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2017-02-12

JVC Kenwood が企業プロモーション・ビデオを作ってた

古巣の JVC Kenwood が企業プロモーション・ビデオ「JVCKENWOODancing」を作っていた。元同僚から教えてもらった。

横浜赤レンガ倉庫 1 号館 (公益財団法人横浜市芸術文化振興財団) との連携による企業・地域プロモーションとのこと。制作の経緯によると、

このたび「横浜赤レンガ倉庫1号館」から参画をご提案いただいたダンスの楽しさに触れる、「横浜赤レンガ倉庫1号館」という劇場を知る、地域と劇場がつながることを目的とした「企業・地域と劇場をつなぐ 赤レンガ・ダンスプロジェクト」は、当社が「JK3.0」で推進する「新たな企業文化の構築」への取り組みとの親和性が高いため、風土改革活動の一つとして位置付け、“社員自らが表現者(ダンサー)として出演する”企業プロモーションビデオの制作に至りました。

2017年 | ニュースリリース | 株式会社JVCケンウッド より引用

ビデオは 6 分 59 秒。楽曲は広瀬香美の「ロマンスの神様 2016」(新アレンジ)、ダンス振付は伊藤千枝。ビデオはニュース・リリースやダイバーシティページで観ることができる。YouTube にもアップするってニュース・リリースには書いてあったけど、2017-02-12 現在見つけることは出来なかった。

ビデオを見てたら元同僚の姿も見つけることができた。頑張ってるんだなぁ、と感概ひとしお。

2011-10-24

トラウマにしない 〜退職にあたって〜

十月上旬に JVC Kenwood を退職したのは過去記事の通り。休職期間満了ということで、書類上はトラブルなく退職が進んだと言える。けれど、ぼくの心の中まで円満だったかと言うとそうでもなかった。今日はそこら辺をまとめてみたい。

イライラの日々

2009 年 7 月に心のバランスを崩した (抑欝神経症)。ささいなことでイライラがつのる様になった。ぼく自身としては表に出さない様にしていたつもりだったけれど、隠しきることは出来なかったらしい。上司に指摘されたし、厳しいことも言われた。

病は気から、と言うように体調も崩れ易くなった。頭痛・腹痛・嘔吐感。特に朝の体調が良くない。遅刻することが一時期増えた。上司から「開発から外れて欲しい」とさえ言われた。戦力外通告を受けたようで大きなショックだった。

イライラと体調不良の日々の中、仕事は佳境を迎え、無茶なリクエストやミス (自分も含めて周りの人達も) も増えた。そして、唐突に休職へと入る。

トラウマにしないで欲しい

バリバリ働いていたのに、休職に入った途端、体が動かなくなった。何をするにも体が重い。音楽を聞いても楽しくない。本を読んでも集中力が続かない。4 か月近く、「一冊の本を読み切る」だけの集中力すら保てなかった。それだけボロボロだった体を、どうやら気合いだけで動かしていたらしい。体職して気合いが抜けたら、本来の疲れが表に出た... と。

この当時のぼくの心情は、会社への不信に満ちていた。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、を地で行っていた。

時を経て体調が良くなってくると、熱い怒りが冷たい憎しみに変わっていった様に思う。

その不信・怒り・憎しみは、今はもうない。

きっかけは退職を決めた (正確には「復職するにはまだ早い」というぼくと主治医の意見を言った) 時の上司の言葉だった。

会社を辞める人を見てきて思うことがある。それは辞めるきっかけになった原因・理由・トラブルをトラウマにしたまま次の会社に行ってしまう人が多いこと。安宅君にはそうなって欲しくない。

ガーンと目が覚める様な言葉だった。そもそも心のバランスを崩したのは大きな仕事をやったストレスが原因で、病気にならないよう自分をコントロール出来なかったのは痛恨事だけれども、結果には満足していた。会社に不信を持つ様になったのは、病気になった後の小さな小さな「嫌なこと」が積み重った結果だった。だから上司の言葉は的を射たわけではなかったのだけれども、それでも心に突き刺さった。

会社に不信を持っている状態。これこそ、今のぼくの「トラウマ」になっているのではないか?

会社不信の原因を一つ一つ思い返せば、自分の過失もあるし、過去のことと流してしまえるトラブルばかり。それらを積み重ねて大切に「トラウマ」へと変えようとしている。心の中のわだかまりが栓をして、嫌な思い出が流れて行かなかった。

そんな時の言葉だった。自分の殻を崩く様な言葉。何より、自分が持っている不信感が「トラウマ」になりかけていると気づかされたことが大きかった。明瞭な形を持たなかった「嫌な感情」に一つの名前がついて、認識した。そうした途端、トラウマを引きずることに馬鹿らしさを感じた。会社にとっても、ぼく自身にとってもメリットがない。

そうして、ぼくの中から会社への不信は薄らいでいった。

あとがき

生きてて嫌なことにぶつかることがあると思う。それがトラウマになってしまうこともある。でも、トラウマにしなくて良いことまでトラウマにしちゃってる人っているんじゃないかな?

