公立学校の真実
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これでよいのか採用試験
人物重視の採用試験になってきているのは世の教育界困惑事情を考えれば当然だ。しかし、その採用実態はいかなるものか。
ほとんどの都道府県で小論文が出題される。本当に小論文が書ける教師が必要なのか、小論文は人物重視のための選考道具たるのか。
面接においても、たかが、10分20分程度の面接で人間の本質がわかるのか。疑問が湧く。
場面指導、模擬授業と多々ある採用試験。
ホントに人間味ある奴を採用できるのか。それとも人間的に優秀な小人物ばかりを取ろうとしているのか。
今の中学校、後者ばかりでは絶対無理。
言い方を変えれば、少々やんちゃでもバイタリティーに富んだ馬鹿な奴でなければやってけないよ。
そんな中で最近この採用試験をクリヤーするための学校。そして、参考書、問題集などが出回っている。採用試験対策には確かに重要だろう。しかし、対生徒に重要かどうかは疑問だなぁ。
ある採用試験対策の面接攻略本でこんなことが書かれてあった。
「道徳教育を充実させるためにはどんな活動が必要だと思いますか。」
掲載の模範解答
道徳教育は、道徳の時間を要として、学校の教育活動全体を通じて行うものと考えます。そこで、道徳の授業を教員相互及び保護者へ公開することが必要だと思います。さらに、自然体験活動や動植物や命の大切さを重点にした体験活動、ボランティア活動、キャリア教育的な視点を加えた取り組み等を自動、生徒の発達段階に配慮しつつ展開し、道徳の時間にリンクさせる必要があると思います。
さすが模範解答。すばらしい。
しかし、模範すぎて、実際道徳授業を公開するって、それホント?と言いたくなる。けど公開して授業研究するのがいいんだろうが。新人がそれを言って、ううんホント教科書通りって感じでくすぐったい。
「生きる力とはなんですか、また、それを育む指導の具体策を上げてください。」
掲載模範解答
生きる力とは、変化の激しいこれからの社会を生きるために子供たちに身につけさせたい「確かな学力」「豊かな人間性」「健康と体力」の3つの要素からなる力と考えられます。それを育む指導は全教育活動の中で取り組むことを基本として、特に「確かな学力」を教科指導の中で、「豊かな人間性」を道徳教育の中で、「健康と体力」を体育の中で、それぞれ学んだことを深化、発展させながら、自分のよさを認識しながら、更に他への思いやりを身に着けられるようにしたいと思います。
すばらしい、学習指導要領の理念そのものを右から左だ、間違いのない的確な解答だ。
このような模範解答が本の中で続く。
現職教員よ。
新指導要領へ右へ倣えの指導がこの困難な教育現場の解答たるのか疑問だ! 現実の中で本当に役立つのか。
指導要領が悪と言うのではない、現実は指導要領を忠実に実行すれば解決するという甘いものではないということだ。要領は頭に入れておいて自己研鑽に励み、そこから滲み出てくるもので実践せよ、と言いたいのだ。
どうだろう?
では、採用試験は受験生がどれだけ指導要領が頭に入っているのかを調べるものだ、と言われればそれまでだが、人間的に魅了する者がなければ、そんな教師ほど硬くてつぶれるだろう。
はっきりいって指導要領を知らなくても人間的魅力と明るさが滲み出てくる人物なら現場ではエースと言えるのだ。逆に言えば、現場のエース級こんな回答をするかが疑問だ。
我々が実践で拠り所とするのは培ってきたカンと、保護者や生徒に対する純度の高い誠だ。
どんなに正論と正攻法で立ち向かっても、行けばいくほど保護者や生徒と縺(もつ)れるパターンがある。そのかわり、文科省の皆様から見ればかなりやばい捨て身の方法ですんなり解決への道に至ることもある。
困難校であればあるほど、捨て身のパターンは多い。
保護者はどれだけ教師が誠をつくして我が子に関わってくれているのか、それを見ているのだ。
次に
私も困難校で担任の時、ほとんどの指導が正攻法ではなかった。それでも自信を持って卒業させ、その子たちと同窓会を何度も持っている。
面接で私が答えるとなると、100パーセント不合格だと思う。
また続く。
さらに真実を言えば、特別支援学校の教員給与を一般校の95パーセントにしても十分である。
労働条件の調査をすれば歴然としたした事実だ。
私の友人たちは口をそろえて言う。特別支援学校のしんどさは見せかけ、一般校の特に中学、小学高学年は本物、やったものしか分からない、精神的重労働だと。
しかし、これだけ言っても、どこにも届かないだろう。ましてや、もしかして特支の給与が一般校並みになったとしても、中学に余剰を回してもらえるとは限らない。
くやしい。
友人は言う。特別支援学校の教員の夏休みは楽勝!
