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スウェーデンの今

スウェーデンに15年暮らし現在はストックホルム商科大学・欧州日本研究所で研究員

キルナ以西の鉄道と鉄鉱石の輸出

2005-07-31 06:59:01 | コラム
キルナからノルウェー国境までは133km。国道は緩やかなアップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を上げていく。この道のすぐ南にはスウェーデンの最高峰であるKebnekaise(2111m)を含む山脈が広がるため、国道のすぐ左手には巨大な絶壁が連なっている。一方、右手にはTorneträskと呼ばれる細長い湿地湖が数十キロにわたって存在し、その向こうには雪をかぶった山脈が連なっているのがうかがえる。

国道自体は、断崖の下の低い部分を湿地湖に沿ってグネグネと走っているから、左右のターンを除いては、それほど険しいと感じられない。湿地湖とそれに沿った辺りが深い谷になっているようだ。大昔に氷河によって削り取られたのか、断層のために山脈の中央に割れ目が走ったのかは定かではない。


左手には絶壁、右手には湖。どこが陸との境界か分かるかな?


ノルウェー側の港町Narvikまで続くこの国道と平行して、鉄道が走っている。自転車で走っていると、列車とよくすれ違う。旅客車両は1日に多くて3往復なので、それほど多くはないが、他方で、鉄鉱石を運ぶ貨物列車には頻繁に出会うのだ。上りと下りを合わせて、少なくとも一時間に一本は貨物列車に出会う。しかも、一つ一つの列車が50両近くも貨車を牽引し、KirunaからNarvikに向かう列車には鉄鉱石が満載なのには驚く。鉄鉱石の輸出経路はこのNarvikルートとともに東のLuleåの港からの東欧向け経路もある。

前回の続きだが、鉄鉱石の産出がスウェーデンでここまで盛んだとは知らなかった。鋼鉄に対する世界的な需要の増大は、特に近年急成長してきた中国における需要増大が原因らしい。そのための原料である鉄鉱石が求められている。価格も高騰し、今年の4月には71.5%もの上昇幅を記録したという。歴史の長い国営の鉱山企業LKABの業績は、去年新記録を達成した。主要株主である国は株の配当によって大いに潤い、税収に貢献した。

LKABは産出量40%増をもくろみ、そのためにさらなる投資を行っていく計画だ。キルナ市移転計画もさることながら、新たな粗鋼ペレット工場の建設、さらには、機関車の改良や新たな貨物列車の開発に力を入れている。輸送力の増大(25%増)によるコストの削減によって、最大の競争相手であるブラジルやオーストラリアの鉄鉱に対して優位に立ちたいのだ。


鉄鉱石を運ぶ貨物列車。ノルウェーのNarvik港から輸出される


さらに、鉄鉱石の輸出だけでなく、高度な技術を使ってそれを付加価値の高い製品に変えていく産業もスウェーデンで盛んだ。例えば、厚さ数ミリの鋼板の製造には高度な技術が必要で、スウェーデンからの製品はロシアや中国の市場で大きな需要があるとのこと。

近いうちに時間を見つけて、鉄鉱石の輸出と鉄鉱関連産業がスウェーデン経済においてどれだけのウェイトを占めているのか、調べてみたい。

情報の一部は次のサイト(技術系新聞NyTeknik)を参考にしました。http://www.nyteknik.se/pub/ipsart.asp?art_id=40986


人工の町キルナの人為的大移動!

2005-07-30 04:40:11 | コラム
自転車旅行の出発点は北部の町Kirunaだ。前にも書いたように、世界有数の鉄鉱山として中学地理にも登場するし、有名なアイスホテルはこの町から10kmの所で、観光客はたいていKirunaに降り立つので、日本人にも知られている。(余談だが、アイスホテルの宿泊客・見学客の半数近くが日本人なんだって。)

この町キルナは、スウェーデンの中でもずいぶん新しい町で、鉄鉱石の採掘のために1900年に人為的に造成された。自然発展的に町を成長させていくのではなく、都市計画を初めからしっかり定めて作られた町。ここまで大きな社会的実験はスウェーデンでは例を見ないという。冬の寒さにも耐えるために気温が比較的高い丘の上に中心街を作り、道路が風除けの役割を果たすように配置する。住宅地は鉱山労働者の都合に合うように工夫される。鉄鉱石の輸送のために鉄道を敷く。これは世界で最北の鉄道だとか。

現在の人口は2万人弱。しかし、面積でみるとキルナ市は北はフィンランド国境、西はノルウェー国境に接しており、世界で一番大きな市だとか(1952ヘクタール)。



そんな人工の町Kirunaがこれから大移動を始める。そして、今回の移動も人為的なのだ!

