帝王と墓と民衆 : オリエントのあけぼの 三笠宮崇仁著 (カッパ・ブックス) 光文社, 1956.4 タイトル読み テイオウ ト ハカ ト ミンシュウ : オリエント ノ アケボノ
帝王と墓と民衆 : オリエントのあけぼの 三笠宮崇仁著 (カッパ・ブックス) 光文社, 1956.4 タイトル読み テイオウ ト ハカ ト ミンシュウ : オリエント ノ アケボノ
Online ISSN : 1884-1406 Print ISSN : 0030-5219 ISSN-L : 0030-5219
東京大名誉教授(社会人類学)の中根千枝さん(89)は1947(昭和22)年に入った東京大文学部で、研究生だった三笠宮さまと一緒によく同じ講義を受けた。 ほかの学生たちが遠慮がちに接するなか、中根さんは隣の席に座った。「宮さまが公務で授業を欠席すると、私が自分のノートを貸したり、私が遅刻すると、宮さまが『きょうはここまで』とノートを見せてくれたり。普通の友人のように接していただいた」と懐かしむ。 戦争に対する反省、一般の人々への接し方、そして学問への探求心――。三笠宮さまの振る舞いに対して、中根さんは「縛られない自由さ」を感じていたという。「それは、特別な地位にあったからであると同時に、精神の純粋さがあったからでしょう」と話す。 その純粋さは、言動にも表れた。 戦後、2月11日が「神武天皇即位の日」だとして戦前の「紀元節」を祝日として復活させようという動きに対し、三笠宮さまは歴史学者の立場か
衆議院議長謹話 三笠宮崇仁親王殿下には、本二十七日午前八時三十四分薨去されました。 天皇皇后両陛下をはじめ御近親の宮様方のお悲しみはいかばかりかとお察し申し上げます。 殿下には、古代オリエント史研究の第一人者として長らく大学で講義され、中近東文化センターの設立に尽力されるなど、学術の分野で大きな足跡を残されました。また、ご自身の戦争体験から、平和な文化国家を築くことにお心を砕かれ、レクリエーションやスポーツの発展に力を注いでこられました。私たちは、戦前戦後の苦難の時代を国民とともに歩まれた殿下の御意志を受け継ぎ、歴史の教訓を学び平和を希求する努力を続けていかなければならないと思います。 国民はひとしくそのお人柄に敬慕の念を捧げ、ご病気からの一刻も早い御平癒をお祈りいたしておりましたが、今この訃報に接し、深い悲しみにつつまれております。殿下の薨去は、まことに痛惜の限りであります。 ここに衆議
宮内庁の関係者によりますと、昭和天皇の弟で、天皇陛下の叔父の三笠宮さまが亡くなられました。100歳でした。三笠宮さまは、急性肺炎と診断されて、ことし5月16日から東京・中央区の聖路加国際病院に入院されていました。
三笠宮さまは2日、100歳の誕生日を迎えられました。明治以降の皇族で100歳を迎えたのは三笠宮さまが初めてです。 それによりますと、三笠宮さまは東京の赤坂御用地にあるお住まいの宮邸で健やかに過ごし、午前中、妃の百合子さまと一緒にテレビ番組の体操やリハビリ体操、それに重さ1キロのダンベルを使った運動を合わせて30分程度行うことを日課にされています。また、よく新聞を読み、テレビで大相撲や歌謡番組を見るのを楽しみにされているということです。天気のよい暖かな日の午後には、百合子さまと宮邸の庭に出て日光浴をしたり、車いすで赤坂御用地の中を散策したりしているほか、週に1回程度は御用地の外に出かけられているということです。 三笠宮さまは誕生日を迎えるにあたって、「100歳を迎えるからといって、これまでと何ら変わることはありません。世界中の人々の幸せを願い、また、70年以上にもわたり私を支えてくれている妻
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