ぼくの様に。

そんな人達にこのエントリーを書いた。ぼくを救ってくれた言葉を届けたかった。

心のことなので、読んでハイと納得できることじゃない。ぼくも、休職直後に同じ言葉を聞いていたら、この言葉は心に届かなかったと思う。こういう事を書いていたエントリーがあったな、と心の中に留めておいてもらえたら嬉しい。

おことわり

ぼくは複数の部署を移っているので沢山の上司がいた。また上司の上司も「上司」と一括りに書いている。本エントリーには、何度も「上司」という言葉が出てくるけれど、それは特定の一人を指すわけではない。悪しからず。

2011-10-21

JVC Kenwood を退職した

2011-10-06 (木) をもって、JVC Kenwood を退職した。

理由は休職期間満了。ストレスで心療内科に通い始め、2010-10-07 から休職に入っていた。一年間の休職期間が終了したけれど、職場復帰を果たせなかったので社則に則って退職となる。会社に不満を持って辞めたとか、悪いことして辞めさせられたとか、否定的な退職ではないのでご安心を (?)。

傷病手当金が半年ほど続くようなので (保険組合に感謝!)、その間は治療に専念するつもり。その後、就職活動に入ると思う。

3 年に渡る会社生活だったけれども、色々と学ばせてもらった。少し振り返ってみたい。

会社について

2007-04-02、ケンウッドに入社した。研修期間終了後、先行技術を開発する部署に配属された。以降 3 年間、部署名は色々変わったけれど、同部署にて開発を行なった。

2008 年 10 月、ケンウッドは日本ビクター (aka. JVC: Japan Victor Company) と合併。入社二年目にして一部上場企業同士の合併劇を内側から見る。社則の統一とかシステムの統合とか難題・課題の解決を図る姿を見ることができたのはとても貴重な体験だった。一番面白かったのは「社風の違い」かもしれない。ぼくは入社して日が浅いから、「新しい風」だなぁと考え方や意識の違いを受け止めた。古参の人達は戸惑っていたのかな?

合併に関して補足説明しておく。ケンウッドと日本ビクターは共同持株会社 JVC Kenwood ホールディングスを設立し、その傘下に入った。また、両社のカー・エレクトロニクス部門の人達を合わせて J&K カー・エレクトロニクスという新会社を作り、これを日本ビクターの子会社とした。この時点で JVC Kenwood ホールディングスが一部上場。ケンウッドと日本ビクターは一部上場を廃止した。この関係は、NTT などによく見られる。NTT の場合、日本電信電話株式会社 (NTT) という頭がいて、その下に NTT 東日本・NTT 西日本・NTT ドコモという大きな会社が在る。

2011 年 8 月。JVC Kenwood ホールディングスは商号を「JVCケンウッド」に変更。続いて同年 10 月 1 日。子会社である日本ビクター、ケンウッド、J&K カー・エレクトロニクスを合併。ここに日本ビクター、ケンウッドという長年続いた社名は消えることとなる (ブランド名は残っている)。

ところで、4 社合併が 2011-10-01。ぼくの退職が 2011-10-06。風の噂によると、ぼくは JVCケンウッド の「最初の退職者」になるらしい。嘘か本当か... そんなところで一番手を切っても、、、ねぇ。

携った仕事について

組み込みプログラミング

部署に配属されて、まずは課題形式で組み込みプログラミングを教えてもらった。一応プログラミングができること、組み込みプログラミングの経験はないこと、は伝っていたようで「組み込み」のイロハを集中的に教えてもらえた。配線図の見方、ポート開放、割り込み制御、タイマーの使い方 etc. 基本を学ぶ。最終的に I2C の汎用デバイス・ドライバーをフル・スクラッチから書いて、DAC 制御して音を鳴らして課題終了。

無線

課題終了後、(大人の事情で) 組み込み系のチームから無線機のチームへ異動 (といっても隣のチームなのだけど)。実機を動かす前のプロトタイプ・アプリを作成した。言語は C# で、初めて本格的にオブジェクト指向プログラミング、UML、デザイン・パターンに足を踏み入れた。オブジェクト指向プログラミングは C++ でかじった程度だったので、勉強になった。

