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スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

チェルノブイリ事故後にスウェーデンが取った汚染対策(その2)

2011-04-27 00:33:51 | コラム
【耕作農家は・・・?】

牧草以外の農作物はどうだったのだろうか? 汚染された地域における農作物は、牧草のほかには主に穀類だった(葉野菜、ジャガイモなどはもっと南部のほう)。事故が発生した4月末は、穀類の種まきをする直前だった。戸惑う農家に対して、農務庁は表土を5cmほど掻きとって、農地の外に廃棄するように指示した。また、畑をよく耕した上で種を蒔くようにもアドバイスを行った。スウェーデンの一部の地域では、秋に耕運を行い、春には耕さないところもあるようだが、そういう地域でも春に改めて耕すように指示したのである。そうすることで、穀物に取り込まれるセシウムの量が減らせるというのが理由であるようだ(その理由は下で)。

また、カリウムをたくさん含む化学肥料を農地に撒くようにも指示した。カリウムは植物が必要とする栄養素だが、植物は放射性セシウムをカリウムと間違えて取り込んでしまう。そのため、カリウムを農地にたくさん撒くことで、植物に取り込まれる放射性セシウムを減らすことができるようだ

(人間の甲状腺放射性ヨウ素が取り込まれないように、放射性のない通常のヨウ素を錠剤として服用する論理と似ている。下の表を参照)。


放射性のヨウ素、セシウム、ストロンチウムの特性

また、石灰の散布も推奨された(これはセシウムを石灰に吸着させ、植物への移行を抑えるため? もしくは、放射性のストロンチウムがカルシウムとよく似ているため、植物に取り込まれるストロンチウムの量を減らすため?)。

穀類のセシウム-137の量も牧草と同様にその後、定期的に検査が行われたが、穀類の汚染度は牧草の汚染度の10~30分の1だったという。もともと、牧草地のほうが植物に取り込まれるセシウムが多い。その理由は牧草地がほとんど耕されないからだという。では、よく耕すことがなぜセシウムの植物への移動を抑えるのかというと、濃度が拡散されるうえ、土中のミネラルや粘土粒子にセシウムが吸着されやすくなるためのようだ。また、ミネラルを多く含む土壌と、腐葉土などの腐敗植物を多く含む土壌では、前者のほうが土壌から植物へのセシウムの移行が少ないという。土壌中のミネラルがセシウムを吸着するためだ。

その後、農作物の汚染量の調査は毎年行われているが、2001年の調査によると汚染がひどかった地域の穀類に含まれるセシウムの量は、1kgあたり0~7ベクレルで、平均値は1ベクレルだった(穀類の粒へのセシウムの移行そのものも、牧草などの草系植物へのセシウムの移行よりも少ないという)。

【人工肥料のカリウムを撒布した場合の効果】

農地1ヘクタール当たりに、年間0kg、100kg、200kgのカリウムを撒布したとき、穀類の粒の部分に含まれるセシウムがどれだけ変化するかを、年ごとに追っていったもの。カリウムを撒いた場合に、穀類へ吸収されるセシウムの量が大きく減少することが分かる。


※ ※ お知らせ ※ ※


以上の出典は、スウェーデンの防衛研究所・農業庁・食品庁・放射線安全庁・農業大学が共同で2002年に発表した報告書『放射性物質が落下した場合の食品生産について』からですが、この邦訳が2012年1月30日に『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』というタイトルで発売されました。


スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

詳しくは、こちらをご覧ください。

日本での取材中の裏話(その2)

2011-04-23 01:15:34 | コラム
昨日紹介したスウェーデン・ラジオの男性記者Nils Hornerは普段はタイやインド、インドネシアなどアジアを幅広くカバーしている(ただし、中国は女性の別の特派員がカバーしているが、今回の震災では彼女も日本に派遣された)。

この男性記者は日本で大震災が起きたときにはクウェートにおり、そこから日本へ急行することになった。ついでなので、震災からちょうど1週間が経った頃のコラムも紹介したい。

※ ※ ※

緑茶で体や髪を洗うなんて、どこかのトレンディーな雑誌に新しい流行として紹介してもらえるかもしれない。でも、最高に気持ちがいいのだ。少なくとも日本の震災を取材し始めて3日目に体を初めて洗えた時にはね。最後にシャワーを浴びたのは、クウェートを発つ前だった。貴重な水やお茶を無駄にしてしまうのはもったいないけれど、仕方がない。

この日、福島市で見つけたホテルは水道が出なかった。そこで試しに緑茶(無糖に限る!)を使って体を洗ってみるとペットボトル5本分がちょうどいいことが分かった。最後に1リットルのEvian(ミネラルウォーター)で体をすすげば、立派に入浴完了というわけだ。ホテルの掃除の人は、翌朝に多数のペットボトルを見て「ここに泊まった外国人はよっぽど緑茶が好きなんだな」と感心したに違いない。

日本に到着して最初の夜は、バス停に併設する公衆トイレで夜を明かした。本当は東京から北へ80kmの所にある小さな町でホテルを探していたものの、停電や断水だったり、建物の安全性が保証できないということでどのホテルも断られた。そんな時に偶然出会ったブラジルのテレビチームが、この公衆トイレに案内してくれた。

ブラジル人のレポーターは到着するやいなや、トイレの便座に座りながら撮影した映像の編集を始めた。唯一のコンセントがその便座のすぐ傍にあったからだ。私を含め、その他の5、6人はトイレの床に寝そべることになった。バクテリア恐怖症の人でもトイレの床で違和感なく横になれる国なんて、清潔に常に気を遣っている日本の他にはないだろう。その晩は、トイレの中にも暖房が効いていた。外は零度を下回るくらいだったから、暖房をちゃんと付けておいてくれた管理人に本当に感謝したい。

2日目の晩は、そこからさらに北に行った沿岸部で取材をしていたが、成田に到着したときから私のアシスタントや車の運転をしてくれた日本人が、急遽東京へ戻ることになった。代わりのアシスタントは別の車で明日やって来るという。車がなければ車中泊もできない。そんな時、私がたどり着いたのは避難所として使われていた小学校の体育館だった。津波で家を失った人や福島原発の周辺に住む人たちが避難していた。

慣れないことだが、被災した人々と一緒に床で寝るというのは貴重な経験だ。ストックホルム本局のデスクが「周りの人たちにインタビューしてくれないか?」と要請してきたが、この状況でそれをしてはダメだと思い、断った。

この体育館に避難している人たちには子持ちの家族が多い。私のところにもちゃんと毛布があるかどうか、気を遣ってくれる。温かいおにぎりを3つも持ってきてくれた。スリッパまで私のために丁寧に用意してくれる(スリッパは日本の屋内では必需品!)。一晩中、トランジスターラジオが最新ニュースを伝えていた。大きな音量だったが、私の周りの人々はいびきをかいて寝ていた。ラジオが状況は落ち着いていると伝えていたからだろうか?

ある晩は、路上に車を止めて、助手席で寝ることになった。すると翌朝、ガラス越しに誰かがノックするので目が覚めた。何かと思って窓を開けると、その前にある家に住む人が、寒いだろうと思って温かいコーヒーを持ってきてくれたのだった。そんなことがあるたびに、人間的な温かさを感じる。

福島市役所は、救援活動の拠点としても、そしてメディアのための活動拠点としても機能していた。私は一室の片隅に陣取って、窓からちょこっと衛星通信のアンテナを外に出すことができた。愛用している「Thrane & Thrane Explorer 700」はどこでもちゃんと役目を果たしてくれる。ISDN回線経由でストックホルムのスタジオと生中継できるし、インターネットも普通の電話の会話も可能だ。電話帳一冊よりも小さな機械がこれほどまで大きな役割を果たしてくれるなんて信じられるだろうか?
※ ※ ※


余談になるが、私の日本人の友人はスウェーデン・テレビ(※注)の取材班の通訳やアシスタントとして被災地での取材に立ち会ったが、避難所でのインタビューを終えてその場を後にしようとする時に「お腹がすくからこれも持ってお行き」と、避難所で配給されているおにぎりやお弁当を差し出されたという。スウェーデン人のジャーナリストは、それはできないと断るものの、持っていってくれと譲らなかったと言う。似たようなエピソードは、他のスウェーデン人レポーターからも耳にした。

