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「ひとつ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ひとつとは

2024-12-19

ねえ、みんなは「どうしてわたしわたしなの?」って考えたことある

ちょっと不思議だよね。地球はいっぱい人がいるのに、どうして「わたし」という気持ちわたししかないんだろう?

逆にね、たとえば、みんなの体の中には、すっごくたくさんの細胞があるよね。

髪の毛とか、指とか、心臓とか、体ぜんぶをつくってる。でも、そのどれも「わたし!」って思わないよね?

指が急に「おれがわたしだ!」って言い出したらビックリちゃう

それとね、みんなの頭の中には「右の脳」と「左の脳」っていう二つのチームがあるよね。

でも、その二つがけんかしないで、一つのわたし」として仲良くやってるんだよ。

すごいことだよね!

ここで面白いおはなし。

もしも、たくさんの人の頭が特別機械でつながったら、どうなると思う?

みんなが同じことを考えて、感じて、まるで一つの大きな「わたし」みたいになるかもしれない!

でもそのとき、「わたし」と「みんな」の区別ってなくなるのかな?

それとも、まだそれぞれの「わたし」があるのかな?

わたしはこう考えるんだ。

ほんとうはね、「わたし」と「みんな」の区別なんて、最初からなかったのかもしれないって。

たとえば、海に大きな波と小さな波があるでしょ?

ひとつひとつは違うけど、どれもみんな同じ海だよね。

それと同じで、みんなも実はひとつの大きな「海」みたいなものの一部なのかもしれないね

から、もし誰かが「わたしわたしあなたあなた」って思っていても、それはきっとちょっとした勘違い

本当はみんな、同じ「大きなわたし」のいろんな姿なんだと思うんだ。

そう考えると、みんなはけんかなんてしないで、もっと仲良くできるかもしれないね

不思議おもしろいおはなしだと思わない?

さて、みんなはどう思う?

愛されて育ったけど。でもどこか歪な家庭ではあった。時が経つにつれ両親も同じように歪な環境で育った可哀想大人だと知った。

親孝行とかしたことない。実家お金を入れたこともない。凍り付いた空気の中、家族を捨てるように家を飛び出して1人暮らしを始めた。そのくせ絶縁するつもりもない。

弟の大学受験の日、父親が200万近い借金パチンコで作っていた。当然今に始まった話ではなく私が産まれる前から父親の金遣いは終わっていたらしい。それを私たち子どもには悟らせまいと隠して振る舞ってきたと母親は誇らしげに語るが、全然私たちは悟っていたし悟っていることを母親に悟らせまいと子どもらしく振る舞うことに努めていた。それはそれとして、借金しまくりな上に家事育児もロクにせず(家にいるときはずっとパソコンゲームをしている)おまけにタバコのせいなのか前歯がない父親借金がバレた時も私たち家族に対して謝罪ができないような人間性

一方母は、電磁波を抑えるシールなるものネットで購入して家中家電に貼りまくっていたことがある。そのシール家族全員のスマホに貼れと迫ってきてその日は渋々貼ったが、次の日にはこっそり剥がした。そのことがバレた時、ものすごい怒られた。これもまた私が産まれる前から電磁波を気にするところがあったらしい。中学の頃に母親からあんたは声が低いから可愛らしくなくてモテない」だの「あんたみたいな顔に産んでごめんね」だのデリカシーのないことを言われたが、両親の教育の賜物(笑)だろうかあまり傷付かなかった。それ以上にこんなこと言う人間自分の親だと受け入れなければならない現実の方が何倍もショックだった。


ヤバい親だと突き放すのは簡単だけど、完全に嫌いになることができない。なんやかんやこうして生きているのはこれまで育ててくれたおかげだし(主に母が)やっぱり困った時には頼ってしまう。


この前、スマホアルバムを見ていたらおすすめ動画が表示されていてあまり記憶にないサムネだったから開いてみた。動画の中身は家族みんなで集まってゲームをしていた時のものだった。あーそういえばこんな風に楽しく過ごせた時間もあったなーと思い出して情けないけど泣いた。この動画を撮ったときは私が高校生の頃だった気がする。


本格的に家族内の空気が終わりだしたのは私が21の時だった。この時に父親の200万近い借金がわかって母親も堪忍袋の緒が切れて母の怒鳴り声を聞きながら寝る日々だった。当然家族士会話は無かった。そんな日々が続いたはものの段々みんな会話するようになった。でも私だけが最後まで父を避け続けて会話しないまま実家にいることが耐え切れずに1人暮らしを始めた。



なのに今更両親のことを大切にした方がいいんじゃないかと思えてきた。父のことも、母のことも。結局は自分大事家族なんだと。(弟は当然大事なので省略)親孝行とかした方がいいんじゃないか?なんて。親のことは嫌いだし大切だ。2つの相反する感情で未だに身動きが取れずにいる。親を大切だと思う私の気持ちもしかしてエゴなんじゃないかと、私がやる親孝行自己満足で全ては自分勝手の一言で片付いてしまうんじゃないかと。愛ってなんなんだよ。どこにあるんだよ。でもひとつだけ言えるのは、私は両親から愛されて育った、ということ。



