繰り返してきた簡単な動作ができなくなる「イップス」 1988年、東京ゴルフ倶楽部で開催された日本オープンゴルフでのこと。これを決めれば優勝という、「ウイニングパット」だった。 ピンまで、残り約70センチ。小学生でも決められそうな距離だ。ところが尾崎は、構えるたびに顔をしかめ、手首を振った。そうして二度、仕切り直した末に、三度目で、ようやくパターを動かし、ボールを沈めることができた。 それくらい痺れる場面だった――。そう精神面だけで片づけられがちだが、真相は、もっと深刻だった。 「マスターズから続いていた症状だった。これを入れれば優勝、日本オープン、東京ゴルフ倶楽部、そういうのも重なって、普段の気持ちから離れていってしまったのかな」 痺れる状況は、きっかけに過ぎない。本質的な問題は、それより以前から体内に潜んでいた。 前年の87年、尾崎は八年振りにマスターズに出場し、オーガスタ・ナショナル・