国衆とは、戦国時代に登場した地方領主で、戦国大名ほど大きくはないが小規模ながらも独自に領域支配を行った存在である。
概要
20世紀末に戦国大名研究が進む中で、様々な権力主体が悪く言えば十把一絡げに「戦国大名」概念を適用されたことに対する批判として、西国史研究から矢田俊文の「戦国領主」論、そして東国史研究から黒田基樹の「国衆」論が展開された。
21世紀に入るとこの視点が全国の様々な地域権力の研究に適用されるようになり、2010年代には一般にも浸透していった、というのが大体の流れである(もちろん批判も起きており、後述の黒田基樹の定義は、関連商品にある『全国国衆ガイド』ですら再定義を行っている)。
長々と研究史を整理するのは後回しにして、とりあえず黒田基樹の定義を基にすると、
というのが国衆である(つまり純粋な大名の家臣は国衆ではない)。
それじゃあその上位の戦国大名って何なんだよ、ってなるので丸島和洋の定義を載せておくと、
ということらしい。
この国衆という存在は、2016年の『真田丸』、2017年の『おんな城主 直虎』といった大河ドラマでもスポットライトを当てられ、一躍一般にも知られるようになった。
研究史
というわけで研究史を整理しようと思うのだが、どうあがいても面白くならない文が長々と続くので、簡単に概要を知りたい人は関連商品まですっ飛ばしてほしい。
戦前にも行われてきた中世後期(室町時代~戦国時代)の地域権力研究だが、戦後に先鞭を打ったのは戦後歴史学の泰斗・石母田正によるものである。もちろん当時はマルクス主義的な唯物史観バリバリの時代であり、石母田正は守護大名が成長した在地武士団を組織することによって地域封建制を実現したとしたのであった。
そしてそれを発展させ、「守護領国制」論として体系化したのが永原慶二である。とりあえず戦国時代についてのみ触れると、戦国時代は地域的封建権力の発展期として位置づけられていた。つまり独立小農民の広汎な成立、荘園領主・室町幕府の衰退、武士階級の結集によって、戦国期の大名領国は室町期の守護権力が持っていた地域封建的性格を発展した、と評価したのである。
この二人を通じて室町時代の守護、戦国時代の戦国大名は中世以来の荘園制を解体する主体として位置づけられた。こうして大体1960年代までが「守護領国制」を基調に研究が行われていったのである。
ところが、1960年代~1970年代にこの論への批判が相次ぐ。さらに肝心の永原慶二自身も「守護の地域的封建権力形成の主体としての未熟さ」を認めていった。
こうして1970年代~1980年代にかけて独立的な「国人領主」に関する研究が佐藤和彦、田端泰子、藤木久志、黒川直則といった室町時代、戦国時代研究者によって進められていった。そうした研究を受け、ついに永原慶二は戦国期の体制概念を「大名領国制」として定義し、池亨らが室町時代と戦国時代の断絶性を強調していったのであった。
という感じに理論面ではかなり揺れ動いていったのであるが、1980年代まで地域権力に関する実証的な研究はかなり蓄積されていったのである。
そして1980年代~2000年代までに田沼睦、川岡勉によって「室町幕府―守護体制」論が進められる。これは要約すると、将軍の天下成敗権は室町幕府に属する大名の衆議に基盤を置いているが、その守護たちも地域支配は中央国家、つまり幕府の委任によって果たされる、というものである。これを受けて戦国時代の研究では守護を引き継いだ戦国大名による「戦国期守護」が登場した、とする矢田俊文の研究が登場した。
つまり、戦国時代と室町時代を連続的にとらえ、戦国期権力の形成要因を国成敗権、守護権の掌握としたのである。この論はかなりの批判にさらされはしたものの、「戦国大名」概念を相対化した、というのが重要なポイントであった。この結果、「戦国大名」をどこまで適用するか、という問いがたてられるようになったのである。
具体例として有名なのが北条氏研究一極化への批判であり、宮島敬一、市村高男、佐藤博信らによって、ほかの様々な大名が論じられていった。また戦国法の研究を通して提言された勝俣鎮夫の「国民国家」の萌芽となった「戦国大名国家」論、とそれに対する池上裕子の批判、村井良介の再批判の流れもある。そして東国史研究では市村高男が従来「戦国大名」と定義されてきた権力主体を「地域的統一権力」と定義し、そして矢田俊文の「戦国領主」論や峰岸純夫の「地域的領主」論、それを発展させた黒田基樹の「国衆」論が1990年代に登場するのである(ここまで長かった…)。一方西国でも村井良介が「戦国領主」論を発展させている。
こうして登場した「国衆」、「戦国領主」という概念であるが、もちろん批判も免れてはいない。特に戦国大名と国衆(戦国領主)の権力を同質とみるのは論拠が不明というものが、核心をついていると評されている。
一方室町時代の「国人領主」概念には1980年代から疑問が出される。石田晴男の「国人」は外様衆・奉公衆といった幕府御家人を意味する資料用語であることを解明したのは画期とされる。それに吉田賢司、西島太郎といった「国人」の実態解明が続き、「国人」は領主制論に用いられることはあまり見られなくなった。政治史的には市川祐士、社会経済史的には久留島典子、川岡勉らがさらに研究を進めた。
そして室町時代から戦国時代にかけて「国人」、「国衆」、「戦国領主」を通時的に分析した菊池浩幸が現れたのが現段階であり、室町時代と戦国時代の地域権力がどのようにつながるか、については明確な提言はまだない。さらに国衆・戦国領主がどのように現れたかも論者によって分かれている。
また戦国大名と国衆・戦国領主がどのような関係を結んだかも課題が残っている。というのも「国衆」概念が多様化されたからだ。さらに国衆の中で何が有力か、国衆間の関係はどうだったのかといった問題も残る。さらに言えばそもそも戦国大名もとことん研究されたのか、という問題提起もなされている。
というわけで実はまだ課題は多いのだが、国衆がどのように研究されるようになったか、についてはまとめきれたので、ここで筆を止めておく。
関連商品
2015年に発売され、独自の定義により全国の国衆514氏を紹介した最初の一般向け書籍。ぶっちゃけ必読書。
黒田基樹による国衆論を踏まえた戦国大名についての概説書。おおよそ北条氏研究が基になっている。
大河ドラマ『真田丸』を監修した平山優による、武田氏研究を基にした国衆についての一般書。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』を監修した大石泰史によるものなど、今川氏研究を基にした国衆についての一般書。
少し内容が難しいが、西国の毛利氏研究を基にした戦国領主についての一般書。
戦国史研究会で行われたシンポジウムをまとめた論文集。一般書から専門書や論文への橋渡し的存在。
他にも研究史を整理した本として以下のものがある。
岩田書院から発売されていた論文集。「ひとり出版社」として有名な同社の、2018年以降の事業縮小のため、21巻で完結してしまった。
戎光祥出版から出版されているそれぞれ東国と西国を取り扱う論文集。戦国大名をテーマにしているが、収録されている論文には国衆に関するものもちらほらある。
黒田基樹の論文集のうち代表的なもの。ここまでくるとお値段も高く、読み通すのも大変。
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