はてなキーワード: 承認欲求とは
世の中の多くの人々は負け犬だ。
老荘思想をよろしく、人間社会を俯瞰して距離を置くのか、仏教よろしく、悟りを目指して頑張るのか。
宗教を調べると、私たち負け犬に救いを与えてくれるいろいろな考え方を教えてくれる。
どの宗教、どの思想、自分に合うものが見つかれば救われるが、心の折り合いを付けれるかというだけで負け犬であることに耐えられない人もいるだろう。
負け犬という概念がオワコン?それも肯定。だけど逃げてるとも言える。逃げじゃない、考えても仕方ないこと。生まれつき能力は決まってる。
お金が欲しい、異性にモテたい、他人から尊敬されたい、承認欲求が抑えられない。
上司に恵まれない、環境が悪い、理解してくれる人がいない、他責が止まらない。
その理由を覚えているうちに残しておきたい。
2ちゃんねる住人はそもそも「全ての社会的属性」を排除していたのである。
その場での言論のみが価値を持ち、現実での地位や経歴、性別、年齢などは一切の意味を持たない。
誰が言ったのかではない、何を言ったのかが重要。
女性の周りにチンポ丸出しの取り巻きが現れて、スレッドを乗っ取ってしまうからだ。
住人をやっていると議論が日をまたぐことに遭遇する。
議論を翌日以降も続けるには匿名では不便であるため、ハンドルネームを固定したり(通称コテハン)、個人を特定するトリップという機能を使ったりする。
そして、問題が発生するのだ。
最大の問題は女性コテハンと雑談を始めようとするアホな奴らが出て来るのである。
承認欲求全開のコテハンが全レスで雑談に応じると、スレッドはコテハンと取り巻きのレス合戦で埋まっていく。
スレッドの本題を話すやつらは少数派になる。
そうして、スレッドはチンポ丸出しの男達と彼らが担ぐ女性コテハンに乗っ取られてしまうのだった。
このような事象に遭遇するたび、2ちゃんねる住人達は怒りを覚え、同様の事象を再発させないよう予防を講じるようになった。
必要もないのに女であると公表する者があれば、即座に叩いて退室を促す。
「女の排除」は危険の芽を摘み、スレッドが荒れないようにする自治のための知恵だった。
下品で野蛮なインターネット肥溜めの2ちゃんねるにもルールは存在し、一見理不尽に見えても、そこには明確な理由が存在したのである。
前提:質問の回答から除外して欲しいもの - 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人の解釈パターンであれば理解しやすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。 - 個人の感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。
「(俺にとって)」という明確な主観的限定の他者の感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?
1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?
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1−1: 情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない
1−2:情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない
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「(俺にとって)」という主観的な限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈を無視して曲解するのは、誤解や意図的な誤読の可能性が高いです。
妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。
1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的な視点があるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想や評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈を無視して意味を曲解するのは不当です。
「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです
現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?
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• 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品が世間を賑わせている客観的事実を認識している。
• 命題2: Aはミーハーな気持ちで作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。
• 結論: 「作家Bの名前や情報に価値はあるが、作品は世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。
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現代のNLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的な感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。
現代のNLP(自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的な意見の認識(Aが作品に興味を持てなかった) から、客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。
これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。
妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます。
提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハーな気持ちで作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性の問題である可能性が高く、普遍的な価値判断とは無関係です。NLP(神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。
もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?
質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会や世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります。
おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会や世界の正常なコミュニケーションや意思決定が難しくなります。主観と客観の区別が曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります。
気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解は不可能になります。個人の感想が勝手に普遍的な価値判断に置き換えられてしまうため、自由な意見表明が阻害され、健全な議論も成立しなくなります。
あなたの直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会は機能不全に陥るでしょう:
質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識(共通認識や共通基盤)の存在自体を否定します。
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的に常識を否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。
また、自身が盲信する社会的権威や教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?
