イギリスのチェスタートンという批評家の名言に好きな言葉がある。 「なぜフェンスが建てられたのかわかるまで、決してフェンスをとりはずしてはならない 」 高級なクラブなどに行くと気づくのは、そこにある灰皿が極端に小さいことだ。小さく造形された灰皿はそれだけで独特な美しさを持っているが、ここには原作者の粋なアイデアが詰まっている。小さな灰皿は、一本でもたばこを吸えばいっぱいになってしまう。そうすると、スタッフが灰皿を新しいものに替える。そうするとことで、客への細やかなサービスを演出できるし、スタッフに自然と客へ細かく注目させることを可能にしている。 もちろん、これを違うやり方で実現することもできる。たとえばマネージャーが、スタッフに「客を細かく見ろ。灰皿は、客が一本たばこを吸ったら必ず変えろ」と言えばいい。そういうマニュアルを作ってもいいし、バックルームに貼り紙をしてもいい。なんらかの指示や号令
2011/12/190:42 「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?(3) 東浩紀×荻上チキ ■「他者」観の限界 東 繰り返しになるけど、その「ほうっておけばいい」という感覚が、いまの日本人のコミュニケーション観にはいささか足りないかなとは思います。喋りはじめたら同意しなければいけない、という強迫観念。そうではなくて、喋ってみて喧嘩別れして、「お前なんかと二度と会うか。知らん」でいいんですよ。それでもそういう人がいた、ということはわかるわけだから。 それはもしかしたら、戦後、日本人の多くがイメージした総中流社会がきて、みんな対等に同じような生活環境を享受しているのだからわかりあえるはずだ、という間違った幻想がばらまかれてしまった結果なのかもしれないと思ったりもします。 戦前みたいに、階級や地方が違ってしまったらまったく別の人生で、存在はしているけどコミュニケーションをしよ
奇しくも東浩紀氏の『一般意思2.0』と僕が編集したジェフ・ジャービス氏の『パブリック』という同時期に刊行された書籍がともに「公共」を主題に取り上げている。もちろん『一般意思2.0』は日本を代表する思想家が基本的に2009年からの連載をまとめたものだし、『パブリック』はアメリカのメディア/ITジャーナリストの本なので、刊行にいたるまでの文脈やバックグラウンドは相当に違う。 でも一方で、情報化社会の深化を前提に、カントからハーバーマスやアーレントへ連なる近代的理性に拠る「公共」をもはや「非現実的」としてルソーにまで遡る東氏のアプローチと、ハーバーマスを批判的に継承しつつ新しい「パブリック」の創出を論じるジャービスのアプローチには共通性があるし、『動物化するポストモダン』以降の00年代的アーキテクチャ論(と僕が勝手に命名)を牽引してきた東氏と「テクノロジー決定論者」を自称するジャービス氏の距離は
道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし
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昨日は「珈琲屋OB」という巨大なコーヒーを出す変な店に行って、昼から5時間ぐらい居座り、下写真のようなものを飲み食いしつつプログラミングをしたり文章を書いたりしました。 右はこの店の出す普通のアイスコーヒー(390円)。たぶん通常の3倍ぐらいの量でしょうか。後ろにあるiPodがiPod nanoにしか見えません。でも実は、これはこの店におけるスモールサイズ的メニューだったらしく、他の人が注文してた変な飲み物は明らかに1リットル以上ありました。そっちを頼めば良かったと後悔しています(ちなみに、それを頼んだ人は写真撮りまくってました)。 左にある物体も何だかよくわからないと思いますが、これは「ホットサンド」という食べ物です。メニューに載ってたので何が入ってるのか聞いてみたら、店員さんもよく知らなかったんですが、とりあえず注文してみたらこんなのが出てきました。なぜかポップコーンにサンドイッチ
