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もし、私が保護者なら、学校の実態を知ったら怒りに満ちるだろう。ただ、保護者は、真実を見ていないから、的外れな攻めを学校にしている。

学校は変われる。そのために次の2点が必要だ。

①校長のリーダーシップ発揮

②ビジョンを持った管理職の登用
     

 ①については、国民は実態を知らなさすぎる。いかに校長はリーダーシップを発揮できていないかだ。    
 理由は簡単だ。組合が強いからだ。校長も教育委員会もそれに屈しているからだ。

 もうひとつは、校長になってからは保身一本。無事退職できれば良し、安泰を目指す。責任を持って改革しよ   
 うとする気概が生まれない。

 ②はビジョンンを持った教師はたくさんいる。しかし、それを発掘出来ていない。また、志やビジョンを持った教 
 師は管理職になるより生徒と向き合う一教員を目指す人も多い。つまり、管理職に希望や夢がなくなっている
 から目指す人も名誉欲が強い人がなるという悪循環が出来ている。

                   

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A 教師の過重な労働

①困難校の中学校教員 中でも担任や生徒指導担当は地獄の毎日。しかし、使命感に満ちている。

②困難校の小学校高学年担任教員 学級崩壊と常に背中合わせの恐怖に満ちた毎日。

③底辺校と言われる高校教員 教育以前の問題抱える。  

この順番でしんどさがある。

B 教師の労働時間

①困難校の中学校教員 突出している。

しかし、いかなる困難校でも、組合が強い学校は労働時間は少ない。夜7時くらいでほとんど切り上げる。

組合感覚よりも、使命感だけで働く教師のいる学校は労働時間が以上に多い。夜10時などはざら。深夜に及ぶことも幾度もある。

このことの裏を返せば、組合の強い学校は生徒に対して詰めた指導が出来ていないということだ。もっと言えば、だから困難校になり下がっているともいえる。

教師の仕事は底なしでここでよいということはない。やればやるほど仕事はある。逆にいえば、適当に済ますこともできるということだ。

ある学校では、5時15分まで時間を持てあまし、時間がくれば一斉に帰る学校もある。しかし、中学校は、まずもって帰れない。部活動が6時まであるからだ。最低でもそれが終わってから、教材研究に入る。困難校では、6時の部活動終了時間が終わってから会議をするところもある。

この差は同じ教員でも雲泥の差だ。この事実を市民は知る必要がある。そして、給与などに反映する必要がある。

だが、私は給与の問題を取り上げているのではない。それだけ労働の格差がありすぎるということだ。さらには日本の教育困難な状況の真実を市民の皆さんに知ってもらいたいのだ。

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教員の質は使命感を内に秘めているかに大きく左右される。要は志である。だから、金や生活や名誉欲のために教師を選んだものは、そこそこの教員しかできない。

しかし、志のあるものとない者の判断はなかなかできない。志あるものは、果敢に厳しい状況に挑む。壁が高過ぎて前に進めない時も多い。

教育の結果はすぐに得られない。志のないものでも、名誉欲や要領の良いものは、苦労を避け、即効性の見えるものを演出する。

だから、後者のタイプが校内で輝いて見える時がある。他の教員が苦労を重ねて作ってきたものを、あたかも自分の実績のごとく語り振る舞う教員もいる。

極端に言えば、欲のために、地位に昇りつめたが新聞に載る行為をしてしまって消えた者もいる。私の極近くにその人はいた。しかし、捕まるまでは、有望視された人だった。

一体何がいいのか、悪いのか。志のある教員が埋もれないように、励ましたい。

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教育実習が長ければ良い教員が育める、と考えるのは幻想だ。実は、長い教育実習で身に付くのは、現場の悪習だ。

今の教育現場では、実習期間が長ければ長いほど、権利ばかり主張する教員の実態が実習生にばれてゆく。管理職がバカにされている実態をまざまざと見せられると、初めはびっくりするが、次第に、職員室で生きていくにはそうするのかと、インプットされていく。そして、長い教育実習が終わったら、一人前の権利を主張する怠惰な教員の出来上がりとなる。そうなると、いくら税金をかけて新任研修、初任者研修をしようとも、教員の良き新陳代謝は遠くなる。

