詩人谷川俊太郎さんが亡くなった。長く療養中だったとはいえ、数日前に新しい作品を書き上げるほど明晰(めいせき)なまま、12月15日の93回目の誕生日を目前に控えての、突然の死だった。現代日本に詩人は少なくないが、国民詩人の名にふさわしい存在は谷川俊太郎を措(お)いては無いだろう。小学生から老人まですべてがとはいわないまでも、国民の多くがその名を知っていて、20歳の第1詩集『二十億光年の孤独』以来
詩人谷川俊太郎さんが亡くなった。長く療養中だったとはいえ、数日前に新しい作品を書き上げるほど明晰(めいせき)なまま、12月15日の93回目の誕生日を目前に控えての、突然の死だった。現代日本に詩人は少なくないが、国民詩人の名にふさわしい存在は谷川俊太郎を措(お)いては無いだろう。小学生から老人まですべてがとはいわないまでも、国民の多くがその名を知っていて、20歳の第1詩集『二十億光年の孤独』以来
数多くの映画やテレビドラマで活躍し、全国各地を自転車で回る旅番組でも親しまれた俳優の火野正平さんが今月14日に亡くなりました。75歳でした。 火野さんは東京出身、12歳のころから劇団「こまどり」に所属し、子役として活躍しました。 1973年に放送されたNHKの大河ドラマ「国盗り物語」で下克上の乱世を生き抜く秀吉の役を演じて、一躍、注目され、翌年には映画での主演デビューも果たしました。 その後は、数多くの映画やドラマに出演し、NHKでは2014年に放送されたドラマ「55歳からのハローライフ」で主人公の中学時代の親友でホームレスになっていた男性を好演しました。 また、NHKのBSで放送中の旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」で14年間にわたり“旅人”として全国各地を回りました。 番組は、視聴者からの手紙に書かれた思い出の場所を自転車に乗って訪ねるもので、手紙に込められた思いに寄り添う火野さんの味わ
Published 2024/11/19 07:35 (JST) Updated 2024/11/19 10:57 (JST) 親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日午後、老衰のため死去した。92歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男賢作(けんさく)さん。 父は哲学者谷川徹三。10代で詩作を始め、1952年、20歳の時に第1詩集「二十億光年の孤独」でみずみずしい言語感覚を持つ戦後詩の新人として注目された。 詩人の川崎洋さんと茨木のり子さんが創刊した詩誌「櫂」に参加。現代詩に限らず、絵本、翻訳、エッセー、童謡の歌詞、ドラマの脚本など半世紀以上にわたって活躍した。「朝のリレー」など国語教科書に採用された詩も多く、幅広い年代の人々に愛読された。 他の詩集に「六十二のソネット」「こ
自らの視点や実感を大切にした個性的な作品で知られたノンフィクション作家の髙橋秀実(たかはし・ひでみね)さんが13日、死去した。62歳だった。喪主は妻、栄美(えみ)さん。 【写真特集】追悼・今年亡くなられた方々 1961年、横浜市生まれ。東京外国語大モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経てノンフィクション作家となり、作家の村上春樹さんが地下鉄サリン事件の被害者に話を聞いた「アンダーグラウンド」でリサーチャーを務めた。「素晴らしきラジオ体操」のほか、日本社会の深層に迫った「からくり民主主義」「トラウマの国ニッポン」などの作品で注目を集めた。 2011年、「ご先祖様はどちら様」で小林秀雄賞を受賞。「趣味は何ですか?」や「おやじはニーチェ」など、ユニークな切り口の作品を数多く発表した。日本有数の進学校の野球部に取材した「『弱くても勝てます』開成高校野球部のセオリー」は14年、テレビドラマ化され
「漂流教室」や「まことちゃん」などホラーからSF、ギャグ漫画まで幅広く手がけた漫画家の楳図かずおさんが先月28日、亡くなりました。88歳でした。 楳図かずおさんは和歌山県に生まれ、小学生のころから漫画を描き始め、高校3年生のときに童話「ヘンゼルとグレーテル」を題材にした「森の兄妹」などでデビューしました。 その後、「へび少女」や「おろち」など人間の奥底にある闇を不気味なタッチで描いた作品がヒットし、“ホラー漫画の神様”と呼ばれるようになりました。 1972年から連載が始まった「漂流教室」では、荒廃した未来に小学校ごとワープしてしまった子どもたちが生き抜く様子をリアルに描き、映画化もされました。 また、ギャグ漫画「まことちゃん」は、幼稚園児の主人公が手の中指と小指を折り曲げる“グワシ”のポーズが大ブレイクし、社会現象にもなりました。 トレードマークの赤と白のボーダー柄のシャツや明るいキャラク
