容積400ml⇒狭い島の中で長期生存⇒島嶼化:体が小型化
③-3ホモ・ナレディ:30万年前:ヨハネスブルグ近郊ライジングスター洞窟
身長146㎝ 体重39~55㎏ 脳容積460~610ml ②-1と③-1の特徴を併せ持つ
④-1ホモ・ハイデルベルゲンシス(60~30万年前:ユーラシア・アフリカ)
身長180㎝ 体重70㎏ 脳容積800~1300ml 旧人への移行段階の種?
④-2ネアンデルタール人
ネアンデルタール人の脳の容積の平均は1450mlだが、発達しているのは主として視覚に関わる後頭葉の部分で、日照の少ない高緯度地方の生活に適応した結果かも(P24)
脳はエネルギーを大量に消費するので、脳容積の増加は生物に大きな負担を強いる。必要なエネルギーを賄うために、行動、食性、社会構造を変えざるを得なかった。複雑な社会をつくることが、効率的にエネルギーを摂取することが可能にした。共同体の規模が、大脳の新皮質に比例すると考えると、猿人の社会は50人(チンパンジーと同程度)原人100人、ホモ・サピエンス150人程度(ダンパー数)150名は、社会を構成する基本となる数字(P24~25)
ホモ・サピエンスの歴史は、基本的にはダンパー数程度の理解力しかないハードウェアを使って、複雑な社会を形成するために生み出されたのが、言語、文字、物語、宗教、歌、音楽等の文化要素。これらは人々が時間と空間を超えて、概念、考えを共有する手助けをする(P25)
【第2章】
シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟(スペイン)出土の人骨は、DNA分析の結果、43万年前とされ、ネアンデルタール人(30万年前出現)の直接の祖先で、デニソワ人のDNAを含んでいた(P28~29)
ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルタレンシス:14~13万年前)の推定身長150~175㎝、体重64~82㎏、脳容積1200~1750ml、頭骨が前後に長い(P30~31)
年代の測定は、放射性炭素が5730年で半分になる性質を利用するが、5万年前より古い時代の測定が困難。50万~100万年前の年代測定は、熱ルミネッセンス法、ウラン系列年代測定法を用いるが、精度が落ちる(P31)
1997年、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの一部領域の配列決定により、彼らが70万~50万年前に分岐したグループであるとの結論を得た(P32)
2010年、次世代シークエンサによる核ゲノムの解析により、サハラ以南のアフリカ人を除くアジア人とヨーロッパ人には2.5%程度ネアンデルタール人のDNAが混入していることが判明⇒出アフリカの後、初期拡散の過程(5万年以上前)でネアンデルタール人と交雑した。ネアンデルタール人のDNA:東アジア人>ヨーロッパ人⇒ホモ・サピエンスは、複数の集団に分かれており、その中の1つがネアンデルタール人と交雑して世界に拡散vsコーカサス、レバント(中東)、北イランには交雑しない集団が存在⇒この集団が現ヨーロッパ人の形成に関与⇒相対的にヨーロッパ人の持つネアンデルタール人のDNAが少ない(P33~34)
次世代シークエンサはDNA配列の読み取り精度が低いので、正確な配列を決定するためには、同一部位を数十回読んで確認し、コンセンサスをとることが必要⇒大量のDNA断片の解読が必要⇒高精度のゲノムデータの取得には、DNA残量の豊富なサンプルが必要⇒十分な重複配列が読めたとき=高深度のゲノムデータが得られたvs数回程度しか読めなかった=低深度データ(P35)
チャギルスカヤ洞窟は、デニソワ洞窟から100㎞離れており、出土した人骨は3万年程離れているが、ゲノムはチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人は、ヨーロッパのヴィンデジャ洞窟のネアンデルタール人に近い⇒チャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人は、11万~8万年前のどこかの時点で、西ヨーロッパ人から東へ移動したネアンデルタール人の子孫(P36~37)
チャギルスカヤ洞窟とその近傍オクラドニコフ洞窟のネアンデルタール人は、先に解析されたチャギルスカヤ洞窟と同様、ヨーロッパの集団と似ており、互いの血縁関係が強く示唆され、同一集団内の婚姻が続いていた。一方、ミトコンドリアDNAの多様性が高いことから、ネアンデルタール人は女性が生まれた集団を離れて、異なる集団の中に入っていく婚姻形態をとっていたことが示唆される(P37~38)
◎つまり、一般にネアンデルタール人女性は、異なる集団の中に入って婚姻をしていたが、チャギルスカヤ洞窟周辺では(周辺に異なる集団がなかったので)同一集団間で婚姻がなされていたということ?
