[これはひどい]や[これはすごい]、[あとで読む] [business]とか[internet]とか[社会]みたいな一般的なカテゴリー分けネタ記事には[neta]、増田には[増田]、増田文学には[増田文学] (まんまやん)...辺りははまぁわかりやすいとして、 やや複雑なのだと、例えば、 デイリーポータルZの記事には[dpz]と[(ライター名)]のタグを付けるみたいな暗黙のルールってどんなのがあるだろう? なんか、こういう時にはこれ付けてるなー、っていうのがあったら教えて欲しい。
この記事の内容 初心者エンジニアの勉強には、タスク管理ではなく時間管理をおススメします。 勉強が負担に感じるのは、日々のノルマが原因です。 時間管理によって、勉強を負担なく続けることができます。 エンジニアの皆さん、『勉強』できていますか? 普段から空き時間を見つけて勉強している方にとっては、それは負担になるものではないかもしれませんが、私のように向上心が低く、仕方なく勉強している人にとっては腰が重たいものですよね。 ただ、その腰の重たさは考え方(やり方)ひとつで変わるかもしれません。この記事では、私が進んで「勉強をしよう!」と思えた『時間管理』の考え方についてご紹介します。 時間管理とは? 時間管理についてざっくり説明すると、「その時間内で、できる限り頑張る」という考え方です。学校の授業などがそうで、1コマ50分など時間が決まっていますよね。 社会人の勉強の場合、『1日1時間勉強する』な
企業病とでも言うのか、属人化を促す勢力と打ち合う人が自分だけになり自分から属人化の輪(身内)の広まる悲しき代表みたいなイメージは皆の中になんとなくあってほしい。まあ実演するのも役員の役目という身も蓋。 仕事観
<追記> コメントもらえたのが嬉しくて。あとすごい納得もしたので。 問題への解決策はそのタイミングでいくつもあって、 例えば具体的な解決策だったり、本人への気分転換の提示だったり、だたの共感だったり 多数あってどれも正解は相談者にしかわからないから、本当難しい。 でもそれでも相談者のためになればと思っていても、外れることが多い。 自身の未熟さ故なんだろうなあとわかるけど…。 今まで相談されるたびに傷つくことが多かったんだよな。 だからもう適当に受け流して終わらせたい気持ち。 <もう一つ追記> 自身のコミュニケーションのあり方についてハッとさせられたので 流れを読みながら会話を構築していく、というのが下手なんだわ。 予め準備する武器が一つで、何に対してもそれだけを繰り出す感じ。 上手な人は、相手を見ながら都度武器を変えてるんだろうな、その柔軟さが足りてない。 (コミュニケーションを武器に例え
最近感じてたことを吐き出す。 結論から言うと私は友人と(他人と)ゲームをするべきではない。一生1人でいた方が周りに迷惑をかけない、そう思った。 私が友人とゲームをするようになったのは大学に入ってからだったと思う。それまでは部活やら受験やらで忙しかったし唯一ハマってたのもPS3のバトルフィールドだった。そのバトルフィールドも1人で(クランも組まず)オンラインに篭ってたから昨今人気の「友達と協力して〜」みたいな遊び方ではなかった。 そんなわけで高校の友人に誘われて始めたスプラ2がVCを繋いで遊ぶ初めてのゲームだった。スプラを通じて新しい友人もできたしオフ会もどきに参加したりもした。まぁこのときから悪癖が発現し始めた気がする。 私は俗に言うTOXICな(暴言等を吐く)プレイヤーだった。冷静に考えればアホな話なのだが、私の中ではシューティングゲーム=BF3のノリで屈伸や死体撃ち等の煽り行為も日常茶
学生・受講生の「刺激になりました症候群」を引き起こしているのは、教員側の「何でもいいから書いときなさい病」ではないか!? 学生・受講生の「刺激になりました症候群」を引き起こしているのは、教員の「何でもいいから書いときなさい病」ではないか!? ・ ・ ・ 昨日、わたしは下記のような問いでブログ記事を書きました。 あなたの周囲では「刺激になりました症候群」や「ためになりました病」が感染拡大していませんか? http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/13350 この記事に対しては、ありがたいことに、予想以上に、様々な反響!? RTなどをいただき、心より感謝いたします。 ま、そのいくつかのコメントは、漫画「ついでにとんちんかん」の間抜作さんの挿絵が懐かしい、といったものでございました(間抜作は、簡単なので、図工2の、わたくしめでも描けます)。 これも、また微