漫画家の楳図かずおさんが死去 88歳 「まことちゃん」「漂流教室」などの数々のヒット作生み出す 9枚 漫画「まことちゃん」などで知られる漫画家の楳図かずおさん(本名・楳図一雄=うめず・かずお)が10月28日に死去したことが5日、分かった。88歳。和歌山県出身。胃がんを患っていたといい、施設で療養中だった。葬儀は関係者で行った葬儀はすでに関係者のみで行った。 一般財団法人UMEZZは「生前、楳図は自分の作品が世界中の人々に届いて欲しい、永遠に読み継がれて欲しいと願っていました。また、自分の作品の芸術的価値を信じておりました。その志がこれからも皆様の心に留まり続けることを願っております。これまでご愛読、応援いただいた読者の皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝申し上げます」とのコメントを発表した。 楳図さんは1936年に和歌山県伊都郡高野町に生まれ、奈良県で育った。小学4年生で漫画を描
ロングセラー絵本「ねないこ だれだ」などで知られる絵本作家のせなけいこ(本名・黒田恵子=くろだ・けいこ)さんが23日午後10時52分、老衰のため神奈川県の自宅で死去した。92歳。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を開く予定。 東京都出身。童画家の武井武雄に師事し、昭和44年「いやだいやだの絵本」4冊シリーズでデビューした。貼り絵を使ったユーモアと温かみのある作風が特徴で、同シリーズの「ねないこ だれだ」は世代を超えて読み継がれる代表作に。表紙の白い「おばけ」は、せなさんの作品のトレードマークになった。同作はサンケイ児童出版文化賞を受賞した。 「あーんあんの絵本」4冊シリーズの「ルルちゃんのくつした」などに登場する女の子は娘がモデルで、自身の育児経験を基に子どもの姿を生き生きと描いた。主な作品に「めがねうさぎ」シリーズ、「おばけのてんぷら」など。
西洋美術史研究の第一人者として知られ、文化勲章を受章した美術評論家の高階秀爾さんが今月17日、心不全のため亡くなりました。92歳でした。 高階さんは東京出身で、東京大学大学院に在学中の1954年、フランスに留学して西洋美術を本格的に学びました。 帰国後は国立西洋美術館の主任研究官を経て東京大学の教授になり、主にイタリアのルネサンスからフランス近代にかけての西洋美術の研究を進め、「ルネッサンスの光と闇」や「近代絵画史」など数多くの著書を出版しました。 また、テレビ番組にも出演し、西洋美術の歴史や鑑賞法について分かりやすく解説してきました。 高階さんは長年、美術館の運営にも携わり、国立西洋美術館や、岡山県倉敷市の大原美術館の館長を務めたほか、功績のある芸術家を顕彰する国の機関「日本芸術院」の院長を務めるなど、文化行政にも力を尽くしました。 こうした功績が評価され、2012年には文化勲章を受章し
「おすぎとピーコ」のコンビで知られ、多くのテレビ番組に出演したファッション評論家でタレントのピーコさんが、先月3日、敗血症による多臓器不全のため、神奈川県内の病院で亡くなりました。79歳でした。 ピーコさん、本名、杉浦克昭さんは横浜市出身で、専門学校を卒業後、服飾デザイナーとしての活動を始めました。 その後、双子の弟で映画評論家のおすぎさんとともに「おすぎとピーコ」のコンビで多くのバラエティー番組やラジオに出演し、丁々発止の2人のやり取りが人気を博しました。 また、ファッション評論家としてもテレビ番組に出演し、明るいキャラクターと歯にきぬ着せぬ発言でお茶の間に親しまれました。 ピーコさんはがんのため左目を摘出し義眼を入れて活動していました。 関係者によりますとピーコさんは、数年前から認知症の症状が出始めたため、去年6月、施設に入所し、入所者と折り紙を折るなど穏やかな生活を送っていたというこ
映画「釣りバカ日誌」シリーズやNHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」など、数々の映画やドラマで幅広い役柄を演じてきた俳優の西田敏行さんが17日、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その場で死亡が確認されました。76歳でした。 目次 故郷・福島の復興に関わる 《芸能界から悼む声》 西田さんは福島県郡山市出身で、1970年に劇団青年座に入団、その後、映画やテレビで人間味あふれる役から暴力的な悪役まで幅広く演じる俳優として活躍しました。 1993年に公開された山田洋次監督の映画「学校」では、夜間中学の生徒をまとめる教師を演じ、日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞に選ばれました。 1988年から合わせて22作が公開された映画「釣りバカ日誌」シリーズでは、釣りをこよなく愛するサラリーマン、ハマちゃんを演じ、三國連太郎さんが演じたスーさんとのとぼけた掛け合いが人気を集めました。 また、NHKの大河ド
