スウェーデンの鉄道では1990年代以降、徐々に自由化が進められてきたが、その鉄道自由化も今年の3月から新たな段階に突入した。
スウェーデン国鉄SJがこれまで独占を維持してきたストックホルム-ヨーテボリ間の特急列車部門に、香港の鉄道会社であるMTRが参入し、3月21日から特急列車の運行を開始したのである。
ヨーテボリは西海岸にあるスウェーデン第二の街。そのため、ストックホルム-ヨーテボリ間の幹線鉄道は高収益路線であり、国鉄SJの重要な収入源である。そこにクリームスキミング(美味しいところだけを取っていく競争行為)をする手強い競争相手が登場し、旅客の獲得競争が始まったのである。MTRは香港地下鉄の運行会社としてスタートしたものの、近年は国外にも積極的に進出し、2009年からはストックホルム地下鉄の運行事業に参入しているし、ロンドンやメルボルンの近郊列車の運行なども担当している。
MTRの購入した新型車両(出典:MTR)
MTR Expressという名称で参入してきたMTRのウリは、購入したばかりの新型車両と、エルゴノミクスを考慮した乗り心地の良い座席。そして、サービスと価格だ。国鉄SJの特急列車SJ 2000(X 2000)に比べ、切符の価格は最大で6割も安いと宣伝している。しかも、24時間以内なら払い戻しも可能。また、新型車両は車体がアルミ製で軽く、エンジンも高性能であるため、省エネによる低コストが期待できるという。(さらに、一等車と二等車を分けて車内の内装や座席の配置を変えるような事はせず、席はみな同じスタンダードである。すべての乗客に最高の快適さを提供し、「階級のない」列車の旅を満喫していただきたい、とMTRは説明している。)
一方、所要時間で国鉄SJと競争するつもりはないらしい。国鉄のSJ 2000が3時間前後でストックホルムとヨーテボリを結ぶのに対し、MTR Expressは一番早くても3時間19分かかる。その主な理由は、MTRの購入する列車にはSJ 2000のような振り子機能が備わっていないため、カーブであまりスピードが出せないからである。
その新型車両についてだが、MTRはスイスのStadler社からStadler Flirt Nordicというモデル(5両編成)を6編成、約100億円をかけて購入した。これは、従来のStadler Flirtというモデルを北欧の気候に合わせて改良したものだ。興味深いことに、発注から最初の車両の納入までの期間がわずか1年と非常に短い。通常は3年以上かかる納期をここまで短縮できた秘密は、ノルウェー国鉄の発注への便乗である。ノルウェー国鉄は、所有する既存の列車を全面的に刷新するために数年前からStadler社と交渉を行い、ノルウェーの気候にあった車両を81編成、購入することを決めていた。そして、技術の改良やノルウェーでの走行試験も済んでいた。それを知ったMTRは、それなら一緒に便乗して同じモデルを6編成作ってもらおう、ということにしたのである。すでにノルウェー向けの生産は始まっていたから、さらに6編成を生産することは難しいことではない。その結果、納期を1年に短縮できたのであった。
MTRは購入した列車を使ってスウェーデン国内での試験走行を繰り返し、3月21日に晴れて営業開始に踏み切ったわけであるが、当面は平日4往復、週末は1日2往復、合わせて週24往復という頻度で運行する。そして、夏休みを終えた8月以降は、平日8往復、週末に1日4往復と便を倍増する予定らしい。
たまたま自宅前で1月15日に撮影。5両×2編成連結で試験走行を行っていた。
MTRが3月に営業運行を開始してから私はストックホルムとヨーテボリを何度か往復したけれど、まだMTRの新型車両には乗っていない。MTRは確かに値段が安い。片道185クローナから切符が売られている。これに対し、国鉄SJは一番安い時でも350クローナはかかる。しかし、国鉄SJのほうが今のところ私にとって使い勝手が良い点は、1時間に1本という運行本数の多さである。また、MTRとの競争に応えるべく、国鉄SJもサービスを少し向上させている。例えば、黒のメンバーズカード(ゴールデンカードのようなもの)を持っている乗車頻度の高い客には、通常は変更の効かない切符でも同じ日の列車であれば無料で予約変更をさせてくれる。これは非常に嬉しいサービスだ。
ここ数ヶ月、よく見かける国鉄SJの新聞広告。「ストックホルム-ヨーテボリ間の発着回数が全宇宙で一番多い」のはSJだ、と宣伝している。
