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妻が海外赴任、その時に夫はどうなる…?◆仕事漬けから一転、「駐夫」になって見えたもの #働くあなたへ

2024年12月17日11時00分

 昼夜無く大臣や議員の取材にまっしぐらだった政治記者が、妻から「海外赴任」を告げられたら―。元共同通信記者でジャーナリストの小西一禎さん(52)は、妻の海外駐在に同行した自身の「駐夫(ちゅうおっと)」経験を基に「妻に稼がれる夫のジレンマ」(ちくま新書)にまとめ、今年出版。一変した生活や仕事に対する葛藤の末、「壮大な勘違いに気付いた」という小西さんに話を聞きました。(時事ドットコム取材班 斉藤大

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キャリア中断への恐怖

 2017年8月、日頃の激務から離れ、夏休みに訪れた沖縄のホテルのプールサイド。4歳と2歳の子どもとビーチチェアでくつろいでいた時に、製薬会社に勤める妻から聞いた言葉が全ての始まりだった。「私、ニューヨークに転勤することになったから。あなたはどうする?」。南国のまぶしい青い空が、一気に曇天になったように感じた。「マジか」。小西さんは、バカンスを楽しむ子どもの手前、平静を取り繕ったが、内心は困惑していた。

 1年ほど前、妻は小西さんに「私が海外転勤になったらどうする?」と話していた。その頃、妻は家事や育児を担うために時短勤務。勤務先で子どものいる女性が海外赴任した例も無いと聞いていた。「だから、適当に『そうなったら付いていくよ』と答えていたんですよね。彼女の能力も過小評価していた」。小西さんは当時をこう振り返る。

 本当に妻が海外赴任することになった。小西さんは自社に「配偶者海外赴任同行休職制度」があると知っていたが、いざ直面すると「俺のキャリアはどうなる?」とためらいが生じた。小泉純一郎首相による郵政解散・総選挙が行われた05年に政治部に配属され、12年余り。身を粉にして官邸や与野党、中央省庁で激動する政治を取材してきた。2度の政権交代も経験した。「政治の世界は3日休むと追い付くのが大変。それを何年も不在にすることへの恐怖がありました」。

「あいつ終わったな」

 妻は子どもとだけでも転勤するつもりだったが、小西さんはそれが想像できず、真剣に同行を検討。子どもと過ごす時間を増やせるし、仕事も家事も頑張った妻のキャリアを応援できる。米国の政治を現地で見られる―。そんなプラスの面が思い浮かんだ。最終的に決め手となったのは会社の休職制度だった。「キャリアを中断するとはいえ、仕事を失わずに済むということが大きかった」。

 上司に米国への同行と休職を告げると、「制度があるんだから堂々と使え」と賛同してくれた。社内で初の男性による制度利用。女性の同僚や後輩から好意的な意見をもらった。その一方で、「あいつは終わったな」「俺にはできない」「何、考えてるんだ」というような声も風の便りに聞いた。「もう決めたこと。ひたすら前を前を向くしかない」。17年12月、ニューヨークでの新生活が始まった。

 妻が早朝に出勤した後、子どもの食事を作り幼稚園へ送り出す。スーツを着ず、永田町にも行かない「主夫」としての日々。かつては仕事に没頭する半面、家事や育児を妻に任せきりしていたことを改めて認識した。独身時代の経験で洗濯は苦ではなかったが、料理は気が向いた時だけ。「大味な『男の料理』で家族からは大不評。だからネットの料理動画でみじん切りとか見よう見まねで一から覚えました」。冷蔵庫にある食材をレシピサイトで検索し夕飯を考える術も身に付けた。

 憧れだった米国生活。異文化に触れることも、家族と過ごす時間も楽しかった。それでも、会社のメールのチェックは毎日欠かさなかった。ネットで政治の記事を読みあさっていると、「俺、あの場にいないんだな」と茫然自失になった。ワシントンで活躍する特派員を見て、いら立ちを覚えることもあった。「やっぱり働いていない自分がなかなか受け入れらなかったんです」。