あなたは信号待ちで「N」にする人? クルマの燃費を少しでも良くしたいということは運転したことがある人なら思うことかもしれません。 燃費を良くする行為として耳にするのが、信号待ちなどの停車時にAT車のシフトレバーを「D」から「P」もしくは「N」に入れるというものですが、このような行為はやめたほうがいいようです。 【画像】えっ! 給油口の中身ってこうなってるの!? その意外な構造を見る(18枚) ほとんどの国産AT車は、上から「P-R-N-D-LL(2/S/B)」という順番でシフトが配列されています。 Pはパーキングの意味で駐車時に使用し、Rはリバースとなり後退時に使い、Nはニュートラルとなりエンジンからタイヤへの動力が伝わっていない状態です。 Dはドライブを意味し、前進時に使用して、L(2/S/B)はローギアとなり、下り坂などでエンジンブレーキを強めに掛けたい場合などで使用します。 こうした
最近のオタクは、「沼」にハマったり、「神」に出会ったりして、心を大きく揺り動かされたという文章を書く。 それで同人誌を作ったり、SNSやブログでいかにとてつもないものに出会ったか熱く語ったり、あるいはそれゆえにコミュニティを離れたり、あるいはあまり積極的には書かれないけれども人を妬んだりして邪悪(と社会通念上言われる)なコメントを誰かにする。 でも、自分だけの大きな感情ってそこまで意味を持たなくない? 「自分の大きな感情」ってそこまで大ごとにするべきことなのだろうか。 例えば恋愛でも研究でも、自分の心を揺り動かされることがある。けれどもどこかで冷静にならないと形になっていかない。 恋愛関係を自分だけの情熱や感情で済ませますか? レポートや論文、学会発表で情熱の強さを語りますか? ビジネスを自分の情熱や感情だけで振り回しますか? なんというか、自分の感性や感情(の強さ)だけに担保される発想や
結論:それでも男女が恋愛してる創作物の事を「NL」って称すのは差別ですよ ※怒りに駆られてタイトルに「私にとってBLがNLだもん!」などと大分小馬鹿にした表現をしちゃってますが、正味な話「○○だもん!」なんてアニメキャラみたいな口調で駄々をこねてる人は私の脳内にしかいません。「NL呼びはやめて」という主張をしている人は、大分切実な動機でそれをやっていると察しています。 基本的に男性キャラ×女夢主の夢小説を書いてます。五年前までは「NL夢」って称してたけどアウトすぎる言い方だなと気づいたので「男女夢」と称するようになりました。ここのところのNL(男女CPの事でこの言い方は同性愛差別を孕んでるのでよくないことを知ってますが敢えてここではこう書きますね)とBLの棲み分け問題の論争を見ていて、過去の自分が大暴れしそうになっているので自分をカウンセリングするためにお気持ちの文章を書いてもいいですか?
口悪いのにスター付いてない奴って非表示されまくってるのかな ちやほやされたくて強い言葉を使ってるのに口悪くて人気のブクマカにはなれなかったんだな
りませんでした。 むしろ別に勝手にチュッチュブラブラやればいいじゃんぐらいに思うし、本家のYouTuberがそんなもんだからそこに仮想現実が混じろうがてめーらやらかすときはとことんやらかすだろうがという気持ちです。 まぁ、結局その一生モノの存在をちゃんと素晴らしい存在として確定させるつもりもないのに目立ちたいという気持ちだけでVTuberやってるとか、神経がバイトテロやらかす中高生並の神経なんだなぁと思いました。 だからアライさんは自分の中の人が割れてしまった時にどういう目に合うかだけ考えておいた方がいいんです。 中の人が裏事情を暴きながら生きようとしたらその時点でスター手に入れたマリオが来るぐらいに思ってればいいんです。 そのマリオが何歳かなんて考えなくていいです。 あなたが言葉を向けた存在も年齢不詳なんですから。 ピンポンダッシュに怯えて生きればいい。 お前みたいなのが存在してるからダ
