唯物史観とは「歴史とは経済をきっかけに動いていく」というドイツ哲学者カール・マルクスが考案した歴史観である。「唯物史観」の命名は彼の盟友のエンゲルスによる。
概要
唯物史観の特徴は三つある。
- 「歴史の発展具合を決めるのは経済である」経済史観
- 「経済の発展にともなって人間社会は原始共産制、奴隷制、封建制、資本主義、共産主義と進歩していく」発展史観
- 「その節目には階級同士の対立と闘争がある」階級史観
以下の文章は「唯物史観の公式」と呼ばれており、数学の公式みたいなもんでなので長ったらしいけれども全て引用した。もちろん丸暗記する必要はないし、流し読み推奨である。唯物史観とは以下のような歴史観のことを言う。
人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。(経済学批判序文)
専門用語を用いて一行で述べるならば「経済諸力の発展が既存の経済諸関係に対して矛盾が起きたときそれを契機としてアウフヘーベンが発生し新たな社会体制が生まれるという歴史観」となる。
難しい表現であるが、要するに上に書いたように「歴史ってのは経済をきっかけにして動いていくのだ」という考え方が唯物史観である。
いつの時代も世の中が進歩して商品の生産能力(経済)が発展すると、既存の社会(政治や法律)に適合しなくなってきて矛盾を持ち始めるようになる。そうなった時には政治も経済に応じて変わっていき、それが連続することによって歴史を作っていく、というのが唯物史観である。経済の矛盾を正すために政治が動き、歴史が変わるのだ。
マルクスはこの理論における経済を「下部構造」、政治などを「上部構造」と呼んだ。すなわち下部構造が上部構造を規定することになる。政治や法律は人の意思や感情で決まるが、反対に経済は人の意思や感情から独立して決定しているからこのような構造を取るのだ。
先述した通りこの唯物史観には「唯物弁証法」が用いられている。「古い時代の社会制度」と、経済発展によって生まれた「その経済に合わせた社会制度への欲求」との間に「矛盾」が起きる。この結果、二つの社会制度の間でアウフヘーベン(止揚)が起きて「新しい社会」が生まれていくのである。
マルクスはこの考えを根拠に、歴史は原始共産制→奴隷制→封建制を辿り資本主義を経て必然的に社会主義になり、共産主義へ移行することを論じた。
「→」のところでアウフヘーベンが発生している。
なのでマルクスは他の社会主義者と違って具体的な共産主義社会がどのようなものかを説明しなかった。マルクスが示したのは、そこへ至るまでのプロセスであり、そこから先の未来社会はその時の社会の経済状態が決めるものであるとして人智では予想しえないと考えていたのである。
唯物史観に対する批判
唯物史観に対する批判として次のものがある。
マルクスは社会主義革命は資本主義が成熟しきった国で発生するとし、当時最も資本主義が進んでいたイギリスがまず社会主義革命を起こすと予言した。しかし、社会主義革命は発展途上であるロシアや中国、キューバなどで勃発した。歴史実証主義的に考えるならば、唯物史観は間違っていたと言える。
独社会学者マックス・ヴェーバーは代表作の『プロテスタントの精神と資本主義の倫理(通称、プロ倫)』の中で、資本主義の発展の一因はプロテスタントの精神性にあると主張した。一般的に資本主義は、自由市場の下、欲の正当化によって発展したと考えられていたが、ヴェーバーによれば、資本主義の発展はむしろプロテスタントの禁欲性にあるという。歴史の発展を宗教に原因を求めたという点で、経済に歴史の発展の原因を求めたマルクスとは対照になっている。
他には、米政治学者フランシス・フクヤマが著作『歴史の終わり』の中で「民主主義と自由主義は人類の最終社会形態である」として人類の歴史は民主主義・資本主義で終わりと主張したものがある。この場合の歴史の終わりとは、人類の発展が終わったり、人類は民主主義・資本主義のもと繁栄をするということではなく、今後社会の変化や混乱は継続して発生するが、それはどこまでいっても民主主義・資本主義の枠に収まるという意味である。人類の段階的発展を否定する点で唯物史観とは対立する。
この他、唯物史観は経済に重点をおきすぎている、と言う批判があり、その後、革命は複合的要素によって発生すると主張する社会学者も登場し、現在ではこの見方が主流である。
では次に、その今の見方である「重層的決定」を説明する。
重層的決定
