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disasterとhistoryに関するhatayasanのブックマーク (4)

  • 関東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか/加藤直樹×山田昭次×荻上チキ - SYNODOS

    東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか 加藤直樹×山田昭次×荻上チキ 社会 #荻上チキ Session-22 91年前に起こった関東大震災。そこでは、「朝鮮人が武器を持って暴動を起こしている」、「井戸に毒を入れている」などといった流言が広まり、日人によって多くの朝鮮人が命を奪われる事態になった。では、なぜそのような流言が広がり、朝鮮人の虐殺に繋がっていったのだろうか。ヘイトスピーチが問題となる今、関東大震災について考えることで、私たちは歴史から何を学ぶべきかを追求していく(TBSラジオ 荻上チキSession-22 「加藤直樹×山田昭次『関東大震災』もうひとつの記録」より抄録)。(構成/若林良) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案

    関東大震災における朝鮮人虐殺――なぜ流言は広まり、虐殺に繋がっていったのか/加藤直樹×山田昭次×荻上チキ - SYNODOS
    hatayasan
    hatayasan 2014/11/11
    「 そうした認識が「ホントそうだよね」という感じに広まってしまうと、結果として誰かが一線を越えたとしても、それを止めることが難しくなってしまう。」
  • 「吉田調書」 朝日新聞

    「『吉田調書』—福島原発事故、吉田昌郎所長が語ったもの」の特集ページです。東日大震災発生時の東京電力福島第一原子力発電所所長・吉田昌郎氏の肉声を記録した政府事故調の資料を報告します。朝日新聞は朝日新聞社のニュースサイトです。

    「吉田調書」 朝日新聞
    hatayasan
    hatayasan 2014/05/20
    気合の入った特設サイト。これなら有料会員登録しちゃいそうだ。
  • asahi.com(朝日新聞社):安全な高台か、便利な海岸か 明暗分けた選択 - 社会

    東日大震災で、かつての津波の教訓で高台に移転した集落は被害を免れ、海岸に残った街は壊滅した。復興策に政府も検討を始めた高所移転。数十年に1度の災害に備え、不便な高台に住み続けるのは簡単ではない。  岩手県大船渡市三陸町綾里の白浜集落。付近は標高23メートルまで津波が駆け上がったが、約200人が住む62戸の住宅は無傷で犠牲者もいなかった。1933年の昭和三陸大津波を機に、海岸から高台に移していた。  民宿経営の熊谷正吾さん(85)によると、当時、未明の暗闇を襲った大津波で、住民211人のうち62人が死亡、家屋はほぼ壊滅。生き残った人々は高台に唯一残った家にすし詰めになって暮らしながら、そこより上に集落を再建すると決めたという。  再興し、次世代が育っても、いろりを囲んで子らに話すのは津波の恐怖。「谷底に住めば、毎日の漁は楽になる。でも80年間、誰も戻ろうと言い出さなかった」と熊谷さんは言う

    hatayasan
    hatayasan 2011/04/23
    「長年にわたり、緊張を維持するのは難しい。」
  • 西宮から 〜阪神淡路大震災・私的記録〜

    平成7年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震は、私たち家族が住んでいたこの家を大きく揺さ振り、押しつぶしました。 兵庫県南部地震はたくさんの人のかけがえのない命を奪い去りました。 わたし自身も家族とともに倒壊した家屋に5時間生き埋め状態になり、娘が左脚に重傷を負うなど、これまでにない様々な体験をすることになりました。 このページは1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震についてのわたし個人の体験を記録したものです。 このページをあの地震でなくなったかけがえのない人々、そして今も苦しみ続けている人々に送ります。 思い出してください。そして忘れないでください。あの日のことを。

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/30
    震災当時・1995年のNifty-Serveのログをまとめておられる。ルミナリエの写真も。
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