「The Game Awards 2024」リアルタイム更新まとめ。『エルデンリング NIGHTREIGN』や『大神』新作、『ICO』や『ワンダと巨像』の上田文人氏が手がける新作も発表
はじめに 前回に引き続き、現在〈ゲームの哲学〉研究会*1で読み進めている『デジタルゲーム研究』のコメントを紹介する。今回扱った3章は筆者の提示した概念や理論を整合的に理解するのが困難で、読書会で意見を出し合ったものの、それでも十分に解明されなかった*2。今回は読書会でのコメントを紹介すると言うよりは、読書会の内容を踏まえて筆者の主張を僕自身の手で再整理することがメインとなる。 概念・理論関係 ここでは筆者が提示した概念・理論を整理し、僕の手でどうにか頑張って整合的に解釈することを目指す*3。 キャラクター、アイコン、オブジェクトの整理 キャラクター:スクリーン上で視覚的に認知される画像(イメージ)。 キャラクターはアイコンであり、オブジェクトでもある。 アイコン:それ自体とは別の何かを指す「記号」。 アイコンはスクリーンの外*4にあるものを指し示す(マリオのアイコンはパッケージや実写映画の
はじめに 『The Aesthetics of Videogames』に収録されている論文の一つ。ここでの「物語(narrative)」は小説や映画などの一連の出来事を表象するモノや行為を指している。全体的な議論の流れとしては、Gautの議論を参考にプレイヤーが語り手である主張を最大限擁護しつつ、それでも意図の観点からプレイヤーは語り手にならないという結論が下される感じ。 僕が要約を書くと長くなりがちだが、この論文については特に長くなってしまった。なので、今回は要約をさらに短くした要約と論文全体に対するコメントを載せ、長い方の要約と細かいコメントは後日別の記事で書くことにする*1。 要約(の要約) イントロダクション ビデオゲームの多くはフィクションであり、フィクションであるビデオゲームの多くはインタラクティブな物語である。そのようなビデオゲームでは、プレイヤー*2はゲームプレイを通じてそ
murashitさんによる以下の『ビデオゲームの美学』紹介記事への反応です。 わたしたちが『ビデオゲームの美学』を読むこと - 青色3号 Twitterで書いたように、書評も含めてこれまで見たものの中でもっとも正確かつ詳細に、それも著者の意図を十分に汲みつつ、当の本をまとめている文章だと思う。大変ありがたいです。 記事の最後で第12章の「シミュレーション」についていまいちわからない点があるという指摘がされている。自分でもきちんと書けていなかったところだという自覚があるので、こういうつもりで書いたというのを少し補足しておきたい。正直あまり自信がないので、補足を踏まえてもやっぱりちょっとおかしいんじゃないかというつっこみはあるかもしれない。 前提 murashitさんの記事を読めばポイントはおおむねわかるが、あらためて第12章の前半で「シミュレーション」がどんな概念として導入され、特徴づけられ
最近の投稿 日曜日のプレイリスト #008 2024/03/24 [書評]川上幸之介『パンクの系譜学』(書肆侃侃房、2024年) 三宅唱監督「夜明けのすべて」を見た(ネタバレあり) 日曜日のプレイリスト #007 ユリイカ2024年3月号 特集=柴田聡子 に寄稿しました 最近のコメントなんとなくPython入れ直したらSpleeterがうまく動かなくて困ったけどなんとかなった話とおまけ に 耳コピ/ボーカル抽出が捗る!Spleeterの使い方 – YTPMV.info より読書会をやった に ポプミ会報告(大和田俊之編著『ポップ・ミュージックを語る10の視点』より永冨真梨「カントリー・ミュージックの新潮流と多様性」) – imdkm.com よりヨルシカ「創作」の販促のあれ に ryuto よりヨルシカ「創作」の販促のあれ に imdkm よりヨルシカ「創作」の販促のあれ に ryuto
【11月28日 東方新報】中国各地の都市でこの秋、若者を中心に「かくれんぼ」が流行した。 まず、数十人が夕方から公園に集まり、抽選で「ネコ」と「ネズミ」に分かれ、腕に蛍光リングをつける。ネズミ役が10分ほどの時間で隠れると、ネコ役が一斉に捜索を開始。中国の衛星ナビ「北斗(Beidou)」や地図アプリ「高徳地図(Autonavi)」を使い、それぞれのスマホにネコとネズミのマークが登場する。その位置情報を頼りに、追いかけっこを繰り広げる。 ネコ役は数人程度から始まる。ネズミ役をつかまえると、蛍光リングを手に入れることができる。つかまった「ネズミ」はその後「ネコ」に代わり、他のネズミ役をつかまえにいく。1時間ほどでタイムアップとなり、蛍光リングを最も多く手にした人が「ネコ王」、最後までつかまらなかった人が「ネズミ王」となり、ぬいぐるみやサーモスタイプの水筒などの賞品がプレゼントされる、といった具