そうなることは教員はよく知っている。次の例を考えれば分かるからだ。

荒れている学校の教師たちは、新入生に上級生が校則違反している姿や、暴力、暴言を吐いている姿を見せたくない。なぜなら新入生に、ここまで出来るのかと思わせるからだ。、上級生との悪いかかわりの道を絶つことが出来れば、新1年生をきちんと育てる土壌の大半が整ったといえる。そしてやるべきは、鉄は熱いうちに打てだ。最近の高校では当たり前になったが、入学間もない時期に、新入生の宿泊学習をするところが多い。そこでは上級生はいない。新入生に規範意識や学習に対する真摯な姿勢を植えつける大きなチャンスとなっている。

さて、教育実習生が来ている期間、教員はやはり緊張する。つまり、良いところを見せようとする。そして、数週間が終わっていく。しかし、これが3ヶ月間、ましてや1年間となると緊張はほどけ、いつもの実態をさらけ出すだろう。いつもの会話が職員室で飛び交うだろう。そうすると、本採用になる前に、教職員の悪態に染まることになる。

一年もすれば、熱い鉄が使い物にならない曲がった鋳物になる。

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サッカーをまったく経験していない者が、高等学校や大学やクラブチームの監督をして実績を上げることは至難の業だ。中学校時代に総合学習や道徳を受けていない教員がそれを教えることも難しい

だから、教員養成対象者は、総合学習・道徳教育の授業を受け直す必要がある。なぜなら、道徳の授業を年間時数通り実施している学校はほとんどないからだ。教員は道徳の授業を学級や学年または行事などに使っているから大学生たちはまともに道徳の授業を受けていない人が多い。                 
                   
道徳の授業は、道徳の教科書を教員が読んで解説する技術を習得すれば済むのではない。すべてを授業テクニックに任せては、生徒に中身がない教員だとばれてしまう。
                            


教員養成段階で、人間性を育む機会を作ることだ。そのために、人間的に優れた人と出会わせるべきだ。講演会でもよい、どこか企業のセミナーでもよい、生き方の研究を必修としたい。これが、道徳や総合学習につながる。

また、教育実習が長ければ良い教員が生まれる、と考えるのは筋違いだ。長い教育実習で、人間性を育めるかどうか疑問だ。

今の教育現場では、実習期間が長ければ長いほど、権利ばかり主張する教員の実態が実習生にばれてゆく。管理職がバカにされている実態をまざまざと見せられると、初めはびっくりするが、次第に、職員室で生きていくにはそうするのかと、インプットされていく。そして、長い教育実習が終わったら、一人前の怠惰な教員の出来上がりとなる。そうなると、いくら税金をかけて新任研修、初任者研修をしようとも、教員の良き新陳代謝は遠くなる。これぞ税金の無駄使いだ。

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 文部科学省は、教員免許制度や教員養成課程など「教員の質」に関する制度改革に取り組む方針を固めた。

 6月にも、文科相の諮問機関である中央教育審議会(中教審、三村明夫会長)に諮問する。免許制度の抜本見直しや養成課程の延長が議論される見通しだ。

 民主党は、実践的な指導力のない教員がいることは免許制度に原因があると見ている。養成課程についても、教育実習の時間が少ないことなどを問題視している。

 2009年の衆院選では、政権公約(マニフェスト)に「教員免許制度の抜本的見直し」「教員養成課程の6年制化」を掲げた。

 今回の諮問も、こうした問題意識に沿って行われる。具体的には、「教員の質の向上策」をテーマに、
〈1〉教員志望者の養成
〈2〉教員の採用
〈3〉教員の研修
――について、望ましい制度の検討を求める方針だ。個別の検討項目は指定しない考えだが、免許制度や養成課程が議題となる見込みだ。

