過去の誤解された日本で必ず典型例として取りざたされる「三丁目の夕日」ですが、 そのレビュー内容が予想通りというか凄いものでした。 そのいくつかを引用し突っ込みます。 ALWAYS 三丁目の夕日 通常版 ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版 ALWAYS 続・三丁目の夕日[DVD通常版] >昭和30年代が懐かしい・・・いい時代だった・・・昭和30年生まれの私はそう思いますが、たまたまその時代を子供で過ごしたから、嫌なことよりもいい思い出、懐かしい思い出だけが残っているからかも知れません。しかし、終戦から10年経っており戦争のことも知らないで生まれた子供。隣近所の干渉はあったものの、現在のように凶悪犯罪の発生率は高くなく、検挙率も世界で1番だった時代。子供たちが安心して外で遊びまわれた時代だったのは間違いなかったと思います。・・・ 最も過去の誤解された日本を端的に表している文章だ
昭和30年代が好きだ。 なぜならそこにあるのは混沌と暗黒の世界。右翼はいつ起きるかわからない革命に怯えて政治家や出版社を襲い、左翼は大勢で道端や国会や大学で暴れまくった。長嶋が天皇の前でホームランを打っていた頃に、熊本の漁民は有機水銀たっぷりの魚を食べて苦悶していた。正義のヒーロー力道山はドラッグと酒にトチ狂い、目の前にあるものすべてをぶん殴った。 高度成長期の東京はオリンピックに向けて大工事。騒音と埃と神風トラック、神風タクシーが行きかうやかましい街だった。増える車の台数に道がおっつかず、そこいらで大渋滞が起きていた。環境保護という概念は確立されてはいないために、煙突からは有害な黒い煙がもくもくと吐かれ、東京湾には得体の知れない物質の混じった廃液が垂れ流し。 輸送に明け暮れる国鉄は鶴見と三河島と宇和島で大事故を起こし、100人単位で乗客をあの世に送った。戦争の苦しみを知っていた規律正しい
http://www.historychannel.co.jp/rec/index.html#01 ヒストリーチャンネルで昨日から放映されてる『露木茂の「ニュース映画で見る昭和」』を見た。題名どおり、当時のニュース映画が延々と流されるだけというシンプルな構成だが、ついつい見入ってしまった。『映像の世紀』みたく創り手の意図が入りまくり、つくりこんだアンソロジーと真逆、おそらくは保存するかどうかも決めてなかった「ニュース・フィルム」をそのまんま使ってるところがリアルでいいなぁ、と。 続きを読む 、、、<じゃずじゃ>の読みすぎでムリでもダジャレを言うようになってしまった、、、<人のせいにするな ファイヴ・マイルズ・アウト(紙ジャケット仕様) アーティスト: マイク・オールドフィールド出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン発売日: 2007/10/24メディア: CDこの商品を含むブログ
下のエントリーですなふきさんから都市部と僻地のインフラ整備の格差についてご質問を頂いた。私にとっては意外な質問であったが、読者の中にはこの点に関して興味をお持ちの方がいらっしゃるかもしれないので、記憶する田舎の生活(or風景)を箇条書きにしたいと思う。ちなみに私は昭和30年代前半の生まれで、九州南部の僻地がどんな感じだったのか、特に若い方の参考になれば幸いである。 ・道路事情 私が中学に上がるまで近くの「国道」は砂利道であった、と記憶する。中学は自転車通学であったが、舗装道路になって随分と楽になった。以降、急速に舗装化が進み、大学時代に帰省したとき、実家の真正面にそびえる山(600m級)の頂上まで舗装道路が通っていたのには驚いた。遠足で数時間かけて上った霊峰だったのに。車の往来はほとんどない(昔も今も)。 ・農村風景 うろ覚えながら、小学低学年のころは田んぼではまだ牛が現役で頑張っておりま
そろそろみなさん棺桶に片足状態になってきた。 そのあと、全共闘世代というかそのあたりの左翼さんたちがまだまだ頑張るというか、企業から離れて老後にがんばるのかもしれない。 私の世代(今50歳くらい)になるとある水準の知識人は基本的に左翼だ。私の世代から10歳下になるとそういう昭和の名残の左翼は減ってきて、いわば奇妙なバックラッシュになる。バックラッシュというのは左翼というよりある種の憎悪のような異質な何かだ。 昭和の左翼とは、実は、非モテであった。 というか、モテのためにあった。階級や産業から解放されてちょっと気取ってダンパ(死語)みたいな。そしてそれが全共闘世代にコピーされてフリーセックスみたいになった。多数はモテたいから左翼になったし、左翼になることは生きることの齟齬みたいのを覆ってくれた。 私の世代くらいは知識人であることを意味したがモテではなくなりつつあった。貧乏はモテないという時代
授業と会議のあいまに、ジブリに「貧乏で何か問題でも?」を書き、共同通信に「ネットカフェ難民」を書き、文藝春秋の「私的昭和人論」を書く。 ほとんど「ライティング・マシン」である。 「私的昭和人論」は字数がたっぷりいただけたので、「昭和人のエートス」について書く。 よい機会だったので、「昭和人」とはどういう人のことか、考えてみた。 「明治人」という人物類型がある。 でも、「大正人」という言い方はなされない。私は聞いたことがない。 「昭和人」という言い方はどうであろう。 たぶん成立するであろう。成立しなければ、「昭和人のエートス」というタイトルで原稿依頼があるはずがない。 どうして、明治と昭和だけに特殊な人物類型が出現したのか。 おそらくこの二つの時代が「断絶」を含んでいるからである。 私はそう思う。 「明治人」「明治生まれの人間」を意味しない。そうではなくて、「明治的」な人間のことである。 「
SMELLMANのMouth drummer、ハヤシの口ドラム+ベースの同時演奏 at the TILT HOUSE STUDIO SMELLMAN:アカペラグループ「チン SMELLMANのMouth drummer、ハヤシの口ドラム+ベースの同時演奏 at the TILT HOUSE STUDIO SMELLMAN:アカペラグループ「チン☆パラ」解散後、元メンバーが中心となり結 成 オリジナルなサウンド追求のため、数回のメンバーチェンジを経て現在に至る 類を見ないオリジナルなアカペラサウンドは定評 都内ライブハウスを中心に活動中 ワンマンライブ「ロスタルジア」決定! 2008.12.26 at SHIBUYA O-WEST http://www.smellman.com (続き) (一部表示)
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
昭和と一言で言っても昭和20年を境にして大きく変質する。すなわち大日本帝国憲法時代と日本国憲法時代である。そして昭和単独で見るならば、20年間であった大日本帝国憲法下の昭和よりも、40年以上を数えた日本国憲法下の時代の方が長い。一口に「昭和」と言っても、実際には大日本帝国憲法下の「昭和」なのか、それとも日本国憲法下の「昭和」なのかをはっきりさせる必要がある。 現在「昭和レトロ」などと言われている時代は概ね昭和30年代から昭和40年代であろう。少なくとも鉄道模型の世界で流行している「昭和」の鉄道は30年代乃至40年代が主流である。これはモータリゼーションが進む少し前であり、鉄道の最盛期であったことと関係があるだろう。しかしもう一つ、昭和30年代乃至40年代がもたらす郷愁とは何なのか、少し考察してみたい。 鍋倉紀子氏が興味深い考察を行なっている。宝塚ファミリーランドとディズニーランドの比較考察
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