発表スライド:https://drive.google.com/file/d/1eceT5cVtBM7bu-VQoKyNiME4HXC8GMND/view?usp=sharing 発表原稿*1:https://drive.google.com/file/d/1Mx5xcOr_R3dxP10denRaBz1Mp1TbdFKl/view?usp=sharing 0. はじめに 11/17に立命館で行った発表会の反省会。 発表自体は修士論文と今年の『REPLAYING JAPAN』の内容をまとめて多少追加しましたくらいのもので、新規性はそんなにない。ただ、対面で実際に意見を交わす中で、自分の直感がどこまで共有可能なのか、自分の理論がどこまで説明できるのかがある程度はっきりしたので、発表して良かったと思う。 あと、参加者の方からいただいた質問やコメントもどれも的確で、聞いていてすごく嬉しかった*2
デジタルゲーム研究 作者:吉田寛東京大学出版会Amazon 本書の構成は下記のとおり。あとがきでも触れられているとおり、カテゴリに分けられつつ、それを超えて全体におおむねクロノロジカルに並べられた論文集。なお、第1章の初出は2008年である。 序——ゲーム研究とはどういうものか I:知覚と認知——プレイヤーはゲームをどう感じるのか 第1章:スクロール 第2章:視点と空間 第3章:ゲーム空間の記号学——二重化する知覚 II:ゲームプレイ——プレイヤーはゲームをどう遊ぶのか 第4章:ゲームプレイと他者への信頼 第5章:カウンタープレイ——ゲームに抗うプレイヤー? 第6章:ゲームと公平性——社会革新としてのプレイ III:メディア——コンピュータで遊ぶ/コンピュータを遊ぶ 第7章:プレイヤーとキャラクター——ゲームにおける死の問題 第8章:メタゲーム——自己批評するゲーム 第9章:メディアとして
松永 伸司 視覚表現の一つである「ピクセルアート」は、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っています。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」一つのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつあります。この連載では、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介してきました。第3回は、物語表現上の人物表現の手法としてのピクセルアートの特徴と魅力を考えます。 連載目次 第1回 ピクセルアートとは何か 第2回 ピクセルアートと様式 第3回 ピクセルアートと人物表現 『To the Moon』(Freebird Games、2011年) ピクセルアートは想像力をかき立てる? ゲームライターの池谷勇人が書いているように1、「昔のゲームのドット絵は想像力をかき立てる(あるいは刺激する)ものだった」と
最近『ブルーアーカイブ』というゲームを再開して、メインシナリオを読んでいました。 実はこれがびっくりするぐらいあんまりにも良かったのでびっくりして、なんだか居ても立っても居られず、この度おすすめ記事を書くことにしました。 まだブルーアーカイブのシナリオを読み切っていない方の、後押しに少しでもなればいいな、と思っています! bluearchive.jp <この記事はこんな人に向けています!> 「今一応やってるけどシナリオ読むのが後回しになりがちで、生徒からのモモトーク通知たまりまくってるよ~」って思ってる(前の筆者みたいな)人 「前やってたけどゲーム部分がだるくて続かないよ~アニメとかにならないかな」って思ってる(前の筆者みたいな)人 「ブルーアーカイブってあれでしょ? エッチなバニーガールがいっぱい出てくるエッチなゲーム」って思ってる(前の筆者みたいな)人 正直わたしも先日インターネットを
「ピクセルアート」という視覚表現がある。ピクセルアートは、1970~90年代のビデオゲームのグラフィックの主流であったおかげで、「レトロなゲームのグラフィック」という含みを持っている。そのいっぽうで、近年では「古くて新しい」ひとつのグラフィック・スタイルとしての地位が確立されつつある。このシリーズでは、そうした現代の動向も含めたピクセルアートの特徴と魅力について紹介していく。第2回は、ピクセルアートにはさまざまなタイプのものがあることを示したうえで、その多様さを「様式」という美術史的な視点から考える。 『スキタイのムスメ:音響的冒剣劇』(Superbrothers & Capybara Games、2011) いろいろなピクセルアート 第1回では、ピクセルアートとは何かをはっきりさせた。簡単に言えば、ピクセルアートとは、〈正方形に類する形をした互いに大きさが等しいピクセルの集まりでできてお
Rayarkが開発するモバイル向け音ゲー『Cytus II』のバージョン3.0アップデートの配信が目前だ。2020年1月の時点で筆者(重田)は「(前略)新要素「CAPSO」はストーリー完結の予兆なのか? 」という記事を書いていたが、どうやら本当にストーリーが完結に向かっているようだ。本作の公式Twitterでは、明日、3月31日にバージョン3.0がアップデートすることをティーズしている。 バージョン3.0では追加のストーリーが実装されるほか、これまでなかったキャラクターボイスの実装がされるなど、かなり大規模なアップデートになっている。バージョン3.0の配信直前ということで、IGN JAPANではRayarkにメールインタビューを行う機会をいただけた。弊誌では台北ゲームショウ2020の生配信にてRayarkにインタビューを行う予定だったが、イベントそのものが中止になってしまった。そのため、メ
