サッカーJ1福岡で今季まで指揮を執った長谷部茂利監督(53)は、退任前最後の試合を終えて言った。「アビスパ福岡が勝つため、成績を出すため、勝ち点を取るために全てを懸けてきた」。J1に昇格し、定着。そして昨季のルヴァンカップ優勝―。クラブの歴史を塗り替えた5年間の歩みをたどった。揺るぎのないサッカー哲学が、そこに浮かび上がる。(時事通信福岡支社編集部 鎌野智樹)
1年でJ1復帰
2020年。当時J2で、前年は16位に低迷した福岡の監督に就任した。19年にJ2水戸を7位に押し上げた指揮官がまず着手したのは、攻守の切り替えなどサッカーのベースとされる部分の改善。「キャンプを含め、1カ月でつくった。自分たちは何をしたいのか、どうしたら対等に戦えるチームになれるのか、というところを選手と合わせた」
北九州との同県対決となった開幕戦に1-0で勝利。しかし、新型コロナウイルス感染拡大により、約4カ月の中断を余儀なくされた。再開後しばらくは下位に沈んだものの、9月から破竹の12連勝。シーズン42試合で29失点と守備の堅さが光り、2位でJ1昇格を遂げた。
「5年周期」を食い止める
クラブとしての課題はここからだった。06年、11年、16年とJ1へ復帰したものの、いずれも1シーズンでJ2へ逆戻り。「5年周期」と呼ばれる苦い歴史を持っていた。
迎えた21年。「(最下位の)20位からのスタート。自分たちの立ち位置は下」と長谷部監督は認識していた。「そこから勝ち点を取って上がっていく」「リーグ戦10位以上、勝ち点50以上」。残留にとどまらない高い目標を掲げ、J1での挑戦が始まった。
出だしでつまずき、「最初の数試合は強度の差でことごとく敗れた。内容うんぬんではなく、強度だけで負けていた」。だが、徐々にJ1の水準に適応。前年同様、勢いに乗ると止まらない。4月17日のF東京戦の勝利を口火に、クラブ初となるJ1での6連勝。さらに8月、J1新記録の30戦無敗を誇っていた川崎を1-0で破る金星を挙げた。「限界をつくらない、不可能という考えはない。一つずつ記録を更新していくのが、今のクラブに課されている立ち位置」。勝ち点54で8位に食い込んだ。
コロナに苦戦も、ルヴァン杯で奮闘
続く22年は厳しい戦いに。課題の攻撃力不足が顕著で、リーグ最少の29得点。最終節で辛くも残留を確定させ、14位に終わった。夏場はチーム内で新型コロナ陽性者が相次ぎ、苦しい編成を余儀なくされた。リーグ戦で勝ち星を積めない中、ルヴァンカップでの奮闘が光った。
8月3日、神戸との準々決勝第1戦。福岡はベンチの選手が4人だけで、終盤には控えGKがフィールドプレーヤーとして出場した。1週間後の第2戦でも、それまで出場機会が少なかった選手の貢献が光り、2戦合計3-1で勝利。目標としていたクラブ初の4強入りを果たした。
得点力アップで初タイトル
得点力アップをテーマにした23年。ドリブラーの紺野和也、元日本代表ボランチの井手口陽介(現神戸)が加わったチームは躍動感が増した。
そして大きな偉業を成し遂げた。11月4日の浦和とのルヴァンカップ決勝。2―1で逃げ切り、クラブ初の国内主要タイトルを手にした。「自分たちの最高のパフォーマンスを、あの大会で、決勝戦で出せた」と長谷部監督。リーグ戦で過去最高を更新する7位に入り、天皇杯でベスト4。最も好成績を残したシーズンだった。
勝負に徹する堅守速攻
悲願をもたらした長谷部監督には、貫いてきた姿勢がある。「勝負に徹すること。どうしたら勝ち点を取れるか、試合に勝てるか、引き分けられるか。そこに徹することが大事」
福岡での戦法は堅守速攻。クラブは売上高やチーム人件費はJ1下位で、技術に秀でた選手をそろえるのは難しい。同監督が「ストライカーに2億円払えるチームじゃない」と冗談ぽく言ったこともある。
選手には「最大出力」の発揮を求めた。「自分たちが攻守、切り替えも含めて100%出し切って、初めて五分五分に持っていける」「下手だからボールに触らない、背が小さいからヘディングは競らない、そういうことは、私のチームではあってはならない」。そう訴えた。
ゾーンディフェンスを整備
選手個々の貢献を土台に組織的な守備を築き上げた。「いい距離感、守備のポジショニングから、ボールホルダーやボールに行く」のが原則。「ゾーンディフェンス」と呼ばれる戦術だ。
ボールを奪いに行った選手に連動して、味方もポジションを取ることが求められる。今季加入したボランチの松岡大起は「自分の中ですごく新しい考え方を、監督、コーチングスタッフに教えてもらった」と語る。その上で「一番の肝はコミュニケーション」だと言う。
前寛之は水戸時代から長谷部監督の下で中盤を支えてきた。「僕らが発信して、FWやシャドーを(プレスに)行かせて、僕らがつながり、DFラインもつながっているのが守備の理想だし、福岡の守備の良さ」と指摘する。
日頃の練習でも、連係して守る意識を浸透させた。ボール保持の練習では、複数人が常に攻撃側の役割を果たし、守備側の人数の方が少ない。「普通に行っていては(ボールを)取れない。どれだけコンパクトに、次の狙いどころを持って、それを感じられる選手が何人いるかが大事」と前は語る。組織的な守備を軸に、5年間を通じてチームが大崩れしたことはなかった。
守備からスムーズに攻撃へ
