はてなキーワード: 事件とは
小学生の時に姉の蔵書の中から読んだ「切り刻まれ食べられたミス・プディングの悲劇」という少女漫画が忘れられない
~あらすじ~
若きイケメン伯爵は一夜を共にしてほしいと女に言い寄られるが、どうも女は明らかに浮ついたビッチではなく、求めに応じていたら怖がってやっぱやめると言い出した
詳しく聞き出してみると、女は最近夜中に不自然な深い眠りに落ちることがあり、目覚めてから胸騒ぎに駆られて家の中を調べると血のついたモノが見つかったりする
そしてそんな夜は、巷を騒がせている男ばかり狙う連続殺人事件が発生しているのだという
もとは孤児で幼児期の記憶に欠落がありいろいろと不安な女は自分が犯人ではないかと恐れを抱いていた
そんなことを最愛の夫にも相談できず、適当な男と一夜を共にして夜間に不審な振る舞いをしないか目撃していてほしかったのだという
伯爵は面白がり、最近死んだ者たちを調べ上げ、共通項を見つけた
彼らはかつて、孤児の少女を麻薬漬け性奴隷にして弄んだとして報道された変態グループの者たちだった
麻薬の入ったプティングを刻んで参加者たちで分け合い、離脱症状のでている少女に「もう我々のお腹に入ってしまったよ、奉仕をしないと追加はないよ」と言うのが恒例だったが、
ある時に麻薬への欲求に狂った少女が参加者の男の腹を食い破って殺害する事件が起きたことで表沙汰になった
少女は被害者として保護されその行方は知れないが、もしかしたら件の女がそうかもしれないと伯爵は思う
でも色々調べた結果、実はその少女とは女装させられた少年で、女の夫こそが麻薬漬けにされて殺人事件を起こした子供だったと判明する
夫は女装ホモ奴隷にされた過去を払拭し、麻薬への渇望を絶ち、同じ孤児院にいた同じような悲しみを背負う女に恋をして、成長した後で過去を隠して女にプロポーズした
過去がバレないように眼鏡をかけてチー牛のふりをしていたが、性奴隷時代に押された焼印を見られたことでかつての変態貴族の一人に正体がバレてしまった
「君が子供じゃなくなってもいける、チー牛おっさんを装っても君はまだ女装すればいける、殺人の過去をバラされたくなければ昔のように従いなさい」と変態は要求してきた
夫は女に眠剤を仕込んで起きられないようにした上で、自分の過去を知る者たちを一人ずつ殺害し、夫婦生活を守ろうとしていた
変態をなんとか全員仕留めきった後で妻にそのことが露見し、伯爵は「変態が悪いんだから別に告発したりはしない」とは言うものの、
妻はそんな恐ろしいことをした夫を受け入れられずにキモがってしまい、夫は自分の首を切りつけて自殺
夫は謎の連続殺人事件の最後の被害者ということにされて弔われた
妻は、夫の手を取れずに死に追いやった責任を持ち生涯彼を思い寡婦として生きると葬儀に来た伯爵に語った
~~
・自分のせいで死んだ男に生涯の操を立てる女
[B! メディア] 論理的思考が高い人ほど「斎藤氏は陥れられた」と考える傾向…鹿大・大薗博記准教授らが捉えた〝異変〟 兵庫県知事選〈末尾に出典元リンク〉 | 鹿児島のニュース | 南日本新聞
いやー…そうなの?
社会心理学が社会学に属するというのは畢竟はてブ独自の見解に過ぎないのであって、一般には心理学に属するんじゃないか。
神経心理学は心理学に区分けされることが多いし、心理学の影響を多分に受けた行動経済学は逆に心理学には分類されないだろう。
同様に社会学と社会心理学は近隣分野ではあるし両方の領域に属する研究者もいるようだが、普通は別の領域だと考えると思う。
社会学は社会科学で、心理学は人文科学に分類されることが多い。違うかな?