また、MTRが新型車両を引っ提げて参入してきたのに対抗して、国鉄SJも1990年から使ってきた現行のSJ 2000(X 2000)を全面的にリノベーションして、順次投入していくことも発表している。つまり、車体や台車は同じものを使いながら、動力・制御システムや内装などを刷新するということである。当初は、SJも新型車両を購入するのではないかと見られていたが、現行車両のリノベーションだと新らしい車両の購入よりも半分ほどのコストですむために、その選択肢が選ばれた。すでに何編成かはリノベーションが行われるスイスのABBの工場に送られている(X 2000はABBの前身であるASEAというスウェーデンの重工業メーカーの鉄道製造部門で作られた)。
したがって、順次進められていく国鉄SJのこの車両改良によって乗り心地がどこまで良くなるのか、そして、MTRが8月以降に運行本数を大幅に増やすことによって利便性がどこまで高くなるのか、さらに、サービスや価格の面での競争がどこまで進むのか、など、国鉄SJと新規参入者MTRとの今後の展開に注目が集まっている。
スウェーデンの鉄道はもともと国の事業体が管理や運営を行ってきたが、1988年に鉄道運行部門(上)と線路などのインフラ管理部門(下)とに上下分離され、鉄道自由化がスタートした。分割された「上部」の鉄道運行は、その後はSJが国営企業として事業を行ってきたが、2001年からは利益追求を目的とする株式会社に改組された(ただし、国が100%の株式を所有。その意味ではSJはいまでも国鉄。ちなみに何度も言うようだが、SJのSはスウェーデンのSではない!)。一方、SJ以外の事業者にも鉄道運行が許されるようになり、1990年からは地方のローカル路線の運行に関して民間会社や自治体公社を交えた入札が行われるようになり、2000年代に入ってからは長距離夜行列車の運行を巡っても、SJと新規参入企業が入札によって争うようになった。
ただ、ここまでの鉄道自由化においては、ある特定の区間の列車運行をどの企業が担当するかを入札にかけて決める、という形での「競争」であった。しかし、次のステップとして、一つの区間において複数の企業に列車を走らせて価格やサービスの質の面で競争させる、という形での競争が認められるようになった。その結果、数年前からはストックホルム-ヨーテボリ間やストックホルム-マルメ間の幹線において、国鉄SJだけでなく、民間企業もが同じ区間で列車を運航するようになったのである。ただし、これまではIntercityと呼ばれる都市間各駅停車の列車のみだった(各駅とは言っても、駅間の距離はかなり長い)。
そして、ついに今年の3月21日からはストックホルム-ヨーテボリ間の特急列車部門においてもSJとそれ以外の企業との競争が始まったのである。
このように、鉄道自由化によって国鉄SJとそれ以外の企業との競争が進んでいったわけであるが、これはあくまで「上部」つまり、鉄道運行の部分での競争にすぎない。「下部」つまり、鉄道や信号、切り替えなどのインフラ部門の事業においては競争は望めないから、いまだに独占である。その独占を担ってきたのは、1988年に鉄道の上下分離が行われた際に、鉄道インフラだけの管理を目的として設立された鉄道庁という行政庁である(数年前に道路インフラなどの管理を行う道路庁と統合され、交通庁に改組)。しかし、この「下部」の部分がきちんと機能しない限り、「上部」でいくら競争させても、人々がその競争の恩恵を享受するのは難しい。
現に、スウェーデンで今問題なのは、鉄道インフラを担当する交通庁がそのメンテナンスをずさんに行っており、鉄道や架線、信号システム、そして切替ポイントなどがずたずたであることだ。ストックホルムに住んでいると、特に中央駅から南にかけての区間で頻繁に信号不良や切替不良、架線切断などのトラブルが発生し、国鉄SJだけでなく同じ線路を共用している地域交通SLの近郊列車などが一斉に立ち往生することが毎週(ときには毎日)のように発生している。統計を見てみても、鉄道の遅れの半分以上はインフラのトラブルによることが分かる。
では、交通庁による鉄道インフラ管理がなぜ杜撰なのか、については、一時は国(産業省)から配分される予算が不足しているから、という見方もあったが、最近は交通庁がメンテナンスの実施を外部委託する際の公共調達のあり方や、その競争のあり方などが原因とする見方も強くなっている(先述の通り、「下部」である鉄道インフラ部門は交通庁による独占であるものの、実際のメンテナンス業務については交通庁は入札を通じた公共調達によって競争をさせている)。
スウェーデンの鉄道はここ数年、特にトラブルが増加しているが、果たしてその原因が交通庁のマネージメント能力の問題にあるのか、上下分離を基本とした自由化そのものにあるのか、それとも、自由化そのものは良いとしても新たな制度のもとでの各エージェント間の価格設定(線路の通行料や遅延時の罰金など)やインセンティブ構造に問題があるのか、大変興味深いテーマである。