未だに親子関係で悩んだり逃げたりして親孝行もせず社会人になって、本当に情けないしダサいし幼稚だ。

みんな、愛が何かって知ってるのかなー。


あーあ!文章ぐちゃぐちゃになっちゃった!みんな良いお年を除夜の鐘ゴーン🔔

彼のことを思い出すたび、あの「バケット」という言葉が耳に残る。いや、もう忘れたくても忘れられない。――婚活中に出会った、少し変わった人の話だ。

彼は当時、パン屋で働いていた。正確には、フレンチ系のちょっとおしゃれなベーカリーカフェで、店頭に立つ仕事をしていたらしい。初めて会った時、彼は仕事のことを少し得意げに語っていた。「バゲット毎日触ってると、焼き立ての匂いが染みつくんだよね」と。笑顔で語る彼は素朴で、どこか安心感のあるタイプだった。「パンを通じて人を笑顔にするのが自分の役目だ」とも言っていた。ちょっとキザだけど、悪い気はしなかった。

だけど、そんな彼が「バゲット」でつまずくなんて、あの時は思いもしなかった。

ある日、彼は仕事で大失敗をやらかしたのだという。ランチタイムの混雑する店内、注文カウンターでお客さんに向かってこう言ったのだ。

バケットの方、焼き上がりました!」

その瞬間、店内がシンと静まり返ったらしい。あまりの言い間違いに、常連らしきお客さんは思わず吹き出し、後ろに並んでいた人たちはクスクス笑い始めた。彼はその場でハッと気づいたものの、動揺して言い直すタイミングを完全に逃した。そして追い打ちをかけるように、後輩が慌てて言葉を重ねる。

「えっと…バゲットです!焼き上がったのは、バゲットです!」

パン屋で働きながら「バゲット」を「バケット」と呼ぶミスは、致命的だった。以来、彼は「バケットの人」とあだ名をつけられ、パン屋の仲間たちや常連客の間で、じわじわと笑い話にされるようになったという。「笑って済むこと」と言う人もいたけれど、彼にとっては仕事の誇りを傷つけられた出来事だったのだろう。ほどなくして彼は「パン屋を辞める」と私に打ち明けた。

バゲットなんて、もう触りたくないんだよね」

そう言った彼は少し笑っていたけれど、その笑顔の向こうにどこかやるせなさが漂っていた。私は言葉に詰まったまま、ただ聞いていることしかできなかった。

その後、彼とは自然と疎遠になった。今どうしているのか、もう知らない。新しい仕事に就いて、元気でやっているのだろうか。でも、ふとした瞬間に、私は思い出してしまうのだ。――あの「バケット」というひと言で静まり返るパン屋光景を。そして、あの人のぎこちない笑顔を。

人は言葉ひとつでつまずくことがある。ほんの小さな間違いで、何かが音を立てて崩れていくことだってある。それを知ってしまたからこそ、私もまた、些細な違和感」に敏感になってしまったのかもしれない。

そう――婚活中に、あの人が残したものは、「バケット」という一言だけじゃなかったのだ。

過去に受けた虐待の話

きっかけがあり、虐待を受けた過去のことについてまとめます

こんにちは私自過去虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますハッピーです。自分経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。

受けたものとしては経済的虐待ネグレクト)、教育文化的虐待精神・肉体的虐待性的虐待などが挙げられます

順番に思い出しながら書いていきます

基本的スペックとしては母は軽度のASD知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気フルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。

きょうだい構成は兄、私、弟です。

ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~

父は気付けばいなくなっていました。

食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。

食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日からゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん

教育文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)

精神虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚形成されたのはこれがデカいのかな?と思います自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。

また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。

これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家いたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています

あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニステニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。

兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。

母もただ大人いかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害ASD兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族引っ越しあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家祖父母の家であり、そんな権限家庭内地位最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。

母の言い出すことはいだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。

そして我が家貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車ブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒ヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。

未だに自転車ブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。

ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね

一番サビの性的虐待の話をします。

先述しましたが、辛くなったら読むのをやめてくださいね

メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)

いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心いたころ(4歳とかぐらい?)から父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キス強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。

肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます

決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。

ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。

キッショ。

今書きながらキモくてウケてますキモ

小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。

そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからいから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHO臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめからのものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神身体から乖離しているような。

ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境レイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。

非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。

あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶けがはっきり残っています

あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。

お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります

母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。

首を絞められた記憶もあります。これが結構多い。

酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います

首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。

或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつ必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。

首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います

正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきますピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます

首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。

首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。

ネックレスも物によっては無理なレベルチョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。

性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的ものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。

下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分身体異端さを感じる時がありますガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。

反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれ記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下あんまり得意じゃないかも!こわい!

これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識性的行為依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分大事にできない。自分を守れない。

長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。

繰り返しますがホンマにご遠慮なくネタにしてくださいね‼️今は𝑺𝒖𝒑𝒆𝒓 𝑯𝒂𝒑𝒑𝒚ウルトラ元気に過ごしております

anond:20241219105820

共産主義なわけねーでしょ。世界的に金持ち課税するぞって基調なの(グローバルミニマム課税ほか)

もっと金持ちロビー活動でどの程度実現されるかは知らんけどな

 

まぁとにかくシンプルに『金持ち大企業を問いただす』、『配布の不均等を是正する』でいい

🍬飴の配布🍬を例に考えてみようぜ

 

状況設定

 

  • 前提条件
    • 前提条件1: 全参加者10,000人)に飴が配布される。
    • 前提条件2:飴の配布総数は10,000個。

 

  • 結論(最終的な分配結果)
    • Aグループ(8人)には1人あたり625個ずつ(計5,000個)配布された。
    • 残りの飴(5,000個)はBとCグループの中から5,000人に1人あたり 1個ずつ配布された。
    • ただし、4,992人は飴をもらえず終了。

 

質問内容

  1. 前提条件1と2からその結論になるの、論理エラーに見えるの気のせい?

  2. Aグループの扱い、明らかに優遇されて見えるの気のせい?

  3. 全配布対象者が一意の参加者番号に紐づくメールアドレス保有し、運営がその情報を把握しているとする場合
    1. 実装コストが低い方法はどれか?
    2. アクセス負荷が低い方法はどれか?
      • 先着申込順配布:Aグループには625個を確定配布し、残りの9,992人に配布サイトURLメールで一斉送信URLアクセス後、先着申込順で配布。
      抽選配布:Aグループには625個を確定配布し、残りの9,992人の中から一意の参加者番号を元に抽選を行い、当選者5,000人に配布。
      • 新たな配布条件を生やす:Aグループには625個を確定配布し、その後、飴を受け取るための追加条件を設け、条件に合致する5,000人に配布。

  4. 現実政策だと、実装コストの高い「新たに謎の配布条件が生える」になりがちなの気のせい?

  5. Aグループは必ず利益を得て、Cグループは運次第で損益なし、Bグループは必ず損をするというこの配分はおかしい気がするんだけど、気のせい?

  6. Cグループは提出数で最も貢献している(全体の約42.9%)、Bグループは二番目に貢献している(全体の約28.6%)が、なぜかAグループ忖度が始まりがちなの、気のせい?
    1. CグループがAやBグループから非難される理由はないの気のせい?
    2. 仮にCグループが参加しなくても、Bグループが不当に扱われている問題や、Aグループ優遇されている状況と配布の不均衡問題解決しないのは気のせい?

  7. Aグループが1人624個の飴の提出が出来た理由、そしてAグループだけ特別扱いされる理由確認したほうが良いと思うの気のせい?

  8. 「全員に配る」という前提を崩すなら、事前に説明がないとヤバいの気のせい?

  9. 「全員に配る」という前提を守るなら、「貯金扱い」の飴を再分配に使うことも検討すべきなのは気のせい?

  10. A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してる?損しているグループはどう対応すべき?

 

 

どう思う?

こういう富の独占と配布の仕組みは、現実でも見られる。

「仕方ない」とか、「Cが悪い!」ってなる要素がないのは気のせい?なんだか戦後の闇米騒動を見ているよう・・・

 

