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blogとthoughtに関するhatayasanのブックマーク (4)

  • 自分の基盤を考えながらつくること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「最初にパッと<映像がしっかり浮かばない>と」に関連した話ですけど、勉強をするのにも、情報収集するのにも、自分の基盤となるものがないとダメだと思っています。 普段からどれだけ自分なりの問題意識をもって物事を考えているか、何かをインプットする場合に自分の基盤になるものと照らし合わせてそれがどのような関係にあるか、ということです。 基ができていれば、同じようなことを考えているほかの人のアウトプットをみた場合でも、どのような考えでそういうアウトプットをしたのかがパッと見でもなんとなくわかります。絵が浮かぶはずです。 即座に絵が浮かぶから、それをベースに応用することもできる。つまり、アウトプットが早いんです。 もちろん、その時点では借り物ですので、それを再度自分のものにする

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/16
    「自分の基盤ということですが、これは結局、自分がどういうものになろうとしているかと関わってきます。」
  • ソーシャル・ラーニング ― そこにブログはあるのか?

    ご大層なタイトルを付けましたが、中身はあやふやです。一応お断りを。 【ソーシャル・ラーニングの台頭】 何かを教える/教わるという場合に、従来のように「先生/生徒」という役割を明確化・固定化した形で行うのではなく、集団の中にいる全員が教える・教えられるという関係を持って行うことを、仮に「ソーシャル・ラーニング」と呼んでみたいと思います。そこでは人々がよりアドホックな関係で結ばれ、「誰が教えるのか/教わるのか」「何を、いつ教えるのか」といった要素は流動的です。「選抜を勝ち抜いて合格した生徒たちが、大教室に集められ、教授からの講義を一定期間受ける」というイメージとは対極にあります。 具体的に頭に浮かんでいるのは、まさしくブログです。「誰かに何かを教えてやろう」という姿勢のブログももちろんありますが、多くのエントリは「こんな面白いことがあったよ」「僕はこう思うんだけどみんなはどう思う?」という意識

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/24
    「ブログというプラットフォームに知識が溢れる状況を作り出したければ、金銭的なインセンティブの必要性は明らかでしょう。」はてな☆なんかの"褒める"仕組みは局所的なものに過ぎないのだろうか。
  • 揺動散逸日記 よしなしごとをそこはかとなく書きつくる権利

    http://d.hatena.ne.jp/mowamowa/20070215/1171507215 http://d.hatena.ne.jp/mowamowa/20070215/1171526531 あたりから。 ながくなりましたのでTBでコメントします。 まず私のいつもの考え。ブログ記事って完成した記事、特定の事柄について、その先行研究やら関連研究やらを含めてすべてのことを調べた記事を載せる必要はないと考えています。確かに調査の行き届いた記事のほうが役に立ちます。しかし(少なくとも私の)ブログは、そこまでしなくても、むしろ調査が中途半端で突っ込みを入れてもらって考えが深まるくらいでよいと考えています。ブログは書いたものがすべてではなく、書いた結果書き手が進歩できればよい、位の立場です。 まあ気楽に行きましょうやということです。 で、もわさんのはじめの記事についてです。 この記事は"再

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/25
    「バックグラウンドがないならば別に何も問題はない。しかしもしバックグラウンドがあるなら、そこには私にとっても危険があるかもしれない」ブログに"再生産"なる考え方を適用するのはナンセンスですよ、という話。
  • http://d.hatena.ne.jp/laddertothemoon/20061020/p1

    hatayasan
    hatayasan 2006/10/21
    「「記事と記事」でつながるブログの世界では、単なる「感謝の言葉」ではなく、「拡がりを持つ言葉」でコミュニケーションをとることが必要なのではないか、と気がついたのだ」それだ!
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