他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識を否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者からの承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会的権威や教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります。
盲従しやすい人が常識を否定する背景には、自己肯定感の低さや他者からの評価への過剰な恐れがあると考えられます。自身の意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在の独自性を証明したい」 という心理が働く可能性があります。
また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成(常識の集積) を理解していない場合があります。
他者への盲従と常識の否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己の脆弱性からくる不安があります。
本質的には、低い自己肯定感と社会的文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。
常識(共通認識や共通基盤)の存在そのものを否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、
「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、
「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はあります。しかし、これは一般的な見解ではなく、特定の状況や個人の認識に依存するものです。
可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観と客観の混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識を証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます。
可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています。
これは可能性としてあり得ますが、本質的な問題を矮小化しています:
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?
「主観的な意見と客観的な事実を区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識や共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーションの基本的なルールであり、常識と呼べるものです。
これは常識の範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観的事実と主観的意見を区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識(社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーションの破綻を招く恐れがあります。
不当ではありません。むしろ、これらは健全な社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観と客観の区別、論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。
これらを常識に含めることは、むしろ健全な社会機能のために不可欠です:
(追記)改めて元増田見直したら別に創作であるかどうかを考える必要もなかったな。心が擦れてるごめんなさい。以下は自分で自分の考えた状況を吐露しただけの文章です。ほんと、あれこれ要求され続けて責められ続けるとたたなくなるんですよね。色々憎悪で周りが見えなくなってました。
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全体的な理不尽、不自然なほど露悪的に相手の他責志向を描くこと、自分は悪くないよという証拠を積み重ねるかのような言い訳じみた文体から、失礼ながら女性が書いた文章に思えた。
問題は性行為そのものではなくコミュニケーション不全であると見受けられた。
書いてあることが真であるならば、"2人"でカウンセリングを受けてコミュ障を解消することが最も適切な解決策であると思われるが、おそらくはそれを増田本人が望んでいないようにも感じた。
以下は、本来の状況を勝手に妄想し、その解決を勝手に考えたものである。
想像だが、これは男性が性欲を満たそうとスキンシップしてくるのを女性が嫌がっている場面ではと感じた。
性行為を行うも女性がマグロだったり嫌々であることを全面に思いっきり男性にぶつけながらの行為を行っており、精神的暴力を男性に押し付けるのをやめろと非難されている状況が考えられた。
濡れないことに対してジェルを使うなどの対策を行うものの、お互いに苦痛な行為が続いている。そんな状況を考えた。
結局のところ、このような状況であってもまた、カウンセリングが効果的であると考える。
どのように解決するかは、夫婦生活を営むにあたって、一方的な主張では事足りないのである。
わが国では、セックスレスは離婚事由に該当する。愛はあるが性欲はない、という主張、その家族関係は、残念ながら一方的な搾取の側面があるという事実を受け入れなければならない。
恋をした時、カップルであった時、お互いを確かに愛し愛されていたはずである。信頼関係を築けなくしたのは本当に相手だけが悪いのか、一度立ち返って、話し合わなければならない。一方的な主張が、お互いに発生している状況が考えられるため、そのような場面で有効なのが、専門の第三者を交えたカウンセリングである、と考える。
以上のことは、私が体験して提案して拒否され破綻した経験である。
妻からは性行為をしたいなら私を満足させろといわれ、満足されられないあなたが悪いから性行為を行わないと拒絶される。楽しいデートを行い笑顔で1日尽くすも、夜になって察すると逃げられる。逃げられると今までの努力を返せと不機嫌にもなる。逃げなくても喧嘩腰だったりする。そんな雰囲気では性行為が行えず不満が溜まる。
無論増田がそのような状況とは限らない。共感を排除し、一方的な妄想で構築した文章である。しかし、同様の問題を抱える家庭は多いと感じている。
提案を拒否されるのは辛いことだろう。ただ、それは、お互い様なのだ。
冒頭に書いたような、勝手な推測で相手の感情を逆撫でするような表現は、事実がなんであれ、敵対的であると判定されることだろう。以後気をつける。そんな感じで嫌がることを抑える努力を重ねてきた。
しかしこの、嫌がることをしない、という当たり前のことが、性行為をしたい/したくない、という人類のバグにより、解決しがたい困難な問題と化す。
なんにせよ、より良くしたい、仲良くしたいという思いと、相手を否定しないコミュニケーションを、どのように学んでいくか、一方的な改善要求ではなく、2人の間だけで成長し解決するのは、難しいものだと思うばかりである。
こんな増田で「私は悪くない」と認められ、そんな承認欲求が満たされたところで、夫婦問題は解決しないのである。
私は、性行為を伴う愛ために努力し、相手は性行為を行わない愛のために努力した。悲しい結末であった。
満たされるべきは1人ではなく、2人ともであるべきだ。
そのために俺はどうすればよかったのだろう。
教えてくれ。
全部を分かる必要はないけど、なんかしら「面白味」があるんだよ。
例えば盗作騒動があった元銭湯絵師見習いの女いるじゃん、「ガワだけがちょっといい中身のない女が承認欲求爆発させて作品の根幹も理解せずにパクリをして炎上」ってその絵師見習いの女の人生含めてめちゃくちゃ芸術性高いと思わん?