また『Cytus II』の話をしよう。このゲームが完結するまでは延々と推していくわけだから。 今回は本作の音楽を使った物語演出の妙を紹介しよう。主役となるのはNEKO#ΦωΦ(NEKO)とPAFF(Aroma)だ。メインストーリーでも重要なこの2人は本作では2つのシナリオを軸として扱われ、NEKOは新米コンポーザー時代、NEKO#ΦωΦはストリーマー時代、Aromaは歌姫デビュー時代、PAFFは歌姫として人気絶頂期のシナリオが展開する。そしてこの二人のそれぞれのシナリオはほぼ同一の時間軸で発生している。 今回紹介するのはNEKO#ΦωΦに収録されている『Sunday Night Blues』という曲を使ったとても効果的な演出だ。本楽曲は「療養中と言われている人気歌手PAFFの目撃情報?MONOが秘かに新曲発表?」といった設定の「Marvelous Mix vol.1」というソングパックに収
最近、早川書房から出たテッド・チャンの短編集『息吹』をちょくちょくと読んでいるのだが、その中に収録されている「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」という中編小説の中に出てくるエピソードが『Cytus II』に影響を与えているのではないかと思ったので簡単に紹介しておこう。 『Cytus II』に関しては私がしつこく絶賛して、各所で布教活動しているので、改めて詳しく紹介しないが、SFのストーリーを楽しみながらプレイするリズムゲームである。これだけだとなんか良くわからないと思われるかもしれないが、かなり素晴らしいできのゲームであり、世界観もキャラクターもストーリーもリズムゲームも圧倒的な出来である。詳しい紹介はこちらにまかせる。 さてテッド・チャンの「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は、ディジエントと呼ばれる学習型ペットAIの誕生とそのブームの収束を描いた作品で、AIに対する
台湾のRayarkが開発するモバイル向け音ゲー『Cytus II』。IGN JAPANの熱心な読者なら「しゃべりすぎGAMER」にて何度も話題を聞いて、気になっている人も多いだろう。本作はゲームプレイ自体は伝統的な音ゲーでありながらも、ストーリーやキャラクターを重視している作品だ。 しかも、ストーリーがただおもしろいだけでなく、ストーリーテリングの手法までもが光る内容だ。音楽とキャラクターの結びつき、仮想SNSを使ったストーリーテリングは、これまで音ゲーで物語と世界観を描くのを強調してきたRayarkの手法の集大成とも言える。 音ゲーに馴染みのないIGN JAPANの読者も多いかと思うが、そのストーリーテリングの手法を考えると音ゲーマーだけでなく、むしろストーリー重視のインディーアドベンチャーゲームが好きな人などにプレイしてほしい作品だ。とくにサイバーパンクに興味のある人は音ゲー未経験でも
『Cytus II』というゲームが好きだ。だいぶ好き好き言っているから、聞き飽きたかもしれないけど、これはもう愛してるというほど好きだと思う。 play.google.com このゲームはリズムゲームとノベルゲームを交互にやるような変なゲームではあるんだけど、それぞれ優れているのは当然として、どうしてノベルゲームの合間にリズムゲームをやらなきゃいけないのか(もしくは、リズムゲームの合間にノベルゲームをやらなきゃいけないのか)という明白な問題を抱えているような気がする。 普通の人にとってはそれはなんの関係もない、非本質的なつながりだからだ。「リズムゲームでノベルパートを開放して読む?なにそれ、面白いの?」 確かにそうかもしれない。だけど、やるとそうでもない。いや、少なくとも音楽を愛する人間にとってこれは必然的なんだと思わせるパワーと繊細さがこの作品にあるのだ。 しばらく、この理由をうまく説明
レポート:大阪成蹊大学トークイベント「ビデオゲームの世界はどのように作られているのか?――松永伸司『ビデオゲームの美学』をヒントに」(2019年8月31日) 去る8月31日大阪成蹊大学にて、『ビデオゲームの美学』書評会運営委員会主催、大阪成蹊大学芸術学部共催、弊誌フィルカル後援のワークショップ「ビデオゲームの世界はどのように作られているのか?――松永伸司『ビデオゲームの美学』をヒントに」が開催されました。参加してくださった皆様、ありがとうございました。この記事では、当日の会場の様子をお伝えしていきたいと思います。 最初に企画・運営の大阪成蹊大学の加藤隆文さんから、ワークショップの趣旨が説明されました(もうひとり企画・運営を担当されていた西條玲奈さんが体調不良のため残念ながら当日は参加できないこともあわせて告知されました)。このワークショップが企画に至った直接のきっかけは、昨年刊行された松永
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