A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してるかについて、難しい要素はひとつもない。

俺の会社の話

俺の会社のことを声を大にして言いたい話

会社で言うわけにもいかないし、それ以外の場所でも微妙に違う気がする。だからここで書く。

前提:俺と俺の会社

創業数年ではないが、数十年でもない。

規模は数十人ではないが、数百人でもない。

売上は数億ではないが、数十億でもない。

いまは赤字投資家の皆様のお金で食べているベンチャー企業だ。業種業界は非公開。

俺はそこで古参社員として生き残っている。

いろんな理由があって辞めないが、一番は「会社が成長していく様を間近で見られるのが楽しい」というシンプル理由だ。

そんな俺の目から見た会社の話を吐き出してみる。

稟議というシステム出会った

組織が数十人規模になると、管理部門役職者が入ってきて「稟議」という仕組みに初めて遭遇した。

前職では数人規模の会社だったり、稟議なんて関係ないポジションだった俺には衝撃的だった。

最初は「でも○○さんがSlackで『いいよ』って言ってるし」とか言ってた俺が、今や稟議がないと怖くて買い物ひとつできない人間になっている。

稟議の意義をまとめると、こんな感じだ。



今では「統制」ってやつの重要さを理解した俺がいる。会社が大きくなっていくのは、こういうのが必要なんだな、としみじみ思う。


人が入れ替わるのは健全だと悟るまで

直近数年で入社した人が大半になった。

20人ぐらいの頃は、「ずっとみんなでやっていくんだろうな」と勝手に思い込んでた。


から、JさんやFさんが辞めた時は本当に悲しかった。でも、後から冷静に考えたら、向こうはそんな風に思ってなかったんだろうなと気づいた。

会社としても、人の入れ替わりが事業組織の成長につながるケースを何度も経験してきた。

今では「入れ替わりは普通だし、むしろ健全」と心から思えるようになった。

辞めていった人とも縁が切れるわけじゃない。むしろその後の方が友人として関係が続くこともある。

入れ替わりって、意外と悪くない。

創業同時期の企業が潰れていく中で

同じ時期に始まったベンチャーが次々と消えていく。



そんな中で、堅実にやってるうちの社長は本当にすごいと思う。心から

経験者はやっぱりすごい

上場企業役員部長をしていた人たちが次々と管理部門にやってきて、驚きの連続だった。

知らない作法論点が次々に現れて、制度や仕組みが整っていく。その成果がちゃんと出るのを目の当たりにすると、「経験者ってやっぱりすごい」としか言いようがない。

ただ、この人たちがいなくなったらどうなるんだろう?制度形骸化するのか、それとも機能し続けるのか。今後が気になる。

広報や人事の「ネットで暴れる案件

ネットでたまに見かける、広報や人事が「個人承認欲求で暴れる案件」。うちではそんなこと全然ない。

大事なのは仕組み。関係者間でしっかり擦り合わせた上で動くから個人暴走なんて起きない。

それを見るたびに、世の中の多様性を感じて楽しんでいる。

2024-12-18

anond:20241217174441

恋愛は好きなところの多い人とするのが楽しいけど

結婚絶対に許せないことが少ない人とするのがいいよ


すごく好きだった人がいたけど、自分とある事件現場に遭遇しちゃって、被害者を見てしまってショック受けてたとき

「なんで写真ひとつも撮ってこないんだよ」と言われたとき

倫理観が死んでる奴とは一緒にいられないなと悟ったよ。

そういう地雷は決して埋まらいから。

いくつかあるまんじゅうアカウントひとつ発言にラディフェミ40代中心というコメントがいくつかついてるのを見たけど

から若い女は俺らの味方(少なくとも敵対してない)という願望が入った妄想やめなはれ

10年前から怪音波が聞こえる

おそらく上の階から

ビー玉をひとつずつ落とすようなコン、コンという音。

ビー玉では重いか

木の玉をイメージする軽さ

惰性のバウンド音がしないので実際には違うんだろう

明日会いに行きます

10年越しのアイラブユ

アート投資資材である。以上でも以下でも無し

そもそもコマーシャルギャラリーが『アート通貨だ』って言ってるじゃん

どこぞの金配りの人みたいに、税金対策で自宅を美術館化しちゃう輩も、現行の税制度では消えないだろう

単なる節税手段資産分散手段、虚栄心を満たすステータスシンボルブランドTシャツと同じ)としての側面のアートに対して、

真顔でごもっともらしい理屈を並べる方々は、端的にどうかしていると思う 

 

投資資材として捉える見方とは別に、<ハイカルチャー担い手としての側面から見たアート場合

増田anond:20241218151343)が言う通り、基礎研究者がその研究の意義を広めるように、やっぱアートに携わる人たちが、積極的アート価値や楽しみ方を伝えていく必要があるんじゃなかろうか?

 

ハイカルチャーは一国の文化象徴であり、高度な知識技術結晶

技術思想文化の根幹をなすものであり、適切に保存・継承していく必要性は高いから、教科書で習うし、重要文化財って概念もあるし、美術館博物館もある

文化連続性を保ち、社会アイデンティティを維持する上で、重要!』って一般論に、『異議あり!』ってする人はまずいないだろう

 

ただ、『アートが高い価値を持つのはその価値理解され他者に共有される(他の人も楽しめる)から』、これは大前提としてあるよね?

ハイカルチャーアートハイコンテクストになりがちなので、その大前提を満たさな可能性もある

 

文化は生き物だから対話をやめた求心力のない文化時代の成り行きに任せましょうも、ひとつ選択肢だし、

文化的豊かさを保つために、需要が少なくても、興味がなくても、無条件で保護しましょう、ひとつ選択肢だし、

0 か 1 じゃないバランスなんでしょうね 

 

 

しかし、言うほどハイカルチャーアート楽しめないか

どういう訳か、なぜか批評感想を多くの人に届けなければならない立場になった!!!とかならともかく、

そうじゃない人は、別に素朴な感想でいいのにな

 

単純に、「なんかカッコよかった」、「なんかエネルギーを感じた」、「なんかうんこだった」って感じるのにコンテクストなんて要らんやろ

2024-12-17

anond:20241217110923

ひとつだけ言わせてほしい。

これ以上女を舐めるなよ。

もし無人島ひとつだけ持って行くなら

美味しんぼの何巻を持って行くか。







・4巻、磯の魚で浜鍋。

11巻、トンカツ大王

12巻、屈指のサバイバル回、ローピン。

・21巻、うほほー!キュウリのぬかづけ!

