金曜の夜に客先から帰社しようと外に出たらすげードシャ降り。この時ばかりは井上陽水の気持ちがすごくよくわかった。社会問題オールどうでもいいと思った。 で雨宿りをしてみたけど一向に止む気配が無い。それだけならまだしも一緒に雨宿りしてる爺さん。傘を持ってるのね。確かに傘じゃ防げないぐらい雨脚が強かったからそれはまあいいよ。傘本来の使用方法を放棄しただけなら許すよ。ところが放棄した上に貧乏ゆすりがヒドイのか手すりみたいなのに傘が当たってカンカンうるさいの。イライラするし。すげー怒鳴りつけたかったけど我慢したので頭が痛いです。 それで思い出したんだけど正しい日本語について。頭痛が痛いなんてのはネタとして使われるぐらい周知されている誤表記だよね。でも最近よく見るんですよ。後で後悔するとか犯罪を犯すとか。これってアリなの?後で悔やむとか罪を犯すが正しいと思うんだけど確かに悔やむって言葉は普段使わないよね
「ヘリクツ」ということばはとても便利で、とても使えるツールのひとつ。(直感的に)気に入らない意見があったら、このことばをぶつければ大体オーケーなところがいい。ただし、このことばの発動要件はひとつだけあって、それは、「あなたと同様、その意見のことを『気に入らない』と思っている人が多数派であること」。つまり、あなたを含む大多数が「ヘリクツ」だと思えば、「なぜ"屁"リクツなのか」についての理屈は不要で、即、「ヘリクツ」認定できる。 「人を殺してはいけないのはなぜですか?教えてください」と、したり顔で問うクソガキを想定してみればいい。ま、お気に召さなければ、「先生、なんで俺たちは学校に行って決められたレールを歩かなきゃいけないの?」と歌うオザキでもいいし、「ていうか、なんで、エンコーしちゃいけんの?」と言う安西ひろこ(イメージ)でもいい。ともかく、ここは、《人殺なんで?》問題を前提で話をすすめる。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
●秋田の海岸に人の足が漂着 http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070826/jkn070826000.htm ●独政府コンピューターにハッカー 中国の経済スパイか http://www.asahi.com/international/update/0826/JJT200708260004.html ●黄公使の怪死で韓中関係に溝 http://www.chosunonline.com/article/20070811000031 ●「同乗するだけ」 駐車違反対策で新商売 http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200708/news0824.html#08244 ●ホリエモン、立花隆氏を訴える…サイト記事で名誉棄損 http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_08/g2007082505.html ●
はてブ何をもってspamとするか。その閾値が人によって様々であり、価値観も多様であるが故、ブックマークという行為や言説に於いてコンフリクトが発生する。 纏めをやるかと思ったんだけど、はてブ米なんかを拾っていくしかないっぽかったり途中で意見が変わった人もいるので興味がある人はgorilla-bootsさんの『ゴリラブーツがスパムなんて、みんなとっくに気付いているよね』に収録されている記事から、はてブスパム関連と思われる記事をピックアップして読むことをお薦めする。私が記憶している限りgorilla-bootsさんが何らかのコメントを書いているというケースは殆ど無い。遡ったわけではないので印象だけど殆ど無いと思う。そんなgorilla-bootsさんが「いろいろとごめんなさい。もうちょっとだけ、はてなで続けてもいいかな(ノー`)」と書いておられるのが印象的だった。この一文が無ければ恐らく私は何も
マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・アプスブール=ロレーヌ(フランス語: Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine, 1755年11月2日 - 1793年10月16日)またはマリー=アントワネット・ドートリッシュ(フランス語: Marie-Antoinette d'Autriche[1])は、フランス国王ルイ16世の王妃(王后・王太后)。オーストリアとフランスの政治的同盟のためルイ16世へ嫁ぎ[2]、フランス革命で処刑された。 フランツ1世とマリア・テレジアの第15子(第11女)として1755年11月2日にウィーンで生まれた。フランスとオーストリアの同盟に伴う外交政策の一環により[2]、当時フランス王太子だったルイ16世と1770年に結婚し、彼の即位に伴って1774年にフランス王妃となった。オーストリアに対する同
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