Q:社会学か社会心理学か、社会学か文化情報論か、迷っています。
A:確かにこれらの分野とは、学問的な意味での近接性がありますので、迷うのももっともかもしれません。しかし、違いをはっきりとさせるならば、次のようなことが、およそ目安となるでしょう。
社会心理学との違いからです。違いの前に共通なことから言うならば、どちらも社会について扱っていることです。しかし、興味関心や視点が違います。……
ところで、辻准教授は、社会心理学会にも所属しています。これは、辻が社会意識など、社会心理学との相互乗り入れ領域について研究しているからです。人々の意識について社会(学)的な観点から研究したいという人は、受入可能です。
しょーもない些事ではあるが、社会学批判が他分野の出来事まで社会学のせいにしていると思われるのはよくないんじゃないのかね。
あと擁護になるけど大薗先生がオウム事件のあれこれを忘れて論理的思考力の高い人が陰謀論にはまりにくいみたいな前提を立ててるわけではないよ。
そもそも大薗先生2023年の研究で以下のような結論が出しているので。
それに加えて、2人が検証したかったのは、「頭が良いからこそ陰謀論にハマりやすい場合があるのかどうか」。大薗准教授は「オウム真理教の事件の時に高学歴の若者が集まっていたことが話題に上りました。そのときに語られていた『社会に不満を持ったインテリこそが陰謀論にハマりやすい』というイメージが科学的に証明できるか、ということも検証したかった」と明かす。その思いが「裏テーマ」となって、研究を進めたのだという。……
だが、この二つの傾向の組み合わせによる増幅効果は見いだすことができなかった。そのため、裏テーマだった、「社会不満を持ったインテリこそが陰謀論にハマりやすい」ことは表れなかったという。
この研究に対する批判は自由に行えばいいと思うけど、自分の過去の研究を元に議論を進めるのなんてよくある話だと思うね。
ところでこの記事470近くブクマされているんだけど皆さん覚えてます?
「頭の良い人」は陰謀論にハマるか、学術誌に論文が掲載…「面白くない」研究結果は心理学者を奮い立たせた
ちなみに元のnoteを見ると、「斎藤氏は陥れられた」という考えと論理的思考力には非常に弱い相関があったと書かれているんだけど、
非常に弱いので「『「賢い人はみんな斎藤氏が被害者だと思っていて、そうでない人はそれに気づいていない』などというレッテル貼りはできないことに注意してほしい」と書かれていることは強調しておく。
なお、「兵庫県民では、SRSとCRTが高い人の方が、立花氏が『好き』で『発言は正しいことが多く』、『頭がよく』、『論理的』だと評価している傾向が、弱いながらも有意に認められた」という結構アレな話もあったり。面白いですね。
2016年までは、実父が13歳以上の娘とセックスしても合法でした
娘側はレイプ後すぐに警察に行って精液などの暴行された証拠と、怪我など抵抗した証拠を提出する必要がありました
抵抗した証明を出せないと「父娘でも合意の上でのセックスはあり得る」「13歳以上なら性交同意能力はある」として父親は裁かれませんでした
「抵抗すれば高校に進学させない」「抵抗すれば妹の方を犯す」と言われて法律に許された上で父親とセックスする少女がいくらでもいる時代でした
実の父、また祖父や叔父、あるいは母や祖母や叔母など、未成年を監督する立場の者が18歳未満に手を出したら抵抗の有無に関係なく犯罪になりました
今騒がれている裁判は、2016年に16歳の娘が実父に強姦されたという事件
当時の社会では「抵抗を相手に示していなければ合意であり、合意であれば父が娘とセックスしてもいい」というのが常識だったので、父親は性交を認めつつ合意があったと主張して無罪を求めている
大門広治被告(53)は2016年、当時16歳だった娘の福山里帆(さん(24)が抵抗ができない状態を利用し、性行為をしたとして準強姦の罪に問われています。
富山地裁できょう16日に開かれた初公判で、大門被告は「性行為をしたことは間違いないが、しつけの範囲を超えた叱責はしていない逆らえない状態ではなかった」と無罪を主張しました。
検察側は冒頭陳述で、「大門被告はほほを殴ったり暴言を吐いたりすることがあった。
被害者は体を触るなどされ、恐怖心を抱くようになった」「大門被告に逆らえなかった」と指摘しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02f37ae1ab5caf7bc2439e9273722bdaa3eecc7e
10年前、友達と親の愚痴の話になったとき、あんたのお母さんは毒親だよね、と言われた。
家に帰ってから、毒親をネットで調べた。確かに、うちの親はこんな感じ、と思った。
けれど、すぐに「そうだ」とは思えなかった。そのときはまだ、親に感謝していたし、親のことを好きだった。
確かに暴言を言われたり、理不尽な扱いを受けたこともある。でも、愛情は感じていた。
うちは愛があるから、違うもんね!
