※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています たった1枚の写真から、謎に包まれていた巨大観音像の正体が判明――。Twitter上で繰り広げられた、奇跡のような歴史ミステリーの解読劇に「鳥肌立った」「集合知の勝利」といった声が寄せられています。 発端となったのは、サイト「コンクリート像を見にゆきます(仮)」の管理人・つるま(@clane_2015)さんが12月1日にTwitterに投稿した1枚の写真。そこには1体の巨大な観音像と、その周りに集まった大勢の人々が写っていました。「この観音像が撮影された場所、年代を探しています。これだけ巨大な観音像なのに、日本のどこにあった(ある)ものなのか、全く不明なのです」とつるまさんは呼びかけました。 巨大な観音像と、それを取り巻く人たち。近畿地方のとあるお寺に眠っていたとのこと(画像提供:つるまさん) つるまさんによると、この写真は近畿のとあ
From freebsd.org/doc/en_US.ISO8859-1/books/faq/misc.html#bikeshed-painting. See phk.freebsd.dk/sagas/bikeshed for historical background; see also Poul-Henning Kamp's regular column The Bikeshed at the ACM. "The really, really short answer is that you should not. The somewhat longer answer is that just because you are capable of building a bikeshed does not mean you should stop others from building
忍者を生み出した地として双璧をなす「甲賀」と「伊賀」。両地(現在の滋賀県甲賀市と三重県伊賀市の一帯)に伝わる忍術をまとめた集大成の書とされるのが「万川集海(まんせんしゅうかい)」だ。江戸期の作とみられるこの秘伝書について現代語訳、読み下し文、原文を収めた750ページ近い大作「完本 万川集海」(国書刊行会)が近年刊行された。著者は、古文書を収集し忍者を研究している山口県の医師、中島篤巳さん(72)で、忍者が水面を移動する際に使う道具「水蜘蛛(ぐも)」の使い方など、通説とは異なる興味深い真実も明らかにしている。中島さんは「江戸時代でも、甲賀と伊賀の忍者は公権力に不可欠な『誇るべき存在』だったことがわかる」と話す。 「水蜘蛛」はこうやって使う 中島さんが完本のもとにした国立公文書館内閣文庫の蔵本の万川集海は、忍術を伝える22巻と兵法書である「万川集海 軍用秘記」からなる。22巻の中には、「家忍之
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ここで全部の回を無料で視聴できる。http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/index.html 高校の頃に世界史を履修しなかったことを後悔していて、何回か受験用の参考書とか見てみたんだけどいっつもフェニキア人あたりのややこしさでわけわかんなくて挫折してた。 で、今ちょうど会社辞めて暇だしみてみるかーって視聴したら、案外すんなりみれて、スッカスカだけど自分の中で骨組みみたいなのができた。この状態で参考書読んだら前より全然読めた。これから参考書だけじゃなくて本とか読んで肉付けしていくつもり。 向いている人「世界史、全然知りません」って感じの初心者の人。習ったことある人には全然物足りないと思う。1テーマ20分だし、かなり粗い(多少なりとも知ってる現代史は、物足りなかった)。けど、後に間を埋めていく楽しみもできるし、初学者には向いてる。 ちょいちょい「そ
スーパーのチラシといえば、日常生活に溶け込み過ぎた「ザ・チラシ・オブ・チラシ」であり「チラシ界の雄」もしくは「ドン」と呼べる存在である。わざわざ手元に残しておく人は、まずいないだろう。 しかし、これが50年前のチラシとなれば途端に話は変わってくる。古いパンフレットは古本屋等で入手可能だが、スーパーのチラシとなるとそうもいか ない。身近すぎるあまり保管しようとすら思わないせいか、新聞紙と一緒にちり紙交換に出されるパターンがほとんどだと思われる。 そんな絶滅危惧種レベルに貴重な大昔のチラシを、大量に見せてもらえる機会に恵まれた。じっくり読み込んでみたい。
いや~、週末は完全に遊んじゃって、方々から「8日に書くって書いてあるじゃねえか!」と お叱りのメールを頂きました。すいませんねえ、期待していた人。今後は期待しないで下さいね。 で、先日書いた番外なんですけど、俺の文才はたいしたことがないので、一部分かりにくかっ たところがあったですね。要するに、とある政府の御用学者が御用学者になる前から、たまたま フォローしてたところ、誤用学者になってしまった、という世にも間抜けな内容でありまして。 本当は裏VC事典にも載せようかと思ったんですが、大前研一と同列だとさすがに可哀想だと 思って番外にしてみました。先日も、値上がり確実な株をつかんで舞い上がっていたのか、こと もあろうに週刊誌の対談で林真理子氏に「100万ほど株を分けてあげます」「それはすごいこ とになりますよ」って話をしちゃってましたね。もちろん、周囲は大笑いなんですが、そんなの お上が主導で