ネアンデルタール人の共通祖先から、デニソワ洞窟のネアンデルタール人が分離し、次にチャギルスカヤ洞窟の系統が東に移動した。ヨーロッパに残った系統の中からヴァンデジャや他の西ヨーロッパのネアンデルタール人が誕生した:byゲノム解析(P38)
2017年、洞窟の堆積物からネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを抽出することに成功(P39)
核ゲノムの解析によると、約77万~54万年前にデニソワ人とネアンデルタール人の祖先が、ホモ・サピエンスの系統と分岐し、約43万年前以前にネアンデルタール人とデニソワ人が分岐した(P43)
シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟の人骨のミトコンドリアDNAは、デニソワ人に似ており、核ゲノムはネアンデルタール人類似していた。デニソワ人のミトコンドリアDNAは、未知の原人に由来するものではなく、元々ネアンデルタール人と共通のものだったのだが、ネアンデルタール人のミトコンドリアのほうが、ホモ・サピエンスのものと置き換わった。ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスにDNAを伝えているが、ネアンデルタール人も、いずれかの時点でミトコンドリアDNAとY染色体のDNAをホモ・サピエンスから交雑によって受け継いでいる(P43~44)
デニソワ人は、破片になっている生物種のコラーゲンのアミノ酸配列を、質量分析計で同定していく研究(ZooMS:ズーマス)手法により、デニソワ洞窟で発見された13万5000個以上の骨片から見つかった(P48)
古代のDNAでは、長い年月をかけてDNAが分断し、変性していくときに、メチル化を受けている部分と受けていない部分で編成の仕方が変わっていく。この性質を利用して、デニソワ人のDNAメチル化地図が復元された。それをホモ・サピエンスのメチル化地図と比較して、細胞内のDNAの働きの違いが推定できる。2019年に、このメチル化データからデニソワ人の骨格に関する32の特徴を抽出し、彼らの骨格を再現した。デニソワ人は狭い頭、がっしりした顎等でネアンデルタール人に類似していたが、頭の幅はネアンデルタール人やホモ・サピエンスより広かったと推測された(P53~54)
ホモ・アンテセソール(シマ・デ・ロス・ウエソス洞窟近くのグラン・ドリーナから発掘:85万年以上前の人骨)は、ホモ・エレクトスに属する種だが、その生息した年代、地域から考えると、ホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人の共通祖先の候補となる(P58)
ホモ・サピエンスの化石証拠は、発祥の地とされるアフリカ大陸では30万~20万年前までしか遡ることができない。ホモ・サピエンスの系統と、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先との分岐は64万年前と考えられるので、分岐してからの30万年間の進化の道筋が化石証拠からは分かっていない。この分岐がアフリカで起こったという証拠もなく、ユーラシア大陸で起こった可能性もある(P60)
ホモ・サピエンス集団の中で、ネアンデルタール人由来のゲノム領域は世代を経るごとに断片化されていく⇒祖先の持つネアンデルタール人ゲノム断片長>子孫の断片長⇒断片の長さからホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交雑の時期を計算できる⇒解析の結果、ウスチ・イシム人が生きた時代(4万5000年前)より300世代(=1万3000~7000年)前=6万~5万年前に交雑が起こった(P66~67)
ペシュテラ・ク・ワセ洞窟から発見されたオセア1号(4万2000年~3万7000年前のホモ・サピエンス)は、6~9%のネアンデルタール人由来のDNAを保持⇒交雑は一度だけではない(P67)
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人は、60万年程前に共通祖先から分岐したので、その時点では同じゲノムを持っていたはずだ。その後60万年間で獲得したホモ・サピエンス独自のDNAは、全体の1.5~7%程度だ(P68)
◎ホモ・サピエンス独自のDNAが1.5~7%で、ネアンデルタール人由来が2.5%、デニソワ人由来?%とすると、大部分はホモ属共通のDNAということになるのだろうか?
【第3章】
ホモ・サピエンスがアフリカで誕生したということは定説になっているが、ユーラシアにいた原人の集団の中からホモ・サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人が生まれ、30万年以降にアフリカ大陸に移動したホモ・サピエンスのグループが、後に世界に広がることとなるアフリカのホモ・サピエンスとなり、ユーラシアに残ったグループは、ネアンデルタール人と交雑した後に絶滅したというシナリオも考えられる(P80)
個々の化石を見ていくと、30万~10万年前のアフリカでは、ホモ・サピエンスの特徴とそれ以前の化石人骨の特徴が、モザイクのように散らばっている⇒時間の経過とともに、徐々に現代型のホモ・サピエンスとして完成していくように見える⇒こうした現象は、1つのホモ・サピエンスの系統が単独で進化したのではなく、広い地域の様々な交流の中から、現代型ホモ・サピエンスが形づくられたと考えるほうが理解しやすくなる(P82~83)