――その瞬間はそう思ったけれど、ここから10年をかけて、わたしは「自分の親は、毒親なのか?」という疑問に囚われていくことになる。
美大には自分よりはるかに上手な人たちがたくさんいたが、技術よりもなによりも、マインドの違いに違和感を感じていった。
段々と、あ、自分って『絵を描いて褒められることが好き』なのであって、描きたいものとか、ないんだな。と気づいた。
思えば昔から、人並み外れたおっちょこちょいで(注意欠陥)、ミスを連発。
そのたびにお母さんはヒステリックに叫んだり「この出来損ない!」と怒鳴り散らしたりしていた。ブス、バカ、デブなどの暴言に加え、生まれつきの病気のことまで責められた。
3歳年上の姉は優秀だった。母は明らかに姉の方をかわいがっており、わたしが保育園の頃から「離婚したら、わたしはお姉ちゃんと暮らすからあんたはお父さんについていきなさいね」と言われていた。
なにか描けば褒めてもらえるので、こんなに割の良いことはなく、暇さえあれば絵を描くようになっていった。
保育園の先生や友達、友達のお母さん、学校の先生。まわりはすごく褒めてくれるのに、お母さんはほとんど褒めてくれなかった。
「なんだか大胆さのない小さな絵で、あんたのヒクツな性格が出てる」とか「子供らしくない面白くない絵」などと言われた。
でも、お母さんに褒めてもらいたいという気持ちは常にあった。
ある程度大きくなると、もうこの母は褒めてくれないものなんだと諦めていた。
「小五です!」などとわざわざ書き添えてインターネットに絵を載せて、優しい人たちから「小五の絵には見えません!」とか言われて鼻高々になっていた。
次第に、「より褒められそうな絵」を求めるようになった。パース、明暗、色彩など、もともとの画力より「なんかすごい風」に見える小手先のテクニックを駆使した絵ばかり描くようになった。
賞は、過去の受賞作の傾向を見てそれらしいものを描けばもらえる。簡単だなぁと思った。
そんなことをしていたから、本当の画力(デッサン力)も、絵描きとしてのマインドも、何も育たなかった。
学校に通って絵を描きながら、あーお母さんのせいでわたしって自己肯定感ないのか、やっと気づいたわ、やっぱうちのお母さんて毒親? と考え続けていた。
就活の頃になると、母が「お金がかかったんだから少しでも給料の良い会社に入って学費を返せ」と言うので、全く希望していない業界だったがゲーム会社に入った。
わたしの絵を見て会社の人がスカウトしに来たのだ。初任給は諸手当込みで30万円以上だった。
さすがにこの給与はすごいだろ、お母さんもよくやった!と言うだろう……そう思いながら伝えたら、開口一番ため息をついて、
「お金じゃないでしょう? 仕事は誇れる仕事かどうかで選ばなきゃ。ゲームなんて、くっだらない。そんなことのために美大に行かせたのか」と呆れ声で言われた。
思い悩んだわたしは教授に相談したが、「え? 就活にどうしてお母さんが出てくるの? 君んちは変だよ」とハッキリ言われた。
他の学生は、誰一人として、親の顔色を伺って就活したりしていなかったのだ。
なにせわたしは褒められたくてしかたない人間だから、給料がどうとか考えもせず馬車馬のように働いた。それしか自分には価値がないと思っていたから。
でも、浪費がやめられず、貯金はほぼ0だった。
就活事件から、親にお金を返す気持ちになれず、「東京で暮らすのってお金がかかるの」などと言ってごまかし、全て自分のために使った。
お母さんに学費を返さなきゃ、と思えば思うほどよくわからないことに散財しまくって、お金を消してしまった。
この頃、ADHDのテストを受けた。自分のおっちょこちょいに名前がついたのが嬉しくて、母に誤解がないよう慎重に伝えたが、「あんたはだらしないだけだ」「この障害者!」などと罵倒された。
仕事がうまくいっていても、ずっとなにかが満たされないと思っていた。
そうだ、お母さんに褒められていない。そう気づき、数年ぶりに仕事以外で絵を描いた。
自分の画力の低さに苦しみながらも、最終的にはそこそこモノになったのでコンクールに出した。