稲荷山古墳出土鉄剣(いなりやまこふんしゅつどてっけん)は、1968年に埼玉県行田市の埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣。1983年に同古墳から出土した他の副葬品とともに国宝に指定された。「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」とも称される(「金錯」は「金象嵌(きんぞうがん)」の意味)。 所有者は日本国(文化庁)で、埼玉古墳群近くの埼玉県立さきたま史跡の博物館内で、窒素ガスを封入したケースに保管・展示されている。(約73.5cm) 1968年に行われた稲荷山古墳の後円部分の発掘調査の際、画文帯環状乳神獣鏡や多量の埴輪とともに鉄剣が出土した。1978年、腐食の進む鉄剣の保護処理のためX線による検査が行われた。その際、鉄剣の両面に115文字の漢字が金象嵌で表されていることが判明する(新聞紙上でスクープとなり社会に広く知れ渡ったのは1978年9月[1])。その歴史的・学術的価値から、同時に出土し
「弥彦」は歴史的には「伊夜比古・伊夜日子・伊夜彦」などとも表記され「いやひこ」と読んでいたが、現在は「やひこ」と言い習わされている[1]。 越後平野西部の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社である。 『万葉集』にも歌われる古社であり、祭神の天香山命は越後国開拓の祖神として信仰されたほか、神武東征にも功績のあった神として武人からも崇敬された。宝物館には日本有数の大太刀である「志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)」や、源義家や源義経、上杉謙信(輝虎)などに所縁と伝えられる武具などが社宝として展示されている。 宮中同様に鎮魂祭を行うとして、石上神宮・物部神社と共に有名である。なお、当社の鎮魂祭は宮中で行われる11月22日でなく、4月1日と11月1日の年2回行われる。二年参りや初詣、秋の菊まつりは特に賑わう。 分社が北海道から山陰地方まで少なくとも47ヵ所に点在する
高校の教科書を読み上げで聞く 三省堂 日本史 就寝時に聞くのによい音声コンテンツはないかなあと探していて見つけたのがこれ。三省堂の高校の教科書をひたすら読み上げる。 全史で12時間47分もある。古代編、中世編、近世編、近代編、現代編と5部に分かれており、ばら売りでは一部800円。5本セットで3300円。 1.古代編(第1部 1~5章)旧石器時代から平安時代まで 2.中世編(第2部 6~9章)院政から室町時代(応仁の乱)まで 3.近世編(第3部 10~13章)戦国時代から寛政の改革まで 4.近代編(第4部 14~17章)天保の改革から大正政変まで 5.現代編(第5部 18~21章)第一次世界大戦から終戦まで 6.戦後編(第6部 22~25章)占領から現在まで 漢字が見えず、音声のみで聞くとわかりにくい言葉がいきなり出てきて、用語解説がなかったりするが、その不親切さも、ぶっきらぼうさも実に教科
第一次プラハ窓外放出事件の現場となった当時のプラハ市庁舎(2014年撮影) プラハ窓外放出事件[1][2][3](プラハそうがいほうしゅつじけん、チェコ語: Pražská defenestrace、チェコ語発音: [ˈpraʃskaː ˈdɛfɛnestrat͡sɛ]、ドイツ語: Prager Fenstersturz、英語: Defenestrations of Prague)は、1419年と1618年に起こったボヘミア王国(現チェコ)の神聖ローマ帝国に対する反抗。前者はフス戦争の契機、後者は三十年戦争の契機として知られる一方、チェコにおける民族運動とも評価される。また、背景が異なるが1948年に発生した事件は、チェコ・スロバキアの共産主義化を決定づけたため、あわせて「第三次」としてカウントすることがある。プラハ窓外放擲事件(プラハそうがいほうてきじけん)ともいう[4][5]。 第一次
大田南畝肖像『近世名家肖像』 大田南畝像(鳥文斎栄之筆、東京国立博物館蔵) 大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日〈1749年4月19日〉- 文政6年4月6日〈1823年5月16日〉[1])は、天明期を代表する文人・狂歌師であり、御家人。 名は覃(ふかし)、字は子耕、南畝は号である[1]。通称、直次郎、のちに七左衛門と改める。別号、蜀山人(しょくさんじん)、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、[2]巴人亭、風鈴山人、四方山人など。山手馬鹿人(やまのてのばかひと)、も別名とする説がある。狂名、四方赤良(よものあから)。また狂詩には寝惚(ねとぼけ)先生と称した。法名は杏花園心逸日休。 勘定所勤務として支配勘定にまで上り詰めた幕府官僚であった一方で、文筆方面でも高い名声を持った。膨大な量の随筆を残す傍ら[3]、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。特に狂歌で知られ、唐衣橘洲・朱楽菅江
戦後の古代史学界では古事記・日本書紀の伝承が疑われ、その中で「消された」人物の一人として神武天皇がいらっしゃる。「神武天皇は実在しない」「記紀による創作」とする歴史学者の学説がはやったからである。 しかし、それに対して厳密な史料批判に基づいた実証史学の碩学(せきがく)・坂本太郎博士は「神武天皇以後九代の天皇は実在の人ではないという説は、かなり多くの学者によって説かれるが、それは一つの臆説にすぎず、なんら実証されたものではない」(『坂本太郎著作集』第1巻)としていたし、日本法制史の大家・瀧川政次郎博士も「神武天皇紀の大筋の事実は、終(つい)にこれを否定することができない」(『神武天皇紀の信憑(しんぴょう)性について』)と神武天皇架空説を批判していた。 そして、近年の古代史学界の流れも記紀の記述を裏付ける考古学的発見によって変化してきており、記紀の記載を検証した角林文雄氏は「日本資料は不思議な
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