イベントレジスト株式会社導入事例 【課題背景】 1)イベント来場者に会場入口でチケットを提示いただく手間をかけず、スムーズに受付を行いたい 2)認証のための機材やシステム環境の準備、受付の人件費などを抑えたい 3)受付の段階からテクノロジーを感じる、話題性の高いイベント企画を提案したい 【成果】 1)自分自身の一部であり、なくす心配がない「顔」でイベント入場が可能 来場者は、参加申込み時に自身の顔を登録、イベント当日はこの顔写真との照合で本人確認を実施。受付の前でチケットやQRコードを慌てて探す必要がなくなったうえ、入場手続きもスピードアップ 2)タブレット端末の活用で、設営・撤去も手軽に 受付にタブレット端末を設置し、クラウドサービスで来場者の顔認証を実施するシステムを構築。イベント主催・運営者の受付関連業務の負担が軽減。 3)先進テクノロジーを体感、「誰もが笑顔になる」話題性の高いイベ
澤円氏 立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手IT企業に転職。ITコンサルタントやプリセールスエンジニアとしてキャリアを積んだのち、2006年にマネジメントに職掌転換。幅広いテクノロジー領域の啓蒙活動を行うのと並行して、サイバー犯罪対応チームの日本サテライト責任者を兼任。現在は、数多くのスタートアップの顧問やアドバイザーを兼任し、グローバル人材育成に注力している。琉球大学客員教授。 著書:『外資系エリートのシンプルな伝え方』(中経出版)、『マイクロソフト伝説マネジャーの世界No.1プレゼン術』(ダイヤモンド社)、『あたりまえを疑え。自己実現できる働き方のヒント』(セブン&アイ出版) IT業界の、もっといえば日本社会全体の在り方がどんどん変化する中、この先どんなキャリアを歩むべきか、このままの働き方でいいのかと悩むエンジニアは多い。そんなエンジニアに対し、
就活ライフが非常に長引いております。 こんな状況を見かねた現職の本部長から突然呼び出されました。 彼には以前、仕事はあるかを2度に渡って聞いていたけれど、 2度とも「ごめん、無い。」と断られていました。 そして来週でここも最後、そんなの状況を見かねたのか 「ちょっと来て。話がある」とお呼び出し。 (内心、何か見つかったかな?とわくわく。) 部屋に呼び出されると、そこには私の履歴書。 「ごめん。うちにもグループ会社にも、本当に紹介できる仕事はない。 ただ、せっかくだからこの履歴書、改良してみない?」 ええもちろんです。いいんですか? そんな状態で、とつぜん始まった履歴書、カバーレターと面接講座。 その要点をまとめてみました。 <全体フィードバック> カバーレター、CV、面接はセットなのは確かだけれども カバーレターでどんな人かのドアを開き、CVに誘導する CVで、経歴、スキルの詳細を見せる。
「心配しないで。私もいまだに家族構成が分からないから」 フィリピン人の家族構成は日本人の一般的感覚を持って聞いていると複雑すぎて混乱することが多い。「宗教の関係で避妊に対して抵抗がある人が多いことが大きな理由の一つ」とフィリピン人男性(29歳)は明かす。 マニラの語学学校で英語教師をしているMaria Clariseeさん(28歳)もその1人。ニックネームは頭文字をとって「MC」。彼女の家系図は一般的なフィリピン人のケースよりも「更にややこしい」という。 MCは、父親の顔を20歳になるまで知らなかった。いわゆる、「できてしまった」女の子だったのだ。既に父親には妻と、5人の子どもがいた。 MCの母親はしばらく、シングルマザーとしてMCを育てた。しかし、MCが3歳の頃、新しい父親が家にやってきた。母親との間に、2人の子どもができた。1人は妹。1人は弟。それぞれMCが3歳、6歳の頃だった。 この
Hiro師匠 セガのFM音源サウンド黄金期を築き上げた名コンポーザー。代表作は「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「ファンタジーゾーン」等多数。現在は第三AM研究開発部のサウンドセクションチーフ。 光吉猛修 歌って踊れるセガの名コンポーザー。代表作は「R-360」「デイトナUSA」「セガラリー」「シェンムー」等多数。作曲以外では「バーチャファイター」の影丸などの声も担当している。また、アニメ版「バーチャファイター」では主題歌「愛が足りないぜ」で歌手としても有名。現在は第三AM研究開発部所属。