鉄鉱石に対する需要の増大で、スウェーデンからの輸出が急増している。国営の鉱山企業LKABは近年は記録的な好業績を達成し、今後もこれを上回る収益が上がるものと期待されている。キルナの町は鉄鉱山のすぐそばに位置し、町の中心街が立つ丘からは、階段状に削り取られた鉱山がうかがえる。LKABは採掘場所を拡大させており、掘削洞が町のほうにどんどん近づいている。下の図で見れば分かるように、鉄鉱石の岩盤は丘の山頂から、町の真下に向かって、なぜか斜めに広がっているのだ。だから、採掘規模を拡大しようとする限り、キルナの町への侵蝕は避けられない。



そこで、これから20~30年ほどの予定で、キルナの町の中心部をまるごと引越しさせる計画が着々と進められている。住宅はもちろんのこと、商店街、鉄道駅、鉄道、国道、教会、市庁舎、上下水道、その他、社会を構成するありとあらゆる物を移動させなければならない。鉄道については、採掘活動のために一部の区間の地盤に既に緩みが生じており、新路線の敷設は急を要する。2012年の完成が予定されているものの、新路線をどこに通すのかがまだ定かではないという。ヨーロッパ国道E10には多額が投じられ、比較的最近完成したばかりだが、こちらも移動を余儀なくされている。

しかし、最大の問題は住宅地をどこに移すのかということ。キルナに隣接する丘が候補に挙がっている。一方で、将来の採掘活動を長い目で考えた場合、どうせ移動させるのなら、いっそのこと10kmから20kmほど移動させてはどうかという案もあるらしい。この場合、移動計画は50年から75年にも及ぶ。周囲には少数民族のサーメ人がトナカイを遊牧させている地域もあるため、土地の権利も問題もある。

キルナから車で1時間ほど行ったところにある、Malmbergetという町も同じ問題を抱えている。Malmbergetとはその名の通り“鉄鉱山”(malm=鉄鉱石、berg(et)=丘・山)。ここの町も近いうちに移転が計画されている。既にいくつかの住宅は試験的に移動を開始したとか。下の写真はレンガ造りの住宅を、地下室ごと台車に乗せて移動させようとしているところ。



自転車旅行の帰りの夜行列車の中で、キルナに住む家族連れと話をした。お父さんは、企業家でやはり鉱山に関わる仕事に携わっている。今でも既に掘削のための爆薬の音が自宅まで響いてくるのだそうだ。夜中の2時に起こされることもあるという。私も帰宅してから、ちょっと調べてみたら、なんと採掘の深度は700m~1200mもあるとか。それだけ深くても爆音が聞こえてくるとは驚きだ。

情報の一部は次のサイト(技術系新聞NyTeknik)を参考にしました。http://www.nyteknik.se/art/40987


2001年3月に兄弟で旅行したときの写真

そして今回の写真(真夜中0時撮影)

スウェーデンの季節感 -夏-

2005-07-28 08:10:44 | コラム
スウェーデンの季節感で言うと、夏というのは5月の後半から8月始めにかけて。この点、7月・8月を主に夏とする日本の季節感とはちょっとずれている。

夏至を前後にしたこの時期は、日照時間も長く、気温も高い。一般の社会人は6月の半ばから8月の前半にかけて4週間前後の夏休みを交代で取る。だから、社会人は、5月の半ばから既に今年の夏休みは何をしようかと計画を立て始め、職場でもそんな話題が飛び交う。夏休みを取る前に仕上げておかなければならないことを意識しながら勤務をする。だから、5月は既に夏の気分。