リンク Yahoo!ニュース コラムニスト唐沢俊一さん死去 24日に心臓発作、66歳 弟の漫画家唐沢なをき氏がXで発表(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース 漫画家の唐沢なをき氏(62)が30日、兄のコラムニスト唐沢俊一(からさわ・しゅんいち)さんが心臓発作により24日に亡くなったことを30日、X(旧ツイッター)で伝えた。 なをき氏は「9月24日、 163 中津宗一郎@名作ラノベ500選を目指します @nakatsu_s 唐沢俊一氏、亡くなったのか。オタク第一世代としてジャンルを牽引する存在だったが、下の世代への暴言も多く、オタク第二世代側からすると、ある時期以降、憎しみの対象であったと思う。残したものも多くあるが、その中にはデマも多く、色々と検証していかないといけないだろうな。御冥福を。 稗田おんまゆら @OmMayuraHieda 唐沢俊一先生は確実に私の世界を広げて下さった方でし
唐沢俊一さんは唐澤なをきさんのマンガの中に登場する人として最初に知った。たしかにマンガの中でも毒のあるキャラクターだったけど、お2人の関係がこれほど深刻な状態だったとは知らなかった。 なをきマンガの中のキャラクター化された彼とは違い、SNSで知る唐沢俊一氏は、ほとんどあらゆる人に恨まれ、嫌われていた。マンガ化した実の弟であるなをき氏も含めて。なんでそんなことになってしまったのかはわからない。 リンク先の動画を見ると、動画の最後で唐沢俊一氏は国生さゆりに首を絞められている。まるで高校生の女の子が教室でちょっと皮肉屋な男の子にそうするみたいに。唐沢俊一氏も嬉しそうだ。そりゃそうだろう。文化についてちょいとシニカルなウンチクを垂れて、「もー夢を壊さないでよ!」と美少女に首を絞められるなんて、すべてのオタク男子の夢である。 ずっとこのラインで生きていけたらよかったのにな、と動画を見ながら思う。動画
山藤章二さん(撮影・岡田晃奈) この記事の写真をすべて見る イラストレーターで稀代の風刺画家であった山藤章二さんが9月30日、老衰で亡くなった。87歳だった。葬儀は未定。週刊朝日で「ブラック・アングル」を45年、「似顔絵塾」を40年にわたって連載した(いずれも2021年終了)。「ブラック・アングル」などで様々な作風を駆使した風刺画やパロディー画を発表し、「現代の戯れ絵師」を自称していた。 【写真】小沢昭一さんが「元の絵が思い出せない!」と言った強烈なブラック・アングルはこちら 遺族によると、最近は次のように過ごしていたという。 「ブラック・アングルの連載を終えた後は、締め切りのない日々を穏やかに過ごしていました。昨年の阪神優勝も大変喜んでいました。最愛の妻と、毎日一緒にテレビを見て、茶飲み話をし、時々手を繋ぎ、本当に仲の良い夫婦でした。昨年末、妻に先立たれてから急に元気がなくなったように感
Published 2024/09/21 09:39 (JST) Updated 2024/09/21 10:30 (JST) 保守派の論客として知られた文芸評論家で慶応大名誉教授の福田和也(ふくだ・かずや)さんが20日午後9時47分、急性呼吸不全のため千葉県浦安市の病院で死去した。63歳。東京都出身。葬儀は関係者のみで行う。喪主は妻圭子(けいこ)さん。 文芸評論家の江藤淳さんに才能を見いだされ、若くして論壇と文壇の双方で活躍。「日本の家郷」で三島由紀夫賞、「甘美な人生」で平林たい子文学賞(評論部門)を受賞した。人物評伝から食を巡るエッセーまで幅広いテーマで執筆活動を展開。慶応大で教壇に立ち、テレビやラジオのコメンテーターも務めた。 「地ひらく」で山本七平賞、「悪女の美食術」で講談社エッセイ賞を受賞した。
松岡正剛は、2024年8⽉12⽇(⽉)、東京都内病院にて肺炎のため逝去いたしました。⽣前のご厚誼に深謝し、謹んでお知らせ申し上げます。 通夜および葬儀は近親者のみにて執り⾏われましたので、訃報のご連絡も法要後とさせていただきました。何卒ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。 また、誠に勝⼿ながら、ご遺族の強い意向により、ご供花、ご供物、ご⾹典、ご弔電、ご弔問等は固くご辞退させていただきます。何卒よろしくお願い申し上げます。 記 故⼈⽒名:松岡 正剛(まつおか せいごう) ⽣年⽉⽇:1944(昭和19)年1⽉25⽇(享年80) 出⾝地:京都市 死亡⽇時:2024年8⽉12⽇ 午後1時53分 死因:肺炎 なお現時点で⽇時・場所等の詳細は未定ですが、後⽇「お別れの会」を予定しております。 <略歴> 編集⼯学者。編集⼯学研究所所⻑、イシス編集学校校⻑、⾓川武蔵野ミュージアム館⻑。 70 年代に
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