10歳のときに伊達市の市民劇団パラムに子役として入団し、高校3年生まで所属。パラムの演出家である影山吉則(のち伊達市教育長)が教鞭をとっていた北海道伊達緑丘高等学校に入学、影山が顧問だった演劇部に入る。在学中に演出としてつくった『りんごの木』が全国高等学校演劇大会ベスト4[1]を獲得。その審査員を務めていた平田オリザから評価を受け、当時、平田が教鞭をとっていた桜美林大学文学部総合文化学科に進学を決める。学生時代は「荒縄ジャガー」を主宰、解散後の2007年、大学4年の終わりに「マームとジプシー」旗揚げ。同年、大学卒業[2]。 大学卒業後は書店でアルバイトをしながら生活し、一時期は演劇を辞めて社員となることを考えていた[3]。2008年、2009年は、主に横浜の小劇場「STスポット」やカフェで公演を続ける。2009年に『たゆたう、もえる』でこまばアゴラ劇場の「冬のサミット2009」に参加。藤田