 同省は答申を受け、早ければ11年の通常国会に関連法案を提出したい考えだ。                                                          
                                                                                                   以上、 読売新聞5・17



                                                                                       教育実習が長ければよいのか。免許制度は、本当に大学院まで必要なのか。教育の元々に戻って考えたい。

教員の資質は半分以上人間性である。人間が人間を教えるのだから当然だ。その人間性は、何によって育まれるのか。これを明確にして論議すべきだ。

スポーツの世界では、監督やコーチの信条や手腕が選手の実績を大きく左右する。つまり良き選手を輩出するには、良き指導者が必要ということだ。その後に育成システムがくる。

人間を教えるのが教師ならば、教師の卵を教える大学の教員の資質を大きく取り上げる必要がある。教員養成職につく大学教員こそ真の人間性が問われるべきだ。教員の卵の育成システムだけをいじっても無駄だ。

教員養成に関して、抜本的な改革の第一歩は、養成職の意識の改革だ。その後システムの改革がある。順番を間違えると、何度改革してもシステムの改革ごっこに終わり、教育界のさらなる疲弊につながる。
 

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行政がすべきことに、教育の正常化対策がある。格差が開いた教育現場の中で、学級を30人の少人数にしても現在の問題点は解決しない。すぐやるべきことは、次の3つである。

①困難校を中心に教師の大幅増員。
財源は、教員の給与の7%削減だ。しかも、小、中、高、特別支援すべて同額にする。浮いた財源を持って教員を増やす。ただし、退職者の再雇用による増員が望ましい。なぜなら、費用は高額ではなく、いつ首を切られても差し支えつかえない人が多いからだ。

②教員の雇用体系の工夫。
教員の労働間に格差がある。特に、長期休業中だ。特別支援学校と小学校は、生徒が来ないので教員は仕事が極端に少ない。生徒が頻繁に来校する中・高に赴かせ、補習や生徒支援にあたってもらう。一般企業では考えられないが、特別支援や小には、夏休み中に30日ほど休む教員がたくさんいる。その方々の利用を考えるのだ。

③不登校や学校の授業に適応できない生徒を手厚く教育する学校の建立
不登校だけでなく、学校教育の範囲では背負い切れず、あとは警察のお世話になるだろう生徒を受け入れる学校を作る。一時的に手厚い指導で、教育を展開する。もちろん、そこで育まれれば、一般校に戻す。




 

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 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題で、政府がヘリコプター部隊の移転先として検討している鹿児島県・徳之島の3町長らは7日午後、鳩山首相と首相官邸で会談後、記者会見して「飛行場移設は絶対反対という民意は決して変わらない。これからますます強くなる。首相が(徳之島に)来ても、お会い出来ない。会っても平行線だから」と語った。

 日本は一体どうなっていくのか。デフレからぬけだすことはできず、経済成長は中国、韓国、インドから引き離され、政治も経済も地滑り状態だ。米国紙には、鳩山首相をバカにした記事が載っている。
 そうこうしているうちに、教育の世界も混迷の波を受けている。例えば、教員免許更新制だ。もう夏休みをにらんだ講習予約が始まっているが、更新のための講習を受けようか迷っている教員も多い。管理職に今後更新制は続くのか、と聞いても分からないという。教員もこの件で混迷している。
 
 

 

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  部活動の練習試合を組むにあたって得た,強豪の法則を記す。
 試合はいくら格下としても強くはならない。同等以上のチームとすると強くなっていく。だが、弱小チームが、強豪チームに練習試合を申し込んでも受け付けてくれない。初めは私もそう思って遠慮していた。しかし、高校は知らないが、中学校では逆だった。 つまり、強いチームほど、練習試合を受け付けてくれるのだ。