スウェーデン国鉄SJがこれまで独占を維持してきたストックホルム-ヨーテボリ間の特急列車部門に、香港の鉄道会社であるMTRが参入し、3月21日から特急列車の運行を開始したのである。
ヨーテボリは西海岸にあるスウェーデン第二の街。そのため、ストックホルム-ヨーテボリ間の幹線鉄道は高収益路線であり、国鉄SJの重要な収入源である。そこにクリームスキミング(美味しいところだけを取っていく競争行為)をする手強い競争相手が登場し、旅客の獲得競争が始まったのである。MTRは香港地下鉄の運行会社としてスタートしたものの、近年は国外にも積極的に進出し、2009年からはストックホルム地下鉄の運行事業に参入しているし、ロンドンやメルボルンの近郊列車の運行なども担当している。
MTRの購入した新型車両(出典:MTR)
MTR Expressという名称で参入してきたMTRのウリは、購入したばかりの新型車両と、エルゴノミクスを考慮した乗り心地の良い座席。そして、サービスと価格だ。国鉄SJの特急列車SJ 2000(X 2000)に比べ、切符の価格は最大で6割も安いと宣伝している。しかも、24時間以内なら払い戻しも可能。また、新型車両は車体がアルミ製で軽く、エンジンも高性能であるため、省エネによる低コストが期待できるという。(さらに、一等車と二等車を分けて車内の内装や座席の配置を変えるような事はせず、席はみな同じスタンダードである。すべての乗客に最高の快適さを提供し、「階級のない」列車の旅を満喫していただきたい、とMTRは説明している。)
一方、所要時間で国鉄SJと競争するつもりはないらしい。国鉄のSJ 2000が3時間前後でストックホルムとヨーテボリを結ぶのに対し、MTR Expressは一番早くても3時間19分かかる。その主な理由は、MTRの購入する列車にはSJ 2000のような振り子機能が備わっていないため、カーブであまりスピードが出せないからである。
その新型車両についてだが、MTRはスイスのStadler社からStadler Flirt Nordicというモデル(5両編成)を6編成、約100億円をかけて購入した。これは、従来のStadler Flirtというモデルを北欧の気候に合わせて改良したものだ。興味深いことに、発注から最初の車両の納入までの期間がわずか1年と非常に短い。通常は3年以上かかる納期をここまで短縮できた秘密は、ノルウェー国鉄の発注への便乗である。ノルウェー国鉄は、所有する既存の列車を全面的に刷新するために数年前からStadler社と交渉を行い、ノルウェーの気候にあった車両を81編成、購入することを決めていた。そして、技術の改良やノルウェーでの走行試験も済んでいた。それを知ったMTRは、それなら一緒に便乗して同じモデルを6編成作ってもらおう、ということにしたのである。すでにノルウェー向けの生産は始まっていたから、さらに6編成を生産することは難しいことではない。その結果、納期を1年に短縮できたのであった。
MTRは購入した列車を使ってスウェーデン国内での試験走行を繰り返し、3月21日に晴れて営業開始に踏み切ったわけであるが、当面は平日4往復、週末は1日2往復、合わせて週24往復という頻度で運行する。そして、夏休みを終えた8月以降は、平日8往復、週末に1日4往復と便を倍増する予定らしい。
たまたま自宅前で1月15日に撮影。5両×2編成連結で試験走行を行っていた。
MTRが3月に営業運行を開始してから私はストックホルムとヨーテボリを何度か往復したけれど、まだMTRの新型車両には乗っていない。MTRは確かに値段が安い。片道185クローナから切符が売られている。これに対し、国鉄SJは一番安い時でも350クローナはかかる。しかし、国鉄SJのほうが今のところ私にとって使い勝手が良い点は、1時間に1本という運行本数の多さである。また、MTRとの競争に応えるべく、国鉄SJもサービスを少し向上させている。例えば、黒のメンバーズカード(ゴールデンカードのようなもの)を持っている乗車頻度の高い客には、通常は変更の効かない切符でも同じ日の列車であれば無料で予約変更をさせてくれる。これは非常に嬉しいサービスだ。
ここ数ヶ月、よく見かける国鉄SJの新聞広告。「ストックホルム-ヨーテボリ間の発着回数が全宇宙で一番多い」のはSJだ、と宣伝している。
