7月23日。椎名もた君(ぽわぽわP)が亡くなられた。 最初に訃報を聞いた時、あまりに現実味がなくて「ほんとかよ!」と思っていたのだが、28日、お別れ会と称したお通夜で普通に眠っているかのような彼の顔を拝見させていただいて、その訃報が本当だったのだと知った。 ”ぽわぽわP”という存在を知ったのは2010年ごろだったと記憶している。はじめて聴いたのは「ストロボハロー」という曲だ。 「すげぇクオリティの高い、独特な良い曲を作るボカロPがいるなぁ」と感じて興味を持ち、他の楽曲も聴いてみた。面白かった。結構キャリアを積んでる人なんだろうなと勝手に思っていた。だからぽわぽわPが、その頃まだ10代半ばだったと知った時はめちゃくちゃ驚いたものだ。 それからしばらくして、彼はメジャーデビューし「夢のまにまに」というCDをリリースすることになった。 当時、自分は週刊アスキー誌上で連載記事を書かせて頂いていたの
日本テレビ系の番組「ザ!鉄腕!DASH(ダッシュ)!!」の看板企画「DASH村」で、農作業を指導してきた福島県浪江町の三瓶明雄(さんぺい・あきお)さんが6日、同県伊達市の病院で死去した。 84歳だった。 DASH村は、人気アイドル「TOKIO」のメンバーが浪江町の荒れ地に山村をつくり上げる企画で、2000年に始まった。地元で農業を営んでいた三瓶さんは開始時から指導役として登場し、米や野菜の作り方、ヤギの飼い方などをメンバーに伝授。「農業の達人」として慕われていた。 浪江町は東京電力福島第一原発事故で全域が避難指示区域となり、三瓶さんも福島市の借り上げ住宅に避難した。その後もメンバーと一緒に全国の優れた農産地を訪ねる企画などで番組に出演していたが、最近は体調を崩し、入退院を繰り返していたという。 告別式は10日正午、同市のさがみ福島ホール。喪主は長男の妻、美智子さん。
2024.11.26 お知らせ 「ペンギン散歩」を当面の間中止します NEW 2024.11.23 お知らせ 《12/28~1/5》年末年始期間のラッコ水槽観覧制限のご案内 2024.11.22 お知らせ 【オンライン参加者募集中】マナティー研究所主催「飼育の海牛祭り」のお知らせ(外部リンク) 2024.11.19 イベント 鳥羽水族館 クリスマスイベント「トバスイ☆クリスマス2024」を開催! 2024.10.30 お知らせ オタリアの赤ちゃんの愛称が決定! 2024.10.7 お知らせ 2025年版 鳥羽水族館オリジナルカレンダー完成! 2024.10.5 お知らせ YouTube「ラッコ水槽ライブカメラ」新URL設定のお知らせ 2024.9.30 お知らせ 採用情報 ショップ部門・企画広報担当者を募集しています 2024.9.7 お知らせ 【夜間見学つき】9/28 地震津波避難訓練モ
公益社団法人日本将棋連盟会長の米長邦雄(永世棋聖・69歳)が、2012年12月18日(火)午前7時18分、東京都新宿区の東京女子医科大学病院で前立腺がんのため、死去いたしました。謹んで哀悼の意を表します。 現段階では葬儀は未定です。 中原誠十六世名人談 「容体が良くないとは聞いていましたが、こんなに早く亡くなるとは驚きました。米長さんとはライバルといわれ、随分タイトル戦で戦いました。その頃のことを思い出しながら、哀悼の意を表したいと思います」 谷川浩司九段・日本将棋連盟専務理事談 「米長永世棋聖には、名人戦、棋聖戦のタイトル戦をはじめ、公式戦で六十局以上教わりました。中終盤での戦い方は大いに勉強になり、名著『米長の将棋』シリーズは十代の私のバイブルでした。 役員としても一年半、御一緒させていただきましたが、その行動力と発想の柔軟さにはいつも感心させられました。もっといろいろなことを教わり
The Polaris Dawn crew is back on Earth after a historic mission
2012年1月30日にプロフィールのデフォルト画像を変更します 2012年1月30日に、はてなの各サービスでプロフィール画像が未設定の場合に表示するデフォルト画像を、新しいデザインに変更します。 これまでは、各サービスでプロフィール画像を小さく表示するケースが多かったため、小さなサイズでの表示に適したデザインを使用してきました。今後は各サービスでプロフィール画像を大きく表示するケースを増やしていく予定です。そのため、より大きな表示に適したデザインに変更します。変更に際して、より「人間」を感じられるような写実的なデザインにしています。 すでにご利用中の方のデフォルト画像は、2012年1月30日より段階的に新しいデザインへと変更します。翌日(1月31日)中にはすべての方の変更が完了する予定です。 これまでのデフォルト画像は「デフォルトさん」として多くの方に親しまれてきました。ご愛顧いただき、誠
「津波てんでんこ」 研究家死去 12月13日 19時3分 津波からいち早く逃げることの必要性を「津波てんでんこ」ということばを使って呼びかけてきた岩手県の津波の歴史の研究家、山下文男さんが、13日未明、入院先の盛岡市の病院で亡くなりました。87歳でした。 山下さんは、大正13年に現在の岩手県大船渡市に生まれ、昭和8年に三陸沿岸を襲った大津波で、一族9人を亡くしました。その経験から、津波の歴史の研究を進め、防災に関する本を数多く出版するとともに、大地震が起きたら、津波が来る前に家族がばらばらになってもいち早く逃げることの必要性を「津波てんでんこ」ということばを使って呼びかけてきました。また、おととしには、太平洋戦争の末期に当時の情報統制で詳細が明らかにされていなかった、東海地方で発生した2つの大地震の実態に迫った本を出版し、注目を集めました。山下さんはことし3月の震災当時、入院先の陸前高田市
