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2008年4月23日のブックマーク (4件)

  • 日本語って変かも - 内田樹の研究室

    大学院のゼミ、今季は「日辺境論」である。 日の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。 第一回目の発表はイハラさんの「外来語」。 これはなかなかすぐれた着眼点である。 というのは、日語は外来語に対して、世界の諸国語の中でも例外的に開放的な言語だからである。 原日語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。 私たちの使う言語には、それらが混在している。 どうして、漢字カタカナひらがな alphabet が並存するような言語が成り立ちうるのか。 こういうことは、あまりに当たり前なので、ふだんは私たちはあまり考えない。 それについて考えてみる。 このタイプの混淆言語は巨大な文明圏の周辺部分に生まれる。 朝鮮半島もインドシナ半

    kuzan
    kuzan 2008/04/23
    文化人の日本語論
  • 呉智英対木越治 - jun-jun1965の日記

    古い話で恐縮だが、呉智英さんは『大衆堂の人々』で「シラカバ派の知識人」という文章を書いている。その筋では有名なもので、シラカバ派の定義についても諸説ある。 その中に、石川淳に関する文章があって、上田秋成『春雨物語』の「樊噲」に関するものだ。これは中国地方(もちろんシナのことではない)にいた暴れ者を描いた物語だが、戦前、その前半部(上)しか発見されておらず、石川淳はこれを賞賛していた。ところがその後、昭和初年に後半(下)が見つかり、そこでは樊噲は最後に改心して仏道に入ることになっている。呉さんは、石川の小説にこの種の乱暴者が出てくることを指摘して、「そうか、石川淳もシラカバ派なのか」と締めくくっている。 呉智英ファンなら誰もが記憶している文章だが、実は近世文学者・金沢大学教授の木越治が、『秋成論』(ぺりかん社、1995)でこれに反論していることを最近知った(私のことを近世文学専門だと思って

    呉智英対木越治 - jun-jun1965の日記
    kuzan
    kuzan 2008/04/23
    樊噲
  • 久しく - 感情集

    あの人と半年ぶりに話す。つもる話に気づけば二時間。最近は江戸ばかりと。中野三敏という師を得て和ばかり読むと聞く。漢詩のみならず。祇園井特の話に移り、二代目井特は媚薬の店が繁盛したとか。沖浦和光のに香具師の話から何か裏づけ出来るのではないか。それぞれの人生にまた読書で歩み寄るのが怖くなる。美人画や漢詩の軸も山ほど手に入れている様だ。悔しいので今日あたり神保町で何か漁ってみよう。 小島政二郎『永井荷風』の読み方に注意を受ける。山崎俊夫だかのに関しての評論で妄想的であるとか。 某書店の目録が届いていた。にも関わらず、読書に耽っていた。目が疲れたので、ひと休みに目録を眺めていると、ずっと欲するあの画家の版画が掲載してある。うわぁーん。早い者勝ち目録だ。明日は朝一番でショックを受けることになりそうだ。

    久しく - 感情集
    kuzan
    kuzan 2008/04/23
    「中野三敏という師を得て」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    kuzan
    kuzan 2008/04/23
    外国語語源説