丸山真男 「権利の上に眠る者」 時効は貸した金を返してもらえないという不人情な法律であるが、ある期間請求をしなければという条件付きである。債権者であるという権利の上に眠っている者は民法の保護に値しないという法理である。請求することをしないで債権者であることに安住していると債権を喪失する、逆から言えば、請求することによって債権者である、ということである。 日本国憲法についても、第十二条に「自由や権利は国民の不断の努力の成果」であるとしている。自由や権利は過去からの多年にわたる獲得の努力の結果である。そして、未来にも努力を継続することによって自由を保持し続けなければならない。時効と同じように読み替えると、主権者であることに安住し権利を行使することをしなければ主権者でなくなる、権利を行使することによって主権者である、ということである。それはナポレオンやヒットラーで実証済みである。ヒトラーを首相に
女。女性にとっては男と言えるかどうかはわからない。男女というのは30代に入って、生物的なら子どもをなしてみたいな時期になってから、魔の時期がある。まあ、これは簡単に言えるものではない。非モテとかいう人は実はけっこう守られているというか進化論的な有利があるのだなと個人的には思う。 50年生きてみると finalventさんの記事を読んで、この一節を読んだ時にピキューンときたので、ちょっとばかし書いておこう。 今、現在、日本では少子高齢化が進んでいる。その背景には、男女の未婚率の上昇や夫婦が作る子供の数が少なくなったという問題がある。で、なんだけど、世の中には僕を含めて、結婚してない人達という人が多数いて、子供をそもそも作らないというカップルもいくらかいる。 そういう人達は、一体、何を得るんだろう?と思う時に、どうしても社会保障との絡みで考えてしまうことがある。 結論からいえば、僕は、この点で
まなめ王子が「ブロガーには是非読んでもらいたい」とおっしゃっていた、「発信力 頭のいい人のサバイバル術(樋口 裕一)」を読んだ。僕もいい本だと思う。これを受けて、僕が発信力をつけるためにはどうしたらいいか、という観点でいくつか申し上げたいと思います。 YES/Noが明確であること 発信において一番大切なことは、自分が取り上げている話題・議題に対して、何らかの観点でもって是非を論じていることだと思います。是非を論じるってことは何かと言いますと、YES or Noをハッキリ明確にするということです。これがなかったら発信にはなりません。単なる言いっぱなしです。そんなの誰も読もうとはしてくれません。あっそ、で終わりです。 発信は、受け手に届けて初めて発信となります。 YESに立脚しよう 発信力をつけるには、YESからスタートすることです。Noからスタートしてはダメです。なぜYESから始めた方がいい
自由が行き過ぎるとテキストになる 次世代のインターネットだとか、ユーザーの自由度が極めて高いだとか宣伝された 「セカンドライフ」は、むしろ不自由な世界だったのだろうと思う。 セカンドライフ世界では、ユーザーは街を歩けるし、誰とでも会話が楽しめるし、 いろんな品物を購入できて、空だって飛べる。たしかに何でもできるんだけれど、 ユーザーの自由度をもっと増して、たとえばユーザーが「壁抜け」自由になって、 「テレパシー」機能が実装されて、会話が全て盗聴できるようになったなら、 ユーザーにはもはや、「歩く」だとか「飛ぶ」、会話をするために誰かに近づいたり、 街の中で誰かを捜すといった行為に、理由がなくなってしまう。 自由度が増すと、ユーザーを取り巻く世界は、だんだんとその意味を失っていく。 ユーザーは歩けるし飛べるけれど、遠くが見えないし、壁を抜けることもできない、 そんなセカンドライフ世界から始ま
⇒http://d.hatena.ne.jp/pbh/20090120/1232457290 ⇒2009-01-20 上記のエントリを拝見して。「擁護」ということではないけれど。 「ビジネスの現場に正解がなく、時には理不尽を含む」ことは私もビジネスやっているので知っている。知っている人が大半と思う。そのことはあるいは「世界に正解がなく、時には理不尽を含む」とも敷衍されると思う。「通過儀礼」が新入社員研修において要請される、そのことも知っている。ビジネスの局面においては正解がなく、時には理不尽を含むことは、現場以前の研修において知らしめることが望ましいだろう――望ましいのか? ただ、私の考えでは、Webが公共空間であるなら、それはビジネスの現場ではない。レイヤーが違う。世界に正解がないことと、公共空間の言論において正解を模索しないことは、イコールではないし接続もされない。むしろ逆接される。「
