公立学校の真実
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夏休み、いや、夏の授業。
6時間目となると生徒も教師もだれる。
そこへ、部活が放課後に待っている。
そこまでして、中3年生を引っ張るのか。
これは、年老いたからそう考えるのか。若者たちはそうでもないのか。
今年の夏の中学校は部活が終われば仕事が終わりではない。
明日の授業の準備がある。
夜9時になっても、学年の半分から3分の1は職員室で仕事をしている。
もう帰ればよいのに。
いつまで仕事をしているのか馬鹿かと思う。その中に自分もいた。
帰ろうとしてかばんを持つと、思い出した。
消毒してない。
消毒液の入った容器をもって2階の手すりやドアのノブを消毒しまくる。
さて、帰ろう。
明日も最高の授業をする そんな夢を見て、帰路に立つ。
6時間目となると生徒も教師もだれる。
そこへ、部活が放課後に待っている。
そこまでして、中3年生を引っ張るのか。
これは、年老いたからそう考えるのか。若者たちはそうでもないのか。
今年の夏の中学校は部活が終われば仕事が終わりではない。
明日の授業の準備がある。
夜9時になっても、学年の半分から3分の1は職員室で仕事をしている。
もう帰ればよいのに。
いつまで仕事をしているのか馬鹿かと思う。その中に自分もいた。
帰ろうとしてかばんを持つと、思い出した。
消毒してない。
消毒液の入った容器をもって2階の手すりやドアのノブを消毒しまくる。
さて、帰ろう。
明日も最高の授業をする そんな夢を見て、帰路に立つ。
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本来ならば夏休み。
しかし、子供たちは教室でグラウンドで授業を頑張っている。
でも、私は老いぼれ教員、体調が悪いのが続いている。
寝ても、疲れはとれない。
なるべく早く帰ることにしている。
校長に「もうやめさせてください」と喉元まで出ている。
私の夢は朝早く起きて、ゆっくりと街を散歩をすることだ。
本屋へも行きたい。大きな本屋だ。
新刊を大量に読みたい。
社会の様々な情報を手に入れるために。
そして、次の一手に備えるのだ。
体力を回復させたい。ストレッチ、視力回復の運動。
できれば、筋トレとバッティングセンターで打ちたい。
仕事を辞めればいろいろなことができる。可能性が広がる。夢みたいな話だ。
時々思う、妻がすごく稼ぐ人だったらなと、自分は仕事を辞めても経済的不自由はそこまで感じないだろうと。
しかし、パートで頑張っている妻にそれを悟られたら縁はきれる。
仕事を辞めてもまたっく困るわけではないが、給料が一定もらえないとなると心もとない。
老いれば、くやしいが、こういう考えになる。
しかし、子供たちは教室でグラウンドで授業を頑張っている。
でも、私は老いぼれ教員、体調が悪いのが続いている。
寝ても、疲れはとれない。
なるべく早く帰ることにしている。
校長に「もうやめさせてください」と喉元まで出ている。
私の夢は朝早く起きて、ゆっくりと街を散歩をすることだ。
本屋へも行きたい。大きな本屋だ。
新刊を大量に読みたい。
社会の様々な情報を手に入れるために。
そして、次の一手に備えるのだ。
体力を回復させたい。ストレッチ、視力回復の運動。
できれば、筋トレとバッティングセンターで打ちたい。
仕事を辞めればいろいろなことができる。可能性が広がる。夢みたいな話だ。
時々思う、妻がすごく稼ぐ人だったらなと、自分は仕事を辞めても経済的不自由はそこまで感じないだろうと。
しかし、パートで頑張っている妻にそれを悟られたら縁はきれる。
仕事を辞めてもまたっく困るわけではないが、給料が一定もらえないとなると心もとない。
老いれば、くやしいが、こういう考えになる。
関西は8月の初旬まで1学期の授業が続くところもあります。また、夏休みは7月末ごろから始まっても8月の中旬過ぎには2学期が始まるところもあります。
いずれにしても夏休みは2、3週間ほどのところが多いです。
中学校の部活動の大会も、お盆前に容赦なく2日間にわたってある地域もあります。
あまり練習できなかった生徒の体力と、いつもと違って上の大会につながらないモチベーションの中で行われます。