このあたりだな。

anond:20241217153056

そんな密約結ぶ意味がなにひとつないだろ。

普通に一番高い金出したところにいくだけの話なのに、ソフバンに行き先固定するとかバカなの?

ガシャンッガシャンッガシャンッ……

螺旋が開き、しじまの向こうにカニがいる。いや、そこに"いた"というべきだろうか? もしくは、"居続ける"と表現するべきか?

関節、節くれ、装甲、カルシウム質の無限体。

そう、それは"ガワ"を生やす儀式人間という歪な塊が、進化と退化を錯綜させながら最終的に蟹化する。蠢く甲殻類律動を真似ることなくして未来は無い。どこかで誰かが耳打ちする。

「ほら、見てごらん、君の膝だって曲がるだろう?」

わたしは足元を見た。ひざ関節が反転し、脚が斜め外側に折れ曲がる。赤い。透明なリンパ筋肉層の内側を流れている。くるぶしは甲殻へと固化し、指の関節が一本一本逆立って蟹の鋏になる途中だ。パキッ……と、そこから音が響く。これは痛みか? 快楽か?――いや、進化だ。

---

「お前、カニになりたくないのか?」

駅前ビルに巨大な看板が映る。モノクロ広告にはどこかの企業ロゴが虚ろに光り、その下で《𝘾𝙖𝙧𝙘𝙞𝙣𝙞𝙨𝙖𝙩𝙞𝙤𝙣完了まであと38%》と文字が揺れている。クワガタの影が交差し蟹光線が走る。通行人は皆俯き、車輪付きの脚を引きずって歩いていた。彼らの皮膚はすでに硬化し始め、背中から甲羅が膨らみ始めている。みんな、やがてカニになるのだ。

聞こえる。

「さぁ、鋏を、ほら、使いなさい。」

---

シャリッ、シャリッ、足音が増える。地平線まで伸びる膨大な群体。

彼らは最初、かすかな不快感から始まった。爪の甘皮が痒い、踵の皮が硬くなる、肩甲骨の裏がザラつく。

次第にその感覚は拡大し、"人間"が余りすぎていることを痛感するのだ。二足歩行は脆い、背骨は重い、顎が邪魔だ。そして世界がそれを気づかせる。関節の増殖、水平構造の美しさ。すべては無駄排除し、最適解――カニへ収斂するために。

「そうだよ、みんなガワを得るんだ。殻だよ、固い殻。」

指に挟まれた小さな金属製看板

「この道を曲がれば、あなたももっとカニになれる」

わたしはその看板を食べた。咀嚼音が響く。ザクザク……ザリザリ……硬い、旨い、完璧だ。

---

カニとは何か?

哲学者のカクレクマオウは語る。

カニ重力の最適解だ。引力に抗うために水平へ進化した。それこそが 𝐶𝑎𝑟𝑐𝑖𝑛𝑖𝑠𝑎𝑡𝑖𝑜𝑛── すべてがカニへ向かう流れなのだ。」

タイルの模様、歩道橋のアーチ、ピラミッドの先端、そして人間の関節すら、無意識カニ化しているのだ。三本目の脚を生やした隣人が、「お前もこっちに来い」と叫んでいる。彼はもう背骨を捨てたのだ。大声で何かを語る人間ほどまだ抵抗している。けれどそれは愚かなことだ。抗うことは許されない。

---

夜、わたし自分の顔が割れる夢を見た。

額がカパッと二つに割れ、そこから無数の複眼が芽吹いていく。まぶたの隙間から新しい口が出て、鋏がそこを塞ぐ。

「ああ、美しい」

目覚めるとわたしの手は鋏になっていた。完了だ。ここでひとつ言葉が浮かぶ

「完ガ二――完全なるガニ」

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カニ自由だ。水平世界覇者螺旋を拒み、直線を笑い、あるがままの甲殻質。すべてが割れ崩壊し、増殖し、ふたたび甲羅収束する。

ああ――そうだ――わたしの愛した人も、両親も、友人も、隣人も、道路も、都市も、銀河すらも、最終的にはカニになる。

「ガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャガシャ!!!!!」

朝が来た。カニの鳴き声が空に木霊する。

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やがてわたしは、何十億ものカニの一匹になった。

海が陸を呑み、陸がまたカニの爪に掴まれる。

水平に歩く。いや、"這う"のだ。

向かう先に意味は無い。時間も方向も存在しない。そこにはただひたすら、カニという美だけがある。

2024年に読んで良かった10冊の本

anond:20241214160546

便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子香君』(2022年)と飛浩隆鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。