唯物史観は、政治や宗教、芸術など人間の思想は経済によって決まるという理論であるが、これはよく考えるとおかしいところが沢山ある。まずマルクス本人も指摘していることだが、芸術の発展と経済的発展は一致しない。たとえば経済的に豊かな日本に世界的芸術家が多く誕生しているわけではない。唯物史観には歴史的にも直感的にも多くの例外が思いつくだろう。
そこで20世紀の仏哲学者ルイ・アルチュセールはこれを重層的決定という理論でこの矛盾を解決した。重層的決定とは「ある物が決まる時は様々な要因で決定される。ただしそれらの要因には優先度があり、その優先度のことを審級と呼ぶ」という理論である。これを唯物史観に当てはめると「歴史や政治は様々な要因によって決まる。特に経済は最終審級であり最後の最後は経済が歴史を動かす」ということになる。経済は歴史や社会を動かす重要な要素ではあるが、しかしあくまで一つの要因でしかない、ということだ。
独の哲学者ヘーゲルは精神世界の絶対性によって社会や歴史を説明しようとした。マルクスはヘーゲルから影響を受け、理論を逆転させ精神ではなく物質、つまり経済で社会や歴史を説明しようとした。アルチュセールはヘーゲルやマルクスのように一つの要因で社会や歴史が決まるという理論を否定したのだ。なんか急に普通っぽくなってしまったが当時はマルクス学全体に衝撃を与え、アルチュセールショックを起こした。
ところで
観念論
唯物史観の「唯物論」というのは元々は「世界の根源を為すものを自然、すなわち物質に求める考え方」のことをいうが、この唯物論の対義語が「観念論」である。観念論は唯物論とは反対に「世界の根源を意識や精神に求める考え方」。例えば、神が人を作ったと考えるのが観念論。人が神を作ったと考えるのが唯物論である。当時は教会や国家が自らの権威の神聖さを保つために観念論が奨励された。とりわけマルクスの生まれたドイツでは観念論の勢いが非常に強かった。
ではあなたは唯物論者だろうか?観念論者だろうか? これは次の三つの質問[2]にあなたがどう答えるかで分かる。
もしあなたが全てにYESと答えたならば、あなたは唯物論者である。いまでこそこれらは当たり前のようにYESと答えられるのだが科学が発展しておらず絶対的でなかったマルクスの時代はもちろん日本でも一昔前は「唯物論か? 観念論か?」の議論は学生を中心に繰り広げられていた。例えばマルクスが強い影響を受けた独哲学者ヘーゲルは観念論の最重要人物である。
マルクスは当時の神秘的、悪くいえば宗教的で非科学的な観念論的思想がはびこる当時から唯物論的歴史観を展開することによって「共産主義を科学」にしたのだ。
2. この三つの質問はレーニンが彼の著書「唯物論と経験批判論」において観念論の矛盾を追求するために作ったものである。
科学的社会主義
当時の社会は産業革命により経済的にも文化的にも大きく進歩した一方で、伝統的コミュニティの破壊による社会混乱や治安の悪化、そしてなりより現代とは比べ物にならないほどの経済格差に襲われていた。そして、その反動で社会主義、共産主義運動も大変盛んであった。当時代表的だった社会主義者にはフーリエ、サン=シモン、オーウェン[3]、プルードン、バクーニンがいる。
しかし、彼らはあくまで社会主義の提唱を行っただけであり、それを実現するための具体的な方法を民衆に提示することができなかった。実現しない理論は常に空想的である。
マルクスは、後にエンゲルスによって「空想的社会主義者」と呼ばれたフーリエやサンシモンやオーウェンを批判する一方で、自らは共産主義の実現のために、共産主義の理論よりも現在の社会システムである資本主義の分析を研究の中心に据えた。今現実の社会を考察し、その矛盾を指摘することにより共産主義を現実化する。つまり共産主義を科学として研究したのである。エンゲルスは空想的社会主義者と区別するため、自分たちを科学的社会主義者と呼称した。
とはいえ、マルクスらは彼ら空想社会主義者を見下していたわけではない。彼らの社会主義は確かに不十分であったが、その原因は歴史的制約にあった。マルクスらよりも数十年前に社会主義の実現を目指した彼らの時代には、社会主義が人々の間に根付いておらず、それゆえ彼らの試みは上手くいかなかったのだ。ゆえにマルクスらは彼ら空想社会主義者へその失敗を指摘しながらも、自らの思想や活動の礎になった評価を与えている。
ところで、この科学的社会主義の「科学」とは、いわゆる一般的な科学とは少しニュアンスが異なる。マルクスの言う「科学」とは「決定論」的である、ということを意味する。
3.ロバート・オーウェンは現代の幼稚園の形態を整えたり、生活協同組合、いわゆる生協を生み出した人物である。
決定論