大学生は1月に始まった春学期が6月初頭に終わる。学部によっては5月後半から既に夏休みに入るところもある。小・中・高校は6月の前半に春学期が終わる。

教員の夏休みはとりわけ長くて、8週間前後あるそうだ(それ以外の季節の勤務がハードなので、その代償とも言われている)。

さて、夏休みに正規社員が抜けた空白には、主に学生などの若者がSummer jobとしてアルバイトをする。学期中はほとんどの学生が国庫からの学生補助金や低利ローンで生計を立てているが、夏休みの間は支給がなくなるから、生活の糧を自分で探さなければならない。一つの方法が、Summer jobである。夏休みの間の労働需給はこのようなシステムによって、うまく成り立っている。

Summer jobには、ありとあらゆる職種がもちろん存在する。私の友人の例を挙げれば、電気販売店の店員、刑務所の看守、市バスの運転手、工場作業員、組み立てラインの監督、IKEA(スウェーデンの家具チェーン店)の店員、経済研究所の統計処理係、銀行の窓口職員、キャンプ場の係員、道ばたでイチゴ売り(高校生が多い)、などなど。私自身も老人ホームとハンディを負った人の施設でヘルパーを二夏経験した。大学で学ぶ前に職業経験がある者は、以前の職場に戻ってSummer jobをする者もいる(例に挙げた工場作業員、組み立てラインの監督はそれ)。しかし、ほとんどの学生は求人広告を見たり、目当ての職場に連絡を取って探りを入れたりする。既に1月、2月からsummer job探しに躍起になる。大学で学んでいる分野と同じ分野でsummer jobを見つけられた人はラッキーだ。職業経験になるし、うまくコンタクトを作って、上司に気に入られれば、学位取得後に正規職員になれた、なんて例もある。しかし、そんな例は稀で、多くの場合、自分の勉強とはまったく関係ないところに落ち着く。(例に挙げた、看守、バス運転手は実は経済学部の友人)

一方で、警察や医者などのように、専門的技能と資格が要求され、summer jobによる安易な代替が不可能な職は労働力不足になる。たとえば、毎夏のように問題になるのが、交通機動隊の警察官の極端な不足だ。夏の間は、国内外の旅行者がキャンピングカーに乗って、スウェーデン中の国道・市道を縦横無尽に走り回っているから、交通量が多く、交通違反や事故の件数も増えてしまう。それなのに、である。(軽度の事故だと、警察の到着までに数時間待たされるのらしい・・・) 病院では、夏の間は手術の予定件数を極端に減らす。急がない手術の場合は、秋以降に回されてしまう。急ぐ手術でも夏の間は行列になる・・・。


さてさて、8月に入るとその長い夏休みが終わり、正規の職員がぼちぼち勢揃いするようになる。そして、そろそろ夏休み以前の勤労生活に戻らなくては、という心構えになってくる。日の長さも夏至の頃と比べると格段に短くなっている。なので、8月は精神的にはもう既に秋だ。

再開

2005-07-27 03:23:28 | コラム
お久しぶりです。

ノルウェーから無事に戻ってきました。
スウェーデン北部のキルナ(中学の地理にも登場するくらい有名な鉄鉱山がある)からノルウェーの西海岸に抜け、そのまま半島部と島嶼部を自転車で走りましたが、ノルウェーでは地図で見ただけでは想像もできないような険しい山々が続き、かなり苦闘しました。しかし、その分だけ目の当たりにできた景色は格別で、しかも天気がよくて最高でした。いろんなハプニングに遭遇し、いろんな人に出会うことができ、大満足の旅になりました。

気分転換とともに大きなエネルギーを蓄えられた気がします。
さあ、これからまたせっせと、ブログを書き続けます!

P.S. 帰ってきてみて、コメントを見てビックリ。高校時代の友人の輪が再び広がり嬉しい限りです!


真夜中の太陽(Midnattsolen)
2005-07-19 ノルウェーにて撮影

Sommarsta(e)ngt...

2005-07-12 18:27:07 | コラム
スウェーデン北部の町Kirunaからノルウェーのロフォーテン諸島にかけて、自転車旅行に出かけます。そのため、しばらくお休みいたします。

予定:
Kirunaまで夜行列車。
Kirunaから自転車で出発
→ Narvik
→ Harstadでノルウェー人の警察官家族に会う
→ Lofoten諸島へ
→ それから・・・?