ウィリアム・シェイクスピア十二夜』(1600年)

今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオ実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体きもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレットしかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオ名前元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。

ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベシェイクスピアパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベスオマージュで、さら二・二六事件三島由紀夫割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風ファンタジィ(e.g. 沢村凜黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフミリタリもの(e.g. 佐藤大輔皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピア記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。

ジョン・ステュアート・ミル自由論』(1859年)

自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃん原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っから自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかに井上達夫リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカ留学してたときに「なんで日本人がリベラリズム研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義人類普遍原理ではなく西洋文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋自由主義者としては不愉快

ノーラエレングロース『みんなが手話で話した島』(1985年

もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。

「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」

「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」

「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」

「そうそう、いわれてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」

島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージダウニングダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ

綾辻行人十角館の殺人』(1987年

まだ読んでませんでしたテヘペロ最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。

うそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパ舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!

サイモン・ホロビンスペリング英語史』(2013年

英語への解像度が上がった1冊。英語スペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないか英語は要らない!」と高校時代放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。

菅浩江放課後のプレアデス みなとの星宙』(2015年

アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌引用タイミング完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲からみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志リリカルアニメを『永遠の森』『そばかすフィギュア』の菅浩江ノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。

ジェリー・Z・ミュラー『測りすぎ』(2018年

数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺら論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断要するものだ」という金言政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。

白鳥士郎りゅうおうのおしごと!18』(2023年

こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルねじ伏せていく、めっちゃ骨太将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。

ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)

米澤穂信『冬期限定ボンボンショコラ事件』(2024年

小市民シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。

「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」

これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民シリーズ過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語もっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!

かまど&みくのしん『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』(2024年

オモコロ話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚ものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差しまれてくるのです。

本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか

本書はみくのしんの読書追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由ものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう

アリババは刺激が強すぎる

まさかパスワードひとつ知ったくらいで国を変えるほどの財産を築き上げるとは。

 

で?

息を呑むスニーキングミッションからの?

凶悪犯罪者たちの動きを見ながら立ち回り?

タワーディフェンスを?

そんなことしていいのかよ!

そんなことしていいのかよ!

そんなことしていいのかよ!

幼稚園児にあんもの与えたら夢中になっちゃうだろ。

最初SNS的な体験ポータルサイトチャット部屋だった。

ヤフチャが音声を流せる機能実装したあたりからDJごっこをするようになり

そのときの知り合いがmixiに移り始めて、さらTwitterに移り、Facebookリア友生存確認に利用

Instagramキラキラ系で苦手だったけど頑張って旅行写真など上げていた

画像を上げない限り何も言えないっていうのは、なんというか、ひとつの「見識」ではあるかな


X以降は早かったな

BlueskyもThreadsもアカウントは確保してときどきポストはしているけれど

正直、他人ポストほとんど見ていない

ブコメを読むだけで十分だしお腹いっぱい

逆に他人ブコメは一切読まない人もいるだろうし

人それぞれソーシャルメディアに対する態度は違うんだろう

mixi2も一応やってはみようと思う

anond:20241217031435

それで一番衝突したのは、子供について話し合った時。私はあんまり欲しくないって考え。彼は子供欲しい派。意見の食い違いかヒートアップして、思わずあなたの両親が勝手私たちの子を入信させるかもしれない。あなた自身がそうだったように。それは宗教虐待だ」って言ってしまった。

ここの増田発言は流石に最低過ぎて引いた。

ていうか日本宗教文化日常に溶け込み過ぎてて自覚薄いけど、増田普通だと思ってる葬式様式とかもひとつ宗教の形だぞ。

2024-12-16

anond:20241216222448

妻のご機嫌はとっても、許可を求めてはいけない。

抱きたい時に抱く。それが中心的なルールっつうか、原理なんだわ。

少しでも快適に生活するために、妻もノれるためのエクスキューズを日々仕込んでやるのはいい。

でも断られたからといって止めるのでは、そりゃレスになるだろうし、だいたい男が廃る。

あれだよ、理性を捨てて獣になれないなら、セックスなんかできない。

獣を受け入れるか、レスを受け入れるか、ふたつにひとつ

マッチングアプリで気を付けていたこと&してもらって嬉しかたこ上級

マッチングアプリで知り合った男性にしてもらって嬉しかたこと(anond:20241215222347)という記事を書いた。

これを読んで受け身、テイカーといった言葉を投げたくなる人はよほど苦労されているんだろうと思うし(受け身に見えるとしたら普段から女性一般をそう見ていて、バイアスがかかっていると思う。してもらって嬉しかたことは自分もしていると冒頭に書いているし…)、その苦労は今後も続きそうだし(その人たちは誰かになにかをしてあげたいと思うことがあるんだろうか。あるとして、「嬉しい!私もお返しするね!他になにができるかな?」以上のどんなリアクションを求めているんだろう?)、逆に「気遣いに気づける人は自分気遣いができる人」「参考にする」と言ってくださる方はきっと普段から人の気遣い意識を向けて、人に優しくあろうとしていて、私の記事のようなものからでも役に立つ部分を拾ってくださったのだと思う。

