5年前の2011年3月12日、東京電力福島第一原発の1号機が水素爆発した。東日本大震災の地震と津波による被害で、原子炉を冷やす電源を失ったためだ。原発敷地内は大混乱に陥り、高い放射線量のなかでの作業は、困難を極めた。 陸上自衛隊郡山駐屯地の佐藤智2等陸曹(49)ら消防班5人は、駐屯地の消防車に乗り込み、1号機の原子炉に水を送るための作業にあたっていた。放射線量はすでに高く、隊員は防護服に全面マスクの格好。ふだんの消火作業とはまったく勝手が違っていた。 午後3時36分、突然、大きな爆発が起きた。1号機の原子炉建屋だった。消防班は、1号機と隣り合う2号機の近くを車で移動していた。爆発音とともに、建屋の鉄骨の一部が助手席側の窓ガラスを突き破り、案内のために同乗していた東電社員の腕を直撃した。 爆発のほこりで、視界はほぼゼロ。「また爆発するかもしれない。早くこの場から離れよう」。佐藤氏らは、骨折し