『太陽の季節』

2005-07-11 16:03:20 | コラム
こんなタイトルをつけると、ある俳優のファンがホームページ検索で間違ってこのページにたどり着くかもしれない。スウェーデンの今年の春は寒くて、雨ばかりで春らしい春ではなかったのに、夏はそれとは打って変わって天気のよい日が続いている。しかも日がとても長い。

冬の間、太陽の光をきちんと浴びられなかったスウェーデン人は、こぞって日向に出て日光浴を楽しむ。レストランやカフェの屋外席はそんな人たちで満席。気温はどうかというと、夏至以降は25~32℃くらいの気温が続いている。空気はカラッと乾燥しているから、日本のような蒸し暑さは感じられない。

スウェーデン人の日光浴好きは、日本から来たばかりの人には珍しく見えるようだ。なぜ、こんなにまで好きなのかというと、冬と夏との日照時間の差が極端に激しいからだろう。夏の間しか楽しめないことを存分に楽しみたい。日本では、日照時間の差はそれほど大きくない。しかも、日本では夏の日向は暑すぎる。海辺でもない限り、誰が好んで炎天下の中に日向に出て、日光浴を楽しみたいと思うだろうか。

私にとっての夏の問題はというと、家で過ごす時間が極端に短くなることだ。仕事や勉強のあと、夕方から夜にかけて、友人とカフェやレストランで一杯飲だり、ベッテルン湖の砂浜でバーベキューをしたりして、暗くなる頃に家に帰るともう23時を回る。どっと疲れが出て、すぐに寝てしまう。だから、家でやるべきことに手をつけられずじまい。だから、このブログの更新が最近ずいぶん少なくなっているのはそのためです! メールも最近あまり書けていないし、新聞の整理もできず山積みになっている。帰宅してから、それでも手をつけようとすると、夜中1時、2時になってしまい、今度は寝る時間がなくなってしまう。だから、最近は寝不足でもある。

テレビも最近はニュース以外はほとんど見ていない。21時のニュースは見逃してもテレビ局のホームページで放送をまるまる見られるので、最近はテレビすらつけていない。面白そうなドキュメンタリーや映画をやっているみたいだけれど、ことごとく逃している。

天気がいいときは屋内でじっとしていられず、すぐにでも日向に飛び出したいと思うのは、夏の過ごし方がスウェーデン人らしくなってきた証拠かもしれない。おまけに、夏至が過ぎた後、日没時間が日に日に短くなっていくのを惜しんでしまうのも、それだと思う。(双子の箱)


サイクリングの最中に林道で見つけた桃源郷

オリンピックとテロのロンドン

2005-07-09 03:13:38 | コラム
ロンドンのテロを受けて、ヨーロッパ各国の都市でも警戒が強まっている。報道によると似たようなテロが次に起きるとすれば、イタリアかデンマークで起こる可能性が高いという。両国ともアメリカ軍支援でイラクに軍隊を駐留している国だからだという。昨年春にはスペインのマドリードで似たような通勤列車の無差別テロがあり、多くの人々が命を落としたが、このときもスペインはイラクに軍隊を駐留していた。(その後の議会総選挙で野党が勝利し、外交政策が急転換。イラクからの撤退が行われたのも記憶に新しい。)

デンマークの首都コペンハーゲンでは機動隊が出て、厳重な警戒を行っているという。これまた報道によると、アラブ系の移民に対する警戒感が高まっているという。デンマークはただでさえ、移民に対する警戒感情が高い国。これがきっかけとなり、根拠のない差別がさらに増加しても大変だ。

スウェーデンでは、現在「国政週間」ということで、離れ島ゴットランドで国政政党・地方政党・財界・労組による大きなシンポジウムが開かれているが、テロの直後に、各党の党首が声明を発表した。一番印象深かったのは、自由党の党首。「テロは憎むべきものだ。しかし、イスラム教とテロとを直接結び付けるべきではない。イスラム教そのものがテロを志向していると考えるべきではない」と言った。これは当然の話で、キリスト教徒の中にも、仏教徒の中にも行き過ぎた行動を起こすものはいるはず。だから、集団全体にレッテル張りをするべきではない、ということは分かりきっている。でも、こういう事件が起こるとこの当然のことを忘れがちで、感情的な反応を起こす者が少なからずいるのは残念だ。9・11テロの直後にはストックホルムでもイスラム教寺院(モスク)に放火する騒ぎがあったりした。