無線機に馴染みがない人も多いと思うので、少々解説。当時のケンウッドの稼ぎ頭は業務用の無線機だった (アマチュア無線ではないよ)。業務用無線機とは何か? 一番身近で見られるのは、ヤマダ電機の店員が使っている無線機。または、タクシーの運転手が本部との連絡に使っている無線機。通信周波数を決めて、一度に多勢と話すことができる。シビアなところでは警察官や消防隊員が使っている。映画「バックドラフト」のように、火の中・水の中を走り回り、救助作業をこなしても無線機は壊れてはいけない (ぼくはアプリしか担当しなかったけど、実機を作ってる人達は大変だぁ)。

Linux

日本ビクターとの合併でチームが再編。Linux カーネルを担当するチームに配属された。アプリ開発の様な自由さはないものの、ほぼ完成された OS のソースコードを見ていじることが出来たのは大きな財産になったと思う。

サーバー管理者

チーム再編の頃から、日本ビクターの先行技術開発の人達と一緒に働くことになる予感があった。当時、開発チームは秘密主義体制で、開発データをなるべく外に出さないようにしていた。ケンウッド一社の時代は、インフラの専門部署にその旨を伝えれば良かったけれど、日本ビクターと合併したとなるとそうはいかない。何故ならインフラの整備が終わっていないから。でも、インフラ整備が終わるより前に、日本ビクターの人達との合流はある様に思えて仕方なかった (その予想は後で図に当たる)。そこで、専用サーバー機の購入を上申した。

アカウント管理を行なう LDAP、ファイル共有を行なう Samba、SCM の集中リポジトリーの作成、この他、Apache や BTS の導入を行なう。しかし、今だから白状するけれども、当時のぼくはサーバーを作ったことがなかった。一番簡単とされる Samba や Apache すら自宅マシン (Linux) で動かしていなかった。それなのに、よくもまぁ LDAP サーバーを作りましょうなどと... 当時は周りに「大丈夫ですよ」などと言っていたが、背中には冷汗をかきまくっていた。

サーバー機は無事購入され、ぼくは自身初のサーバー導入者・サーバー管理者となった。案ずるより産むが易し? 初めてずくしだったけれど、大きなボロは出さずにサーバー管理が出来たのではないかと思う。サーバーの管理は休職前まで通常業務と平行で行なっていた。

企画

新商品の企画がまとまらない、という。で、技術系のブログを書いてて (特に社内で隠してはいなかった)、「ギークを目指す」なんて大口を叩いているぼくに白羽の矢が当たった。IT 系の新風を吹き込んで欲しい、という狙いだったのだと思う。

現場に入ってみると、上からの要求が厳しい。その要求を満たしつつ、ユーザーが使いたいと思う商品を作り出す。無理じゃないか? そこで上の要求を一部逸脱する様な企画をいくつも立てた。同時に、上の要求を全て満たすことがどれだけ困難かを説くプレゼンも行なった。当時のトップはロケフリの前田さんだったが、ぼくの意見は通らなかった。逆に企画チームに檄が浴びせられた。

「これは大変なことだよ。とても難しいことは私も分かっている。そこを承知で、無理を言う。何とか企画を作ってくれ」

月日の経ったことだから、言葉は憶えていない。でも大意はこんな感じだったと思う。

ぼくは上は要求の難しさを分かっていないんじゃないかと思ってた。侮っていた。でも違った。ちゃんと要求の難しさを理解していた。その上で、ぼくらを信頼して企画を作れ! と言う。ならばその信頼に応えなくては男じゃない。それから一か月、本気で企画を考えた (ストレスで体調を崩したのはこの直後)。

企画は通った。

アプリ開発

企画が通ったあとは、細かな仕様を決める。その作業の合い間、アプリを開発するチームへと戻された。途中まで仕様と開発の二足のわらじをはいていたけれど、重点は少しずつアプリ開発へと移していった。もともと開発が好きだし、開発に戻る約束で企画に携っていたので、開発に戻れて嬉しかった。

アプリはバリバリのオブジェクト指向の Java で書いていた。比較的チームの縛りが緩かったので、アジャイル開発を試してみた。実際にやったのは TiDD と短いリリース・サイクルだけだけど、実感は良かった。途中、3 人のチームになって共同開発した時期もあって、その時はぼくのやり方に従ってもらった。最初は戸惑い。後半は好評だったと思う (そう信じたい ^^;)。

ぼくの担当していたアプリは、大人の事情で開発中止となり、別アプリの開発に移った。その開発を開始して少しして、ぼくは会社を休職した。

休職から退職

病名は抑鬱神経症。外因性のストレスが原因らしく、鬱病に似ている。

ぼくは 2009-07-01 に病気になった。企画の仕事にのめり込みすぎて、休むべき時に休まなかったのが原因だと思う。主な症状はイライラ。イライラの度合いが増すと頭痛・腹痛・吐き気。

通院を始めて比較的落ち着き始めた頃、アプリ開発が忙しくなった。そして気がつけばワーカ・ホリック (仕事中毒)。残業を重ねていないと不安でしょうがなくなった。産業医に、残業を止めるか休職するか、と問われて休職を選択。2010-10-07 から休職開始。