米アップル社が4日に発表した高機能携帯端末(スマートフォン)「iPhone(アイフォーン)4S」に搭載される音声対話型検索機能「Siri(シリ)」に、iPhoneの産みの親で、5日(日本時間6日)に死去したスティーブ・ジョブズ前CEO(最高経営責任者)の人格を移植していたことが分かった。ネットユーザーからの質問に同社が公式に認めた。 「iPhone4S」は昨年発売の「iPhone4」の改良型。デザインはそのままだが、基本ソフトのアップグレードや、内蔵カメラの画質向上など多くの点で改良が加えられた。 中でも今回最も大きな改良は「Siri」と呼ばれる対話型検索機能だ。従来の音声検索では「アメリカ人、ホットドッグ」のように単語に区切って話しかける必要があったが、Siriでは「どうしてアメリカ人はあんなに口の回りをケチャップで真っ赤にしてまでホットドッグを大量に食べるの?バカなの?死ぬの?」のよう
1953年以来半世紀以上にわたって日本のテレビ放送を支えてきたアナロ熊さんが24日正午死去した。58歳。各家庭でのアナログ放送受信に長年尽力してきたが、24日の地上デジタル完全移行によりその役目を終えたため、最期は安楽死として処分された。 アナロ熊さんは1953年2月に誕生。以来58年間にわたり、八木・宇田アンテナによる全国での安定した放送波受信に貢献した。また高度経済成長期、テレビは車やクーラーと並んで「3C」と称されたことからも、当時のアナロ熊さんに対する憧れが見てとれる。 だが2003年、地上デジタル放送がスタートすると、アナロ熊さんに対する関心は急激に冷え込む。 「もうアナロ熊の時代は終わった」というフレーズとともに、テレビ各局や総務省が官民あげてアナロ熊さんの排除を呼びかけるようになった。この宣伝は年を追うごとに過熱し、昨今はニュースなどでも「地デジの普及率」という言葉によって、
日本テレビ放送網代表取締役会長で読売新聞グループ本社取締役相談役の氏家斉一郎(うじいえ・せいいちろう)氏が、28日午前6時10分、多臓器不全のため死去した。 84歳。通夜、葬儀は家族のみで営まれる。喪主は未定。家族は弔問、弔電、供花、供物、香典は一切お断りするとしている。後日、お別れの会が開かれる予定。 氏家氏は1951年、読売新聞社に入社、経済部長、常務取締役広告局長などを務めた。 その後、日本テレビに移り、92年、同社代表取締役社長に就任。2001年に会長兼最高経営責任者(CEO)となり、以降も会長、取締役会議長など経営首脳として、19年近くにわたって同社を率いた。1994年からは、四つの時間帯の年間平均視聴率がトップとなる「視聴率四冠王」を10年連続で達成した。 この間、96年から4期にわたり、日本民間放送連盟(民放連)会長を歴任。警察のあり方を議論する有識者会議「警察刷新会議」の座
田の中勇氏死去(声優) 田の中勇氏死去(声優) 田の中 勇氏(たのなか・いさむ、本名田野中勇=声優)13日、心筋こうそくのため東京都世田谷区の自宅で死去、77歳。東京都出身。葬儀は19日午前11時30分から同区砧2の4の27の東京メモリードホールで。喪主は兄弘(ひろし)氏。 アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の「目玉おやじ」役を、1968年の第1期シリーズから一貫して担当。個性的な声質で数多くの作品に出演した。(2010/01/15-17:39)
日本テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。
宇宙開発とビジネスと民主主義(moderntimes) 宇宙開発と社会との関係を分析。 松浦晋也と鹿野 司の“読書ノート”(裳華房) 裳華房メールマガジンでの書評連載。 日経クロステック著者検索 松浦晋也 日経BPの媒体に書いた2003年以降に書いた技術的記事が読めます。全部ではありません。一部は同社のウェブ媒体リニューアルで消えたままになっています。 日経ビジネス電子版・著者ページ 2015年以降に日経ビジネス電子版に書いた記事は、ここから読むことができます。 介護生活敗戦記 2017年に連載した、認知症を発症した母80歳を自宅介護した記録です。現在連載は、NPO法人「となりのかいご」代表の川内潤さんが受け継いでいます。ここから著書「母さん、ごめん。」が生まれました。 松浦晋也の「モビリティビジョン」 2008年から2011年にかけて「Wireless Wire」で行った乗り物に関する連
【ロサンゼルス=飯田達人】「スリラー」などが世界的にヒットし、「ポップス界の王様」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが25日正午(日本時間26日午前4時)過ぎ、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれたが心不全で死亡した。 50歳だった。26日に検視が行われる。 ロサンゼルス・タイムズ紙などによると、午後0時26分、高級住宅街にあるマイケルさんの自宅から通報があり、救急隊が駆け付けたが、既に呼吸をしていなかった。近くのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の付属病院に搬送中も救急隊員が心肺機能の蘇生(そせい)を試みたが、同2時26分、医師が病院で死亡を確認した。 同紙によると、2005年ごろから腰痛が悪化し、鎮痛剤を服用していた。7月から来年3月にかけて、ロンドンで計50回の復帰コンサートを行う予定で、今年春に4時間にわたって医師の健康診断を受けたが、特に問題はなかった。最
「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。 東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒットし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。 一方、「音楽は時代の刺激剤であるべきだ」との信念を持ち、政治的なメッセージを込めた歌も歌った。そのため、反原発を扱ったアルバム「COVERS」やパン
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