先週末は、ストックホルムの北方にあるウプサラに滞在した。私がスウェーデンへ発つ1年前に京都で知り合い、スウェーデンへ来てからも兄のように親しくしてきた5年来の友人Mattiasを訪ねる。彼はちょうど僕が京都大学からスウェーデンへの交換留学の応募を考えはじめ、さてストックホルム大学かウプサラ大学のどちらを希望しようかと迷っていたときに、ちょうど京都大学にウプサラ大学から来たばかりの交換留学生だった。彼の薦めもあって、ウプサラ大学に応募し、私がスウェーデン生活を始めた1ヶ月後に彼も日本での留学を終えてウプサラに戻ってくるという、ちょうど良いタイミングだった。
米子にも遊びに来たことがある、彼のガールフレンドとは2年前に結婚し、彼は労働法専門の弁護士をし、彼女は文部省大学教育課の官僚で、残業や週末勤務が重なり多忙な生活を送っているのだが、二人とも自分の関心のある分野で自分の能力を発揮し、やりがいのある職業人生を送っている。いつも泊めてもらう彼らのアパートはところどころ棉ぼこりが目につき、掃除のする時間も無いことがわかる。
そろそろ子供を持つことを考えているようで、彼が去年の秋に転職したときに、転職先に示した条件は、育児休暇が取りやすいこと、だったらしい。とはいえ、二人が働いているはほぼ公共部門なので、育児休暇を取るのにそれほど支障はない。(民間企業だと、スウェーデンでも取りにくい所もあるらしいのだ。)
今回、ウプサラではこのほかに、ウプサラ在住の日本人の方々と話をする機会が会ったのだが、それはまた別の機会に・・・。
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夜9時のニュースから。
昨日のイラクの総選挙では、過半数を超える有権者が票を投じたということだが、民族グループで投票率に差があり、まだ安心ができない。というのも、イラク国民の多数を占めるスンニ派イスラム教徒が選挙に先駆けて、ボイコットを宣言し、その結果、彼らの投票率はシーア派イスラム教徒やクルド人に比べると大きく落ち込んだらしいのだ。
その投票率の格差が大きければ、いくら今回の総選挙の結果が手続き上は“合法的”なものでも、国民全体が総選挙に関与して意見を訴えた結果として出された結論、そしてそれにより形成される政府、という意味での“正統性”を、この選挙結果が欠いてしまう恐れもある。
言い換えれば、スンニ派イスラム教徒にとって、自分たちがそれほど関わってもいないし、票を投じたわけでもない選挙の結果によって、イラク政府、イラク国会が形成され、それが決定する法律や政策が、自分たちの日々の生活に影響を与えるようになると、「何でそんなものにハイハイと従わなければならないの」という反発につながる可能性もある。民主主義統治の“正統性”とはこういうことだと思う。イラクのすべての国民が、今回の選挙の結果に“正統性”を見いださなければ、たとえ一つの政府が形成されたとしても、それがうまく機能するのは難しくなる。
選挙結果が公表されるまでに一週間ほどがかかるそうだが、予測によるとやはり、投票率の比較的高かったクルド人勢力やシーア派勢力の政党が優勢らしい。この選挙の結果に形成されるイラク国民議会の最大の仕事は、イラクの基本法(憲法)を策定することだが、スンニ派がその過程から排除されてしまうと、内紛の火種にもなり、民主国家イラクが出だしからつまづくことになる。
だから望ましいのは、今回の選挙でたとえ勝利した政党や勢力でも、スンニ派を取り込んだ形で連立政府を形成し、そして、スンニ派も選挙結果を受け入れることだろう。
今日の報道だと、これまで総選挙に消極的だったスンニ派の有力者が、基本法作りには加わりたい、という発言をしていた。イラク国民議会を認めようとしない態度を改め「妥協の手をさしのべる」とも取れる発言なので、これには期待したい。
それに加え、イラク戦争に際し、アメリカの「犬」となって戦争支持に回ったイギリス・スペイン・デンマークと、戦争に反対するドイツ・フランス・スウェーデンなどの対立で、内部分裂に陥っていたEUが、イラク議会の形成後に文民の法律・行政エキスパートをイラクに派遣し、基本法や行政の基本作りに協力する意向も示した。
イギリスの有力紙Independentが社説で「イラクの将来は明るいものでなければならないが、それがたとえ実現したとしても、それが遡及的 (retroactively)にイラク戦争を正当化するものではない」と書いた。僕も全くその通りだと思うが、一つの国造りに世界中の協力が必要な今、EU全体としてイラクの国造りに参加し、そして、ヨーロッパとアメリカとの間の溝が縮まっていくのを願いたい。
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同じく9時のニュースでは、日本からのルポタージュも。津波災害に対して地震大国日本ではどのような対策が取られているのか、ということで、スウェーデンの公共テレビSVTが東北の町、大船渡を取材していた。ここは、過去65年間に3回も津波の被害を受けたということ。日本から遠く離れた南米のチリ沖で起こった地震。この津波が日本の太平洋岸を襲った。その災害を生き残った人々の体験談や、その後、行政がどのような対策を取ってきたかという話題だった。