新聞の<われわれ>とはいったい誰か ジャーナリストの玉木明氏は、オウム真理教事件の直後に刊行された「ニュース報道の言語論」という本で、新聞記事の主語は、実は文面にはいっさい出てこない「われわれ」であると書いている。たとえば、次のような記事の文例を見てみよう。「強引とも言える捜査は、小さな山村の集落の住民を相互不信に陥らせ、人のつながりを壊した。警察への憤りも広がっている」(二月二十三日、鹿児島県議選買収無罪判決の記事から)。この記事で警察に憤っているのは、誰なのか。ここで憤っているのは、実は書いた記者個人という「わたし」なのだが、しかし記事の文脈では「私が憤った」とは書かれていない。あくまでも社会全体の「われわれ」であるというスタンスを取って書かれているのだ。玉木氏は前掲の書籍で、以下のように書いている。 ある特定の観点を<われわれ>の観点とみなすこと、特定の主張を<われわれ>の名において
私はいわゆるファミコン世代だ。自宅にファミコンはなかった*1が、友達の家に行けば雨や雪の日は結構ファミコンで遊んでいた*2。 自分が気に入らない結果になるとリセットできてしまうゲームに慣れ親しんだ世代は「リセット世代」と呼ばれるらしい。 404 Not Found 自分が気に入らなければなんでもリセットできると思っているため、他人とのコミュニケーションがうまくいかず犯罪を犯してしまう可能性が高いらしい。…そんな馬鹿な!?ならば寺子屋でそろばんを習っていた世代は「ご破算世代」か?積み木遊びや粘土遊びで形が気に入らないからと自分が作ったものを叩き壊してしまう幼児は「破壊世代」だろうか*3。マンガでお爺ちゃんが負けが決まった碁盤などをひっくり返して無理矢理ドローに持ち込んでしまうのも世代のせいか?現行や論文や恋文の書き出しがうまく書けずに書きかけた紙を何度も丸めて捨てていた人たちはなんと呼べばい
■総務省の調査結果 http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060413_2.html 総務省の報道発表によると、ブログの登録者数が868万もあるということだ。これは、前回の調査である去年の同時期の調査結果である335万人から実に260%近い成長率を示していることになる。 ■去年の調査結果 http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/050517_3.html 現時点での国内のインターネット利用者数が7000万人と言われているため、その12%近くの数がブログを持っている計算になる。(もちろん、登録者数は「ノベ数」のため実際の数字とはかなりのズレが生じしてるはずだが。) ただ、この数字の伸びを見ながらも「ブーム」といえる「ブーム」になりきれて無いような気がする。それは私が見てる空間がそういう雰囲気なためかもしれない。 以前、私はブログに
西暦2026年。 PC上のテレビ会議の品質は、直接会って話をするのとさほど変わらないほどに向上した。回線容量やモニタサイズ&解像度の劇的な増大の必然的帰結だ。相手の表情や息づかいのわずかな変化すら感じ取れるほどだ。マイクやWebカメラの性能向上も寄与しているだろう。 これにより、取引先の会社を訪問する回数が激減した。出張の回数も激減した。在宅勤務が激増し、そもそも会社のオフィスに通勤すること自体が大幅に減った。会社によっては、出社は、ほとんど儀礼的な意味しか持たなくなった。オフィスを次々に縮小したり、閉鎖する会社があいつぎ、オフィス自体を持たない会社すら登場した。 そして、この膨大な回線容量を通じて、海の向こうから、安価で品質のよいサービスが津波のように押し寄せた。インドやフィリピンをはじめとする、発展途上国の膨大な人口は、ついに貧困から抜け出す突破口を見つけたのだ。それは、ネット経由の知
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