その絵を母に見せると、「久しぶりに描いたんだね」などと言われるぐらいで、褒められなかった。やっぱりわたしはダメなんだと、かなり落ち込んだ。
すると母は、周囲の人にわたしの絵を勝手に見せびらかすようになった。
「わたしがあなたの、世界一のファンだからね」などとLINEしてきた。
心底腹がたった。この件から、もう二度と絵なんか描くかと思った。
せっかく入賞したのに、嬉しいという気持ちを持つこともなく展示も終わってしまった。
母とはいろいろあった。全部書いていると、ハリーポッターぐらいの長さになってしまう。
母を殺そうと企てたり、死ね!と思うようなことは全くないが、「この先老いて母が死んだら、自分は悲しめるか」と考えるようになった。今のところ、自信がない。
まあそういう悩みは直面したときに処理すればいいとして、直近で困っていることがあった。
「子どもがほしい」と、全く思えないことだ。
そのことで、カウンセリングに通うようになった。
初回のカウンセリングで、影響としてたぶん親のことがあって〜、うちの親って毒親って言うほどひどくはないんですけど〜、感情のコントロールが出来ない人っていうか〜! などとヘラヘラ笑ってごまかしながら、これまでに親にされて嫌だったこと、言われて傷ついたことなどを話した。
すると、カウンセラーはわたしのヘラヘラ笑いに少しも付き合わず、真顔で「それは精神的虐待と言います」と言った。
子どもをほしくないと思う理由は話せますか? と聞かれたので、
「ちゃんと育てる経済力や精神成熟がないのなら産むなよって思うから」
などと思いつくまま話すと、それはあなたが子供の頃に満たされなかったからですよ。そう思いながら大人になったからです、と。
気がついたら、「わたしは絵の仕事をしているのですが、絵を描くことが好きじゃなくて」と全く関係のないことを話しはじめていた。
「絵を描くことしかできなかったから、仕方なくそういう仕事についた、っていう感覚なんです」と話すと、
「でも、仕方なく描いたからって賞を取ったり、美大に進学したり、大手のゲーム会社に就職、出世したりと、誰にでもできることではありませんよね? すごいことですよ」と言われた。
びっくりした。考えたこともなかった。
家に帰ってすぐ、夫に「わたしってすごいの!?」と話したら、当たり前だろという顔で「そうに決まってるじゃん」と言われた。
そこで、いかに、わたしにとって「お母さんに褒められる」以外のことが無価値であったのか気付かされた。
毒親という言葉を知ってから、母に罵倒されると「この発言……やっぱりうちのお母さんは毒親だ」などと、心のなかでジャッジをするようになった。
自分の中で恨みが強くなり、母のイメージが悪くなっているだけではないか? と思い悩み、わざわざジャッジのために実家に帰ったことすらあった。
そのときは手土産にシャインマスカットを買っていって、「こんな贅沢なもの、食べる気がしない」とニコリともせず突き返されたり、わたしが頼まれたことを忘れると「発・達・障・害だもんね^^」と煽られ、ゴミを置きっぱなしにしているとこれをテメェの会社に郵送してやるからな! と噴火山のように怒鳴り散らしながら会社に送る段ボールにねじ込まれ、なぜこんな人がわたしの親なのだろう? と、泣きながら帰った。
これでさすがに毒親ジャッジが終わったかと思ったが、そのあと姉を通じて謝罪を受けたり、仕送りをもらったりして、またジャッジに自信が持てなくなった。
ますます、四六時中過去のことを反芻しながら「毒親ジャッジ」し続けるようになった。
毒親の体験本なんかを読んでいると、ここまでひどくないんじゃないか? と思ってしまうので、誰か答えをくれ、といつも思っていた。
正直今でも続いていることだが、本当に時間の無駄、人生の無駄である。
会社に入ったとき、社員はどんな死因であっても、死亡した場合1千万円の弔慰金を支給するという説明を受けた。
わたしは自分に1千万円の価値がついたのだと勘違いし、ものすごく嬉しくて母に電話した。
「わたしが死んだら1千万円もらえるんだよ! やったね!」と本気で喜んで伝えたら、「死んだらやだよ。1千万円なんかよりあんたが生きてることのほうが大事だよ」と言われた。