 他府県の学校とするときも、強豪がわざわざ遠いとこに来てくれるわけがない、と思いがちだが、きちっと来てくれるのは強豪だ。弱いところには断られる。

 それが分かってからは、面白いほど、強豪に練習しい合いを申し込み、お相手をしていただいた。例えば、部を持って2年目の弱小で礼儀も出来ていないやんちゃチームの時、まったくお初の全国優勝したチームの監督さんに連絡した。すると、是非来て下さいと言われた。そして、生徒たちは試合もし、試合後は監督さんの車で駅まで選手を送っていただいた。その3年後、県のベスト8になった。

 また、全国でも名の知れたプロ選手続出の高校の付属中学校に試合を申し込んだ。隣のその隣の県までがんばって行った。すると次にうちの学校に来てくれた。それも毎年恒例のように来てくれるようになった。そこが来ると、他府県の強豪も是非うちも一緒にやらせてほしいと、連鎖するように強豪ばかりが他府県各地から集まりだした。うちのチームは強豪ほどではなかったが、次第に対等に試合が出来るようになってきた。強豪の中で育ててもらい、生徒の意識も、保護者の御意識も変わった。このその時、県ベスト4になった。

 強豪のおかげで強くしていただいたのだから、こちらも格下のチームと練習試合を設定した。しかし、その時は大会形式にするとか工夫し、チームがだれないようにした。

  





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 困難校のありのまの姿を記しているサイトがある。それは、大阪府門真5中の保護者であったであろう、戸田氏のサイトだ。戸田氏の主義主張は横に置いて、記述されている実態と門真5中生徒を思う誠実なお気持ちに対し、純粋に感銘を受けた。また、当時の5中を広く市民に公開された校長先生にも敬意を表する。サイトの記述は、教員や生徒や保護者の目線から見たものだ。だから、三者の気持ちが的確に出ている。

 ただし、これは2004年の実態である。


それでは

2/10参観:
 
一番酷かった授業崩壊クラスは勉強しようと忍耐の子が半数だけ



6時限目、2年生のあるクラス。在室生徒数男18人、女17人、合計35人で。

 まず廊下で男子生徒が座り込んで騒ぎまくって、女の先生が一生懸命に中に入らせようと奮闘。戸田が立ち寄ったのは授業開始10分後くらいだったが、どうも開始早々からこういう騒動だったらしい。ようやく中に入ったが、教師に向かって悪態のつきまくり。
 この子に限らず、他の子も、参観者という校外の大人が見ていても何ら気にする様子がない。平気で「普段通りの振る舞い」をしている感じ。
 小柄な女性教師が能力豊かな人であるらしいこともこちらには伝わるし、一生懸命に授業をしようとしている熱意と情熱もヒシヒシと感じられる。痛いほどである。

 しかし、席を勝手に移動したり、しゃべりまくったり遊んだりして授業妨害し続けている子が男で6人。女の子は授業妨害とまでは言えないが好き勝手なおしゃべりや化粧をしていたり自分の世界に入って全く授業に参加していない子が5人。
 教科書すら出していない子が、戸田から見えただけでも男5人、女5人。机の中にすら教科書を入れていない子もいる。戸田がここで参観した20分弱の間中、何も出していない机に顔を突っ伏して寝ている女の子もいた。教室内はゴミだらけ。
 クチャクチャとガムを噛んで騒ぐ茶髪の男の子は、ふいに開いている後扉から出て行った。戸田が廊下で問いかけると「保健室に行くんや」と言う。
 少しすると別の男の子が「小便我慢できない」と言って出てすぐ戻る。

 先生は戸田から見たら悲痛なほどの忍耐を持って、騒ぐ子ども達を注意しながらその合間合間に教科書を読ませたり説明をしたりしているが、とてもまともに授業が成立しているとは言えない状況である。
 ざっと見てまじめに勉強しようとしている子が17人、授業に全然参加せず好き勝手にしている子が(授業妨害者数人を含んで)18人、という状態だった。