作品単体の良さではなくて、「中身空っぽの女がその中身の空虚さからパクリすらままならない」ってめっちゃ面白味ない?
あとはバンクシーかどうか分からん絵を百合子がわざわざ視察したあと、工事用バリケードに書かれた「バンクシー参上」ってスプレーでなぐり書きされたやつ、あれこそバンクシーよりバンクシー、パンクよりパンクで面白いよね。
すぐに「すべてのクリエイターはAIを嫌ってる」とか「絵描きならAIに学習されてもいいと思ってる人なんていない」って言い出す。
反対しない考えを持つクリエイターや絵描きがいるってこと、想像すらできないのかな。自他の境界がぶち壊れすぎだろ。
「どうやってこれを自分の創作に活かそうか?」とか「これを使えば何ができるだろうか?」って考えているクリエイターだっているわけで。
でもこれを話すと「1クリックで絵を投稿して承認欲求を満たしたいんですね」
「お前は創作者じゃない、そんなに絵を描きたくないなら引退しろ」みたいな反応が返ってくる。
こいつらはポン出ししか使い方を知らないんだろうか。
そして一部分でも肯定しようものなら全肯定だってことにされて「こいつは創作者の敵だ!」とか「絵描いたことないから努力のことがわからないに違いない!」って怒り出す。
物事には賛同できる部分もあれば、懸念も批判あるわけで、全否定か全肯定しかないわけじゃないのにのに、すぐ「クリエイターVS推進派」みたいな構図にされる。
でいつものように「私達クリエイターは」と「あいつら推進派は」しか主語を使えなくなる。
AIを全否定しなければ創作者に非ず、譲歩する姿勢を見せるものは名誉推進派だとでも言わんばかりだ。なるほどその理論ならばすべての創作者はAIを全否定していることになるだろう。
そうこうしているうちにgrokが無料開放されて、絵描きたちがキャッキャと遊んでるのを見て突っ込まれたら
あれだけ「使い方の問題じゃない、使う意志が創作者として失格」「使ったら犯罪者も同然」「AI堕ち」なんて言ってたのに
「私たちは最初から生成AIそのものを問題視していたわけじゃない!私の使い方はいい生成AIの使い方だ」と言い出す始末。
じゃあ何が違うんだよと突っ込まれれば「そんなこと見てわからないのか!これだから推進派は!もっと勉強しろ!」といって根拠は述べない。
どこのツイフェミだよ。
アッ"長文煽りキチガイ他人に人生終わってるって言いがちだけどその実本人が終わってる"野郎だ!
お前の文章から分かるお前の精神状態は↓こちら!他人を馬鹿にして精神を安定させようとしないで自分自身とちゃんと向き合えクソボケが!