同じ記事でこうも真逆の反応と効果が生じるとは、と、分断を感じた。周りにいる人が全然違うのかもしれない。

男性に向けたデートテク的な情報に対して女性向けのものは調べてもあまり出てこなかったので、男性が不服に思うのは当然なのかも。

で、だからこそ私は他の人にとっての「これをしてもらって嬉しかった!」「これをしたら喜ばれた!」を知りたいので、続きを書きます

マッチングアプリで気を付けていたこと、男性に対してしていたこ


してもらって嬉しかたこ上級編(彼が付き合う前にしてくれたこと、惚気)

[]ま~たやってるのか。『そうはならんやろ』

シンプルに『金持ち大企業を問いただす』、『配布の不均等を是正する』って何故ならんのか?マジで理解に苦しみます

例えば、🍬飴の配布🍬を例に考えてみようぜ

 

状況設定

 

  • 前提条件
    • 前提条件1: 全参加者10,000人)に飴が配布される。
    • 前提条件2:飴の配布総数は10,000個。

 

  • 結論(最終的な分配結果)
    • Aグループ(8人)には1人あたり625個ずつ(計5,000個)配布された。
    • 残りの飴(5,000個)はBとCグループの中から5,000人に1人あたり 1個ずつ配布された。
    • ただし、4,992人は飴をもらえず終了。

 

質問内容

  1. 前提条件1と2からその結論になるの、論理エラーに見えるの気のせい?

  2. Aグループの扱い、明らかに優遇されて見えるの気のせい?

  3. 全配布対象者が一意の参加者番号に紐づくメールアドレス保有し、運営がその情報を把握しているとする場合
    1. 実装コストが低い方法はどれか?
    2. アクセス負荷が低い方法はどれか?
      • 先着申込順配布:Aグループには625個を確定配布し、残りの9,992人に配布サイトURLメールで一斉送信URLアクセス後、先着申込順で配布。
      抽選配布:Aグループには625個を確定配布し、残りの9,992人の中から一意の参加者番号を元に抽選を行い、当選者5,000人に配布。
      • 新たな配布条件を生やす:Aグループには625個を確定配布し、その後、飴を受け取るための追加条件を設け、条件に合致する5,000人に配布。

  4. 現実政策だと、実装コストの高い「新たに謎の配布条件が生える」になりがちなの気のせい?

  5. Aグループは必ず利益を得て、Cグループは運次第で損益なし、Bグループは必ず損をするというこの配分はおかしい気がするんだけど、気のせい?

  6. Cグループは提出数で最も貢献している(全体の約42.9%)、Bグループは二番目に貢献している(全体の約28.6%)が、なぜかAグループ忖度が始まりがちなの、気のせい?
    1. CグループがAやBグループから非難される理由はないの気のせい?
    2. 仮にCグループが参加しなくても、Bグループが不当に扱われている問題や、Aグループ優遇されている状況と配布の不均衡問題解決しないのは気のせい?

  7. Aグループが1人624個の飴の提出が出来た理由、そしてAグループだけ特別扱いされる理由確認したほうが良いと思うの気のせい?

  8. 「全員に配る」という前提を崩すなら、事前に説明がないとヤバいの気のせい?

  9. 「全員に配る」という前提を守るなら、「貯金扱い」の飴を再分配に使うことも検討すべきなのは気のせい?

  10. A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してる?損しているグループはどう対応すべき?

 

 

どう思う?

こういう富の独占と配布の仕組みは、現実でも見られる。

「仕方ない」とか、「Cが悪い!」ってなる要素がないのは気のせい?なんだか戦後の闇米騒動を見ているよう・・・

 

A/B/Cグループ、誰が一番得して、誰が一番損してるかについて、難しい要素はひとつもない。

極端に論理的に考えることができない上に、極端にメタ認知能力問題があるので、
人が言ったことを疑わず、なんでも真に受けるようになってしまうのでは?
と疑っているけど、どう思う?