決定論とは「物事は人間の意思や行動に関わらず既に決まっている」という世界観の事を指す。「人の運命は最初から全て決まっているのさ」みたいな運命論とか宿命論をイメージして欲しい。
例えば経済決定論ならば「この世の全ては経済によって決まるので人間が何をしようと無駄なことである」みたいな考え方になる。マルクス主義は、このような絶対的な経済決定論であると批判されることがよくあるが、実のところマルクスは経済を絶対とする経済決定論者ではなかった。確かにマルクスは1846年に友人に送った手紙の中で「人間には社会形態を決定する自由があるか?決してない」と述べているが、ブリュメール18日のクーデタなどの著作の中でマルクスは歴史の偶然を認めたりもしている。マルクスが絶対的経済決定論者であるというのは唯物史観を誤解した見方であると言えるだろう。
後年のマルクス研究者の中に、マルクスの『科学』を否定した人たちが何人かいるが、彼らは別に科学を否定して宗教的研究をしていた訳ではない。彼らが否定したのはマルクスの科学一般ではなく、マルクスの言う「科学」つまり「決定論」のことなのである。この辺は誤解が多いので注意。
唯物史観に関するよくある誤解
さて今日では歴史の話をするときに「マルクス史観の悪影響だ」とか「それは唯物史観だ」という言葉をみかける。しかし、大体においてそれは唯物史観の誤解か、あるいは浅い理解に留まっている。そこで以下に唯物史観のよくある誤解の解消を行っていきたいと思う。
唯物史観が経済決定論であるという誤解
唯物史観に関して、一番多いのがこの「マルクス史観は経済ですべてが決まる」といった誤解だ。
たしかに、マルクスとエンゲルス「歴史の一番究極的契機は下部構造(経済)である」と著作の中で述べているが。しかしこれは「歴史を動かす契機は経済だけである」ということを意味していない。
彼らが歴史における下部構造(経済)と同じくらいに重要視したのは、上部構造の反作用である。つまり下部構造が上部構造を規定するように、それを受けた上部構造もまた下部構造を規定するのだ。(この反作用性についてはヘーゲルの弁証法[2]が思い出せる)。
つまり歴史の変化のきっかけとなるのは経済だけでない。第一が経済であることは確かだが、政治、法律、宗教、哲学、思想、さらには戦争や侵略などの上部構造が、下部構造である経済に影響を与える形で、それらもまた歴史を動かしていく。これを踏まえれば唯物史観が経済決定論でないと分かるはずだ。
唯物史観が人間の感情を無視した歴史観であるという誤解
さて2つ目に、見かける誤解として「マルクスは人間感情や宗教の重要性を否定し、人間を物質に還元してしまった」という指摘がある。
これも、おおよそ間違った批判である。人間感情や宗教心も上部構造である以上、反作用として下部構造に影響を与えることもあり、歴史を動かす一つの役割であったことは間違いない。
ただし、マルクスらは人間の持つ感情や宗教心は、一人一人は個別なものであったとしても、社会全体の中では合成力として働くという指摘をしている。これはどういうことか。
たしかに私たちは一人一人異なった個性と感情を持っている。しかし社会では、個人の持つ感情や欲求は、別の個人の感情や欲求によって否定されるということがよくある。ある人が「がしたい」と感じる一方で、別の人が「なんて絶対にしたくない」と感じる。結果として人が持つ感情というものが社会という大多数の人間が集まる場所では平均的に均されてしまう。合成力とはそのように社会の人々の感情を一つにまとめたもののことだ。
人間感情は合成力の内部で互いに互いを否定しあい、結果的に歴史を動かす力を急速に失っていく。その結果、全ての人間がもつ自然的な欲求、つまり経済に対する欲求だけが唯一残る。つまり人間の意思はあっても結局は経済的な力が優越するとというわけだ。このことは私たちも普段の経験からよく分かることじゃないだろうか。とはいえマルクスらは人間の感情の力を合成力の中にきちんと認めている。時たま人間の感情がある偏向を示せば合成力も十分に歴史を動かす要素となりえる。
ただし、いかなる場合でも人間の行動は経済的制約を受けることはいうまでもない。いくら熱意や信心があったとことで金か飯がなければどうしようもない。
以上をまとめると、唯物史観の考え方では「人間感情は歴史において合成力としてのみ、また経済的制約を受けながら、一つの役割を演じる」と言える。このようにみると確かに感情軽視にも思えるが、おおよそ実感にあっているようにも思えるが、どうだろう。
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