オードリー・タンが信奉する「保守的アナキズム」とは? 道教やバックミンスター・フラーも関係があるらしい。「私は性別だけがノンバイナリーなのではなく、左翼や右翼といった二項対立的な考え方にも当てはまらないんです。だって、鳥が空を飛ぶには両方の翼が必要でしょう?」
「俺この前バックパック一つでインドに行って来てさー、日本とはあらゆる意味でもう別天地な訳。交通ルール一つとっても違うのよ。日本ではクラクションって(中略)そういう所に行くとホント今までの価値観が崩されるっていうか、人として柔軟に(中略)…俺は本当にこのインド旅行で成長したと思う(結論)」 メレ子は着座十分にして座るべき席を間違えたことを悟った。鶏の軟骨唐揚げ苦虫和えを無表情に噛み潰す。今かの女の隣で武勇伝を滔々と披露し続ける男、こういう地球の歩き方野郎には全くろくな奴がいない。 (楽しむ為でなく成長する為に旅に出るとは旅に失礼であろうに。何が失礼って、そういう目的意識の奴に限って成長して帰って来た試しがない。要するに価値観を破壊される快感と漠然たる成長なるものを混同しているのである。そもそもいつから成長は自己申告制になったのか。宴会で隣り合わせただけの女に平凡な武勇伝を語るという自慰、要す
自己啓発に、はまる人というのがいる。 基本的にネガティブ思考な人間あるいは、精神的に弱い人に多く存在する。 例えポジティブ思考であっても、「幸せになりたいがどうしたら良いか分からない」と考える人だろう。 また、ネット上では多少強気な発言をするにも関わらず、リアルでは長いものに巻かれろ的な弱い発言が多かったりする。 だから、実際に会うとそのキャラクターのギャップに驚くだろう。 ただ、実際問題のところ「善人」が多いのだと思う。 いずれにせよ、そういう人は「自分の言動に対して、もの凄く自信がない」。 だから、何かと流されやすくて騙されやすい。道しるべをしてくれる人に対して妄信するのだ。 目次自信がない人は仲間を探す販促は信者がしてくれる儲かる仕組み作り感動なんて技術で作れる信者から教祖側に回る人間自己啓発というネーミング力最後に 自信がない人は仲間を探すもの凄く自信がないと、どうなるか?というと
とあるMMORPGで「娘を隣村まで護衛しろ」みたいなクエストがあった。 ゲームに詳しくない人のために説明すると、“クエスト”とは達成すると経験値や報奨アイテムがもらえるイベントであり、普通に敵を倒すより効率的にレベルがあがるし、ゲームのストーリーや世界観が理解できるのでこれを優先的にクリアしていくのが常道なのだ。 今回のクエストでは娘が移動する経路に敵が出てくる。その敵をやっつけ続けなければならない。 私は、そのクエストが一人ではクリアするのが難しかったので、そのクエストをまだクリアしていない知り合いにお願いして四人でPT(パーティ)を組んでそのクエストに挑戦した。 いま仮にその娘の名前をビアンカだとしよう。 A「俺は右から出てきた敵を倒す係な」 B「じゃあ俺は左から出てくる敵を倒す係」 C「俺は敵にダメージを食らったビアンカをヒール(回復魔法)する係な」 D「じゃあ俺もヒール手伝う。」
今回の震災の10キロ圏内に住む知人が、避難所に避難する際にペットの犬を避難所に連れていけず、やむなく置き去りにした。 その知人の娘は彼に泣きついてこう言った。 「ハナ(犬の名前)は私たちの家族じゃなかったの?家族を見殺しにするの?」 その知人はこう言った。 「ハナは確かに我々の家族だ。だけど犬なんだ。犬と人間とでは命の重さは同じではないんだ。たとえそれが家族であったとしても、だ。」 娘はそんな説明には納得できなかったからこう尋ねた。 「命に重いとか軽いとかあるの?」 その知人は毅然とこう言った。 「ある。命に重いとか軽いとかは、あるんだ。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって生きている。命を持っている。でも、その命は人間の命の重さとは等しくない。もし、ミミズの命と人間の命が交換可能で、そして人間の命がミミズほどに軽ければ、誰か人が死んでも誰も悲しまないだろう。ミミズと人間とは命の重さが
どのようなことであっても不慣れなことをやる際にはエラーが発生するものです。その原因は、不慣れなことは状況を理解するだけでも多くの労力を費やすことになり一杯一杯になりやすいからです。そんな不慣れな状況も繰り返すことで徐々にエラーは少なくなってきます。慣れることで要不要を見分ける力がついてくれば緩急をつけて適正に処理できるようになり、熟練してくれば別のパターンにも応用することができるようにもなるのです。つまり、成長は基本的に繰り返しにより得られるものなのですしかしながら、世の中には少し繰り返すだけで成長する人と何度繰り返しても成長しない人がいます。彼らの違いは何なのでしょうか。 これからの思考の教科書 ?論理、直感、統合ー現場に必要な3つの考え方? 作者: 酒井穣出版社/メーカー: ビジネス社発売日: 2010/09/28メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 8人 クリック: 244回この
↓これを書いた者です。 「当たり前」を下げれば自由になる http://anond.hatelabo.jp/20110213012058 私が書いたものにしては、ブクマやトラバも多かったので、返信の意も込めて加筆します。 高い車に乗る、流行の服を着る、いい家に住む、人に舐められないようにする、彼女を作る、等々。私はこういうプライドをどんどん捨てるようにしている。というのも、社会に出て私は圧倒的に力がないことがわかった。それを認めたくないが故に頑張ったが、人間、無理をし過ぎると病んでしまうみたいだ。 幸いなことに本を読むことは好きだ。だから、金銭的なプライドを捨てる言説を集めまくった。いや、いろいろ読む過程で自然と集めてしまった。その知識に基づいた価値観が私をこの世界から守ってくれる。いくら貧乏人と思われようが、安い服を着ようが、後輩に奢られようが、バカにされようが、ニコニコしながら「いやー
「日本一のニート」を標榜する phaさんとの対談 からは、いろんな“気づき”がありました。 ひとつ興味深かったのは、pha さんが「プログラミングを知ったことで、自分に適した表現方法に出会った」と話されたことです。 その数日前に他の人から、「紙に書いた提案書とかもう意味がないよね。 プログラム作って画面上で動かして“こういう感じのビジネスをやりましょう”って言ったらすぐ済む話なのに」と言われて、その時は「そうか、プログラムがパワポに取って代わるのね」と思いました。 つまり、「プログラム=プレゼンツール」なんだと思ったのです。 でも、さらに一歩進めて“プログラムって表現方法なんだ”と、この日(ようやく)理解できました。 人間ってみんな自分の中に「何か」を持っています。それは、なんらかの表現方法を通して具現化しないと他人には伝わりません。 伝わらないと理解してもらえないし、それどころか、表現方
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