「何となく科学的な説明」を聞いて、食物などの健康効果や美容効果を信じてしまうことは多い。だが、その「科学っぽい」言説はどこまで信じていいのか? 東京大学大学院で地球惑星科学を専攻、大学勤務を経て作家デビューし、ニセ科学の持つあやしい魅力と向き合うサスペンス『コンタミ 科学汚染』を上梓した伊与原新氏に聞いた。 物語化する科学 平昌五輪カーリング女子日本代表チームの選手たちが、地元北見で市民報告会に臨んだというニュースを見た。選手の一人は、「パフォーマンス以外の部分」に報道が集中したことに対する戸惑いを、涙ぐみながら口にしていた。 日本人研究者がノーベル賞を受賞したときも、同じようなことが起きる。報道は、授賞理由となった研究の中身についてではなく、受賞者の幼少時代や苦労話、妻の内助の功といったエピソードに終始する。 要するに、大半の人々は、科学的成果の正しい理解よりも、その背後にある“物語”を
上智大学で行われた脳科学者・中野信子氏の講義「脳科学と世界の中の日本」。芸能人の不倫や不祥事を過剰に叩くときに生まれる「シャーデンフロイデ」という感情と、それが共同体のなかで果たしてきた役割について解説しました。 関係ない人が「社会のために」攻撃を始める 中野信子氏(以下、中野):理想主義的要素が強い社会、というのを想像してみてほしいんですけれども。ちょっと窮屈じゃないですかね。 みんなが素晴らしい人間である社会とは、あなたも素晴らしい人間であることを強要される社会です。理想主義的な要素が強いというのは、裏を返せば、理想の姿ではないものはバッシングの対象になるということです。 例えば、ある不倫事件とか。週刊文春さんで話題になりました。でもきっと、これが配信される頃にはどの不倫事件かわからなくなっているでしょうね(笑)。それから、政治家のいわゆる「不適切な」発言など。糾弾するに値しないのでは
はてなユーザーもやはり人との交流に飢えているということだろうか。もはやインテリ気取りすら存在せず、群れてわーきゃー戯れたい大衆しか残っていない。由々しき事態だと私は思う。 たしかにアンケート増田という安易な交流手段によって手軽に孤独感を紛らわすのは気持ちがいいかもしれない。人と繋がっている気がするし、スターをもらえれば自分を認めてもらえたような気持ちになるだろう。しかしこういった行為は徐々にはてなユーザーからなけなしの知性をもぎ取っていく。ネット上で比較的知的なSNSというイメージのあるはてなだが、アンケート増田によって確実に知性が剥ぎ取られていっている。 アンケートの内容はどうだ。ほとんどがアニメ、漫画、映画、ラノベ、アニソン等々、オタク好みの話題ばかり。まるで専門性がない。大衆にヒットするというのは非専門的であるということだが、知的なSNSというスタンスのはてなでこの程度のアンケートし
Vtuberを黎明期から見てて、自分もVtuberになろうと思って色々と準備してて、デビュー目前までやったが問題と疑問が発生したので、結果的にデビューするのは辞めて今に至る。 問題の方は、割とありがちな資金面の問題。だがこっちの問題はシンプルな話なので取るに足りない。 重要なのは疑問の方だ。Vtuber側とファン(リスナー)側の問題だ。 Vtube側に関しては、よく見ている人なら分かると思うが、生配信がメインで基本的に雑談とゲームばかりで、Vtuberもとい「バーチャル」というスタイルと環境を全く生かせてない問題。 リスナー側に関してはモヤモヤを感じてて上手く言葉に出来なかったが、昨日のバーチャル蠱毒に対するファン側の反応でハッキリした。 Vtuber界隈がやろうとしている事、そしてファン側が求めていること、この両方において私が考えるVtuberの考えたが丸っきり違う。 オタク的な言い方に
アニメの「絵コンテ」が書籍やビデオグラム特典となり、接する機会が増えた。そのわりに、意外と本質は知られていないのではないか。高畑勲監督の絵コンテが「人体や顔をマルで略し、どちらを向いてるかチョンと描く」という通称「マルチョン」であることが、特別であるかのように語られていたのを読んで、そう思った。漫画のようにコマ単位の絵の良し悪しで絵コンテが評価されているとすれば、それは違うのではないか。 原因の根本は、1984年にアニメージュ文庫(徳間書店)として発刊された「風の谷のナウシカ 絵コンテ」(全2巻)にある。あれがスタンダードだと思われて、ラフなものに違和感が出たのだろう。同書は「映画の設計図」としての価値も高く、絵コンテの存在を広く世に知らしめるきっかけとなった。教育用に書かれた用語解説「アニメーション画面処理について」でカメラワークと撮影処理も図解入りで手短にまとまっていて、スタジオという
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