なぜ?生徒がこないから。年休で休みをたくさんとれる。
一般校、特に、中学校は部活、補習、○○体験など生徒への指導はかなりある。
それに最近土曜も補習をやる。
ほんと、これほど差があるのに、なぜ、給与が特別支援より低いのか(低いのをひがんでるのでない、平等にして余剰分を回してほしいと言っているのだ)。
生徒諸君はぜひ頑張ってほしい。
先生方は体を壊さぬよう、勝負欲のとりこにならぬよう頑張ってほしい。
勝つと思えば負ける。
負けて元々、後は天に任せる。
負けても選手を責めるな、指導してきた私の全責任。
負けて言い訳言うな、潔く相手を褒め称えよ。
可愛い生徒を勝ち負けで見定めるな。
愛情いっぱいに包んでやれ。
試合中の最大最高のアドバイスは「俺はお前達を愛している」
こんなこと言えばセクハラだが、試合中のど元まで出かけている。
そんな奴らとの夏の思い出は、文字どうり永遠だ。
お金では味わえない感覚と感動の夏の真っ最中。
頑張れ、お前たち。
是非のせてみたいと思った。
そして、こんな教師に教わりたいとも思った。絶対採用してほしい教師だ。
教員採用試験対策用をはじめて書きました。元編集の仕事をしてたとは思えないほど、どう書いたらいいのかわからず書き込ませていただきました。アドバイス等々お願いいたします。
東京都の過去の出題を参考にしました。
どうぞよろしくお願いします。
今、学校教育においては、児童・生徒に生涯にわたり学び続ける力をはぐくむことが必要です。
1このことについて、社会的な背景やこれまでの経験などに基づき、理由を明らかにして、あなたの考えを述べなさい。(700字程度)
21で述べた考えに立って、あなたは教師としてどのように実践していくか、志望する校種・教科等に即して、具体的に述べなさい。(700字程度)
「こんな世の中じゃ、夢や希望なんて持てないよ、頑張って勉強しても意味ないじゃん」私が実習先の生徒から聞いたセリフ。「将来は何になりたいの」と質問しても、「どうせパートでしか働けない」、「なりたいものなんてない」などと、後向きの言葉ばかりが返ってくる。また、「いい学校に行っても就職できないんでしょ」、「リストラされちゃうんでしょ」と日々メディアで流れているような情報を簡単に使ってくる。子どもたちは、学ぶ意味を理解できないまま学校に通い、授業を受けているようにみえた。子どもたちを取り巻く環境は、ほとんどのものがすんなりと手に入る豊かさに加え、簡単にさまざまなメディアの情報を手にいれることができる。そのために、自ら考えることをせずにすべてを鵜呑みにしてしまっているようだ。
私の学生時代は、ただ学校が楽しくて通っていただけのようなときもあった。しかし、学校生活を通じて自分自身に目標ができてからは、勉学に励まなかったことを後悔した。日々の生活に学ぶことが数多くあり、やらなくてはならないことがたくさんあることにも気付かされ、学ぶことの大切さ、面白さを実感した。
現在、社会はめまぐるしくさまざまな変化を遂げている。その変化に対応していくためには、自身に基礎知識・学力を身に付け、自ら考えて行動できる力を持っていなければ、ただ変化に巻き込まれてしまう。社会の変化にうまく対応していくためには、ベースとなる知識や学力が必要だ。そのベースがあってこそ、自らの力で判断し、自分を信じて前に進むことができる。
