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家族に関するaozora21のブックマーク (89)

  • 母が他界した。私は愛されていなかった。

    6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/11/25(日) 10:22:41.35 ID:rry4xFoo0 立ったようなので続けます。 母は難産家でした。 今となっては、それが体質などに由来するのか、はたまた全くの偶然なのかはわかりませんが、 私の前に、2人ほどの子を流した経験があるそうです。 兄妹は妹がいますが、無事に生まれた我々もまた、遅産だったり早産だったりで、両親をハラハラさせたそうです。 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/25(日) 10:23:25.84 ID:16R6QItqO それでそれで 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[sage] 投稿日:2007/11/25(日) 10:28:21.62 ID:rry4xFoo0 母は昔から、私に厳しい人

    aozora21
    aozora21 2007/11/28
    おもしろかった。自分の気持ちについて安易に結論を出していないのがいいなあ。
  • sekai-ai.com - sekai ai リソースおよび情報

    aozora21
    aozora21 2007/11/22
    『家庭の問題は家族で話し合って決める』
  • 2007-08-24

    「女の敵は女」というエッセイについてお話しよう。 私はここで「これは男女差別ではない」とか言うつもりは無い。 単に良い歳をした大人が、自分の所属する集団の暗黙のルールを自分の良いように捻じ曲げた事にあきれただけだ。 確かに、悪習は正す必要がある。 しかし長い間培われてきた制度を自分の代だけで強行に変革を進めてしまっては、周囲との軋轢を生むだけである。 「では、後は男だけで」と言われる前に、"長男"に対し「慣習では男だけかもしれないが、私も法事に参加させて欲しい」と伝えておくか、または今回の法事は諦めて次の法事は参加できるようお願いをするという事でも構わないだろう。 親戚一同がそろう中、幾ら正しい(と自分では思っている)主張をしたところで、周囲からの反応は「空気読め」では無いだろうか。 筆者の発言によって周囲がどのような反応を示したかという事が分からないが、私としては兄嫁の一人によって皆が爆

    2007-08-24
    aozora21
    aozora21 2007/08/25
    大家族の実態ははたして男優位だったのか、伝聞に疑いを感じたりもしています。
  • 女の敵は女:日経ビジネスオンライン

    最近、久々に腹が立ったことがある。 近頃ではめずらしい「女だからダメ」という拒絶に直面したからだ。 男女平等とか、男とか女とか、女性差別とか、そういった単語は出来れば使いたくないと思ってきた。まず、聞く人たちが「ああまたか」とうんざりする単語だろうし、使うほうもそうそういきり立って主張しているわけでもないからだ。 しかし定期的に、それも忘れた頃に女性差別は確実にやってくる。その時ふと我に帰る自分がいる。今回はこの青臭い時代遅れの単語を久しぶりに使いたい。 日ごろ一人暮らしの私だが、先日、法要のために実家に帰った。 私は大家族の中で育った。兄や兄嫁や甥や姪がひしめく中、法要が始まった。私は“嫁いでない”ということで“家の一人娘”という位置にあった。 法要の途中、“長男”がおもむろに「それではここからは男だけで…」と言い出した。甥が「そんなこと言うとまた洋子おばちゃんがうるさいよ」と笑った。

    女の敵は女:日経ビジネスオンライン
  • 昨日の補記 - uumin3の日記

    昨日の記事に、周囲が困窮者の重荷を分担することに関しては負の側面も考えられるのではというフィードバック(と私は受け取りました)をいただきました。 私の発想は、個々ばらばらになった「弱い立場」の人間が少しでも救われるためには「自分(たち)」だけで孤立して耐え難い努力を続けるより、周囲で少しずつ重荷を軽減できないものかというものでした。一般論で言うのは簡単ですが、なかなかこれにも難しい面があるということでしょう。 あの番組を見た限りにおいては、幾人かの方々はその周囲の援助が得られないために理不尽に苦しんでおられるように感じられたのは確かです。トラックバックにもありましたが、家族で面倒が見られる(と考えられる)うちは生活保護を与えない…という制度的な縛りがそこにあるのは事実でしょう。それがあの缶拾いの老夫婦にはマイナスになってしまっていたのだとも考えられます。 日が近代化していく中で、理不尽と

    昨日の補記 - uumin3の日記
    aozora21
    aozora21 2007/08/06
    『単にノスタルジックに「昔は良かった」とレジームを巻戻すのではなく、突っ走り過ぎた流れを見直して、是々非々で過去と現在の冷静な計量判断が必要になっていると私には見えます。』
  • ともだちおやこ - 深く考えないで捨てるように書く、また