(※注)スウェーデン・テレビスウェーデン・ラジオと同様に受信料で賄われている公共放送だが、NHKとは異なりそれぞれが完全に別組織となっており、よって報道部もそれぞれ独立している。だから、今回の大震災にしても、エジプトやリビアでの政変にしても、それぞれから異なった報道が聞けるのは嬉しい。(さらに詳しい話をすれば、スウェーデン・テレビには1チャンネル2チャンネルがあり、数年前まではそれぞれ別々の報道部があり独自の取材をしていた。)

日本での取材中に宿泊先に困ったら・・・(取材中の裏話・その1)

2011-04-21 01:03:09 | コラム
大震災の直後から日本入りし、被災地の様子や日本政府の対応、福島原発の状況などをスウェーデンへ配信してきた主要メディアの特派員は何人かいるが、その中でも私がよく耳にし、気に入っているのはスウェーデン・ラジオ(公共放送)のNils Horner(ニルス・ホーネル)という男性記者だ。

スウェーデン・ラジオの記者や特派員は、まじめな報道を本国に送るだけでなく、現地での取材における裏話自身の心境、考えたことなどを3分から5分くらいのコラムとしてまとめることがよくあり、中には非常に聞き応えのあるものもある。

日本の被災地に赴いて1ヶ月ほど動き回ったこの男性記者は、4月14日にこんなコラムを送ってきた。大学に行く途中にトラムの中で聞きながら笑ってしまった。


※ ※ ※

昨日は石巻で取材を行った。漁港のあるこの町は津波で大きな被害を受けた。ほんの1、2週間前までは津波で流された大きな漁船や乗用車が町の交差点に立ちはだかっていた。その漁船も今や取り除かれ、道路も通行可能となっている。散在している瓦礫も少しずつ片づけが始まり、混乱の中にも秩序が生まれつつある。全体が瓦礫と化したこの町の復興作業はとても気が遠くなるように感じられるが、わずかだが希望もある。

その晩は車で福島市に向かい、ホテル探しをすることになったが、行く先々で満室だと断られた。被災地の復興支援の人々や福島原発で復旧活動を行っている人々が泊まっているのだろうか。私たち取材チームは疲れており、寝る場所を求めていた。日本人のアシスタント(通訳・運転など)は「さらに一晩、車中泊はごめんだ」と言う。仕方がないので、私たちは最後の手段として、日本ならではの宿泊施設にトライすることになった。「ラブホテル」だ。

実は、今回が初めてではない。数週間前にもラブホテルに泊まることになったが、その時は私がホテルのレセプションでいつもやるようにパスポートを提示したところ、受付の人に笑われてしまった。そんな人、今まで見たこともないと言う。そう、ラブホテルは「匿名」であることがウリなのだ。お金のやり取りだって、顔が知られないように隠れて行ったり、自販機で支払いをすることも多い。利用時間だって90分という短い時間でもOKなのだ。

私の日本人アシスタントが試しに聞いてみた。「出張など仕事の都合でこのホテルに泊まることもできるのか?」すると、「いや、非常に特別な場合に限られる」、との答えが従業員から返ってきた。そもそも、鍵すらないのだ。部屋のドアは従業員がレセプションから自動で開けることになっている。

大きな荷物を抱えて313号室にたどり着くと、部屋には薄暗い紫色の照明がすでに付き、ロマンティックな音楽が流れていた。しかも、天井に取り付けられたミラーボールがくるくると回り、室内を鮮やかに照らしていた。ミラーボールのモーターがエネルギッシュに音を立てている。ドアを開けて部屋を覗き込みながらそんな光景を眺めていると、まるで奇妙な洞窟のようにも感じられる。さてどうしたものか、と少しためらった。でも、ホテルの外は寒い。それに比べれば、このホテルの部屋の中は暖かい。それに、とにかく寝たくてしょうがない

不思議なことに、この部屋が何だか心地よく感じられてきた。私は大きなベッドに座りながら、部屋に取り付けられた冷蔵庫の横に小さな自動販売機があることに気が付いた。いろいろなものがここで買える。ラブホテルとはいえ、やはりここは日本なので、部屋そのものはきちんと整っており清潔だ。ただし、部屋に何が備え付けてあるのか、よく見えない。ミラーボールのおかげで照明がチラチラしているからだ。

この日は朝早くから、瓦礫が重なる石巻で取材を始め、そして今こうしてラブホテルで一日を終えようとしている。それが何ともシュール(surrealistic)に思えて仕方がない。流れているロマンティックな音楽やムードを醸し出している紫色の照明を切ろうと思うのだが、ベッドの横にはたくさんのスイッチがあり、赤いランプが付いている。説明が書いてあるものの、すべてが日本語だ。試しにスイッチをいじってみると、思いがけないことが起きる。エアコンが強くなったり、弱くなったり。音楽の音量が上昇したり、お茶のための熱湯を沸かす装置が動き出したり。でも、しまいには照明が消せ、マーヴィン・ゲイの曲からも解放されることができた。しかし、ミラーボールを止めるためのスイッチは最後まで分からなかった。エネルギッシュなモーターの音を耳にしながら、そのうち夢の世界へ吸い込まれていった。

※ ※ ※


現地から生でスウェーデンにニュースを発信するNils Horner記者(右)

チェルノブイリ事故後にスウェーデンが取った汚染対策(その1)

2011-04-19 22:03:53 | コラム
1986年のチェルノブイリ原発事故によって放出された放射能は、風に乗ってまずスウェーデン上空へ流れてきた。その時に運悪く雨が降っていた地域では、雨に混じって放射能が降下し、土壌を汚染することになった。今回と次回は、畜産業・農業における汚染対策について。

<これまでの記事>
2011-04-02: 発生から2日後に発覚したチェルノブイリ原発事故
2011-04-06: チェルノブイリ原発事故のあとのスウェーデン
2011-04-10: チェルノブイリ事故の際のスウェーデンにおける外部被曝

事故直後に降り注いだ雨によって、スウェーデンの一部の地域では農地や牧草、飼料が汚染された。何も対策を施さなければ、それを食べた家畜の肉や牛乳が汚染され、それがそのまま店頭に並ぶ恐れもあった。だから、迅速な対策が求められた。しかし、当時は原発事故による農業汚染への対策が不十分で、関係者や専門家も戸惑い、時として相反するアドバイスがなされるなど混乱もあった。


【畜産農家は・・・?】

チェルノブイリ事故(4月26日)による放射能汚染がスウェーデンで発覚した4月28日から5月初めにかけての最初の懸念は、冬のあいだ屋内で飼っていた家畜を外の牧草地に出してもよいかどうか、ということだった。

事故直後の時点ではまだ国内各地の汚染の程度が分からなかったため、スウェーデン放射能防護庁家畜を外に出さないようにと全国の農家に通達した。汚染された牧草を食べることによって家畜の肉が汚染されたり、特に牛乳が放射能に汚染されることを恐れてであった。

その後、放射性物質が舞い落ちた程度と分布が分かると、家畜の放牧禁止令汚染がひどかった地域のみで維持された。ここでは次第に、各農家が前年から用意していた干草が底をつくようになったため、汚染されていない干草が全国各地から農業組合を通じて5月から6月にかけてこの地域に運搬された。しかし、それでも700ほどの農家では干草の供給が不十分だったため、農家はやむなく家畜を外に出して、牧草地に生えている牧草を食べさせるという決断を行ってしまった。

一方、乳業業界は許容できる放射性セシウムの含有量を厳しく設定していた(30ベクレル/kg)ため、放牧させてしまった酪農農家は牛乳を買い取ってもらえず、その処分に困った。一つの処分法は、ミネラルの多い土壌からなる農地に撒いて廃棄することだった。放射線防護庁によると、セシウムはミネラルに吸着しやすいため、植物によるセシウムの吸収を抑えることができるためだという。

(注:スウェーデン政府(放射線防護庁と食品庁)は一般の食料品の汚染上限を300ベクレル/kgと定めたのに対し、乳業業界はそれよりもはるかに厳しい30ベクレル/kgという上限を設けていた)