特攻隊員として2度の出撃を経験した江名武彦さん(90歳) 『風立ちぬ』や『永遠の0』など昨年はなにかと話題になったゼロ戦や特攻隊員たち。その特攻隊の生き残りとして生きてきた男たちが真実でリアルな人生を語る! *** 早稲田大学の1年生だった江名武彦さん(90歳)は、昭和18(1943)年の12月に学徒出陣。その後、彼は海軍に入隊して特攻隊員になった。ゼロ戦、そしてカミカゼ。現在では神格化されたキーワードだけど、その身近にいた若者たちはちょっとリア充で、ユーモアもあり、今の若者と変わらない男たちだった。 ―昭和16(1941)年の12月8日。開戦の日は何をしていましたか? 江名 高等学校のときですね。新宿で映画を観ていました。ジェームズ・スチュアートが主演の『スミス都へ行く』を、今でも新宿にある武蔵野館で観ていました。 ―開戦しているのに、アメリカの映画を観て大丈夫だったんですか? ひ、ひ、
高橋: こんにちは、高橋です。今日は徳丸さんをお招きして、パスワードの定期的変更問題についてお話を伺います。徳丸さん、よろしくお願いします。 徳丸: 徳丸です。よろしくお願いします。 高橋: まず、お伺いしたいことですが、パスワードを定期的に変更すべしという根拠には、どのようなものがあるのでしょうか? 徳丸: 大きく分けて2つの理由が挙げられていると思います。一つは、パスワードを定期的に変更すると、パスワードを破って侵入する攻撃の予防になるというもの、すなわち事前の予防策です。もう一つは、パスワードが漏洩した際に、被害を軽減できるというもので、事後の緩和策ということですね。 高橋: もう少し詳しくお願いします。 徳丸: まず、「事前」の方ですが、オンライン攻撃とオフライン攻撃があります。 高橋: オンライン攻撃とはどのようなものでしょうか? 徳丸: オンライン攻撃は、ネット経由でパスワード
ラクスル株式会社にてCCO(Chief Creative Officer)を務める山田あかねさん。様々な業界・業種を経験し、デザインのプロフェッショナルとしてGREEでもプロジェクトを率いた彼女は、どのような考えのもと、ラクスルで活躍しているのか? ▼ラクスルCEO・松本恭攝氏へのインタビューはこちら エンジニア・クリエイターが、WEBでビジネスの仕組みを変えていく。 ─《ラクスル》松本恭攝氏に聞く。 ▼ラクスルCTO・山下雄太氏へのインタビューはこちら GREEを辞めてでも、挑む価値はあった─《ラクスル》CTOが語る、既存業界をテクノロジーで変える醍醐味。 CCOというポジションで、何を考え、どのように働いているのか? 「社会に出た方が学べることが多いし、卒業まで待ってられない!」という想いで大学を中退し、様々なキャリアを歩んできたという山田あかねさん。 その中でデザインに出会い、実績と
日経ビジネス4月30日号「社長の発信力ランキング」で、昨年1年間に1度も調査対象の大手メディアに登場しなかった「0点社長」たち。特集の50ページでは、「大企業なのに『出ない』社長」という一覧表を掲載した。そこに名前が挙がった住友ベークライトの林茂社長から、後日、連絡を頂いた。「マスコミの暴力だ」「私は取材を断らない!」と主張する林社長。そのインタビューをすべて掲載する。 (聞き手は鵜飼 秀徳) 社長、今回の特集では、一覧表にしか名前を出していませんよ。それなのにお怒りとは少し、過剰に反応し過ぎではないでしょうか。 林:確かに日経ビジネスの記事中には私の名前や企業名はない。でも、むしろそれが悪い。ただ私の名前だけ出して、一方的に「時価総額が高い企業なのに発信していない」というのはいかがなものか。反論の機会も与えない。マスコミの暴力、一方的であると受け取らざるを得ない。いい話で名前が出るのであ
1988年10月7日、シングル「See You Again」でデビューした高野寛が、2009年10月7日にニューアルバム「Rainbow Magic」をリリースする。あらためて「歌と言葉」を見つめ直し、時間をかけて丹念に磨き上げられた、色とりどりの魔法のようなポップスが合計16曲。20年間の積み重ねと21年目のこれからを感じさせる、記念碑的な作品が完成した。 ナタリーでは今回、高野寛自身にこれまでの歩みを振り返ってもらいながら「Rainbow Magic」に至る背景や心境の変化、そしてこれから彼が向かおうとしている新たな世界を探るインタビューを行った。 取材・文/臼杵成晃 撮影/中西求 ──アルバムの発売日は、ちょうど1stシングル「See You Again」のリリースから満20年になるんですね。 たまたまなんですけどね。まぁキリがよくていいだろうっていうことで。 ──当時、どのような形
