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スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

「いろいろあったけど、それでも応援しているよ!」

2010-05-18 08:27:36 | スウェーデン・その他の政治
スウェーデンでは今年9月に総選挙(国政・地方)が行われる。しかし、選挙運動は既に昨年後半から始まっており、各陣営の具体的な選挙公約が形になって現れ始めている。選挙の話題については、これまでこのブログ上では少し怠けていましたが、これから徐々に書いていくつもりです。

その前に、今は亡き人のこんな話題。「いろいろあったけど、それでも応援しているよ!」というエールが、何だかほのぼのとさせてくれる。

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童話作家アストリード・リンドグレーンが、1976年、自分の所得に102%の税金がかけられていることに気づいて、時の政権党であった社会民主党に抗議した話はよく知られている。ただし、102%というのは限界税率の話。実効税率ではない。しかも、所得税だけでなく、社会保険料を含めた限界負担率の話のようだ。

いずれにしろ、追加的に稼いだ分に対して、それよりもさらに多い税金・社会保険料を納めなければならないというのは異常であり、収入が多いと逆に損をするということになる。そこで、リンドグレーンはタブロイド新聞であるExpressenのオピニオン欄に意見記事を掲載することにした。しかし、さすが童話作家とあって、自分の主張を一つの童話に織り交ぜたのだった。

* * *

童話の舞台は、モニスマニエンという架空の国。この国にはポンペリポッサという女性が暮らしており、その国を40年以上にわたって統治してきた賢人たちに信頼を寄せ、選挙になればいつもその人たちに票を投じてきた。その賢人たちのおかげで、モニスマニエンの社会は豊かになり、生活に事を欠く者はいなくなり、誰もが社会保障の恩恵に預かることができるようになった。ポンペリポッサも自分の収入の一部を社会保障のために貢献できることに喜びを感じていた。

ポンペリーポッサの職業は実は童話作家だった。この世での生活に喜びを感じるために始めた趣味だったが、そのうち、モニスマニエン以外の国でも評判になり、童話が売れるようになった。そして、世界のあちこちから印税が舞い込んでくることになった。可哀想なポンペリポッサ! でもなぜ「可哀想」かって?

彼女の友人がある日、こう言ったのだ。
「あなたの限界税率が今年は102%になるって知ってた?」
「まさか! 率を表すのに100%以上の数字があるわけないでしょ!」と答えるポンペリポッサ。しかし、次第に明らかになったのはこのモニスマニエンという国には、100%以上の数字がいくらでもあることだった。そして、税金が次のように計算されることも明らかになった。

200万クローナの所得があった場合、最初の15万クローナに対しては10万8000クローナの税金を払う。そして、残りの所得である185万クローナには102%の税率が適用されるため、税額は188万7000クローナとなる。合わせて199万5000クローナ! すると、手元に残るのはたったの5000クローナ。もし、最初から所得が15万クローナしかないのであれば、手元に残ったのは4万2000クローナとなるため、所得が低いほうが得をしたことになる。だから、国外で人気が出てしまったために逆に損をすることになった「可哀想な」ポンペリポッサというわけだ。

* * *

この童話はさらに続き、個人年金への保険料の所得控除制度が遡及的に廃止されたことなどが紹介され、「賢人たちは自分たちよりも高い所得を得ている人がうらやましくてしょうがないからペナルティーを与えているのだ」と続く。ここに登場するポンペリポッサとはもちろん、リンドグレーンのalter egoだ。また、モニスマニエンという国の名は、その数年前に公開されたスウェーデン製のフィクション映画の中に登場する独裁国の名前から取ったというから、巧みだ。

この記事がタブロイド紙に掲載された日、実はスウェーデン議会では予算委員会(?)が開かれ、社会民主党の税制を巡って与野党間で議論が繰り広げられることになっていた。だから、掲載のタイミングは絶妙だったと言える。議会の議論では、リンドグレーンのこの記事が引き合いに出されることが目に見えていた。

だから、社会民主党の財務大臣グンナル・ストレングは秘書から受け取った記事を、議場の自席で目を通すことになった。その姿は、議場上方の報道席にいたカメラマンがちゃんと捉えていた。読み進めるストレング財務大臣の表情が次第に険しくなっていった。


予算委員会の席上では、野党である穏健党の党首がリンドグレーンの「童話」の全文を読み上げ、社会民主党の税制を批判した。それに答えるストレング財務大臣は、リンドグレーンが誤解していると指摘した上で「リンドグレーン夫人は童話を語ることはできても、計算はできないようだ」と発言した。

しかし、翌日のラジオ番組でインタビューを受けたリンドグレーンは、財務大臣の言葉をそのまま使って切り返した。「ストレング財務大臣は童話(=根拠のない批判)を語ることはできても、計算はできないようだ」

社会民主党とアストリード・リンドグレーンのこの喧嘩は有名になり、このときに指摘された税制の問題点が理由の一つとなって、その年の総選挙では社会民主党が敗退し、44年ぶりに非社会民主党政権が誕生することとなった。

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2002年、リンドグレーンは94歳でこの世を去った。社会民主党とはあの喧嘩以来、袂を分かったものだと思われていた。しかし、最近になって、実は1995年に当時の社会民主党党首であったイングヴァル・カールソンに手紙を送っていたことが明らかになった。「親愛なるカールソン。新聞の写真を見ると、最近は元気がなさそうだから、応援のメールを書くことにしたよ」と始まるその手紙では、社会民主党とその党首を今でも応援していることが書かれていた。だから、生前に仲直りしていたのだった。

彼女が社会民主党と争った1976年というと、オイルショックのあとの経済危機の時代であり、税収を確保しつつ選挙で票を得るために、社会民主党は低所得者の減税を実行する一方で、高所得者にはとんでもない限界税率を適用していたようだ。なぜそれが100%を超えてしまったのかはよく分からない。

彼女の死の翌日、社会民主党党首であったヨーラン・パーション「彼女はおそらく正しかった。当時の税率には異常な側面もあった」と答えている。