農地に撒布される牛乳

さて、夏が終わり、牧草の刈り入れ時期が近づいてきた。農務庁が当初、酪農農家に送ったアドバイスは「牧草を刈り、それを牧草地の外に運んで廃棄せよ」というものだった。しかし、農家や農業組合はそれに異議を唱え、もっとよい方法があれば試したいと主張した。彼らが提案したのは、牧草を高めに刈り取ることで、地表に残る腐りかけた前年の牧草や、土壌が、刈り取った牧草に混入するのを防ぐことだった。試してみると、放射能をたくさん含むこれらの異物の混入が少なくなり、放射能汚染の度合いを抑えられることが分かったため、農家はむしろこの方法を採用し、牧草を刈り取った。牧草のうち汚染の許容基準を満たしたものはその年の冬に干草として家畜に与えられたようだが、汚染がひどかった地域では牧草の大部分が廃棄され、他の地域からの供給に頼ることになった。

また、食肉の汚染を防ぐために、の少なくとも数週間前からは汚染されていない飼料を与えるというアドバイスもなされた。さらに、飼料にはセシウムを吸着する添加物(ベントナイト粘土)を加え(体重1kgあたり0.5~2g)、胃腸からセシウムが家畜の体内に取り込まれないようにするなどのアドバイスもあった。

<ベントナイト粘土の添加による効果>

家畜は上から順番に、羊、豚、肉用鶏、卵用鶏(肉)、卵用鶏(卵)

この実験では、の飼料(干草)にはベントナイト粘土を10%含有させ、豚や鶏の飼料(穀類)にはベントナイト粘土を5%含有させて与えた場合に、肉や卵に含まれるセシウムの量がどれだけ変化するかを調べている。結果は右から2列目に、utan=加えない場合med=加えた場合として示されている(単位はベクレル/kg)。

これから分かるように、羊では86%、豚では65%減るのに対し、鶏では減少率が低くなることが分かる。

また、ここには示されていないものの、乳牛であればベントナイト粘土を飼料に加えることによって、牛乳に含まれるセシウムの量が最大80%減るという。

ベントナイト粘土のほかには、鉄の化合物であるプルシアンブルーもセシウムの体内吸収を抑える効果があるとか。


<に先駆けて汚染のない飼料に切り替える>

上のグラフは、40日間飼育してした鶏の胸肉に含まれるセシウムの量を比較したもの

Ⅰ:放射性セシウムに汚染された飼料(セシウムの量は400ベクレル/kg、以下同様)に、ベントナイト粘土を添加(5%)して飼育中ずっと与えた。
Ⅱ:放射性セシウムに汚染された飼料に、ベントナイト粘土を添加せずに、飼育中ずっと与えた。
Ⅲ:飼育の最初のうちは汚染された飼料(ベントナイト粘土なし)を与えるものの、の5日前から汚染されていない飼料に切り替えた。
Ⅳ:飼育の最初のうちは汚染された飼料(ベントナイト粘土なし)を与えるものの、の10日前から汚染されていない飼料に切り替えた。
Ⅴ:飼育の最初のうちは汚染された飼料(ベントナイト粘土なし)を与えるものの、の15日前から汚染されていない飼料に切り替えた。
Ⅵ:飼育の最初のうちは汚染された飼料(ベントナイト粘土なし)を与えるものの、の20日前から汚染されていない飼料に切り替えた。

なるほど、汚染度に大きな違いが見られる。

※ ※ お知らせ ※ ※


以上の出典は、スウェーデンの防衛研究所・農業庁・食品庁・放射線安全庁・農業大学が共同で2002年に発表した報告書『放射性物質が落下した場合の食品生産について』からですが、この邦訳が2012年1月30日に『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』というタイトルで発売されました。


スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

詳しくは、こちらをご覧ください。

ヨーテボリで行われるイベント情報

2011-04-17 15:38:59 | コラム
ヨーテボリで行われるイベント情報です。

2011年4月25日(月)16時半~(開場 16時)
GÖTEBORG FOR JAPAN Charity Concert


Time: Open 16:00
Starts from 16:30
Place: Hagakyrkan, Göteborg
Guests: Maia Hirasawa, Timo Räisänen, Kristoffer Ragnstam, Lindha Kallerdahl, Ramblin Nicholas Heron, Räfven
Price: 100 SEK (in advance) // 150 SEK (at door)

*集まったすべてのチケット代、募金代はスウェーデン赤十字社を通じて日本赤十字社に直接送られます。

「私たちはヨーテボリ大学の学生を中心とした学生団体で、募金活動とチャリティイベントの二つを行うこととしました。募金活動ではこれまで約182万円を集め寄付しました。ヨーテボリに住んでいらっしゃる方々の温かさに心から感謝しています。そこで、今度は、ただ"もらう"だけでなく、同時に楽しんでもらいながら日本のことを応援してもらおうと、コンサートを企画しました。ヒラサワマイアさんをはじめ、スウェーデンで人気のある6組のアーティストの皆さんが好意で集まってくださいました。大きなイベントですが、成功させられるよう、一同全力を尽くします。」


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2011年4月27日(水)19:30~
Från Göteborg till Japan Charity Art Performance


4月27日(水)19:30
Stenhammarsalen in Konserthuset
チケット 280Kr(included25Kr service fee)
(サービス料25kr引いた255krがLäkare i Världen (Médecins du Monde Sweden-世界の医療団)を通して100%日本へ送られます)

*この公演の収益がどのように日本へ送られ被災者のために使われるのか詳しい情報はこちら。
公演のwebsiteに説明 http://frangoteborgtilljapan.blogspot.com/p/how-money-will-get-there.html
世界の医療団(日本) http://www.mdm.or.jp/news/news_detail.php?id=461
Läkare i Världen(スウェーデン) http://www.lakareivarlden.org/

ダンサーの方からのメッセージ:
「この度GöteborgsOperans Balettの日本人ダンサー4名が中心となって日本の為のチャリティー公演を企画/開催することになりました。
私たちの思いに賛同してくれたヨーテボリで活躍している日本人アーティスト、ヨーテボリ出身のアーティスト、素晴らしい方々がこの公演に参加してくれます。日本から遠く離れたヨーテボリで何か大切なメッセージを伝えられたらと思います。
もしよろしければ、ご友人、お知り合いをお誘いの上公演を観に来て頂けるととても嬉しいです。」

環境汚染が進むなか、何もできない環境省

2011-04-14 00:45:15 | コラム
福島原発の事故以降、原子力安全保安院(経済産業省)は毎日のようにニュースに登場するし、文部科学省も放射線のデータなどを公表しているし、農作物の検査などは厚生労働省が結果などを発表している。

こうして考えたときに、今の状況の中でもっと重要なはずなのに、名前が全くといっていいほど聞かれない行政機関が一つある。大気が放射能が大量に放出され、水や土壌、生態系における環境汚染が進行している中、環境省が全くといっていいほど静かであるのはとても残念だ。


日本の環境政策の根幹をなしている環境基本法(1993年)は、第2条「環境への負荷」を定義している。
(定義)
第二条  この法律において「環境への負荷」とは、人の活動により環境に加えられる影響であって、環境の保全上の支障の原因となるおそれのあるものをいう。

そしてその上で、人類の存続の基盤である環境人間活動による負荷によって損なわれないようにそれをきちんと保全する必要があることを指摘し、そして、その負荷をできるだけ軽減するために持続可能な社会を構築していくことがうたわれている。
(環境の恵沢の享受と継承等)
第三条  環境の保全は、環境を健全で恵み豊かなものとして維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことのできないものであること及び生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立っており人類の存続の基盤である限りある環境が、人間の活動による環境への負荷によって損なわれるおそれが生じてきていることにかんがみ、現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように適切に行われなければならない。

(環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築等)
第四条  環境の保全は、社会経済活動その他の活動による環境への負荷をできる限り低減することその他の環境の保全に関する行動がすべての者の公平な役割分担の下に自主的かつ積極的に行われるようになることによって、健全で恵み豊かな環境を維持しつつ、環境への負荷の少ない健全な経済の発展を図りながら持続的に発展することができる社会が構築されることを旨とし、及び科学的知見の充実の下に環境の保全上の支障が未然に防がれることを旨として、行われなければならない。


