公立学校の真実
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昨日ニュースで分かったが、今の駒沢大学4年生は就職求人数は昨年8000人から6000人に落ち込んだという。
あと1年大学に残って就職浪人も奨励しているようだった。お金が掛かるな、親はたまったもんじゃない。
しかし、シンクタンクによれば今年より来年、つまり今の4年生より3年生の方が就職はさらに厳しくなるという。
採用数を激減させている企業もあるが、内定取り消しなどという、あってはならないことも多々起こってきた。
そのような中で、教員に挑戦する者たちがいる。しかし、教員採用試験に見事合格したとて、県によっては安心してはいられない、合格=採用ではないからだ。
つまり、合格=4月1日よりの1年間の採用者名簿登
載と言うことである。だから実際に採用されないことも
あるのだ。
今の時代これはおかしいのではないか!!!
内定取り消しとまではいかずとも不安を掻き立てる採用の仕方だ。
合格し採用者名簿に載るが、確実に採用されないとわかると不安で仕方がない。さらに他に決定している企業を蹴って採用を待っている者もいる。
そこを今の時勢を見て教育委員会はどう考えているのか。
いつまでも採用側が殿様商売をしている場合ではない。
若者たちの身になって採用をキチンんとした形でまず教育公務員が率先して行うべきだ。
6人ほどで場面指導の協議がある。その協議内容を採点するというのだ。もう少し詳しく伝えると、6人がそれぞれ違った課題をもらいその場で後の5人を生徒に見立てて指導するという。
全員終わるとそのことについて協議するというのだ。協議の時間も10分ほどという。一人が2回ほど発言するかしないかである。
ここである県から出ている、場面指導における教員選考の方針たるものを見てみよう。
(1) 指導場面を的確にとらえ、適切に指導しているか。
(2) 積極的に発言し、その内容が建設的であるか。
(3) 周囲の状況を考えて話合いに参加しているか。
(4) 表情や動作に明るさや豊かさが感じられるか。
(1)は場面指導の状況そのものの時のことだと思える。
それ以降は協議の場面を押さえてのことだと思うが、講師の方が言っていたのは、合否がかかっている場面で、協議はなかなか自分を出してやりにくいということ。
積極性=厚かましさ
周囲の状況を考えて=謙虚さの表れ=消極的に見られる
など10分で判断されにくい要素も含まれているのは事実だ。
もう少し時間をかけて観ても良いのではないかと思う。
一人の教師の影響力は自分が思っているより遥かに大きい。
このことを実感したのは、生徒が同窓会を開いた時だった。
久しぶりに「先生!」と呼ぶ声、生徒の成長した姿。もうちょっとこうしてやればよかった…、と後悔の念。
今まで務めてきた学校のいろいろな学年の生徒が同窓会を開く。そこに呼ばれるとやjはり嬉しい。
しかし、後悔と何か知らぬ後ろめたさが出るときがある。
それは一生懸命に生きていない私。しかし、「先生!」と声を掛けてくれる卒業生たち。その真摯な声に対しての後ろめたさだ。
だから、私はもう一度真摯に生きる。卒業生たちに負けぬよう。「おまえらに負けてたまるか」。
もう一度私の願いを思い出すのだ。教師になった時の願い。
それは一言でいえば「励ましたい」であった。なにを置いても生徒達を励ましたいという純粋な心からの声だ。
私はその声(サイレントコーリング)に耳を傾けて、一点を見つめ進もう。
今、わがブログは教員採用試験で検索されるものが多い。
そんな参考になるものもないが、悲しさが湧き出る。
なぜなら、教員志望なる者は様々な無駄な知識によって判定されるからだ。
現場でそんなこと言うてたら、あいてにされんで。
と思うほどの知識偏重。教員は教科専門知識と、一般教養、教職教養がふつうにあり、あとは人間的魅力があれば十分だ。どれだけ人間が好きで、明るく、誠実か。これだ。
文科省がどういう見解を持っているとか、指導要領がどうかとかそれは教員になってからの研修で十分身に付くからだ。それを知らなくても、明日から十分に教師をやっていける。
しかし、人間性は教師になってからでは確実に遅い。
指導要領に精通していることが即戦力にはならない、教師力を計る物差しではない。重要なのは人間力だ。
そこを見るべきだ。
実は、我々が、受けた教員採用試験の方がひょとすると人間力を計っていたかもしれない。
こんなのがあった。号令テストだ。生徒を集め、号令をかける、校外学習の想定で生徒に語り、解散させて終わる。知識は必要ない。実際の場面そのものを演じ、気合いがあるかどうか、それだけだ。
私も気合いで行った。集合時、生徒役になってだらしている受験生を目を尖がらせて本気で怒った。そして最後は笑顔を忘れず。
それと面接。
質問の中に「生徒がひどく悪いことをした時、あなたは生徒に手を振り上げますか」という酷な質問があった。「はい」と言えば、体罰として法を犯すことになる。しかし、私はその場面では手を出すだろう。私はじっと考え「どつきます」と答えた。合格だった。
今なら、きっと問答無用の不合格!に近いかもしれない。
ガンバちょるね。
電話も学校にいながら電話番号が学校と違うのを使ってるのだ。すごい!!!そんなのどうして出来るのか。
教師ってなに?教えるのが仕事じゃないのかな。まあいいや。運動も仕事のうちか。
