当時のサポーターグループ「ASA AZUL」のリーダー・川村環が、ラストゲームとなった天皇杯決勝を振り返った 【宇都宮徹壱】 10月29日の合併発表後、横浜フリューゲルスはまるで神がかりのように勝ち続けた。直後にホームで行われたセレッソ大阪戦に7−0で圧勝するなど、残りのリーグ戦4試合に全勝して年間総合順位を7位で終えた。続く天皇杯は、12月13日の3回戦から出場。大塚FCに4−2と苦戦したものの、4回戦のヴァンフォーレ甲府には3−0、準々決勝のジュビロ磐田には2−1で勝利している。しかし専属フォトグラファーの高橋学は、天皇杯の3試合を現場で撮影することはなかった。 「ちょうどその頃、バンコクでアジア大会があったんですよ。すでに取材パスも取っていたので、チーム撮影は他のスタッフに任せて、私は天皇杯は準決勝からでした。向こうにいるときは『お願いだから勝ち進んでくれ!』と、いつも祈っていました