何とも素晴らしい! (ただ、この作文を小学校の国語の先生が読んだら、赤ペンだらけになって帰ってきそうだ・・・。一文で書き切ろうとするからだろうか)

ただ、環境省の政策担当者がいかに環境・生態系保全に対して意欲を燃やしていても、その高い志は早くも第13条でくじかれてしまう。
(放射性物質による大気の汚染等の防止)
第十三条  放射性物質による大気の汚染、水質の汚濁及び土壌の汚染の防止のための措置については、原子力基本法 (昭和三十年法律第百八十六号)その他の関係法律で定めるところによる。

つまり、放射性物質による大気汚染・水質汚濁・土壌汚染については、この環境基本法の範囲外であり、環境省の政策事項ではないというのだ。

しかも、さらに問題であるのは「原子力基本法その他の関係法律で定める」という部分が空振りで終わっている点だ。つまり、この第13条を具現化する条項が「原子力基本法その他の関係法律」にないというのだ。(三陸の海を放射能から守る岩手の会


また、川田龍平 参議院議員の環境委員会での質問を紹介しているこのブログによると、
この法案(注:環境基本法)策定の93年に宮沢首相は「法第3条と原子力関連法との関係でございますが、法第3条は 環境に関する認識とその保全とそのあり方についての基本理念を規定したものであり、その理念は 放射性物質による大気汚染等につきましても当然運用されます 」と明快な答弁をされています

とある。つまり、放射性物質による大気汚染等についても、環境基本法がうたう基本理念が適用されるものの、その法律はその政策領域をカバーしておらず、しかもそれをカバーするはずの原子力基本法などには、その詳細規定が見当たらない、という中途半端な状態になっているようだ。

――――――――――

このことは、私が良く一緒に仕事をするレーナ・リンダルさんのTwitterで知った。彼女はここに、
最近、いろいろな反原発のデモがあるけれど「環境基本法第13条の撤廃を」というデモもあっていいのでは? 環境省の役割を拡大すべき。今環境省がとても静かだというのはとても残念。大気、水、土壌の放射能公害が明らかに起こっているのに。日本は広島だけではなく水俣の国でもある
との旨のメッセージを書いていた。

肝心なときに何も動けない環境省というのは非常に残念だ。以前も触れたように、スウェーデンでは原子力事業の監督機関は、環境省に属する放射線安全庁である。

<以前の書き込み>
2011-03-28 原発の安全性をどの省が監督するべきか?

食品の放射性セシウムを減らすためのアドバイス

2011-04-12 01:34:46 | コラム
チェルノブイリ原発事故によってスウェーデンの一部に強い放射能が落下した際に、スウェーデンでは農業や酪農でどのような対策が取られたかを調べていたら、それとは別に、食品に含まれる放射性セシウム-137の量を減らすために家庭でどのようなことができるかを簡単に説明した資料を見つけたので、紹介します。

ただ、スウェーデンにおける調理法に合わせたアドバイスなので、日本の料理法にぴったり当てはまるわけではないかもしれません。あくまでも参考までに。

放射線セシウム-137の汚染限度は、普通の食品の場合、スウェーデンは300ベクレル/kgに設定しています(確か、日本もそれに近い値だったと思う)。それ以下の汚染であれば過剰に反応して神経質になることもどうかと思いますが、調理法次第でセシウムの量もこれだけ減らせるのだということを伝えたいために、紹介します。


【 肉 】

酸味の強いマリネ(マリネード)に漬けた上で調理すれば、肉に含まれるセシウムが80~90%減少する。(マリネード = 酢・ワイン・油・香辛料・ハーブなどから作る漬け汁)
茹でた場合、牛肉であればセシウムの50~70%、ヘラジカやトナカイなどの野生の肉であれば45~70%が減少する。
塩漬けするだけでは、30%ほどしか減少しない(塩漬けはトナカイの肉の保存などに用いられる)。しかし、水に漬けて塩抜きし、茹でた場合70~85%のセシウムが減少する。
・焼いた場合は、大きな効果はない。
・燻製にしたり干したりした場合は、全く効果はない。

注1:茹でた水は捨てること。
注2:減少するのはセシウムだけでなく、カリウムやビタミンB6などの水溶性の栄養分も、セシウムの減少割合と同じだけ減少する。


【 魚 】

・魚を丸ごと茹でた場合、セシウムの15~20%が減少する。
・魚を細かく切って茹でた場合20~30%減少する。
塩漬けにしたあと、水で塩抜きし、茹でた場合はセシウムが70~80%減少する(塩漬けの時間が1週間であろうが、4週間であろうが関係ない)。

注1:茹でた水は捨てること。
注2:減少するのはセシウムだけでなく、カリウムやビタミンB6などの水溶性の栄養分も、セシウムの減少割合と同じだけ減少する。


【 野菜 】

葉野菜であれば、外側の葉を取り除いたり、丁寧に水で洗ったり、湯通ししたり、茹でることで、セシウムの10~90%を取り除くことができる。
人参やグリーンピースであれば、ゆがくか、凍らせた後に茹でて使用すれば、セシウムを50%減らすことができる。
人参ゆがけば、放射性のストロンチウムが5%減少する。グリーンピースはゆがけば、ストロンチウムが35%減少する。

注1:茹でた水は捨てること。
注2:減少するのはセシウムだけでなく、ビタミンBやCなどの水溶性の栄養分も、セシウムの減少割合と同じだけ減少する。


【 キノコ 】

たっぷりのお湯を沸かして軽く茹でれば、キノコに含まれるセシウムの70~80%が減少する。水は捨てること。


※ ※ お知らせ ※ ※

以上の出典は、スウェーデンの防衛研究所・農業庁・食品庁・放射線安全庁・農業大学が共同で発表している報告書「放射性物質が落下した場合の食品生産について」からです。この報告書の邦訳は、2012年1月30日に『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』として出版されました。私が翻訳をしました。


スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

詳しくは、こちらをご覧ください。

チェルノブイリ事故の際のスウェーデンにおける外部被曝

2011-04-10 01:26:19 | コラム
チェルノブイリ原発事故の際にスウェーデンが受けた被害について先日触れたが、汚染された食品を食べることによる内部被曝だけに触れ、体外から受ける放射線、つまり外部被曝については書かなかった。

では、外部被曝はどうだったのか? 事故後に、スウェーデン各地では地上に落下した放射性物質の量が、事故直後における航空機によるサンプル収集や、その後の地上における土壌検査など様々な調査によって推計された。そのデータをもとにした推計によると、チェルノブイリ事故によって放出された放射能のために、事故から1年の間に1ミリシーベルト以上の放射線を受けた人口は約40000人、そのうち、2ミリシーベルト以上の放射線を受けた人の数は1000人弱だったという。一方、人口の大部分(7割)は最初の1年間に受けた放射線量が0.04ミリシーベルトに満たなかったという。

ちなみに、スウェーデン政府にしろ日本政府にしろ、自然放射線医療行為以外によって一般の人々が受ける放射線の限度年間1ミリシーベルトを目安としている(おそらく内部被曝も外部被曝も含めてのようだ)。

自然放射線とは、自然界に微量に存在する放射性物質から日々受ける放射線のことであり、この水準は日本では平均1.5ミリシーベルト世界平均は2.4ミリシーベルト、そして、実はスウェーデンの平均は少し高く、3.0ミリシーベルトとなっている(放射性のラドンの濃度が少し高いため)。また、スウェーデンの放射線安全庁によるとこれとは別に医療行為によって受ける放射線の平均は年間0.7ミリシーベルトとのことだ。


日本経済新聞 2011年4月3日付より


ただ、いろいろな基準があり、20ミリシーベルトでも大丈夫だとか、100ミリシーベルトでも問題がない、との説もある。原発作業員に対しては今回の事故を受けて基準が引き上げられて250ミリシーベルトとされることになった。