中3生全員が8月中旬前まで部活に引っ張られ、盆が終わるとすぐ2学期が始まるという、休む間もない詰め込み方には教師の中でも反対が多いです。
部活動の大会は中3だけを対象に行うとか、時間短縮をするとかすればよいのに、ないですね。
教師も生徒もこの夏はくたくたです。
この調子で2学期へ突入するのかというとぞっとします。
生徒たちにはマスクをして学校生活を送らせ、無駄なことをさせず、修学旅行もこの感染者数の増加ではなくなるでしょう。
今後の我々教師の考え方によっては、精神的に生徒を追い詰めることにもなります。
斬新な工夫が必要です。
いずれにしても夏休みは2、3週間ほどのところが多いです。
中学校の部活動の大会も、お盆前に容赦なく2日間にわたってある地域もあります。
あまり練習できなかった生徒の体力と、いつもと違って上の大会につながらないモチベーションの中で行われます。
中3生全員が8月中旬前まで部活に引っ張られ、盆が終わるとすぐ2学期が始まるという、休む間もない詰め込み方には教師の中でも反対が多いです。
部活動の大会は中3だけを対象に行うとか、時間短縮をするとかすればよいのに、ないですね。
教師も生徒もこの夏はくたくたです。
この調子で2学期へ突入するのかというとぞっとします。
生徒たちにはマスクをして学校生活を送らせ、無駄なことをさせず、修学旅行もこの感染者数の増加ではなくなるでしょう。
今後の我々教師の考え方によっては、精神的に生徒を追い詰めることにもなります。
斬新な工夫が必要です。
学校の中では不平等があってはならない。
そのような空気が生徒へも親へも、もちろん教師へも当たり前のこととして流れている。
私も初めはそうだった。
だが、長年授業をしていると、その考えこそ不平等を起こす根源だと思うようになった。
副教材はその最たるものだ。
中学校の数学で例えよう。
小学校から上がってきた段階で、すでに中1レベルのことはわかっている生徒たちもいる反面、九九が不十分であったり「14ー6」などの繰り下がりができていない生徒たちもいる。
一クラス40人の学力の幅は、小学校2年程度から当該学年以上のレベルの幅があるのが実態だ。
副教材は、当該学年のものを全員に買わせる。
しかし、底辺の学力の生徒たちにとって、その副教材はなんの役にも立たない。
買うだけお金の無駄になっている。
中学校では副教材の提出物がある。 教師が範囲を伝えて提出させる。
それが評価につながる。
これは、低い学力の生徒も提出しなければならない。
しかし、解けない。
だから、答えを丸写しにして提出する。
学習ではなく、目と手の作業と化す。
こんな矛盾が日本の教育現場でまかり通っている。
しかも、副教材を評価するとき、答えをきれいに写してきた生徒と、自力で一生懸命してきた生徒の評価は同じになることも多い。
その評価は平等なのか。
それこそ本当の不平等ではないのか。
学校では、ばかげた平等が疑問もなく、脈々と受け継がれている。
変えていくべきだろう。
どの生徒も少しでも学力が身につくように、その生徒の実態に合わせて副教材を購入させるべきだ。
低学力の生徒に無用の長物を買わせてはいけない。
副教材の代金は無償ではない。
親が働いて捻出しているのだから、その子に合わせて 有効に使ってあげるのが筋なのだ。
答えを丸写ししている時間も実にもったいないと思う。
そんな時間があれば、九九を完璧に覚えさせる方がより社会に出て役立つ。
まだ九九を覚えきれていない生徒がそこにいるのだから。
しかし、学校には評価という壁がある。
つまり、同じもので測らなければ評価できないという、化石のような理屈だ。
学校は学習するところである。それぞれに合った副教材を用意し、評価は統一されたテストで行えばよいのではないか。
生徒たちが生き生きとした学校生活をおくれるよう、化石のような考えから抜け出して、本当の自由、本当の平等が実現されるようにしたい。
そのような空気が生徒へも親へも、もちろん教師へも当たり前のこととして流れている。
私も初めはそうだった。
だが、長年授業をしていると、その考えこそ不平等を起こす根源だと思うようになった。
副教材はその最たるものだ。
中学校の数学で例えよう。
小学校から上がってきた段階で、すでに中1レベルのことはわかっている生徒たちもいる反面、九九が不十分であったり「14ー6」などの繰り下がりができていない生徒たちもいる。