メンタル救った「仲間」

 子どもたちが通ったのは邦人向けの幼稚園。保護者会に行くと、予想通り「駐妻」ばかり。「最初はどういう視線を浴びるか怖くて妻に一緒に来てもらいました」。男性は小西さん1人だけ。「まるで絵本の『スイミー』のようだった」と苦笑する。永田町とはまるで別世界。数カ月後の保護者同士のランチ会で「小西さんもだいぶ慣れましたね」と声を掛けられ、ようやく周囲に溶け込めたと感じたという。

 当時、小西さんの近くには同じ境遇の知人が2人いた。「もしかしたら、各国に悶々としている男性が結構いるかも」。18年秋、フェイスブックに「世界に広がる駐夫・主夫友の会」グループを立ち上げた。

 書き込みや閲覧は本人限定で、日頃の生活を紹介したり、家族にはなかなか言えない相談をしたり。オンライン飲み会や、日本に帰国した人のその後を語ってもらうウェビナーなども開催。参加者が複数いる都市では対面での交流も生まれた。小西さんによると、「駐妻」に比べ数少ない「駐夫」は精神的に孤立しがちだという。「この会があることで『自分は独りではない』と思える。私自身も助けられた」。当初4人で始まった友の会は、OBも含め200人近くにまで輪を広げている。

帰国後のキャリアは…?

 3年間の休職制度の期限だった20年11月に、共同通信を退社した。その頃はコロナ禍の真っただ中。「家族を残して日本に帰国することは考えられなかった」という。その後、妻の転勤が決まり、渡航から3年3カ月経った21年3月に帰国した。

 小西さんは、自身の経験から「駐夫たちの帰国後のキャリア」について本を書こうと考えていた。帰国直後から大学院に通い、20~40代の駐夫経験者10人にインタビュー。修士論文としてまとめた上で、加筆・修正し「妻に稼がれる夫のジレンマ」を完成させた。

 「私が渡航時に悩んだキャリアの問題について知りたかったんです。自分に起きたことが、果たして他の人にも起きていたのか」。稼ぐことが無くなった喪失感や、夫婦関係の変化に対する葛藤、異国の価値観から得た気付き……。どの人も一筋縄ではいかない悩みを抱えつつも、海外生活を機にこれまでの意識を変えキャリアの再設計に挑んでいた。今後もフリーのジャーナリストとして、キャリア形成やジェンダーに関する取材や講演活動を続けていく計画だ。

男性が同行は「8%」

 小西さんのような駐夫は、まだかなり少数派だ。国は国家公務員に対する最長3年の配偶者同行休業制度を14年に導入したが、制度利用者のうち9割超が女性。男性は8%にとどまる。一方、労働政策研究・研修機構の調査(16年実施)によると、同様の制度を導入する民間企業は3.9%。検討中は1.6%だった。

 現在は同制度を導入する企業も徐々に増えてきたとみられるが、小西さんは全ての企業に必要だと強調。復職の際、海外滞在期間に習得した語学や資格、ボランティア活動などを評価する仕組みも求める。また、同行する配偶者はいったんこれまでのキャリアから離れざるを得ないことから、「駐在員を送り出す企業はその点を認識し、配偶者への語学やキャリアなどを支援する仕組みを作っていくべきだ」と指摘する。

男女格差、男性が認識を

 記者時代は家庭より仕事が最優先だった。「『俺の仕事の方が上なんだ』と壮大な勘違いをしていた。妻は冷ややかな目で見ていたと思いますよ」。男のメンツを守るために長時間労働もいとわない姿勢が大事だと思い込んでいたが、半ば強制的にキャリアを離れたことで「常に求められてきたマッチョさ」から降りることができたという。

 日本ではかつてに比べ就業する女性が増え、「男は仕事、女は家庭」といった価値観は薄れつつあるが、男女格差の実態は依然として存在する。経済協力開発機構(OECD)によると、日本の家事や育児など無償労働の時間は男女で5.5倍もの差があり、各国が2倍程度の中で特に際立つ。世界経済フォーラム(WEF)が毎年公表している「ジェンダー・ギャップ指数」でも、日本は特に政治や経済分野で男女差が大きく、主要国で最低レベルの状況が続いている。

 「男女の状況の非対称性について男性自身が気付くことから、何かが変わってくるはず」と小西さん。本当に大事なことは仕事だけなのか。「壮大な勘違い」の末に見えた問いを、男性に、企業に、社会に訴え続けていく決意だ。

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