みんなさっさと降伏して、祖国を捨てれば楽になるのに、それでも戦う彼らは、女子供を逃がして、首都にとどまって戦うウクライナの男たちの愛国心は、まさしくこれ以上ないぐらいの「有害な男らしさ」ですよ。
みんなさっさと降伏して、祖国を捨てれば楽になるのに、それでも戦う彼らは、女子供を逃がして、首都にとどまって戦うウクライナの男たちの愛国心は、まさしくこれ以上ないぐらいの「有害な男らしさ」ですよ。
令和という新しい時代を迎えるにあたっての、皇室のさまざまな行事を見て、あらためて日本人であることに何らかの感慨を抱いた人は少なくないだろう。無数の日の丸が振られる光景を見て、自らの中にある愛国心を確認することもできたかもしれない。 「隊長、すまねえ──」凄惨な戦争体験で培われた中曽根康弘の愛国心 一方で、愛国心という言葉は、往々にして警戒の対象となるようだ。朝日新聞などでは「愛国心」と戦前の体制を結び付けて心配するのが一つの定番となっている。また、どちらかといえば愛国心を唱える人よりも「危険性を懸念する」という人のほうがインテリっぽい扱いを受ける傾向もあるようだ。そのため、「日本が好き」と口にすることに多少の抵抗をおぼえる、という日本人もいる。 こうした風潮は戦後長らく続いており、今も根強いものがある。しかし、これらは一種のファッションに過ぎない、と厳しく批判するのは、平川祐弘・東京大学名
大阪北部地震で9歳の女の子が小学校の塀の下敷きになって亡くなった件について『可哀想だ』『痛ましい』といった声がネットに溢れている。 だが、そのような声を上げている人に敢えて問いたい。あなたは亡くなった子や保護者の知り合いなんですか。 亡くなった女の子の保護者や友達、通っていた学校の先生などがそのように思うのは当然の心理だ。そこを問題視するつもりはない。 だが、ネットで可哀想だと言っている人の多くはその子と何の関わりもない他人だろう。それなのになぜ可哀想だと思うのか。 「いや、幼気な9歳の女の子が亡くなったら誰だって可哀想に思う」そのような答えが返ってくるかもしれない。 だが、残念ながら幼気な9歳の女の子が事故や紛争で亡くなる事例は世界中に山ほどある。それなのになぜ、今回亡くなった子だけについて可愛そうだと思うのか。 答えは簡単だ。あなたにとって今回亡くなった子は、遠い外国で殺された9歳の子
業務命令に従えない人や「非愛国者」を声高に非難する意見も好きじゃないけど、同じくらい、そういった見解を持つ人や右寄りの人の人間性をあからさまに見下すことを言うような意見もあまり好きにはなれない。私も既得権者とか政治家とか腹が立つやつへの罵倒とかよくやるけど、あとから読み返すとかなりみっともないと思う。私自身は自分のことを省みて、まーそれなりに自分の生まれ育った国の風景や文化や歴史上の人物なんかに愛着があるなと思うし、政治や社会のあり方に対するきちんとした批判ならともかく、十把ひとからげに日本人はバカだとか個性がないとかダメな国だとかいうことをことさらに言う言葉には好感をもてないので、まあとりあえず愛国心(てゆーか国と自分の同一化?)らしきものはあるのだろうと思っている。でもそれは時の政府や行政機関のやることを一から十まで全肯定ということじゃないし、日本人はバカだとか日本大嫌いとか言う人にも
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