攻撃性と優越感: 相手を見下し、嘲笑することで自分を優位に立たせようとする態度。
自己投影とネガティブ感情の転嫁: 自身の不安や苦しさを相手に投影し、それを攻撃することで発散している。
ストレスやフラストレーション: 対象とのやりとりや状況に強いストレスを感じている可能性。
非モテの中でも、俺は輪をかけて拗らせた、性格の悪いタイプだと思う。
だからこれをもとにモテない男は一般的にタチが悪いなどど早合点しないで欲しい、と最初に断っておく。俺の話はあくまで俺個人に限ったことで、世の中の男性のほとんどは俺よりよっぽどまともなはずなので。
大学時代、気になる女の子がいた。初対面の当初はそこまで気になっていたわけでもなく、大学時代の最初は高校時代の失恋の整理が終わってなかったことや非モテを拗らせていたこともあり、友人として信頼関係を築いていた。
大学生活も後半に差し掛かる頃、恋愛がしたくなり、その友人にアプローチをかけ始める。男女問わず友達がいない俺にとって恋愛対象は限られており、さらに友人としての信頼関係から恋愛に移るタイプだったので、もはやその女の子以外の選択肢はなかった。
しかしなかなか靡かない。デートにはたまに行けるが、それ以上は牽制されつつ、たまに寂しいときには寄ってくるという生殺しのような関係がしばらくあって、俺と彼女は三年生を迎える。
当時学俺は学業もサークルもうまくいかず、女の子の方もまたいろいろとうまくいかずといった状況で、お互いに余裕のない時期だった。そんな時期に性懲りも無く、気の良い脈もないのにちょっかいをかけようとする俺に愛想が尽きてきたのか、女の子も俺に呆れてきたようだ。自然な展開として、彼女とはかなり深刻な喧嘩になり、以降口も聞かなくなった。
彼女の近況は人づてに聞くしかないが、どうやら俺に信頼関係を裏切られたように感じて、憎んでいるみたいだ。そして不思議なことに、その事実でたまらなく満たされた気分になるのである。
そもそも俺は性欲と承認欲求の区別が曖昧で、恋愛関係に期待する幸福が一見して性的なものではない。気になっていた女の子に嫌われたことで、彼女の中では俺は「クソ男」のスタンダードとして彼女の恋愛観や人間観に残るはずであり、それだけで承認欲求が満たされて恋愛的な満足も得られてしまったのだろう。憎しみの強さは好意よりも持続するものだと思うので、むしろこの方が彼女の中に強く残るのである。彼女はこれ以降、俺のようなタイプの男を避けるだろうと想像すると、嬉しい。
また、たとえセックスできたとして、俺は彼女にとっての何になり得ただろうか。過去の恋愛感情はいつかは冷めるもので、現在の男に上書きされる運命でしかない。なぜなら対象とする男が違うだけで、どの好意もそれ自体はすべて同じものだからだ。しかし、俺に関する記憶は、人間関係の苦い思い出として彼女の中に残るはずである。恋愛にすら至らなかった曖昧さのために、完全に同一のものとしてカテゴライズされるべき競合の記憶が存在しない。名前のつく関係性や行為では不可能な位置を彼女の記憶の中に占めることができたのだ。
この文章の書き手は、内面的な不安や劣等感を抱え、それを攻撃的な言葉を用いて他者に向けることで、自分自身の心のバランスを取ろうとしている可能性があります。
また、満たされない承認欲求やフラストレーションが背景にあるとも考えられます。
妊娠した VTuberが産休明けに復帰できるように卒業と言わずに配信活動終了と言ったり、その仲間の恋愛活動をうらやましく思って喉がつぶれて声が出なくなったことにしてライブをボイコットする VTuberなど噂話が尽きない界隈で裏方として働いています。
匿名で文章を書いて、はてな界隈を盛り上げる増田と、仮面かぶって配信している奴らってどことなくシンパシーを感じていて。やっぱ、お互いに高評価とかスターとかソーシャルリワードが欲しい承認欲求モンスターの波長を出してるんですよね。
違いがあるとしたら残業や緊急対応を繰り返して、コミュニティを盛り上げることでお金が落ちてくるかどうかって小さい差だけではないだろうか。
って、そんな前置きはどーでもよくて
反AI派閥だから、AIイラスト関連で、というのは1ミリも関係なくて…
いや、むしろ、おめでとうってお祝いするべき話なんだけど。
【 AI VTuber「紡ネン」YouTubeチャンネル登録者数が10万人を達成!】
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000167.000046857.html
10万人登録って言ったら、YouTube公式から銀の盾がもらえるという配信者にとっては一つのステータス。
これをAIが達成したんだからそれは素晴らしいことなんですよ。
大手のハコだったらデビュー数日、数週間で行くこともあるけど。
その他の有象無象、そこらの石ころ事務所からしたら、これはすごいことなんですよ。
ただし俺は裏方だ。
どんな動画がバズったのか?