一クラス40人の学力の幅は、小学校2年程度から当該学年以上のレベルの幅があるのが実態だ。
副教材は、当該学年のものを全員に買わせる。
しかし、底辺の学力の生徒たちにとって、その副教材はなんの役にも立たない。
買うだけお金の無駄になっている。
中学校では副教材の提出物がある。 教師が範囲を伝えて提出させる。
それが評価につながる。
これは、低い学力の生徒も提出しなければならない。
しかし、解けない。
だから、答えを丸写しにして提出する。
学習ではなく、目と手の作業と化す。
こんな矛盾が日本の教育現場でまかり通っている。
しかも、副教材を評価するとき、答えをきれいに写してきた生徒と、自力で一生懸命してきた生徒の評価は同じになることも多い。
その評価は平等なのか。
それこそ本当の不平等ではないのか。
学校では、ばかげた平等が疑問もなく、脈々と受け継がれている。
変えていくべきだろう。
どの生徒も少しでも学力が身につくように、その生徒の実態に合わせて副教材を購入させるべきだ。
低学力の生徒に無用の長物を買わせてはいけない。
副教材の代金は無償ではない。
親が働いて捻出しているのだから、その子に合わせて 有効に使ってあげるのが筋なのだ。
答えを丸写ししている時間も実にもったいないと思う。
そんな時間があれば、九九を完璧に覚えさせる方がより社会に出て役立つ。
まだ九九を覚えきれていない生徒がそこにいるのだから。
しかし、学校には評価という壁がある。
つまり、同じもので測らなければ評価できないという、化石のような理屈だ。
学校は学習するところである。それぞれに合った副教材を用意し、評価は統一されたテストで行えばよいのではないか。
生徒たちが生き生きとした学校生活をおくれるよう、化石のような考えから抜け出して、本当の自由、本当の平等が実現されるようにしたい。
尾木ママが2学期に入れば、一定の数の教員がつぶれる恐れがある、という心配をしている。
尾木ママの言うことにあまり耳を貸す必要はないと思っているが、一定数の教員がつぶれるという部分には切実感がある。
なぜなら、私もその一人だからだ。
私は老がい教員と呼ばれる歳になっている。朝からぶっつけでマスクをして授業をすると、恐ろしいほど疲れるのだ。きっと若い者には分からないだろうが。
家に帰ると、文字通り、バタンキューの状態だ。
授業をしていて、息が苦しくなる時がある。息継ぎができない。
最近、校長に、今学期限りで辞めさせてくれないかと言おうと思ったほどだ。
話は変わるが、管理職は一般教員たちの健康に気を使えてないのが見て取れる。
それは、校長が下したコロナ関係の決済が、自分の責任問題になって批判や混乱を招かないかに気をとられているからだ。
例えば、修学旅行や合唱コンクール、体育大会などだ。
それをやれば、「こんな時になぜやる」と苦情が来る。
やらなければ、「子供たちがかわいそうだ」という声が必ず来る。
どちらにしても、ものすごく判断が難しく、やるにしろ、どうやって進めるかが問題になり、いつも以上に保護者や教員の理解と協力が必要になる。
消毒や、真夏のつめつめの授業、コロナで子供たちに指導や気を遣うことが増え、一般教員も精神的にも肉体的にも重圧がある日々だが、我々には乗り切るしか道は残されていない。
尾木ママの言うように、2学期も教員を続けられていることを自ら祈る。
尾木ママの言うことにあまり耳を貸す必要はないと思っているが、一定数の教員がつぶれるという部分には切実感がある。
なぜなら、私もその一人だからだ。
私は老がい教員と呼ばれる歳になっている。朝からぶっつけでマスクをして授業をすると、恐ろしいほど疲れるのだ。きっと若い者には分からないだろうが。
家に帰ると、文字通り、バタンキューの状態だ。
授業をしていて、息が苦しくなる時がある。息継ぎができない。
最近、校長に、今学期限りで辞めさせてくれないかと言おうと思ったほどだ。
話は変わるが、管理職は一般教員たちの健康に気を使えてないのが見て取れる。
それは、校長が下したコロナ関係の決済が、自分の責任問題になって批判や混乱を招かないかに気をとられているからだ。
例えば、修学旅行や合唱コンクール、体育大会などだ。
それをやれば、「こんな時になぜやる」と苦情が来る。
やらなければ、「子供たちがかわいそうだ」という声が必ず来る。