別のクラスではふつうに授業は成立しているものの、茶髪ピアスの男の子が自由に教室外へ行ったり来たり、教室内では先生の話全く無視でダベッている男子生徒が3~4人。

 勉強しようとしている子の様子もまた、先生に劣らず悲痛な感じがした。2年生の新しいクラスになってからもう何ヶ月も続いているこの状況に堪え忍ぶしかないのだろう、騒ぐ級友に文句も言わず、先生に当てられた時以外は一言も口をきかず、じっと教科書を見つめ先生の声を必死で聞いている。
 勉強しようとしている子にとって、この授業崩壊の時間は拷問と言っても過言ではな い。
 この絶え間ない、そしてクラスとしての一体感のカケラも感じられない騒動の中でとぎれとぎれに聞こえる教師の説明によって「勉強が進む」ことは決してありえないだろうと思われる。

 小学校の時から授業について行けなくなってしまって、中学校になっていよいよどうしようもなくなり騒いだり徘徊したりすることでしか自分の神経を保てなくなった子ども達も気の毒だが、普通に勉強したいのに拷問部屋のような崩壊教室で学力を付ける機会を奪われている子もまた気の毒である。
 両者を分離してそれぞれに教育する試みを学年当初にされたが、隔離教室が維持できなくなり、やむなく「統合」されたという。
 しかし、この両者を一緒の部屋で勉強させようと言うのは、これほどまでに差が開いてしまった以上、土台無理な話ではないだろうか?
 (「両者」とは言っても片方の内部では教育困難度合いについてそれぞれ違うから個別個別対応が必要だが)
  こういう状態で子ども達は2年生を過ごし3年生に送られる。3年でクラス替えがあるとは言え、新しいクラスがうまくいく保障はないし、2年生時代に損なわれたものの取り返しは簡単ではないだろう。

 門真市の教育行政として、本当の意味での学力保障のための必死の努力がなされなければ、門真市の教育困難校(学年・クラス)の子どもの進学など進路選択が大きく損なわれたままになる。

*英語の視聴覚教室授業が3人の男性教師で行なわれている一方、この問題クラスでは女性教師がひとりだけ。2/10は教師の出張が重なって人手不足という事情があるとのことだが(校長先生談話)、このクラスでムリヤリ統合授業をするなら教師3人が必要ではないだろうか。
ホントは20人と15人にでも分けて別々の対応をするべきだと思う。(もしくは20人・7人・個々別とかも)
                                                                                 
 以上


赤で示した戸田氏の対応策は、いわゆる少人数・習熟度別授業に近い。初めの20人は授業が出来る。しかし、後の15人が集まれば、好きなようにさせておもりするなら別だが、2、3人の教師がいても学習を進めることはできない。実際、5中では、授業中徘徊する生徒を一つの教室に入れたが、無法地帯となっていた。だから、最後に示されている(もしくは20人・7人・個々別とかも)のように、すでに徘徊している意識の生徒を学習につかせるには個別対応しか難しい。

私も門真5中のような学校で勤務したが、授業中徘徊する生徒たちを見ていると、学校教育の限界を感じる。その限界を戸田氏も見たような気がする。

次に、2年生保護者有志の教育長への要望書を見てほしい。長いので、一部省略してある。

それでは

 二年の学年主任の先生からは、授業妨害をする生徒達も所属クラスに一緒に入れるべきだとの見解をお聞きしましたが、授業妨害者の生徒達の騒ぎぶり、無軌道ぶりは尋常ではなく、先生は殆どその子らの注意、対応に追われ、まともな授業はできず、あちこちで、絶え間なく起こる騒動の中で、教科書の文字を追いながら、じっと耐えて座っている他にないと言う生徒達は、やりきれない気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。

 普通に勉強しようとするだけで、これほどのストレスを毎日、毎時間強いられると言うのは子ども達の心身面にも悪い影響を与えていると思われます。

 今回私たちは授業を妨害する一部の生徒たちに対しては、別室指導をおねがいしたいと思います。これは決して授業妨害する生徒達への差別でもなければ、授業を受ける権利の侵害でもないと思うのです。