どんな配信をやってるのか?
気になって見に行ってしまうんですよ。
https://playboard.co/en/channel/UCz3MxafXlPxGCJVpFLI7fGQ
なんだこれは!?
Subscribers(新規登録者)グラフが異常な数値を出しすぎている。
やってるな…
やってるぞ…
登録者を買ってる…
買っているかどうかこのサイトだけで判断はできないけれど、少なくとも健全な伸び方ではない。登録者の伸び方は大きく分けて2つ。
パターンB:動画で爆発的なバズり(100万回再生越え)が発生して10万達成!
そのどちらでもない。
10/7に、それまで登録者数に変化が起きなかったが、急に200人ほど登録者が増加している。おそらく初回の試験導入で約200人分を購入。
オーガニックで増えるときは、増加数を一定キープし続ける。1日で嫌われて登録者が減って、1日で人気になって登録者が増えることはなく、一度火が付けば余韻で伸び続けるものだ。
しかし10/27からは2000人の登録者がある日と100人台の大きな短時間のうねりが見られる。こんな大きな波は人気では説明できない。意図的な操作が入っている。
そして12/3日にそれまでは増加を繰り返していた流れが減少に転じる。これは目標達成で、何かの操作を止めたことによる反動に見える。そしてそれ以降に波はない。
しばらく登録者が増えない時期が続いたあと、この約2か月に約3万人の登録者がどこからともなくかき集められ、めでたく10万人を登録達成すると以前のように静かになった。実に作為的な伸び方である。
このチャンネルに50万再生を記録した動画すらない。集客した動画がないにもかかわらずチャンネル登録者数が多いことが疑惑をより確固たるものにしている。火のないところに煙が立っているかのように、データ的には10万人登録レベルの人気の動画はないのに、登録者だけが10万人に増えている。
何かしらお金が動いて登録者が増えている。買っている以外に思い当たる節がない。
裏方として、ファンの方が推して布教してもらえるように日々努力や残業をしている身としては、ちょっとだけ怒りが沸いた。
これがVTuberなら中の人が反対するし、運営側としてもVTuberのほんとうに喜ぶリアクション、感動の声が出せないような企画は反対する。
AI VTuberは中の人間は反対しないし、感情がないからこんなチャンネル登録者を買うような行為ができたのだろう。
もっともニュースリリースを出すことが登録者を買う目的なのかも定かではない。チャンネルを見ていたらクラウドファンディングを実施しているようだ。チャンネル登録者を購入した資金をクラウドファンディングで回収できるとふんだのだろうか。いや購入した登録者がお金を貢ぐ推しとしての熱量を持っているとは思えない。もしかしたら、AI商材詐欺の準備かもしれない。「登録者10万人のAIキャラクターが作れます」とか言ってAIキットを売り出すのかもしれない。まともなVTuber事務所なら、お金を払ってくれるファンが増えないのに登録者だけを増やすのは、ただ赤字を増やすだけだから反対するはずなのに、AI VTuberの人気を数字的に誇示したい何らかの動機があったということ…
何のために登録者を増やす必要があったのかは本当に謎でしかない。
(まあ、卒業者が続出する事務所に比べたら些細な謎なんですが…)
こんなことを書いている暇があったら、ウチの配信を盛り上げる仕掛けを考えた方がいいんだけど、でもね、なんだかんだ、俺も10万とは言わないけれどスターが欲しいんだよ。