バニラの栽培地域 自然界においてはハリナシバチ以外のポリネーターがバニラを受粉させることはないと考えられている[2]:87。ユカタン半島のマヤ語で「貴婦人の蜂」('royal lady' bee)を意味する ‘xunan-kab’と呼ばれているハリナシバチは、中央アメリカの固有種である[4][8]。そのため、バニラの苗を原産地から持ち出して他の地域で育成する試みが18世紀から19世紀半ばにかけて何度も繰り返されたが、いずれの試みにおいても原産地以外の地域ではバニラを結実させることができなかった[2]:88[9]:PT161[10]。 ところが、1841年にレユニオン島の12歳の奴隷の少年、エドモン・アルビウスが人工授粉の方法を考案し、それをレユニオン中の農園に広めたことにより状況は一変した[2]:88[9]:PT161[10]。レユニオンとマダガスカルはバニラ・ビーンズの一大産地になった[