さらに残念なのは、ちょうど今イギリス(正確にはスコットランド)で開かれているサミットの焦点がどうしてもテロ対策にズレがちになったことだろう。サミットの本来の焦点であった温暖化対策は、遅れを許さない重大な問題だったのに。それにしても、これまでの見解を一転して「地球温暖化はやっぱり起こっている」と認める発言をした米大統領が、それでも京都議定書には参加しない、と突っぱねているのは理解に苦しむ。「現在を”Post-Kyoto era”と捉えて、各国が協力し合っていくべきだ」って発言、一体どういう意味?
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テロのおかげで、いいニュースが忘れ去られている。ロンドンが2012年のオリンピックの開催地に選ばれたのは、ほんの数日前のこと。パリとロンドンとニューヨーク(とあとどこか)が最終的に候補として残ったのらしいのだが、ニューヨークが候補地から外された後、それまでニューヨークを支持していた者がロンドン支援に回ったらしいのだ。もちろん、この背後にはイラク戦争だのテロとの戦い、うんぬんで、アメリカ・イギリス同盟vsフランスの構図があったようだ。せっかくのスポーツの祭典なのに、そこに醜い国際政治を巻き込まなくてもいいと思うが・・・。

個人的には、まろやかな言語とマイルドなメンタリティー、という印象を私が勝手に持っているフランスのほうに勝って欲しかった。でも、考えてみればそもそも、開催地の選考っていうのは、どのように行われているのだろう。その町や国に資金と設備が整っており、実際にオリンピックの開催が可能であるかどうか、というような最低水準の基準は満たされなくてはならないにしても、先進国であれば、当然そんなこと満たしているはず。そんな中で、相手を押しのけてオリンピック委員会の人気を勝ち取ろうとするからこそ、選考プロセスの不透明性が問題になったり、賄賂疑惑が出てくるのだと思う。いっそのこと、クジ引きにしたらどうかと思う。そうすると、ダメもとでいろんな都市が名乗りを上げることになって収拾がつかなくなるかもしれないが、例えば、候補地として名乗りを上げるためには、一定の額のお金を上程せねばならず、くじ引きで外れたとしても、お金は返済されず、そのお金はオリンピック開催の事業費に回される、というシステムにするとかね。でも、こうすると経済的に不安定で、上程金を拠出できない国が不利になるかな・・・。

おつりの計算の国際比較

2005-07-06 01:16:55 | コラム
日本人が算数に強い一例として、日本人はおつりの計算を即時に引き算でやるという話を聞いたことがある。例えば、25円の物を買うために100円を払ったとしよう。日本では普通、100-25=75を暗算でして、おつりの75円を払い戻す。西洋ではどうするかというと、引き算はせずに、25円にいくら足したら100円になるのか、という足し算をする。つまり、5円玉を取り出して「30円」と言い、10円玉を二枚取り出して「40円」「50円」と言う。最後に、50円玉を取り出して「100円」と言って出来上がり。取り出した硬貨を最後にまとめて、おつりとしてお客さんに渡すのである。足し算だと引き算ほどの暗算能力は要求されない。スウェーデンもレジを使わずに簡単に済ますときは、たいていこのやり方だ。

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この夏は本当に快い日が続いている。今日、友人とヨンショーピンの小さな波止場へ行って、アイスクリームを買って食べた。店番をしていたのは、高校生くらいの女の子。12クローネのアイスを買って、100クローネ札で払ったら、小額のお札と硬貨でおつりをくれたけれど、よく見たらピッタリ100クローネあった。

ハハーン! この子は多分、12クローネから足し算を始めるところを、うっかり0クローネから100クローネまで足し算してしまったんだろう。日本のように、暗算で引き算をしていれば、ほとんど起きそうにもない間違いじゃないかな。

指摘しようと思ったものの、はては、何かのサービスかもしれないと思って、素直に「ありがとう」と言ってもらっておくことにした。

いろんな話題 ごっちゃ混ぜ

2005-07-02 07:58:34 | コラム
今日は朝から自転車の修理。後輪にガタが来ており、本当は応急処置をして30km離れた町の顔見知りの自転車屋さん(チェコ人)を自転車で訪ねようと思ったものの、応急処置すらできず、仕方なく、外した後輪を片手に電車に乗ってその町まで行った。解決手段の候補をいくつか挙げてもらった上で、結局は後輪まるごと取り替えることにした。帰りは、代わりに新しい後輪を片手に再び電車で帰ってきた。