ぼくに与えられた休職期間は一年間。正確には、復職準備期間というのが休職期間に含まれていて、復職できるかどうかの意思確認・担当医承認が数か月前に入る。担当医と相談して、まだ厳しい、ということで相方同意したので、復職に至らず休職期間の満了を迎えた。

あとがき

たった 3 年ちょっとだったけれど、JVCケンウッド (旧・ケンウッド) での生活はとても凝縮されたものだった。会社の合併なんてそうそうお目にかかるものじゃあない。開発では組み込み・Linux カーネル・アプリと幅広い開発に当たらせてもらった。サーバーの管理を導入から行なえたのも得難い経験だった。本当にありがたい。

2009-06-20

「Soundgirl - 音響少女 -」発売記念ピュア・オーディオ体感イベントに行く

今日、会社でこんなチラシを渡された。

この度は「Soundgirl - 音響少女 -」をお買いあげいただき、誠にありがとうございます。

皆様にピュアオーディオの世界をさらに楽しんでいただくため、「Soundgirl - 音響少女 -」発売と連動し、本誌に掲載したシステムを実際に試聴出来るイベントを、下記の日程で開催する事となりました。

(以下、略)

どうやら、行って来い、ということらしい。

イベントの概要は下記の通り。

リンク先の解説を読んで、少し状況が飲みこめた。「Soundgirl」という同人誌が出版されたらしい。この本は、「萌え」と「オーディオ」を融合 (?) させた同人誌らしい。で、この同人誌に載っているオーディオ・システムを実際に試聴できるイベントを開催する、と。

試聴用に用意される機種は 4 つ。

  1. LUXMAN NeoClassico
  2. SONY System501
  3. tangent HiFi200 + Clarity4
  4. KENWOOD K series

LUXMAN の NeoClassico というと、ぼくが初めて欲しいと思ったオーディオ・システム (丁度 2 年程前のこと)。懐かしい名前を思わぬ所を目にするなぁ。SONY のシステムは知らないや。tangent。同メーカーのインターネット・ラジオ専用機をこのブログで紹介したこともあった。日本メーカーの中に一つだけデンマークの会社が入っているのね。何か不思議。最後は KENWOOD? 何だ、ぼくの会社じゃないか。なるほど、だから行って来いと...

試聴には予約が必要らしいけど、明日は何時に秋葉原に着くか分からない。満席じゃなければ予約なしでも聞けるらしいので、それに期待してフラリと寄って来よう。ちなみに、かかる曲はアニソン・ゲーム音楽とのこと。

帰る直前。再び声をかけられた。担当者の一人を紹介された。今回のイベントへの想いを聞く。曰く「オーディオのイベントを地方に行って開いても、来る人はオーディオ好きなリピーターばかりで、新規の人間がなかなか来てくれない」少しでもオーディオに興味を持つ人を増やせたら、と思っているらしいけど「AV ウォッチくらいにしか告知が出ていないので、どれ位い人が来てくれるか不安だ」と。というわけで、もし、土日に秋葉原に寄ったらこの記事を思い出してくれるとちょっと嬉しい。

関連本

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2007-04-02

ケンウッドに入社しました

本日、2007 年 4 月 2 日、株式会社ケンウッドに入社した。配属が決まるのは新人研究の後だけど、個人的にはソフトウェア開発を志望。ウェブ開発なんかが出来れば、なお嬉し。Linux を触れれば文句なしだけど、そこまで上手くいかないでせうね。個性ばっかりが立って、周りの人達に迷惑ばかりかけそうな予感。とりあえず、目指せケンウッドの Robret Scoble ということで ;p

さて、近況をもう一つ。ここしばらく当ブログの更新ペースが落ちているのは、ケンウッドの寮に入って、ネット環境がまだ構築できていないのが主な理由 (忙しくはないんだよ!)。しかも、研修に入ると更にネットに繋がらなくなるかも。やばい。本格的に何かしらのネット環境を用意しないと、ネット無人島状態になりかねない。

とりあえず、10 万位いのノート・パソコンに Linux を入れて、PHS の定額料金で遅〜い回線を手に入れようかしらん。H" がいいのかな? Wilcome がいいのかな? スタバとかで WiFi を出来るようにしといた方がいいのかな。っと、WiFi は Linux で動くのか? そういったことをネットで調べようにも、肝心のネット環境がまだ出来てない! ネット・カフェに入り浸るのも、お金がかかるしねぇ。妙案あれば、コメント下さい。

就職したらブログの更新頻度は落ちるだらうと覚悟してたけど、ネット環境が揃えられなくてそうなるとは思わなかったよ!!