 なぜなら、同一の教室に入っていることは単に形式的な事にすぎず、授業妨害者の子ども達にとっても、実質的には何ら勉学を保障されている状況ではないと思います。言葉は悪いのですが、その子らは単に教室に閉じこめられているだけであり、それによるストレスを授業妨害と言う形で、普通の生徒や教師への加害行為に転化しているのではないでしょうか。

 
                                                     
                                                        2004年2月25日

 私は一市民として、赤字部分に共感する。(黒太字の部分は一部共感)

 授業中徘徊している生徒に声をかける。「授業を頑張れ」。励ましの言葉だ。だが、時々、授業に入るよりどこか空いている教室で、話でも聞いたろか、という気になる。実際そうしたこともある。だが、大半は、今さら形式的に授業に入れてどうなるのか、と疑問を持ちながら、とりあえず入れる。

 教室に入れることが出来たとしても、その生徒を学習に向けることは難しい。授業者側とすれば、教室でおとなしく寝てくれるか、雑誌でも読んでてくれているなら本来的ではないが、まだ良し。いわゆる邪魔をしだすと、注意するのに明け暮れ、外へ出てくれと念じてしまうほどだ。ほとんどの教師が体験する感情だ。

 学校に来て、授業に全く入らず学習しない。するのは妨害だけとなると、学校とはなにか、彼らの学校に来ている意味はなにかと自問してしまう。徘徊する彼らの時間がもったいない。もっと有意義に、もっと力を伸ばせる場所があるのではないかと問う。

 こういう生徒は門真市内に何人いるだろう。2010年現在で、10人、いやもっといるだろうか。そして大坂府下では何人いるだろう。兵庫、京都、奈良も合わせれば、すごい数になるだろう。

 彼らの中にも、自分のしていることに本当は嫌気がさしてきているもの、力関係で仕方なく従っているものがいる。また、とりまく環境を変えることで、大きく変身できるものもいる。その生徒たちを支援する教員配置体制、または特別な教育機関が必要だ。目的は、彼らの本来的な姿をとり戻させ、本当の力を引き出すことにある。それが出来れば、学校に戻ればよいのだ。

 我々教師はすでに崩れの段階とパターンを知っている。1年生に入学してきた生徒が、次第に徘徊する先輩の姿を真似しだす。2年の後半ともなれば、教師への暴言暴力、校舎破壊、授業エスケープ者が組織化し膨れ上がる。学校ではやりたいほうだいだ。ここまでくると、そこから抜け出させることは難しい。すでに、法を犯し自分を見失った行動に出るものもいる。彼らをストップさせるのはパターンとすれば、警察力だ。校内での暴力か、外でのバイク窃盗、暴走行為などで警察にお世話になり初めてストップがかかる。この流れが何年も続いている学校もある。

 夜遅く指導に追われながら、崩れていくパターンにはまり込んでいく生徒を、どうしようもない思いで見ている時、力不足を感じる。学校教育の限界を感じる。我々だけで出来ることと、出来ないことがあるのではないかと。

 今のままでは教師は、教室に入れるという形式的な仕事をしているだけと疑問を持つ。

 このような日本の中学校の現状をほっておいていいのか、と常に思う。みんなは知っているのかと疑問に思う。それぞれの主義主張はあろうが、戸田氏のように学校の実態を如実に知り、憂う市民が多く出てきてほしい。今の学校・教師に対する批判は巷に存在する。しかし、一般的な激情論や昔、我々の時はこうだったと論じられても、的は外れている。今の実態に直接手を触れて初めて分かるものがある。

 市民にはとうてい縁のない巨額の金を振り回して政治をしている人たちに、日々生きることに苦慮している市民やその子どもたちの気持ちが分かるだろうか。疑問だ。街や教育現場からの悲痛な声を吸い上げ、的確な策を打ち出さないと、日本の教師と教育は完全に壊死する。

  今の私が出来ることは、彼らと話が出来るようになること。分かってやること。心配してやること。そして、一年生から、そういう芽のあるものをクラブ活動に入れ、スポーツを好きにさせ、熱中させて卒業まで辞めさせないこと。それだけだ。

 






 

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