帰りると間もなく、そのおじさんから電話があり、これから夫婦でヨンショーピンまで出る用があるけど、後輪の取り付けの際に素人では調整が難しい部分があるから、ついでに自転車ごと見てやってもよい、とのこと。もちろん、お言葉に甘えて無料メンテナンスをしてもらった。顔見知りになると、こういう時にいいことがある。

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帰りのその電車の中で、かつてのクラスメートに会った。3年も前に、彼女は僕の学部論文の討論者を担当した。スウェーデンの経済学部における論文発表では、まず執筆者が20分ほど、論文の中身を発表したあと、あらかじめ論文に目を通したopponent(討論者)がコメントを加える。その論文の優れた点、悪い点、改善すべき点などを指摘するのだ。批判されたそれぞれの点について執筆者は随時、自己防衛に努力するか、それが無理ならその批判を受け入れる。それが30分から1時間続く。その後、指導教官(通常二人)がコメントをする(場合によっては、執筆者と討論者の応戦に既に加わって、コメントをし尽くしていることもある)。会場には、発表を聞きに来る学生も同席しており、議論にも加わる。この論文発表の後、執筆者は手直しを加えて、最終的に論文を提出する。

こうやって書くと、ものすごい活発な議論が展開されると思われるかもしれないが、opponent(討論者)の力不足で、論文に対する批判的な評価がほとんどなされない場合もよくある。特に、自らの関心分野と異なる分野の論文に対する討論者として割り当てられた場合は、なおさらだ。そんなときによくあるのが、論文の中身に批判的評価を下すかわりに、スペルミスだとか文法ミスだとか、レイアウトや章立てのカッコのワルサばかりを批判すること。これらの批判の中にも、論文の改善のために重要なものはあるのだが、そんな批判だけではつまらない。執筆者は長い時間をかけて調査をし、論文を書き上げたわけで、もっと建設的な批判を期待している(もちろん、嵐を起こすことなく論文発表を済ませて、さっさと提出してしまいたい学生もなかにはいるが)。

私の論文の討論者であったこの女の子もそうで、中身に対するコメントがしにくかったのか、別の女の子に援軍を頼んで、二人がかりで私の英語がダメだ、文法ミスだ、語彙のミスだと、散々にけなしてきた(中身に対するコメントは一つもなかった)。鬼の首を取ったように勝ち誇って私の英語ばかりを批判するものだから、指導教官も、もう十分、と冷や水をかけざるを得なかったほどだ。

その直後は、憎しみにも似た怒りを覚えたものだが、その女の子二人はそれからしばらくして、頼んでもないのに、私の論文の英語を最初から最後まで添削して返してくれた。それをよく見てみると、今まで気づかなかったミスがたくさん指摘されていることに気づいた。ある特定の名詞は抽象的な意味合いでも常に冠詞が必要なこと、定形・不定形の使い分け、動詞の時制、主節と従属節の関係、ボキャブラリー選択のミス、もっとこなれた表現など、その添削を読むだけで、いくつも新しい発見があった。

苦い薬ほど効き目がある、というように、そんな苦い経験がいい薬になって、それから、彼女らのアドバイスが良かったおかげで、私の英語もそれから少しは上達した気がする。そのときの発見は、私の英語の改善だけにとどまらず、それと同時に続けてきたスウェーデン語の学習にも大いに役に立った。やっぱり、同じインド=ヨーロッパ語族、ゲルマン語系とあって、例えば冠詞の使い方や定形・不定形の区別など、文法の基本構造にはスウェーデン語と英語の間に多くの共通点があるのだ。(ところで、最近感じるのはスウェーデン語と反比例するかのように、英語の力が落ちてきていること。そろそろ鞭を再び入れる時が来たか?)