では、それに伴ってどれだけのリスクが発生するかというと、スウェーデンの防衛研究所の資料には「放射線量が比較的少ない場合、放射線を受けてからその後少なくとも50年以内にガンが発症する確率は1シーベルト(=1000ミリシーベルト)あたり5%」と書かれている。

この資料では、一つの計算例としてスウェーデンの人口900万人が、10ミリシーベルト(=0.01シーベルト)の放射線を被曝した場合、900万人×5%×0.01=4500人がその後少なくとも50年以内にガンを発症すると示されている(つまり、発症率は0.05%)。もし、被曝量が20ミリシーベルトとなれば、発症率はその2倍の0.1%となるということだ。

同様の計算は、柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会が発表している「私たちの見解2」でもなされている。


ちなみに、上記の「柏崎刈羽原発の閉鎖を訴える科学者・技術者の会」の見解には、普段良く耳にする「毎時マイクロシーベルト」という単位から累積被曝量を計算する例も分かりやすく書いてある。例えば、現在、福島市の放射線量が毎時2.5マイクロシーベルトであったとすると、その状態で1年間居住したときの年間被曝量22ミリシーベルト(22000μSv=2.5μSv/h×24h×365日)と計算できるという。

だから、この場合、年間の被曝量を1ミリシーベルトに抑えようと思えば、17日でオーバーしてしまう。(2.5μSv/h×24h×17日=1020μSv)


※ ※ お知らせ ※ ※

2012年1月30日発売『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』


スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

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福島原発で期待されるスウェーデン製の特殊カメラ

2011-04-08 00:57:52 | コラム
福島第1原発の緊急事態に対処するために、アメリカやフランスなどから原子力の技術者などが日本へ送られている。フランスからは遠隔操作が可能なロボットも送られたが、スウェーデンからも大急ぎで発送されたものがある。強い放射線に耐えられる監視カメラだ。


スウェーデンの南部にある小さな企業ISECは、1990年の創業以来、画像や音を通じて監視を行うシステム(Industrial Audio Visual Control Systems)を産業用に開発してきた。ボルボやサーブ、エリクソンなどの大企業における製造ラインや鉄鉱採掘現場、パルプ工場の生産プロセスを監視するシステムのほか、道路の交通監視システムや省庁の建物のセキュリティー、刑務所の監視システムなども手がけてきた。しかし、なかでも最も重要な顧客の一つはスウェーデン国内の原子力発電所だった。原発の異常などを早期に発見するシステムを提供してきたのである。

しかし、原発内でも原子炉に近いところなどでは放射線の強い場所もある。そこでこのISECスウェーデンの原子力業界と共同で、強い放射線にも耐えられるカメラの開発を6年前から行ってきた。他社の製品でも放射線に耐えられるカメラは以前からあったのものの白黒だった。しかし、ISECが開発したカメラはカラー画像なのだそうだ。3つの特許がこの製品の鍵を握っており、一つは放射能を抑える素材、一つは電子部品を冷却する装置、もう一つは利用しないときには自動的に防御モードに入るための仕組みだという。

ちょうど開発段階が終わり、商品化に漕ぎつけたところで、さあ、これから国外の市場にも進出しようとしていた矢先だった。国際マーケティングの一環で、日本にも見本を送っていた。どうやらその噂を東京電力は聞きつけたらしい。

そして、先月の後半に東京電力から注文が入ってきた。早急に製品を送って欲しいという。しかし、製造には4ヶ月から5ヶ月がかかる・・・。

幸いにも、少し以前にフォッシュマルク原子力発電所(チェルノブイリ事故を最初に発見したスウェーデンの原発)が23台のカメラを発注し、製品が既に完成していた。東京電力の危急の注文を耳にしたフォッシュマルク原発は「自分たちは急がないから、福島原発への支援になるなら、その23台をすぐに福島原発に回してよい」と申し出たらしい。

そして、今週火曜日の朝に注文の一部が福島原発に到着したとのことだ。ISECによると、東京電力はこの特殊カメラを放射能の強い原子炉付近や原子炉内の監視に用いるつもりだという。作業員が危険な場所に近づくことなく、継続的に問題の箇所を監視できるようになれば、作業員の身を守ることができる(設置には人手が必要だが)。

ちなみに、このISECという企業は従業員はわずか4人で、あとは外部の技術コンサル企業などに頼っている小さな企業だ。2009年の年間売り上げは460万クローナ(6000万円)だったという。この新製品に対しては、その技術の信頼性を疑う声も原子力業界にはあるようだが、もし福島原発でうまく機能し役に立てば、このISECにとってはまたとない実証となるだろう。

放射能汚染の際の避難の判断基準 ・ 気象シミュレーション

2011-04-07 00:33:51 | コラム
日本政府は原発の周囲20kmまでの強制退避と30kmまでの自主退避・屋内避難を維持したままだが、原発の状況がいまだ深刻である中、水素爆発や格納容器の崩壊などによって大量の放射性物質が拡散するような最悪の事態に備えるべきだろう。風向き次第では遠くまで飛散する可能性がある。

アメリカもスウェーデンも80km以内からの退避を勧告しているし、スウェーデンが一時は東京を含む250km圏内にいる自国民(40歳以下)に対してヨウ素錠剤を服用するよう呼び掛けたことからも分かるように、風向きや天候次第ではそれだけ広い範囲が汚染される可能性もある。(スウェーデンは現在はヨウ素錠剤を服用する必要はないとしている。ヨウ素の半減期が2回以上過ぎたためである)

行政機関からの情報やアドバイスに対する信頼は低いものの、かといって各個人が状況を判断して行動しようにも情報が乏しく、判断も難しいが、スウェーデン国立スペース物理研究所の山内正敏氏が、分かりやすいアドバイスをネット上で行っている(更新を重ねすでに第3版!)。
現在サーバーがダウンしているようだが、cacheはここ

以下はその一部。(Svとは、人体が受ける放射線量を示すシーベルト)
【脱出基準】

(1) 居住地近くでの放射線濃度が1000マイクロSv/時(=1ミリSv/時)に達したら、緊急脱出しなければならない = 赤信号。ダスト濃度が 5000 Bq/m3 に達した場合も緊急脱出。

(2) 居住地近くでの放射線濃度が100マイクロSv/時(=0.1ミリSv/時)に達したら、脱出の準備を始めた方が良い = 黄信号。

(3) 妊婦や小児の場合、居住地近くでの放射線濃度が300マイクロSv/時(=0.3ミリSv/時)に達するか、ダスト濃度が 500 Bq/m3 に達したら、緊急脱出しなければならない = 赤信号。

(4) 妊婦(妊娠かどうか分からない人を含めて)や小児の場合、居住地近くでの放射線濃度が30マイクロSv/時(=0.03ミリSv/時)に達するか、ダスト濃度が 50 Bq/m3 に達したら、脱出の準備を始めた方が良い = 黄信号。

(12) 現在、日変化の最低値が15マイクロSv/時(子供や妊婦なら5マイクロSv/時)ならば、早めに脱出すべき
 → 居住地近くでの値が急上昇した場合でも、普通の人で3~10マイクロSv/時、妊婦や子供で1~3マイクロSv/時なら、それが10日以上継続しない限り安心して良い

【室内退避基準】(無理やり居住地から脱出する必要は余りありません)

(6) もしも原発の近くで50ミリSv/時を超えたら風下100km以内の人は緊急に屋内(できればコンクリート製)に退避し、100km以上でも近くの放射能値情報に随時注意する = 赤信号。

(7) もしも原発の場所で急に5ミリSv/時以上の変動が見られたら、風下100km以内の人はなるべく屋内(できればコンクリート製)に退避し、100km以上でも近くの放射能値に随時注意する = 黄信号。

(9) もしも原発サイトで何らかの爆発(水蒸気爆発や水素爆発)があった場合、半径100km以内の人は緊急に屋内(できればコンクリート製)に退避し、100km以上でも近くの放射能値情報に随時注意する = 赤信号。


(詳細については、山内氏のサイトをご覧ください。ここでは、日本の行政当局によるずさんな情報提供・データ収集体制や、複数の異なる見方や予測が公表されることを好まず『一元性』にこだわる官僚主義などを批判しているが、まさにその通りだと思う。様々なデータや相反する予測があってもできる限りそれを公表して(根拠などの参考情報を付けて)、それをもとに様々な専門家や一般の人々に自分たちで判断させるべきではないかと思う。受験勉強とは違って、正しい答えが一つという訳ではないのだから。)


――――――――――

気象シミュレーションとしては、ノルウェーの大気研究所(Norwegian Institute for Air Research (NILU))が綺麗なグラフィックを提供している。これはノルウェー気象庁が入手したデータを元に作られているようだが、ノルウェー気象庁といえば、昨年アイスランドの火山が噴火し、ヨーロッパの航空網がほぼ麻痺した際にも、同様のグラフィックを作成して、火山灰の流れの予測を提供していた。

例えば、地表から上空100mまでのセシウム-137の濃度はこれ


チェルノブイリ原発事故のあとのスウェーデン

2011-04-06 01:56:24 | コラム
前回の続きで、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故について。まず、事故後のヨーロッパ全土の汚染の度合いを示す地図。単位は1000ベクレル/m2



《スウェーデンにおける放射能汚染》

さて、スウェーデンにおける放射能汚染はどの程度だったのだろうか?

