公立学校の真実
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生徒たちは弱っている。教師たちはゆとりがない。
学校てなんだろう。大半の生徒は授業に参加しているが、数人は参加できていない。理由は学力や集中力、気力に問題があるのだろう。
私の生徒時代を思い出してみた。中学校の時はがむしゃらに勉強した。競い合い、友人に平均点で勝つことが嬉しかった。学校に行くことに全く疑問はなかった。
高校は学習内容もかなり難しくなり、気力も萎えた。ついていけない、授業が面白くない。大学はその上を行った。一体何のための勉強なのか、生まれた時から学校があり、適齢になれば行かなくてはならない。高校の頃から疑問だらけになった。
今は教師も生徒も急かされている。夏休みは少なくなり、8月終から授業が始まる。始業式などのときも式後に授業をするようになってきた。授業数確保のためだ。
だが、その前にすることがあるような気がする。
授業中クラスを見渡すと、ついていけない生徒が何人いるか。内容は分からずにただノートだけをとっている生徒、内容も分からないしノートもとらない生徒、寝ている生徒。だから習熟度別の授業がある。 だが、これもうまくいかない。
九九がはっきり言えない生徒がいた。九九ぐらい一ヶ月やれば覚えられる。いったい小学校6年間、中学校数年間教師は何をしてきたのか。
中学校てなんだろう。
クラブ活動があって、授業がある。行事がある。規則があり、生徒指導がある。しかし、はみ出す生徒、落ちこぼしていく生徒たちがいる。また保護者の考えも多様になってきた。学校だけで教育を完結するのに無理が出てきた。学校を支援するコミュニティーが必要だ。
私はきっとそれをやる。
2学期も忙しいが、夏休みも慌ただしく過ぎた。
維新の会が躍進を遂げているが、橋下氏は人間としてどうなのか。
志はあると見る。
だが、以下の赤部分の言葉に違和感を感じる。
大阪市の橋下徹市長は2012年8月3日朝の囲み取材で、サッカーの日本女子代表「なでしこジャパン」がロンドン五輪の南アフリカ戦で引き分けを選択したことで、一部に批判が出ていることを念頭に、
「僕は、勝つためであればルールの範囲内であれば、戦術・戦略、いろんなことをやっていいと思いますけどね」
と、なでしこジャパンの対応に理解を示した。五輪観戦の感想を聞かれたのに対して答えた。
市長は、
「全部リアルタイムで見られている訳じゃないんですけど、必死になって、勝負する姿というのはいい」
と五輪観戦を楽しんでいる様子。その上で、
「残念なことに、戦略というか戦術で今、批判をあびているようなところもありますけれどね。うーん、難しいですね。やっぱり当事者(の立場)に立てば、勝つことがある意味全てになってくるので…。オリンピックはどうなんでしょう、観客のためとか国民のためにやってる訳じゃなくて、選手個人が勝つためにやればいいと思いますからね」
と、「勝つこと」を優先すべきだとの考えを示した。
今回の五輪で日本人選手たちは団体競技、個人競技とも多くの「人とのつながり」を感じていた。
メダリストたちは自分が頑張ったからメダルを取った、とはいわなかった。
例えば…
女子柔道の松本選手は、家族の絆を感じていた。
監督に頭を優しくたたかれ、涙がこぼれた。かすんだ視線の先、観客席に家族全員の姿が見えた。「自分一人だけの金メダルじゃないな、と勝った瞬間思いました」と感じた。
北島康介率いる水泳メドレー選手たちは、「康介さんを手ぶらで帰らすわけにはいかない」と自分たちの力を振り絞った。
体操個人総合で金メダル、種目別床運動で銀メダルを獲得した内村航平選手は
「終わりよければすべてよし、という言葉もある。日本の皆さんに頑張っている姿を見せて感動や勇気を与えられたと思う」と日本人を想い言葉を述べた。
男子ハンマー投げで銅メダルの室伏広治選手は「この銅メダルを被災された東北の方々にささげたい」と被災者を思った。
卓球女子の福原選手も室伏選手と同様のことを言っていた。
どの選手の言葉からも絆や感謝のことばを感じられるのは私だけではなさそうだ。もし、橋下氏がこの日本人の特有のみんな力でやる、絆を感じる、お陰様を感じる心を無視し個人主義や勝ち至上主義に徹すると墜落するだろう。