愛するとは食うこと、愛されるとは食われること。 食うことで、相手と一体化する。食われることで、相手の一部になる。できないから珍宝満好でガマンするしかない。没入するのを眺めていると、ああ、食われているなぁ、愛されているなぁと実感する。そこに好悪の感情はない。好きとか嫌いとかではなく、「食いたい」「食われたい」欲望なのだ。欲望の発揮にフレームワークを用意したのは文明の罪だが、枷がないときりがない。性交でさえフォーマットがあるのだからね現代は。キスは味見でセックスは食事―――の隠喩なんだ。 そういう根源的な欲望にゴツンと当たって、そこに在ることを気づかせるのがケッチャム。昔、「ジャック・ケッチャムが好きだ」なんてヤツは頭がイカれてると書いたが、今も変わらず読みたくなる。渇いた喉に飲みたくなる。 血みどろ食人すぷらったーだからではない。もし、あなたが残虐スキーなら、閲覧注意の友成純一『獣儀式』、読