    よくあちこちで「友達母娘」というのを見聞きする。母と娘(10代後半以降)で仲良く連れ立ってショッピングやらイベントやらに出かけたり、服やアイテムを貸し借りしたりするというようなあれ。 自分の場合、10代のころはあまりなかったが、20代後半以降になると、急激に母との距離が縮まった感がある。その前は子どもと大人だったのが、どっちも同じ大人属性に入ったからだろうか。妹もそうだったようで、いまいち母と反りが合わないのにもかかわらず、実家にいるときによく母と妹で(父は行きたがらず留守番。私は仕事があるので行けない)海外やら国内遠方やらに旅行に出かけていたものだ。 だから、うちの場合は典型的な友達母娘ではないが、そういった母娘の仲良し感覚、母と娘の距離感の近さはわからないでもない。 などということを考える時に思うのだが、「友達母娘」はあるが、「友達父子」は聞かないなあ。 父と息子の場合、母と娘ほど距離

    ともだちおやこ - 深く考えないで捨てるように書く、また
    aozora21
    aozora21 2007/07/28
    ウチは三人息子ですが小学生まではお父さんお父さんだったのが思春期を境に見事に裏切られてますね。もっと大人になったら挽回するかも!頑張れ、お父さん。
  • 子規の看護論 - Arisanのノート

    正岡子規が脊髄カリエスのため病床からまったく動けなくなった時期の随筆は、いま岩波文庫でそのすべてを読むことができる。 ぼくはこの一連の文章が昔から好きなのだが、母親の介護をするようになってから、少し別の視点で読めるようになったところがある。 『病床六尺』のなかから、「看護(介抱)」ということについての考えを書いている部分を引いてみよう。 子規は、その晩年(といっても三十代半ばで亡くなるが)、もっぱら母と妹(律)の二人によって介護されていた。もちろん、自宅においてである。 7月16日の日付がある六十五で、病人の苦楽にとっての最大の問題は、「家庭の問題」、すなわち「介抱の問題」である、という記述が出てきて、それから数日この話題となる。そして、自宅で介抱にあたるのは結局「家族の女ども」であり、病人の介抱のためにこそ、教育は女子に必要である、との暴論を吐く。 子規の女性蔑視的な考え方は、当時の時代

    子規の看護論 - Arisanのノート
  • 投書欄 家族なんて、普段は存在感無いぐらいがちょうど良い

    1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  いざというときに、きちんとその構成員を守れればそれで良い。 遠くまで。 当に子どもは大切にされているの?権利を主張するより子どもの意見を聴いてほしい。 うぜー親だなーと思ったら、なんかはてなサヨクの人々はこの記事にほぼ禿同なようで、また一つがっかりする。普段「ショクイクハンターイ」だなんだかんだ言ってても、やっぱり心の奥底では、子供は親が家庭で育てるものだという、そういう認識が、便器に付いたウン○みてーにこびりついてるんだろーな。 良いじゃねぇかよ、子供保育園に預けて友達と出かけようが。親は友達と息抜きして、子供も保育園で友達と遊ぶ。誰も損してないじゃん。何が悪いの?? 夕が総菜で何が悪いの?うちもおかずは殆ど総菜だが、むし

    aozora21
    aozora21 2007/03/11
    「~でなくてはならない」ということは何ひとつないよな、とは思う。
  • 昭和という時代 - 我が九条

    昭和と一言で言っても昭和20年を境にして大きく変質する。すなわち大日帝国憲法時代と日国憲法時代である。そして昭和単独で見るならば、20年間であった大日帝国憲法下の昭和よりも、40年以上を数えた日国憲法下の時代の方が長い。一口に「昭和」と言っても、実際には大日帝国憲法下の「昭和」なのか、それとも日国憲法下の「昭和」なのかをはっきりさせる必要がある。 現在「昭和レトロ」などと言われている時代は概ね昭和30年代から昭和40年代であろう。少なくとも鉄道模型の世界で流行している「昭和」の鉄道は30年代乃至40年代が主流である。これはモータリゼーションが進む少し前であり、鉄道の最盛期であったことと関係があるだろう。しかしもう一つ、昭和30年代乃至40年代がもたらす郷愁とは何なのか、少し考察してみたい。 鍋倉紀子氏が興味深い考察を行なっている。宝塚ファミリーランドとディズニーランドの比較考察

    昭和という時代 - 我が九条