ゾーンディフェンスは速攻にもつなげやすい。相手選手へのマークをはっきりさせるマンツーマンディフェンスに比べ、ボールを奪った瞬間に相手との距離が開いていたり、フリーでボールを受けられたりすることが多く、攻撃に転じやすい。最終ラインを支える田代雅也は「守備で良いポジションを取れているからこそ、奪った時にカウンターに行けるポジションが取れるようなフォーメーションや戦術を組んでいる」と言う。
ゴール寸前で体を張って守る場面が注目されることも多かった。ただ、指揮官が目指したのは前線でボールを奪っての速攻。今季も粘りが光ったが、「その回数を減らしたい。もうちょっと前から行きたいし、ボールを取って、つないで攻撃したい」と理想を語っていた。
多くの指導者から影響
長谷部監督は、06年に神戸で指導者としてのキャリアをスタートさせた。当時の監督は、組織的なプレーを徹底させることで知られたスチュアート・バクスター氏で、松田浩コーチが同年途中から指揮を執った。ゾーンディフェンスを得意とする2人について「影響は大いに受けている」と言う。
さらに、「選手の時も含め、たくさんの監督さんに会った。いろいろなことが自分の引き出しになっている」。選手時代にV川崎(現東京V)で指導を受け、神戸でも監督とヘッドコーチの関係だったネルシーニョ氏、神戸でコーチを務めていた時に監督だった元日本代表監督の西野朗氏、現役最後にプレーした03年の市原(現千葉)で指揮していた故イビチャ・オシム氏の名前を挙げた。
福岡で監督を務めていても、コーチの助言に耳を傾けた。「自分が考えていることよりも、コーチがいいものを持っていたら、コーチが指導した方がいい時がある」。多くを取り入れ、今のスタイルが出来上がった。
サポーターの反発にもぶれず
失点を減らすことに重きを置いた戦い方は、多くの得点やゴール前での攻防を求めるサポーターから反発を招くこともあった。今年9月28日に行われた鳥栖との「九州ダービー」は、両チーム無得点で引き分けた。
敵地で勝ち点1を手にしたが、隣県のライバルに是が非でも勝ちたかったサポーターからは選手に批判の声が飛んだ。長谷部監督は珍しく怒りをあらわにし、記者会見で「たくさん点数が入るゲームよりは面白くないが、いい戦いをした。そういうふうに思っていただきたい」と訴えた。
これまでも同様の声を耳にすることはあったが、「勝ち点を取れる監督が一番良い監督。自分なりに、戦略も戦術も交代も選んできた」と信念を語る。「自分たちよがりな気持ちいいサッカーで、楽しいけど勝ち点が取れないのは駄目。勝ち点は取れるけど、面白くない。これはまだいい。J1であり続けるから」。姿勢がぶれることはなかった。
選手と正面から向き合う
個性の強いプロの選手と向き合う上で、大切にしてきたことがある。「やっていることに対して見ることは怠らない。なるべく見ることで情報を得たい」。全体練習が終わってもグラウンドに残り、それぞれの取り組みに目を配る。そして声を掛ける。「聞いた話で『こうだったらしいな』というのが多くなってしまうと信頼関係は失う」と心に刻んでいる。
けが人が出たり、連戦が続いたりした時に、普段は出番の少ない選手が活躍したことが数多くあった。十分な出場機会を与えられない選手との向き合い方にも腐心してきた。「彼らがどういう思いなのかを考える」
選手として、1994年にV川崎に入団。チームには三浦知良、ラモス瑠偉らスターがそろっていた。ベンチを外れる試合も多く、「プロ選手とはいえ、1億円プレーヤーではないし、ずっとレギュラーで活躍した選手ではないから、彼らの気持ちが分かる」と言う。その上で「自分の経験、今まで見てきたことを、自分なりに表現してコミュニケーションを取っている」。練習場はいつも活気にあふれていた。
福岡での5シーズンで一番うれしかったことは。そう問われた長谷部監督は「雰囲気が良かったこと。喜怒哀楽の中で、喜びの雰囲気が多かった」と答えた。自身が選手と正面から向き合ってきたからこそだろう。
目標に届かず退任決断
今季は23年を上回る6位以上を目標に掲げた。7月上旬には6位につけたが、夏場に運動量が落ちて守備の強度を維持できずに失速。主将の奈良竜樹ら長期離脱者も出ていた。その中で長谷部監督は、退任を決断した。
「クラブがもう少し良くなる、飛躍するためには、自分自身が去ることがいいんじゃないか」。続投のオファーを受けていた中、熟慮の末に考えを固めた。
「目標を達成できなければ身を引くのは当たり前のことで、プロである以上、いつも考えている。必ず一つは目標を達成できた4年間だったが、今シーズンは何一つ達成することができなかった。それは監督の責任」。結果にこだわってきた本人の明快な理由だった。
就任当初はJ2。そこから毎年、高い目標を定めてはクリアし、クラブを押し上げてきた。念願のJ1定着に導き、今季も残留争いに巻き込まれることなく12位で終わった。決して悪くない成績だが、満足はできなかった。
「全てを懸け、やり切った」
12月8日、福岡を指揮する最後の試合となったJ1最終節の川崎戦。1-3の敗戦にも、すっきりしたような言葉を並べた。「アビスパ福岡が勝つため、成績を出すため、勝ち点を取るために全てを懸けてきた。自分たちの向上、改善、修正、成長。そういうことをいつも考えてやってきたので、充実していたし、やり切った」
ラストゲームの相手、川崎で来季から監督人生が続く。「いい監督というのはチームを勝たせる。優勝する監督が一番いい監督だと思う。それを目指す」。新たな挑戦に臨む。