しかし、学校に入り込めるだけの力を持っているってすごいなぁ。考えられん。
しかも、校長もそこの会議や集会に呼ばれたら、みんないくねんて、怖いからちゃう。
もっと、子供の本当の学力を身につけさす方向に校長も出張すべき。
その人権団体さんは、全校レベルで「反戦・平和」「反差別・共生」と叫んでいる。でも、イデオロギィーの刷り込みの感がありありとする。
以前、職員朝礼で、組合の人が組合の事務連絡をしようとしたとき、教頭が「それは止めてくれ」と止めた。当然止まった。
教師の世界は何か変だ。とにかくおかしい。
これを話題にし始めると、私は引きこもりたくなる。田舎の山の上の大学だからだ。確かに京大の人もいる。しかし、京大だから管理職になっているとは言い難い。京大出身で知っている人は2人だけだ。いずれも50代だが管理職になっていない。
管理職になるにはなるだけの器がいる。 …沈黙。 こともある。
管理職はなぜか教科で決まる率も多い。
「えっ」 不思議でしょう。もし、管理職の学歴を見せろ。と言われると、嫌がる人も多い。
管理職で一番多いのは体育だ。体育大学出身者。なぜか体育科は中体連、という組織があって、そこから管理職への登用が順次促される。他の教科ではこれほどスムーズに管理職にはなれないが、体育科だと道は開けているのが実情と言える。
頑張れ!平教員。
新指導要領へ右へ倣えの指導がこの困難な教育現場の解答たるのか疑問だ! 現実の中で本当に役立つのか。
指導要領が悪と言うのではない、現実は指導要領を忠実に実行すれば解決するという甘いものではないということだ。要領は頭に入れておいて自己研鑽に励み、そこから滲み出てくるもので実践せよ、と言いたいのだ。
どうだろう?
では、採用試験は受験生がどれだけ指導要領が頭に入っているのかを調べるものだ、と言われればそれまでだが、人間的に魅了する者でなければ、頭だけ優れていても、子どもから受け入れられず、つぶれていくのは事実だ。
はっきりいって指導要領を知らなくても人間的魅力と明るさが滲み出てくる人物なら現場ではエース級と言える。逆に言えば、現場のエース級が教員採用試験でどのような回答をするか見てみたい。
我々が実践で拠り所とするのは培ってきたカンと、保護者や生徒に対する純度の高い誠だ。
この誠が出せない教師はいくら口がうまくても最終的に誰からも信頼されない。
我々は、どんなに正論と正攻法で立ち向かっても、行けばいくほど保護者や生徒と縺(もつ)れるパターンがある。そのかわり、文科省、委員会の皆様から見ればかなりやばい捨て身の方法ですんなり解決への道に至ることもある。
自己を知るというのは本当に大切だ。
例えば、今行っている指導が、自分の面子でやっているのか、上司に気に入られるためかを振り返るということだ。その時、本当にこの生徒のためにやっているなら、それはきっと最後には信頼され、うまくいく。面子のためにやって一時的にうまく行った、周りから羨望の眼差しが来たとて、それはあくまでも一時的、最終章では悲しい結末で終わるのだ。
保護者はどれだけ教師が誠をつくして我が子に関わってくれているのか、それを見ているのだ。
長々とした文に成ったかが、教員採用試験の面接を突破するための本に載っていたこの部分を見てほしい。
「保護者からの苦情にたいして、どんな気持ちで対応をしますか。」
保護者からの苦情というと「理不尽な苦情」や「無為難題な要求」だけが注目されがちですが、よく聞けば保護者の純粋な願いであったり、学校や教師への励ましであったりすることもあると思います。
持ち込まれる苦情によっては、学校や教師にとって子供や保護者との望ましい信頼関係を築き、教育活動のさらなる前進のためになることもあると思います。
ですから、学校や教師の誠意ある対応が保護者の心に触れるものであれば、その苦情の大部分は解決できると信じて対応したいと思います。
これはまったく同感である。これに尽きる。
さらに進んで、「モンスターペアレント」という」言葉がありますが、そういう親からのクレームに対処したらよいですか。」
掲載回答例、ポイントと掲載している。
1、電話でのクレームの時は、「お会いしてお話を聞かせてください」と言って学校に来てもらう。
2、教頭か教務主任・学年主任等の同席のもとにクレームの内容を聴く。必ずメモをとる。
3、クレームの内容について事実確認をする。
4、事実が明白になったら、その対応策について上司の指導を受ける。
5、再び、保護者に来校してもらい、教頭か、教務主任、学年主任等の同席のもとに説明し、保護者の納得を
得る。
6、電話、ひとりでの対応は絶対に避ける。
私見
まず、引っかかるのが、1番である。
いろいろなパターンがあるが、クレームを出す親には「おまえらが来い」と言い出すことも十分考えられるのだ。その時はあくまでも来校を促すというより、保護者の状況を見て、「こちらから行きます」と先手を取って言う方が、素早く動いてくれていると見なされ、解決は早くなる。
さらにこの場合、保護者側から見れば2回学校に行く羽目になる。ここで保護者は本題に入る前に気分をややこしくさせてしまう。まあ、ここで掲載されているパターンは基本と言えば基本だが、一定御理解のある保護者様への対応と言ったところだ。
現場はもっと変化に富んでいる。
まあ、教員採用の受験生諸君頑張ってくれたまえ、やはり面接試験は、きれいごとになるかもしれないが、教科書的な準備本を見ておいた方がよい。なぜなら、まずは教員になることが先決だからだ。