年末の忙しさで、ゆっくりブログを書く時間が有りません。携帯から、最近感じたことを。 私はピアノでも、クラシック音楽鑑賞でも、天文・天体観望でも初級者だ。レベルの高い人の話を聞いたり、実演を見たりすると凄いなと思うし、勉強になる。その一方で、レベルの低い自分にはどうあがいても届かない距離や、追い付けない話題があって、悔しく寂しい思いをすることもある。たとえ誰でも、初級者歓迎としていても、ある程度のレベルの人以外は門前払いされているような心理的な壁を感じる。結局は、その悔しさをバネに頑張るしかない。卑屈になっていても、もっと辛くなるだけだ。ただ、努力すれば何でも出来るとは限らないので…その辺の捉え方、視点の変え方が大事になってくるだろう。諦める、という意味ではなく。 レベルの高い人には高い人なりの悩みや辛さがあると思う。初級者には初級者なりの悩みがある。今思うことは、お互いに悩みや辛さがあるこ
からなあ。 私達は、自らの人生をゲームになぞらえる程にメタ化視点に慣れすぎている 語られる人生や体験というものは必然的に抽象化できる範囲に留まっています。逆に、その範囲に留まる人生はメタ化もゲーム化も容易となる。 そして、その人がどういうインターフェイス、メディア上で人生や生活を送るかによって、その体験がメタ化しやすいかどうかも決まってくるわけです。 言葉で描かれる人生は言葉で描くことのできる範囲を超えることはない。 システムで描かれる体験はシステムで描くことのできる範囲を超えることはない。 抽象化というのは切り捨てるということ。 つまり情報というものは常に何かを切り捨てて成立しているということであり、それを踏まえておけばその取り扱い方もなんとなく分かってくるような気がします。 思うに、人生を面白くする一つの方法は、「抽象化できない体験」をすることです。 科学には再現性が必要だけど、人生は
広く言えば、勉強することの意味はすべてここに帰結すると僕は思っている。 学生の頃の頭の良さ、端的に言えば受験勉強的に◎な頭の良さは、概念を吸収する力でしょう。つまり、何を言いたいのかを理解できる力。何が求められているのかを考える体力をつけるために、学生は勉強しなくてはならないと僕は思う。知的体力重要。知的体力というのが無いと、概念と概念がぶつかったときとか、自分が理解できない未知の領域がやってきたときに、考えることを放棄しちゃう。 こーゆーのは、僕が思うに「インプット」に即した頭の良さだと思う。 でも、インプットだけでは何も生まれないことを問われる時が来る。それが、社会に出るとき。 でも、実際に必要なのは、「なにをどう勉強すればいいか考える力」。その力がないと勉強ができなくなる。勉強ができなくなるから、だめになっていく。 学生のころ勉強ができた人が、社会人になってだめになってしまうのは、「
サイエンスライティング | よい噺家が育つにはよい噺をふんだんに聞くことのできる状況がなくてはならない、とぼくは考える。豊かな土壌があれば、よいものが育つ。 落語というのは凄いものなんだゾとか、いかに素晴らしいかなどをいくら力説してみたってだめだ。その力説に心を動かされて落語界入りをした者がいたとしても、ただ“理屈好き”とか、説得されてしまったことに酔って“その気”になっちまった者であって、彼らにはいいとこ、そこそこの期待しか持てない。 理屈ではなく、ただただ芸の力に圧倒されて、よし! きっとああいう噺家になってやる! と心を熱くする若者こそ期待できる。 落語家論(柳家小三治) これ、引用文の中の「噺」を「科学」に、「噺家」を「科学者」にしても成り立つのではないか、と思いながら読んでいたのだけど、それだけじゃないな、と思った。どんな仕事でもそうかもしれない。 若者を迎える側としては、ただ
映画や書籍を読んで「考えさせられる作品だった」とか言う人がいる。 あなたはこの言葉を言ったことがありますか? もし言ったことがないのなら非常に幸運。これからも絶対に口に出しちゃダメ。 「考えさせられる」なんて馬鹿を見分けるのに非常に便利な言葉です。 批評でこのフレーズを見つけたらそのレビューは何の価値もないとすぐに読むことをやめて結構です。 「考えさせられる」なんて言っている人は絶対に「何を考えたか」について口を割らない。 「考えさせられる」と言うことで何かを考えた気になって実は何も考えてないから。 同じく「考えてみればいいよ」とか言う人もダメ。そういう人も「自分は何を考えたか」は口を割らない。 「本人が考えなきゃ意味がない」と言って逃げる。何も考えてないだけなんだけどね。 これを読んだ人は「考えさせられる」なんて言っちゃダメだよ。 本当に考えてる人はそんなこと言わずに自分の考えを言葉にし
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