単位は1000ベクレル/m2。1986年9月19日時点の汚染度の推計。

チェルノブイリ事故後のセシウム-137による汚染は、ストックホルムやスウェーデン南部では2000ベクレル/m2だったのに対し、汚染が最もひどかったイェヴレ地域では10万ベクレル/m2だった。

放射性物質の主なものは、セシウム-137だけでなく、ヨウ素-131セシウム-134もあったが、この2つの物質の半減期がそれぞれ8日2年であるのに対し、セシウム-137は30年であるため、長期的にはこのセシウム-137による汚染が危惧され、監視の対象となった。ちなみに、上の地図ではセシウム-137しか示されていないが、事故直後はヨウ素-131も大量に存在し、放射能の濃度もこれ以上に高かったのだろう。


経過時間ごとの主な汚染物質の種類と体内への経路

ただ、地面に落下した放射性物質は、雨や川などによって徐々に移動していくので、汚染の濃度は半減期よりも早く減少していくようだ。ただ、土壌の質や地理的条件によって減り方は大きく異なる。チェルノブイリ事故の際に落下した放射性物質が現在、どの程度の濃度で地表に残っているかを示した地図は見当たらなかった。


≪外部被曝の量≫

まず、体外から受ける放射線、つまり外部被曝について。事故後に、スウェーデン各地では地上に落下した放射性物質の量が、事故直後における航空機によるサンプル収集や、その後の地上における土壌検査など様々な調査によって推計された。その結果、チェルノブイリ事故によって放出された放射能のために、事故から1年の間に1ミリシーベルト以上の放射線を受けた人口は約40000人、そのうち、2ミリシーベルト以上の放射線を受けた人の数は1000人弱だったという推測結果が出ている。一方、人口の大部分(7割)は最初の1年間に受けた放射線量が0.04ミリシーベルトに満たなかったという。


≪人体への蓄積≫

放射能が人体に与える影響は、外部被曝のほかにも汚染された食品を摂取することで放射性物質を体内に蓄積し、体内で放射線を被曝する内部被曝もある。スウェーデンの関係当局の調査によると、スウェーデン人の体内に蓄積されたセシウム-137の量は、チェルノブイリの事故から1年経ってから最大に達したという。とくにトナカイなど野生の肉などを食する頻度の高い人ほど、量が多かった。下の数字は、体重1kgあたりの量。
・トナカイ遊牧のサーメ人:1000ベクレル/kg
・放射性物質降下が激しかったイェヴレ地域の農業従事者:100ベクレル/kg
・それらの町の非農業従事者:50ベクレル/kg
・ストックホルムなどの都会に住む人:10ベクレル/kg


上のグラフは、それぞれのカテゴリーの人の蓄積の度合いを時系列で追っていったものだ。チェルノブイリ事故後に急激に増えたセシウム-137の量が20年かかって10分の1になっているのが分かる。セシウム-137の半減期が30年だから、それよりもかなり速い速度で体内の蓄積量が低下している。それだけ、地表の汚染度が減少しており、それに応じて食品経由で体内に入ってくる汚染物質が減少しているということだろうか?

ちなみに、60年代には核実験によって飛散した放射性物質によって、一時期は非常に高かったこともうかがえる。チェルノブイリ原発事故による放射能汚染は、核実験によるものよりもさらに酷かったと考えられるが、人体の汚染の度合いがその時とほぼ同じレベルだったということは、チェルノブイリ事故以降の様々な措置が一定の効果を持ったということであろう。


≪人体が受ける放射線の量は?≫

ベクレルは放射能の量を表しているのに対し、人体が受ける放射線の量はシーベルトで表される。

スウェーデン放射線防護庁の資料によると、体重70kgの人間の場合、体重1kgあたりのセシウム-137の蓄積量が1ベクレル(つまり体全体では70ベクレル)であったとすると、1年間に受ける放射線量は2.2マイクロシーベルトになるという。(セシウム-134の場合は、1ベクレル/kgあたり3.6マイクロシーベルト)

だから、先ほど示した体内に蓄積されたセシウム-137の濃度と関連づけるならば、

トナカイ遊牧のサーメ人
チェルノブイリ事故から1年後に蓄積量が体重1kgあたり1000ベクレル
→ その年に人体がセシウム-137から受けた放射線の量は2.2ミリシーベルト

イェヴレ地域の農業従事者
チェルノブイリ事故から1年後に蓄積量が体重1kgあたり100ベクレル
→ その年に人体がセシウム-137から受けた放射線の量は0.22ミリシーベルト

ストックホルムなどの町に住む人
チェルノブイリ事故から1年後に蓄積量が体重1kgあたり10ベクレル
→ その年に人体がセシウム-137から受ける放射線の量は0.022ミリシーベルト

となる。

ちなみに放射線防護庁の推計によると、チェルノブイリ事故から50年間に人々が内部被曝によって受ける放射線量の累計は次のグラフのようになるという。(セシウム-137セシウム-134による被曝の合計)


これらの数値を単純に50で割ると、1年あたりの被曝量は非常に小さなものとなる。しかし、先ほど見たように体内に蓄積される放射性セシウム-137の量が最初の数年間に非常に高く、それから徐々に減っていくことから分かるように、最初の数年間の被曝の量は50で割った平均値よりも非常に高いものとなる。先ほども見たように、トナカイ遊牧のサーメ人であれば、初年の被曝量だけで2.2ミリシーベルトとなる。

では、この2.2ミリシーベルトという値は、どれだけ危険なものだろうか?


≪年間何ミリシーベルまでなら安全なのか≫

スウェーデン政府は、放射線防護庁のアドバイスのもと、放射能で汚染された食料品を食べることによって人体が受ける放射線量年間の限度1ミリシーベルトと定めている。この水準は、妊婦や小さな子供にも適用されている。ただし、妊婦以外の大人であれば、1ミリシーベルトをたとえ上回ったとしても直ちに健康に危害が生じるというわけではなく、ずいぶん余裕をもって設定された許容限度だと、放射線防護庁は説明している。

だから、先ほど触れたトナカイ遊牧のサーメ人の場合、初年の放射線量が2.2ミリシーベルトだったということは、この1ミリシーベルトを上回っていることになる。しかし、その他の人のケースは、1ミリシーベルトを大きく下回っている。


≪スウェーデン当局が定めた食料品の放射能汚染の許容限度≫

チェルノブイリ事故直後のスウェーデンでは、放射能による国内の土壌の汚染が避けられない中、国内産の食料品に許容できる汚染の上限をどの水準に設定するかで激しい議論が続けられた。

4月26日にチェルノブイリ原発の事故が発生し、28日にスウェーデンでそれが発覚したわけだが、放射線防護庁はスウェーデンの食品安全性の監督機関である食品庁と協議を重ねた結果、5月2日に暫定的な許容限度を発表した。それによると、
国内産の食料品は、ヨウ素-131が2000ベクレル/kgセシウム-137が1000ベクレル/kg
輸入された食料品は、ヨウ素-131が5000ベクレル/kgセシウム-137が10000ベクレル/kg
(輸入品の許容限度のほうが高く設定されているのは、スウェーデン人の摂取量が国内産よりも少ないためだという)