私は、社会科教諭として実践していきたいことが2つある。1つめは、私が編集者として社会に出て学んだことを生かし、一歩踏み出す勇気と視野を広げることの大切さを伝えたい。編集者として働いたときに私が「知りたい」と思った興味や関心は、自らを意欲的に学びの道へ引き付け、それを知識と自信に変えてくれた。どんな興味や関心であっても、自らの視野を広げ、学ぶ欲求を高めてくれることがわかった。そして、学ぶことによって自信がつき、視野が広がることによって様々な目標が出てくる、そうするとより学ぶ欲求が高まるようになるという好循環が生まれる。どんなことでも子どもたちが持った興味関心を理解し、興味や関心から夢や目標を育む種まき、水やりをしていきたい。
2つめは、歴史や地理に即して、現代の社会の動きとの関連性や問題点、改善点などもともに考えさせていきたい。学ぶことの大切さや面白さを理解した子どもたちは、生活に直結した問題提起には興味や関心が持てるようになるはずだ。子どもたちの興味や関心を一気にひきつけ、生涯にわたって取り組める学習課題を見つけさせたい。また、社会科を学ぶ中でさまざまな情報を扱う機会が多い。その中でも、メディアの情報をすべて受け入れるのではなく、自ら情報を選べるような力をつけられるようにしていきたい。
私自身、まだまだ学べること学ばなくてはならないことがたくさんある。学びの面白さを伝え、さまざまな可能性をもつ子どもたちと一緒に学んでいきたい。そして、自らの力で社会の変化に対応できる力を身につけさせていきたい。
新しく4年生のコースもできた。まだ卒業生は出ていないが、おそらく国立大の院生が排出されるだろう。
副校長は自信を持って教育にあたっていたのが印象に残った。これほどの自信と愛情はたぶん今の大学には少ないかもしれない。
やはり信頼されるに当たる学校の一つだ。
今回の訪問でよくわかったのは、やはり教育はを育てるの「ひと」の熱意、情熱、知恵これ以外にないということだ。
教員の夏は生徒が学校に来ない。
だから、やることがない。つまり、すべて休みにしてもなにも支障はない。実際それに近いことをしている教員は山ほどいる。
それを言うと、夏の勉強合宿や補習、研修やクラブ活動で埋まってしまう高校の先生や、中学校の先生方には本当に申し訳ない。
しかし、その先生方はきっと他人との勤務日数の比較など頭にない。
どうすればクラブを強くできるか、生徒たちの進路を実現させられるのか、と頭を痛め、さらにその手応えに感動を覚えておられるからだ。
一生けん命にやっている教師は当然のことをしているまでと何も言わないから、声が文部科学省までウルサク届かないのかも知れないが、極めて不公平感がある過ぎる!!!
私が言いたいのは、教員は夏休みに○○研修と称して自由に休みを取るならとってもよい、だが文部科学省よ、
その○○研修については給与を認めるな。
そしてもう一つ!
特別支援学校教員の給与を小、中と同じにせよだ。
特別支援学校教員は休みが多すぎる。まあ、私の友達の学校で言うならば、3週間ほど○○研修でとり、あとの残り少しを夏季特別休暇でとる。
特別支援学校教員は給与の増額どころか、一か月分の給与を返還せよと言いたい。
しかし、特別支援学校でも一生懸命に仕事に追われて頑張っておられる先生はいる。尊敬に値する。しかし少数である。
学校によって勤務状態、困難度が違うので一概に言えないが、文部科学省よ、給与を勤務評価で差別化するのも良いが、実際しんどいところは本当に給与を3倍与えても良いくらいのところがあるぞ!軽いところは本当に片手間で教師をやっているぞ。ここを見てほしい。