また、MTRが新型車両を引っ提げて参入してきたのに対抗して、国鉄SJも1990年から使ってきた現行のSJ 2000(X 2000)を全面的にリノベーションして、順次投入していくことも発表している。つまり、車体や台車は同じものを使いながら、動力・制御システムや内装などを刷新するということである。当初は、SJも新型車両を購入するのではないかと見られていたが、現行車両のリノベーションだと新らしい車両の購入よりも半分ほどのコストですむために、その選択肢が選ばれた。すでに何編成かはリノベーションが行われるスイスのABBの工場に送られている(X 2000はABBの前身であるASEAというスウェーデンの重工業メーカーの鉄道製造部門で作られた)。
したがって、順次進められていく国鉄SJのこの車両改良によって乗り心地がどこまで良くなるのか、そして、MTRが8月以降に運行本数を大幅に増やすことによって利便性がどこまで高くなるのか、さらに、サービスや価格の面での競争がどこまで進むのか、など、国鉄SJと新規参入者MTRとの今後の展開に注目が集まっている。
※ ※ ※ ※ ※
スウェーデンの鉄道はもともと国の事業体が管理や運営を行ってきたが、1988年に鉄道運行部門(上)と線路などのインフラ管理部門(下)とに上下分離され、鉄道自由化がスタートした。分割された「上部」の鉄道運行は、その後はSJが国営企業として事業を行ってきたが、2001年からは利益追求を目的とする株式会社に改組された(ただし、国が100%の株式を所有。その意味ではSJはいまでも国鉄。ちなみに何度も言うようだが、SJのSはスウェーデンのSではない!)。一方、SJ以外の事業者にも鉄道運行が許されるようになり、1990年からは地方のローカル路線の運行に関して民間会社や自治体公社を交えた入札が行われるようになり、2000年代に入ってからは長距離夜行列車の運行を巡っても、SJと新規参入企業が入札によって争うようになった。
ただ、ここまでの鉄道自由化においては、ある特定の区間の列車運行をどの企業が担当するかを入札にかけて決める、という形での「競争」であった。しかし、次のステップとして、一つの区間において複数の企業に列車を走らせて価格やサービスの質の面で競争させる、という形での競争が認められるようになった。その結果、数年前からはストックホルム-ヨーテボリ間やストックホルム-マルメ間の幹線において、国鉄SJだけでなく、民間企業もが同じ区間で列車を運航するようになったのである。ただし、これまではIntercityと呼ばれる都市間各駅停車の列車のみだった(各駅とは言っても、駅間の距離はかなり長い)。
そして、ついに今年の3月21日からはストックホルム-ヨーテボリ間の特急列車部門においてもSJとそれ以外の企業との競争が始まったのである。
このように、鉄道自由化によって国鉄SJとそれ以外の企業との競争が進んでいったわけであるが、これはあくまで「上部」つまり、鉄道運行の部分での競争にすぎない。「下部」つまり、鉄道や信号、切り替えなどのインフラ部門の事業においては競争は望めないから、いまだに独占である。その独占を担ってきたのは、1988年に鉄道の上下分離が行われた際に、鉄道インフラだけの管理を目的として設立された鉄道庁という行政庁である(数年前に道路インフラなどの管理を行う道路庁と統合され、交通庁に改組)。しかし、この「下部」の部分がきちんと機能しない限り、「上部」でいくら競争させても、人々がその競争の恩恵を享受するのは難しい。
現に、スウェーデンで今問題なのは、鉄道インフラを担当する交通庁がそのメンテナンスをずさんに行っており、鉄道や架線、信号システム、そして切替ポイントなどがずたずたであることだ。ストックホルムに住んでいると、特に中央駅から南にかけての区間で頻繁に信号不良や切替不良、架線切断などのトラブルが発生し、国鉄SJだけでなく同じ線路を共用している地域交通SLの近郊列車などが一斉に立ち往生することが毎週(ときには毎日)のように発生している。統計を見てみても、鉄道の遅れの半分以上はインフラのトラブルによることが分かる。
では、交通庁による鉄道インフラ管理がなぜ杜撰なのか、については、一時は国(産業省)から配分される予算が不足しているから、という見方もあったが、最近は交通庁がメンテナンスの実施を外部委託する際の公共調達のあり方や、その競争のあり方などが原因とする見方も強くなっている(先述の通り、「下部」である鉄道インフラ部門は交通庁による独占であるものの、実際のメンテナンス業務については交通庁は入札を通じた公共調達によって競争をさせている)。
スウェーデンの鉄道はここ数年、特にトラブルが増加しているが、果たしてその原因が交通庁のマネージメント能力の問題にあるのか、上下分離を基本とした自由化そのものにあるのか、それとも、自由化そのものは良いとしても新たな制度のもとでの各エージェント間の価格設定(線路の通行料や遅延時の罰金など)やインセンティブ構造に問題があるのか、大変興味深いテーマである。