それから2週間経った5月16日には、国内産・輸入品の区別を取り、すべての食料品に以下の許容限度を適用することとした。
ヨウ素-131が2000ベクレル/kg、セシウム-137が300ベクレル/kg

これらの数字は、事故後50年間における年間平均被曝量が1ミリシーベルト、また、そのうちのいくつかの年(おそらく事故直後の数年間)の年間被曝量が5ミリシーベルトを超えないように配慮して決定したものだと、放射線防護庁は説明している。

そして、翌年の1987年6月に最終的な決定を発表している。ただ、ヨウ素-131の基準は撤廃され、セシウム-137に限った許容限度のみとなっている。
・トナカイ・ヘラジカなどの野生動物の肉や湖沼に生息する淡水魚、野生のベリー、キノコ、木の実は1500ベクレル/kg
それ以外の食料品は300ベクレル/kg

放射線防護庁は、この数字は「日常生活で物を食べたり買い物をしたりする際に、含まれる放射線の高さについて心配することなく、安心して食することができる水準を反映したもの」と説明している。この許容限度は、今でも有効である。


≪EU当局が定めた食料品の放射能汚染の許容限度≫

ついでにEUが定めている基準を見てみよう。


スウェーデンが定めているセシウム-137に関する基準と比較すると、ずいぶん緩いものだということが分かる。子供向けの食品でも400ベクレル/kgと、スウェーデンの一般食料品の基準300ベクレル/kgを上回っている。一方、トナカイ・ヘラジカなどは「その他の食品」に該当するため、EUのほうが低く設定されている。

スウェーデン政府(正確に言えば食品庁)は、セシウム-137に関しては今後ともEUよりも厳しい基準を維持するとしている。一方、他の物質、例えばヨウ素-131などの基準はスウェーデンは独自に設けていないようだから、今後ヨーロッパで原発事故が発生した場合にはこのEUの基準をそのまま適用するのだろう。

≪安全性とリスクは各個人に判断させる余地を残す≫

これまで示してきたように、スウェーデン放射線防護庁は「食料品による内部被曝の上限は 年間1ミリシーベルト」と定め、それを達成するために食品庁「国内で販売できる食料品の汚染限度は、特定の食料品を除いて300ベクレル/kg」と規定している。

しかし興味深いことに、放射性防護庁や食品庁みずから「これはあくまで余裕を持って設定された目安に過ぎない」と強調し、野生の肉を好んで食べたい猟師や、キノコ狩りの好きな人、野生のベリーが好きな人、湖沼で釣った魚を食べたい釣り愛好家は、そのリスクを自分で判断しながら、国の規定を超えて摂取してもよい、と説明しているのである。そして、そのリスク判断を各個人が自分で行えるように、チェルノブイリ事故の後には、必要な情報やアドバイス、体に取り込む放射能を極力減らすための食べ方などが書かれた冊子を無料配布し情報提供を行ったのである。国が情報提供をしっかり行うという前提のもとでの自己責任ということであろう。


トナカイ、野生の食品、湖沼の魚をたくさん食べる人を
対象にした情報やアドバイスの冊子

その結果、実際に国の規定とは異なる判断を行って、多めに摂取した人もいただろうし、逆にさらなる予防的判断を行って、国の規定より厳しい基準を自分で課した人たちもいるだろう。たとえば、国内の乳業業界は、国の300ベクレル/kgという基準よりも10倍厳しい30ベクレル/kgという基準を自主的に設けて、それを下回る牛乳しか販売しないことにしたそうだ。

(以上は、スウェーデン放射線防護庁(現・放射線安全庁)や防衛研究所、食品庁などの資料にもとづいてまとめたもの)

こうして書くと、チェルノブイリ原発事故によってスウェーデンが受けた影響はあまり大きくなかった、というような印象を与えてしまうかもしれないが、実際にはスウェーデン政府が講じた、食品汚染を防ぐための対策は非常に大掛かりなものだった。そして、一部の地域では今でも続いている。次回はそれらの措置について。

<関連記事>
2011-04-19:チェルノブイリ事故後にスウェーデンが取った汚染対策(その1)
2011-04-27:チェルノブイリ事故後にスウェーデンが取った汚染対策(その2)

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スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

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発生から2日後に発覚したチェルノブイリ原発事故

2011-04-02 02:22:44 | コラム
ソビエト連邦が世界に隠していた大事件が、2日以上経ってからスウェーデンを通じて世界に暴かれたという歴史的出来事

1986年4月28日(月)午前7時過ぎ - フォッシュマルク原発
スウェーデンの原子力発電所の一つ、フォッシュマルク原発はストックホルムから120kmほど北に位置する。この地域一帯は雨が降っていた。この原発の1号機でこの日の勤務を始めたばかりの男性職員がいた。トイレに行くためには「放射線管理区域」内から一度外に出る必要があり、放射線測定器によるチェックを受けなければならない。通常は、ここで何も変わったことは起きないものの、この時は強い放射線が彼の靴から検出され、警報が鳴った。

考えられる可能性としては、放射性物質を含んだホコリか何かを施設内で踏みつけたことだが、彼がそれまで作業していたのは施設内の洗浄室と呼ばれる区域であり、そのような可能性は小さかった。測定器によるチェックを何度も繰り返したが、その度に測定器が大きな音を立てた。別の測定器を使ってみたものの、結果は同じだった。


通報を受けた保安員が原発敷地内の別の建物からこの1号機の現場に駆けつけたが、不可解なことに放射性測定器はこの保安員の靴からも高い放射線を検出し、大きな音を立てたのだった。この測定器が故障しているのか・・・? それとも、問題は1号機の外部にあるのか・・・?

まもなくして、同じ原発の3号機の内部でも放射線測定器が職員の一人の靴から高い放射線量を検出した、との報告が入ってきた。どうやら、問題は1号機に限ったことではないようだ・・・。

そう考えた保安員は、携帯型の測定器(ガイガー・カウンター)を持って屋外に出てみた。すると、屋外でも異常なレベルの放射線量が検出された。敷地内の草から採取したサンプルからは、放射性のセシウム-137だけでなく、半減期の短いヨード-131も大量に検出され、漏出から間もない(10~48時間)ことが分かった。だから、このフォッシュマルク原発にある3基の原子炉のいずれかから放射能が建物外に漏れている疑いが濃厚になってきた。

午前9時30分
原発内の定例ミーティングにおいて高い放射線量が検出されたと報告があった。直ちに警戒レベル「異常事態に備えよ」へ引き上げ、危機対策本部を設置することが決まった。(原子炉の運転停止もこのときに決定された模様)

この頃、施設内部では放射能漏れの発生源を特定するための作業が続けられていた。原子炉からの漏れがないかどうか、換気口に取り付けられたフィルターの検査が行われたが、3基の原子炉のいずれからも漏洩は確認されなかった。

念のため、ストックホルムから南300kmに位置する別の原発、オスカシュハムン原発に問い合わせてみたが、そこでは何の異常事態も確認されていないという返事が返ってきた。だから、問題はやはりフォッシュマルク原発にあると人々はますます思い込むようになった。(実は、フォッシュマルク原発とは違い、オスカシュハムン原発周辺では雨が降っていなかった!