2011年7月某日、 『ヤマトホールディングス』本社の 応接室をおとずれた糸井重里の目に、 1枚の写真が飛び込んできました。
オリジナルはココです。フェイスブックのエンジニアでで史上ベスト3に入るといわれるEvan Priestley氏への質問「どうやってプログラミングを覚えましたか」に対する本人からの答えです。 手短かに言えば 何年もの歳月の賜物というか。ぼくはただひたすらプログラミングが大好きで、(フェイスブックで働いていた)過去4年間、ほとんど他のことをしていない。その前も2.5年ほどプログラマーとして働いていたし、そのさらに前も6年くらい趣味でプログラミングをしていた。ぼくは高校も大学も中退しているので、それで空いた時間もプログラミングに費やした。つい最近フェイスブックを辞めたけど、未だに起きている時間のほとんどはプログラミングだ。 もっと詳しく言えば 月並みだが、ぼくはちっちゃい頃からコンピューターが好きで、我が家にあったヤツで(最初はMac Plusで途中からIIsiになった)で散々遊んだ。8歳か9歳
オークションサイト「ビッダーズ」を運営するディー・エヌ・エーの南場智子社長。大手コンサルでキャリアを積んだ後起業し、上場を果たした。そんな南場氏にも「仕事が全くわからなかった」時代があったという。仕事への考え方の転機はどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和) 南場 智子(なんば ともこ)氏 プロフィール 1962年生まれ。1986年マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパン入社。ハーバード大学でMBA取得後、マッキンゼーパートナー(役員)就任。1999年株式会社ディー・エヌ・エー設立、代表取締役に就任。現在は内閣規制改革・民間開放推進会議委員も務める。 就職活動はまったくせず 田中:南場さんの経歴で興味深いのは、外資系の大手コンサルティング会社であるマッキンゼー・アンド・カンパニー(以下、マッキンゼー)でパートナー(共同経営者)にまで上り詰められたあと、オークションサイト「ビ
「たいへんな所に来ちゃったな」――はてなを辞め、グリーに入社してから1週間。伊藤直也さんはこう漏らす。グリーの動きの速さに驚き、追いつくのに必死という。 ニフティで「ココログ」を開発し、04年、はてなに転職。05年、ヒットサービス「はてなブックマーク」を生み出し、CTOとしてはてなの技術を統括してきた。 はてなの技術の代名詞でもあった伊藤さんは、なぜこのタイミングでグリーに移ったのか。グリーは伊藤さんに、何を期待しているのか。伊藤さんと、グリーの田中良和社長に聞いた。 モチベーションが保てなくなっていた ――なぜはてなを辞めたのですか。 伊藤 いろんなことが重なって、環境を変えてみようと思っていた。 はてなにはスタートアップのころから6年いて、40~50人の会社に成長した。はてなは、(社長が)アメリカに行ってみたりなど遠回りする会社。自分が思い描いていたベンチャーのスピードより、成長が遅か
米Zyngaによる日本のウェブベンチャー企業ウノウの買収が明らかになってからちょうど1月がたった。米ベンチャーが日本のベンチャーを買収すること自体異例で、これからの日本ベンチャーの世界戦略の1つの形として注目を集めた。ウノウの代表取締役だった山田進太郎氏は、いったいどういう思いで買収に合意したのか。どういう経緯で買収の交渉が行われたのか。今後Zyngaは日本でどう進んでいくのか。新体制構築で忙殺される山田氏に聞いてみた。 ー買収はどういう経緯で進められたのか? 昨年末にZyngaの幹部がプライベートな理由で来日し、グロービス・キャピタル・パートナーズの高宮さんに紹介いただき、情報交換を目的に会った。 そのときに漠然と「一緒にできないか」というような話になった。といっても買収という話が出たわけではなく、提携したり、レベニューシェアでできないかというような話だった。 彼が帰国後もメールやスカイ
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