新宿区の下落合や(城)下町の人々を中心に、街角の物語を想いにまかせて綴っています。 主題は「わたしの落合町誌」。記事の利用につきましては一報いただければ幸いです。 コンテンツの無断使用は、ご遠慮ください。 江戸時代の初期まで、現在の飯田橋から目白通りを少し入ったあたりには白鳥池(しらとりいけ)が拡がっていた。その当時、白鳥池があった場所は現在の凸版印刷の本社ビルがある大曲(おおまがり)から、小石川崖線の小日向Click!(こびなた)下あたりまでということだが、わたしは白鳥池は本来、もっと広大で東西に長く、大きく拡がっていたのではないかと考えている。江戸初期、1657年(明暦3)に埋め立てを完了したのは、おそらく最終形の姿をしていた白鳥池だったろう。白鳥池の痕跡は、いまだ大曲近くに残る白鳥橋という名称に見ることができる。 わたしは江戸期のさらに以前、たとえば全国に鎌倉街道が整備された鎌倉時代