子供が純真で素朴であるというのは大人の思い込みに過ぎない。大人の目の届かない子供の世界は、一種の野生状態であり力と駆け引きがもの言う世界である。いじめ事件関連のニュースが報道されるたびに、「昔はこんな陰湿ないじめはなかったね」と言っているお父さんやお母さんには特に読んでもらいたいと思う。いじめが陰湿なのは周囲から見えないからである。ある意味、いじめはいじめられている本人の中にしかないと言えるかもしれない。いじめている本人からも周りの人間からも単にじゃれあっているように見えても、はかり知れない屈辱をいじめられている側は受け取っている場合があるからである。
もしかしたら、それは本当に犬や猫がじゃれあっているのと同じ性質のものかもしれないのだ。人というのは所詮思い通りには生きていけない。子供の世界というのは、他者との緊張関係の中で、互いの力を推し量り合い牽制しながら、身の処し方を学ぶところなのだろう。その中でいじめは必然的に発生する。教育現場で事件が発生するたびに、関係者の「いじめはなかったと信じる」みたいな発言をよく耳にする。「なかったと信じる」では教育者として失格である。いじめは先ずあるという前提で臨むべきだ。
100%平等でみんな仲良しな学校生活が可能などという幻想を抱いていると、「私どものところにいじめはありません」という小役人的な物言いになってしまう。いじめは根絶できない。人間は不条理な生き物だからである。いじめいじめられながら、生きていくのはある意味「当然」なのだ。悲しいことだが、それが事実である。
「長い道」は作者の疎開という実体験によるものだという。凄絶ないじめを体験しながらも、その少年時代をある種の懐かしさのようなものにまで昇華させた(と、私は読んだ)傑作である。是非多くの人々に読んでもらいたいと願う。
南直哉さんは思想を仏教と仏教以外にまず大別する。それらを区別するためのキーワードが超越である。超越とは我々の経験や認識の範囲を超えるもののことを言う。例えば一神教の神様のようなものである。実存というのは規定するのは難しい。とりあえず、今感じている生身の感覚としておこう。
仏教は実存的な視点から世界を眺めることから始まる。そこに超越的なものを容れなければ、すべてのものに根拠がないことに気がつく。それが無常である。それを無常というのは定まった形がないからである。不断に流動しており、何かの形でとどまるということがない。常に過渡的かつ不完全で偶然的であるということが無常であるということである。
西洋には、世界は神が創り給うたものという思い込みが抜きがたくあり、したがってこの世界のすみずみまで神の理性が行き渡っていると考えられている。つまり、この世界は神の意図する超越的原理によって支配されているということなのだが、それを信じることができれば楽である。神の意図するところが真理であり善であるのだから、人はそれに従っていけばよいのである。
仏教徒はなかなかそういう訳にはいかない。目の前に無常が横たわっているが、その根拠は分からない。なすすすべもなく実存の不安におびえていなくてはならないのか? 仏教はそこで、その不安はその「実存」を実体視することからくるのだと説く。単なる関係性に過ぎないものを実体視しすることを無明と言い、それに執着することを煩悩というのである。実存を実体視する根拠は内在していないのだから、それは超越的に導入されたものに違いないと考えるべきである。すなわち無我であるということである。無我であることを知り、人は執着から解き放たれるというのが仏教の趣旨であろう。
人は「なんであれものごとにはそうである理由がある」という充足理由率という原理に支配されがちである。しかし、それも超越的な原理に過ぎない。超越を排除するということは、そもそも実存の根拠を問う理由がないということである。無常をそのまま受け入れる、そのような諦観に到達することが釈尊の説くところであろう。
以上のようなことを念頭に置いておけば、南師のいうところはすんなり腑に落ちる。南氏は「超越を排除」するという原則を貫くことによって、現職の僧侶としてはかなりラディカルなことを言ってのけている。この原則に照らすと、現在の日本の仏教というのはほとんどが釈尊の意図するところからは逸脱していることになってしまうからである。その徹底ぶりが小気味よい。まさに、「仏に逢うては仏を殺せ」と言うが、禅僧の面目躍如たるものがある。