午前10時15分
フォッシュマルク原発が位置するオストハンマル市ウプサラ県、およびウプサラ県の緊急司令センター(警察・消防・救急の電話通報を管理している所)、さらに国の原子力監督機関である原子力検査庁放射線防護庁(SSI)に緊急事態の報告がなされた。

午前10時30分
原発内に設立された危機対策本部は、近くの集落(原発から5km離れている)から原発へ繋がる道路の閉鎖を決定し、検問所を設けた。また従業員の避難に備えて、原発から10km離れた場所に設置されている汚染除去施設(従業員の衣服についた汚染物質を除去するための施設)への人員配置に取り掛かった。

同じ頃、フォッシュマルク原発の放射能漏れを伝える最初のニュースがラジオで国内に流れた。付近の住民は屋内に退避し、新たな情報や指示を待つように呼びかけた。

施設内部では、化学専門家や物理専門家、原発技術専門家などによる漏洩源の本格的な捜査が始まっていた。

午前10時45分
行政機関や周辺自治体への情報提供や、周辺住民からの問い合わせに対応するために、フォッシュマルク原発の広報担当部への人員増強が行われた。

午前11時00分
危機対策本部は、放射能漏れの発生源が特定できないまま、原発の安全確保に最低限必要な作業員と消防などの緊急救助チームを除くすべての従業員の退避(800人ほど)を決定。原発施設内のすべてのスピーカーを通じて、10km離れた汚染除去施設に向かうように命令があった。従業員はここで一人ずつ、放射線のチェックを受け、放射線が検出されれば身体の洗浄を受けることになっていた。

午前11時~午後1時
国外のメディアも「スウェーデンの原発で放射能漏れ」を報じ始めていた。原発から120kmほど離れたストックホルムでも人々が動揺し始めていた。

実はこの「スウェーデンの原発で放射能漏れ」というニュースが、スウェーデンから1000km離れたチェルノブイリで起きた原発事故の兆候を世界に伝えた第一報となった。

フォッシュマルク原発の3基の原子炉

同日 正午過ぎ - 防衛研究所(ストックホルム)
スウェーデン国防軍に所属する防衛研究所は、国内7カ所に放射性物質の観測所を持っている。目的は、世界の各地で行われる核実験によって飛来してくる放射性物質の量を観測するためだ。極秘に行われた実験でも、これで発見できる。しかし、80年代に入り、かつて50年代や60年代に盛んに行われていた核実験の数は大きく減少し、観測される放射性物質の量もかなり低い水準まで低下していた。

ストックホルムの観測所の研究員は、28日(月)の朝7時過ぎに観測装置のフィルターをいつものように交換した。このフィルターには26日(土)と27日(日)にストックホルム上空の大気から収集された微粒子が附着している。これを分析器にかけるわけだが、ラドンの副生成物から発生する放射線が観測値に与える誤差を避けるために、通常この物質の崩壊を数時間ほど待ってから分析を行うことになっていた。

だから、この日の朝に回収されたフィルターは、午前中の間、防衛研究所の実験室でそのまま保管され、研究員は別の仕事をしていた。しかし、正午過ぎにラジオのニュースを耳にした。「フォッシュマルク原発で放射能漏れ」と伝えている。ほぼ同じ頃、同じ防衛研究所の幹部のもとに放射線防護庁(SSI)から緊急事態を知らせるメッセージが入った。「SSI本部で緊急会議。急行せよ!」

研究員は回収したフィルターを分析器にかけてみた。すると核分裂反応から発生したと考えられる多量の放射性物質が検出された。これほど高い濃度が検出されたのは過去に例がなかったと、この研究員は述べている。しかし、どこかの国が核実験を行った影響かもしれない。そこで詳しく分析してみると、核実験ではほとんど生成されず原子炉内でのみ生成されるセシウム-134が検出されたのだった。つまり、どこかの原子炉で発生した放射性物質がストックホルムに飛来しているということだった。

同日 午後1時30分~
この頃までには、スウェーデンの他の原発施設や東の隣国フィンランドからも「高い濃度の放射性物質を確認した」との報告が入ってきていた。発生源は依然として分からないままだが、別の国から放射性物質が風によって北欧方面に流れてきた可能性も出てきたわけだ。午後2時に初めての記者会見がフォッシュマルク原発の近辺で開かれた。

防衛研究所の要請を受けて、スウェーデン気象庁は過去数日間の気象データから可能性として考えられる発生源を割り出した。結果は、当時はソビエト連邦の一部であったベラルーシやウクライナ地方だった。

状況をより詳しく把握するために、防衛研究所はスウェーデン空軍にバルト海上空の調査を要請した。空軍は偵察機にサンプル収集装置6つを取り付けてバルト海に向けて発進させた。核実験後のサンプル収集であれば1万メートル上空を飛ぶのだが、今回は放射性物質の発生源が地上に近いところだと見られたため、バルト海の海上300mを低空飛行しながら、ソビエト連邦の領海ぎりぎりまで接近して、サンプルを収集した。(バルト三国は当時はソビエト連邦の一部)

この日の夕方までには、このサンプルの分析結果の他にも、スウェーデンの他の観測所からも似たようなデータが出ており、「発生源はソビエト連邦の、おそらくベラルーシかウクライナ地方の原発」という説が有力になっていた。

冷戦中のこの当時、ソ連内の情報は外部には分からなかった。スウェーデン政府は通常の外交ルートを通じてソビエト連邦政府にコンタクトを取り、事情の打診を行った。

騒動の発端となったフォッシュマルク原発は、午後3時30分に運転を再開し、警戒レベルも「平常」に戻された。

同日 午後7時
ソビエト連邦政府は国営通信社イタルタスを通じて、短い発表を行った。その2日前にチェルノブイリ原発で大爆発があったとされていた。

このとき世界は初めて、ソビエト連邦が外部に隠していたチェルノブイリ原発の事故を知ることになった。(正確な発生時刻は4月26日(土)の現地時間01:23)

放射線が最初に検出されたフォッシュマルク原発は、その後もしばらく世界のメディアのスポットライトを浴び、スウェーデン放射線防護庁の専門家もおびただしい数のインタビューを受けることになった。ソ連からの情報がほとんどない中、事故の規模を知る唯一の手がかりはこの時点ではスウェーデンで観測されたデータのみだったからだ。

放射線の検出から始まって、汚染源が分かり、世界が仰天するまでの一連の騒動が、こうしてわずか一日で起きたのである。しかし、他のヨーロッパ諸国に放射能を帯びた雨が降り注ぐことになるのは、まだこれからだった

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スウェーデンは自国の原発から放射能が漏れたわけではないことが分かってホッとしたわけだが、しかし、それで終わりではなかった。チェルノブイリでの事故発生から2日間は風がスウェーデンに向かって吹いたため、高い濃度の放射能がスウェーデンを既に直撃していた。27日(日)は小春日和の良い天気だったため、何も知らず週末を屋外で過ごした人も多かった。地域によっては雨も降り、地上が放射線で汚染されてもいた。推計によると、チェルノブイリから放出された放射性セシウムの5%がスウェーデンに降り注いだという。

そのため、スウェーデン政府は水道水や農作物に含まれる放射能の基準を設定し、販売規制を行ったり、キノコやトナカイ・ヘラジカなどの野生動物の肉の摂取規制を発表したりした。例えば、事故が起きた1986年にはトナカイの肉の78%が廃棄処分された(トナカイは、スウェーデン北部に住む少数民族のサーメ人の主要な収入源であり食料源でもある)。また、ブルーベリーやキノコの摂取規制も行われた。放射性ヨウ素は半減期が8日と短いが、放射性セシウムは半減期が30年と長いために、森などの一部では今でもセシウムの量が多いところもあるようだ。

ただ、癌の患者が直ちに増えたということはないようだ。しかし一方で、放射線を浴びてから数年から10年、20年以上経ってから癌が発生するため、癌の発病のうちどのくらいの割合がチェルノブイリ事故によるものかを明確に断定することは難しいようだ。スウェーデンの放射線安全庁によると、事故発生から50年の間にスウェーデン国内では300人ほどの人がチェルノブイリ事故のために癌になる(もしくは既になった)と予測されるという。また、このうちの多くは、トナカイの肉を食べる頻度の多いサーメ人だという。

(以上は、2006年4月ごろに掲載されたスウェーデンの新聞記事、およびスウェーデン放射線防護庁(現・放射線安全庁)の資料による)


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スウェーデンの防衛研究所が農業庁やスウェーデン農業大学、食品庁、放射線安全庁と共同でまとめ、2002年に発行した「放射性物質が降下した際の食品生産について」という報告書の翻訳です。

チェルノブイリ原発事故のあとにスウェーデンが被った被害やその影響、農業・畜産分野で取られた対策や、放射能汚染を抑えるための実験、放射能に関する基礎知識、将来の事故に備えた災害対策の整備や、実際に事故が起きたときの対策の講じ方をまとめたものです。

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