電車で会ったその女の子とは、近いうちにフィーカ(お茶する)しようと約束して別れた。ちなみにこの子は、両親がチベットから来ている。第二次大戦後に中国がチベットを侵略した際の紛争で、両親だかその両親だかがスウェーデンに難民として逃れたのだそうだ。それにしても、チベットの人はアジア人の中でも一番日本人に似ているのではないかと、思うことがある。彼女も日本人といわれたら、信じてしまいそう。言語学者の誰かで、日本語 チベット起源説、を唱えた人がいたように思うけれど、あながち間違いではなかったりして。

携帯マナー

2005-07-01 04:59:59 | コラム
スウェーデンの最有力日刊紙DN(6月30日)に掲載された私の意見記事。もとの原稿はこれよりも少し長かったものの、新聞編集部が短くしてしまった。そのオリジナルのほうを和訳してみます。

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携帯マナーを議論する時機にきたのではないか

電車を使って日々通勤する私としては、通勤時間も有効に利用したい。電車はバスに比べて快適だ。読み物をすることができるし、勉強したり、ただ単に居眠りをすることもできる。しかし、快適な列車の旅も、他の乗客の携帯呼び出し音やおしゃべりに妨害されがちだ。

予期しなかった雑音に苛立たせられながら、会話の中身を聞かされる。一部の会話は短いものだ。多分、何か重要な会話だったんだろう。一方で、永遠に続くおしゃべりには我慢できない。 数分にわたる会話の後にこう続く。「… じゃあ、またね。… そうだ、ところであれはどうだった?…」そして、再び永遠に続くのだ。それでもスウェーデンの脆弱な携帯電話網のおかげで、列車上の携帯での会話はよく途切れてくれるので、私は少なくとも少しの間は再び快適な時間を楽しむことができる。

私は、列車の中がシーンと静まり返っていないといけない、と言いたいのではない。乗客間の普通の会話はそれほど気にならない。どうしてだろう? 携帯で話されると、電話の向こう側の人が何を言っているのか分からないので、盗み聞きしていても面白くないからだ、と主張する人がいた。会話の中身がはっきり分からないので、盗み聞きしている側はおしゃべりの内容を推測しなくてはならない。そのためには余計な集中力が必要になる。それで、苛立たされる、というわけだ。

これは確かに面白い仮説だ。しかし、本当の原因はむしろ、携帯で話すときにどうしても声を張り上げてしまうから、ということではないだろうか。周囲に気を使うことなく、我がもの顔に叫んでいる人も中にはいる。

もう一つの問題は、携帯の呼び出し音だ。最先端技術によって近年では手の凝った多重和音のメロディーが選べるようになった。そして、それが必要以上に耳障りなのだ。もしも、誰かが列車にラジカセを持ち込んで、高音量で音楽を流したとしたら、他の乗客は注意するだろう。それなのに、なぜ高音量の携帯呼び出し音にはみんな我慢しているのだろう? それに、そもそもそのようなメロディー機能が必要なのかも疑問だ。だって、目的は音楽一曲をそうやって聴くことではなく、誰かが電話してきたときに素早く出ることなのだから。

最新技術を駆使した携帯電話やアクセサリーにつけては、日本がたいてい最先端を行く。カラー液晶や多重和音の携帯電話にしたってそうだ。でも、ペースメーカーへの配慮やエチケットの考慮のために、日本では列車内では電源を切るか、マナーモードにしなければならない。日本発の最先端機能が、本家ではなく、それを輸入した外国で際限なく使われているのは、皮肉な話だ。スウェーデンでも携帯の使用に関するエチケットや、場合によっては禁止という措置をとることも議論するときに来ているのではないだろうか。」

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スウェーデンでの公共の場での携帯マナーの悪さには、もう辟易していた。春に受講していた「スウェーデン語B」の中で、主張・議論の論理立て、という学習項目があり、その際にこの文章を書いて提出したところ、先生によい評価をもらったので、試しに新聞に送ってみることにした。

意見記事が新聞に掲載されたのは以前にも数回あるが、DNほどの大きな新聞に載ったことはまだなかったので、驚き。さあ、他の読者からどんな反応が来るのか? 賛同してくれる人、それとも、お前みたいな神経質なやつはスウェーデンでは生きていけないぞ、と言われるのか・・・。

その日の夜、23時台の最終列車でヨーテボリから戻るものの、途中の乗換駅から私の乗る車両に誰も乗客がいなくなってしまった! 乗客は十数人いたのに、みな別の車両に乗ってしまったようで、40分ほど私の貸しきり状態だった。もしかして、みんな私の意見記事を恐れて、私と同じ車両に乗るのを避けたのだろうか・・・? すごいタイミング。


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