第9章の「親鸞と道元の挑戦」における親鸞に関する論考は私個人にとっては最も興味深いものだった。末橙抄の自然法爾章の「弥陀仏は自然のやうをしらせん料なり。」を含む一節を引いて、親鸞が既に阿弥陀信仰から実質的に逸脱していることを述べている。素朴に考えればその通りなのだが、真宗教団が聞けば目をむくようなことを現職の僧侶が指摘する、これはなかなかインパクトのあることである。
最後に一つだけ注文をつけておきたい。163頁において、無門関第一則の「趙州無字」の「無」について「中国禅が老荘思想を背景に案出した、独自の超越的理念である。」と断じているが、いささか勇み足ではないかと思う。それでは禅門で最重要とされている公案が無意味なものになってしまう。私見では「無」は超越的理念などではありえない。哲学的に表現すると、それは「存在者ではない」ということそのことを指す。一般に、「世界は有る」とか「自分は有る」とか信じられているが、実はそれらは「金がある」とか「机の上にリンゴが有る」とかいう意味の「有る」とは同じ意味ではない。金が無かったり、リンゴが無かったりすることは考えられるが、世界が無かったり自分が無かったりすることは想定できない。
つまり、「世界」も「自分」も哲学用語でいうところの存在者ではないということなのだ、それは所与なのである。なぜか、この世界は私の世界として開けている。常にそうなのである。そうでないことは考えられない。そのこと自体を「無」という言葉で表現しているのである。決して特殊な心理状態や超越的理念などではない。映画で言えばスクリーンのようなものである。映画の中にスクリーンは登場しない、いわば「無」であるが、映画はその「無」の上に展開されるのである。
自分自身がなんであるか、肉体や感覚などの対象化できるものをすべて除外していったその先に到達するのが「無」である。そんなものあり得ないと言ってしまったら、この世界が私の世界として開けている、ということはなかったはずである。それは有るとも無いとも言えないが、とりあえず所与であると言っておこう。
美ヶ原にて (本文とは関係ありません)
われわれ日本人の多くは、「日本」というものが自然に成立しているというようなイメージをもっているのではなかろうか。もしかしたら、まだ日本列島に人が住んでいないようなときから、「日本は日本だった」ような感覚をもっているのではなかろうか。ヨーロッパのように頻繁に国境の変化があった国々とは国というものに対する認識が根本から違うような気がする。
しかし、この世界に固定的なものは一つもない。「日本」も自然にある地名ではなく、特定の時点で特定の意味を込めて、特定の人々の定めた国家の名前なのである。歴史を俯瞰するにはそのようなダイナミックな視点をもつ必要があることを、網野先生のこの名著は教えてくれる。以下に引用する。
≪ また「倭人」と呼ばれた人々は済州島・朝鮮半島南部にもいたとみられるが、新羅王国成立後、朝鮮半島の「倭人」は新羅人となっていった。このように「倭人」と「日本人」とが同一視できないことを、われわれは明確に確認しておく必要がある。
ここで再三の繰り返しになるが、あらためて強調しておきたいのは、「日本人」という語は日本国の国政の下にある人間集団を指す言葉であり、この言葉の意味はそれ以上でもそれ以下でもないということである。「日本」が地名ではなく、特定の時点で特定の意味を込めて、特定の人々の定めた国家の名前--国号である以上、これは当然のことと私は考える。それゆえ、日本国の成立・出現以前には、日本も日本人も存在せず、その国政の外にある人々は日本人ではない。「聖徳太子」とのちによばれた厩戸王子は「倭人」であり、日本人ではないのであり、日本国成立当初、東北中北部の人々、南九州人は日本人ではない。
近代に入っても同様である。江戸時代までは日本人ではなかったアイヌ・琉球人は、明治政府によって強制的に日本人にされ、植民地になってからの台湾では台湾人、朝鮮半島では朝鮮人が、日本人となることを権力によって強要されたのである。≫ (87頁)
網野善彦著「日本とは何か」 誰にも薦めたい、文句なしの名著である。