どちらにしても、ものすごく判断が難しく、やるにしろ、どうやって進めるかが問題になり、いつも以上に保護者や教員の理解と協力が必要になる。
消毒や、真夏のつめつめの授業、コロナで子供たちに指導や気を遣うことが増え、一般教員も精神的にも肉体的にも重圧がある日々だが、我々には乗り切るしか道は残されていない。
尾木ママの言うように、2学期も教員を続けられていることを自ら祈る。
支援学級はその子に応じたカリキュラムを作って授業を進める。
自閉・情緒のクラスは基本的に当該学年のカリキュラムに準じるが、なかなかそうはいかないのが現状だ。
やはり遅てしまう。
しかし、場合によっては、通常学級でみんなと一緒に受ける教科も出てくる生徒もいる。
通常学級を教えていても、九九が一部抜けている生徒や、分数はおろか、繰上りや繰り下がりができない生徒もいる。
支援学級の生徒の方がよくできると思うことも多々ある。
逆に、支援学級の生徒で、通常学級にいって授業を受けてもいけるのではないかと思う生徒も数人はいる。
支援学級では何をどう教えようが基本的に誰からも横やりは入らない。
みんなが喜んで授業を受けていれば、大したことをしていなくても担当として十分認められる。
しかし、実際に支援学級で教えていると、あることに気づく。
カリキュラムのチェック者がいないということ。
そして、恐ろしいことに、学習の遅れがあったとしても、それは教員の責任ではなく、本人の能力の範囲であり、仕方のないこととして葬り去られるということだ。
言い方は悪いが、簡単なことを教えて、テストも自在に担当が作れるから、簡単なテストを作り、90点をとらせて、評価も、「よくできました」とすることもできるということだ。
それを誰からもとがめられることはない。
チェック者はいない。
とにかく、穏やかに楽しく学校生活が送れていれば、それで〇がもらえるのが支援学級というものだと言えば、様々な方面から反論が飛んできそうだが。
あえてそう言いたいのが私の持論だ。
自閉・情緒のクラスは基本的に当該学年のカリキュラムに準じるが、なかなかそうはいかないのが現状だ。
やはり遅てしまう。
しかし、場合によっては、通常学級でみんなと一緒に受ける教科も出てくる生徒もいる。
通常学級を教えていても、九九が一部抜けている生徒や、分数はおろか、繰上りや繰り下がりができない生徒もいる。
支援学級の生徒の方がよくできると思うことも多々ある。
逆に、支援学級の生徒で、通常学級にいって授業を受けてもいけるのではないかと思う生徒も数人はいる。
支援学級では何をどう教えようが基本的に誰からも横やりは入らない。
みんなが喜んで授業を受けていれば、大したことをしていなくても担当として十分認められる。
しかし、実際に支援学級で教えていると、あることに気づく。
カリキュラムのチェック者がいないということ。
そして、恐ろしいことに、学習の遅れがあったとしても、それは教員の責任ではなく、本人の能力の範囲であり、仕方のないこととして葬り去られるということだ。
言い方は悪いが、簡単なことを教えて、テストも自在に担当が作れるから、簡単なテストを作り、90点をとらせて、評価も、「よくできました」とすることもできるということだ。
それを誰からもとがめられることはない。
チェック者はいない。
とにかく、穏やかに楽しく学校生活が送れていれば、それで〇がもらえるのが支援学級というものだと言えば、様々な方面から反論が飛んできそうだが。
あえてそう言いたいのが私の持論だ。
休校から学校再開して、すでに1か月が経つ。
消毒作業は思ったより時間がかかる作業だった。
マスクをしての授業は体力がいる。
授業の終わった後の疲れは半端ではない。
授業は速く進んでいかなくてはならない。年間計画を達成するために。
授業中、ジュークを言っている場合じゃない。
横の教師は疲れたのか机に伏せて寝ている。
今日は疲れたと言って3時には帰った。
しかし、職員室は夜8時になってもワイワイにぎわっている。
老害と言われないようにきちんと授業をしようと、授業準備をする。
いつの間にか夜の9時を過ぎていた。あわてて帰る。
なぜなら、早く寝ないと睡眠不足が一番体に響くからだ。
ブログの更新は難しくなった。
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