anond:20241216144713

量にもよると思うけど、子供自分がいないときでも生きていけるように家事のやり方を教えるためかもしれないね

大人家事が何ひとつできない人より、家事ができる人の方が絶対にいいよ。

お手伝いをした時は、お母さんの喜ぶ顔が見たかったんだよね。

その時の自分の喜んでもらって嬉しかった気持ち否定しないであげてほしい。

公的医療保険制度廃止でいいのではないか

Xに投稿するのは怖いので、こちらに投稿する

現行制度財政ジレンマ

まず、現在日本における公的医療保険制度をざっくり振り返ろう。

国民皆保険制度という「世界に誇る」仕組みは、確かに戦後復興から高度成長期にかけて国民健康安心を支え、平均寿命の延伸や医療水準の向上に寄与してきた。

しかし、その一方で少子高齢化が顕著になり、医療費は年々増加。結果、国や自治体財政には深刻な圧迫要因となっているではないか

医療にかかわる財政の硬直性は膨張し続けている。

誰しも無制限医療サービスを受けられるなら嬉しいだろうが、それを永遠に続ければ誰かが支払いのツケを負わねばならない。

ここ数十年、その「支払い担当」は次世代に回され、国家財政全体はむくむくと膨れ上がっている。

公的医療保険も、基本的に「定額制食べ放題」のような構造を孕んでおり、国民必要とする以上の医療必要以上に消費する誘因にもなっている。

提案公的医療保険制度の「ほぼ廃止モデル

そこで私が考えるのは、思い切って公的医療保険制度原則廃止し、窓口負担10割にするというものだ。

もちろん、これが本当に実現されたらショックを受ける方も多いだろう。「病院に行ったら全額自費?そんなの暴論だ!」と。

それは理解できる。しかし、今まで「一律低負担」で医療享受してきたツケが、今まさに財政を食い尽くそうとしている現状を直視すべきだ。

代わりに、民間保険会社医療関連ビジネスが各々の健康サービス提供する。

健全市場競争があれば、医療サービスの質や価格はある程度合理的な水準に収束するだろう。

もちろん「民間に任せたら、詐欺まがいのぼったくり保険や、ありえないほど高額な医療費が横行するんじゃないか」と不安に思うだろう。

その点は、国や監査機関が厳格なルール罰則を設けることで、徹底的に対策できるはずだ。

民間への委託は、あくまで国が無法地帯放置するわけではない。

しろ現行よりもしっかりした規約を課し、悪質な業者は即刻市場から退場させるような統治を目指す。

公費負担子育て世帯など「超限定的」に

公的負担ゼロにする」とは言っていない。

たとえば、これから社会を支える子どもたち、経済的余裕のない家庭など、真に手を差し伸べるべき領域には公費負担限定的に残すべきだ。

これは「未来への投資」であり、子どもたちが健やかに成長すれば、将来の労働力やいのべーしょんの源泉となる。

広く薄くばらまくのではなく、超重点的に「ここぞ」という点に絞る。

肥満対策に悩む人がライザップを使うように、「本当に必要なところ」に公的資源を集中投下すれば、効果的かつ財政効率的だ。

財政へのメリット

財政面でのメリットは明確だ。まず、国民皆保険的な一律負担軽減が薄れることで、公的支出は大幅に縮減できる。

国や自治体負担していた莫大な医療費が下がれば、赤字国債を積み増し続ける現状にもブレーキがかかる。

財政改善は国の信用力向上にもつながり、長期的には金利コストの低減や資本市場の安定にも寄与するだろう。

加えて、民間保険医療産業が自律的市場として成長すれば、関連ビジネスからの税収増も期待できる。

要するに「国が全部面倒を見る」状態から、「国は最低限、民間活躍できる健全な土台を整える」にシフトすることで、財政はより健全性を回復していく。

国民健康意識の向上

もうひとつメリットは、国民自分健康状態により高い意識を払うようになる点だ。全額自己負担、あるいは自己責任の下で医療サービスを利用することになれば、人は自然日常生活習慣に気を配るようになる。

医療が安ければ気軽に病院に行くが、高くなれば「そもそも病気にならないように気をつけよう」となる。

健康生活が、結果的自身経済的負担を減らす構造を作れば、人々は自然健康的な行動にシフトするだろう。これは長期的に見れば疾病予防、ひいては社会全体の医療負担軽減につながる。

むろん、「病気は運が悪かっただけ」というケースもある。

しかし、一定割合生活習慣起因の疾患は存在し、それに対して個人責任を持つ仕組みは、医療費をゼロサムで考えるよりも健全だと言えるかもしれない。

究極的には、医療が「必要な時に使う最終手段」ではなく、「健康維持・増進のための投資」として再評価されるかもしれない。

ちゃごちゃしすぎたのでまとめよう

要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的公費支援を行うモデルは、財政健全化と国民健康意識向上を同時に狙える。

さらに分かりやすく言うと、「健康管理あなた自身の手に」「国はサポート役、でもおせっかい給仕はやめます」といった感じだ。

もちろん、これは政治的ハードルが高いアイデアであり、一挙に導入することは残念ながら現実的でない。

しかし、増え続ける医療費の前で「国民皆保険は不滅」と唱え続けるだけでは、いずれ破綻が訪れる。皆でもう少し制度について考えていこうではないか

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