正岡子規が脊髄カリエスのため病床からまったく動けなくなった時期の随筆は、いま岩波文庫でそのすべてを読むことができる。 ぼくはこの一連の文章が昔から好きなのだが、母親の介護をするようになってから、少し別の視点で読めるようになったところがある。 『病床六尺』のなかから、「看護(介抱)」ということについての考えを書いている部分を引いてみよう。 子規は、その晩年(といっても三十代半ばで亡くなるが)、もっぱら母と妹(律)の二人によって介護されていた。もちろん、自宅においてである。 7月16日の日付がある六十五で、病人の苦楽にとっての最大の問題は、「家庭の問題」、すなわち「介抱の問題」である、という記述が出てきて、それから数日この話題となる。そして、自宅で介抱にあたるのは結局「家族の女ども」であり、病人の介抱のためにこそ、教育は女子に必要である、との暴論を吐く。 子規の女性蔑視的な考え方は、当時の時代