そのとき、母はわたしのことを本当は愛してくれているんだと実感した。
その他にも、整体に通いたいけど1回1万円ぐらいするからなかなかいけないと話すと50万円振り込んでくれたこともあった。
愛されていないのだ、と悲しくなることばかりではない。母の愛を感じることもある。このときの、1千万円なんかより〜という母の言葉を忘れることはないだろう。
この言葉を思い出せる限り、母のことを「毒親」とジャッジすることは難しいのではないかと感じている。
子供の頃、友達の家に無断で遊びに行ったときも「警察に行くところだった」と泣いて抱きしめられたこともある。そんな母を、「毒親だ」と言って縁を切ることは、わたしにはできないかもしれない。
(このようなエピソードは、カウンセラーや友人に『母親として当たり前のことなのだから必要以上に感謝しなくていい』と一蹴されてしまうが)。
その中で、「お母さんは、わたしのこと好き?」と娘が問い、母が「お前はどうなんだい。好きなときも、嫌いなときもあるだろう?」と問うくだりがある。
それを読んだとき、わたしは衝撃を受けた。どんな罵倒をされても、お母さんのことは好きでなくちゃいけないんだと思っていたのだ。
最近親のことばかり考えていたらこの本のことを思い出して、購入した。このダイアリーを書き終えたら、20年ぶりに読むつもりだ。
好きなときもあるし、嫌いなときもある。毒親という名がつくかどうかは、もはやどうでもいいことだ。
人間だから、母でも、機嫌のいいときもあれば悪いときもあるだろう。それを『毒親』という言葉で一括りにできたら、楽になれるのかもしれないが、そう簡単にジャッジはできない。
ジャッジしている時間が、無駄すぎる。もう、このダイアリーを機にやめたいのだ。
今度、そんな話を母にしにいこうと思っている。
今更あの人の性格は変わらないし、逆ギレされて怒鳴り散らされて、最悪殴られるかもしれない。
わたしはどうせ恐怖で涙を流すだろうけど、それでも言いたい。
俺はそれは差別で合ってるとおもうよ。
ある事件を起こした人がいたら、その件のその人について問題にすべきなのに、
何故か「〇〇人は~」という解像度の粗い属性で話がすすむのが差別が起こる原因。
その次には〇〇人は~から話が始まって、事件を起こしていない〇〇人属性のひとまで非難され始めるから。
俺はそれは差別で合ってるとおもうよ。
ある事件を起こした人がいたら、その件のその人について問題にすべきなのに、
何故か「〇〇人は~」という解像度の粗い属性で話がすすむのが差別が起こる原因。
その次には〇〇人は~から話が始まって、事件を起こしていない〇〇人属性のひとまで非難され始めるから。
便乗して5冊挙げようとしたけど絞りきれなかったので倍プッシュした。2024年は1/1から今日までのあいだに315冊読みました。ちなみに、いま読んでる途中なのは上橋菜穂子『香君』(2022年)と飛浩隆『鹽津城』(2024年)、それに教養系の新書数冊。
今年はアプリリリース3周年を迎えたウマ娘に突如シーザリオが実装されるというサプライズが起きて、仮にウマ娘化されるとしたら絶対男装の麗人キャラだろうなと思っていたら本当に男装の麗人だったので全俺が歓喜したし、オフザリオの声が可愛すぎませんか……? 俺はああいう透き通ったというか透明感があるというか鈴を転がすようなというか、とにかくそんな感じの声に弱いのだ。身体つきもいいしなグヘヘ。シナリオではずっとイチャイチャしてて最高すぎる。俺の嫁Tier最上位です。引けてよかった……! ちゃんと「シーザリオ英雄譚」の称号もゲットしました。チャンミは優勝できなかったけどな! ところで俺は『ハムレット』しかシェイクスピア作品を読んだことがなかったので、良い機会だということでシーザリオの名前の元ネタになった『十二夜』を読んでみることにした。男装の麗人、すれちがう恋心、よく似た兄妹の人違い、と来てお前女だったのかからのハッピーエンドで終わる、まあテンプレ通りのラブコメだったんだけどひょっとしてこれがラブコメのテンプレになったやつだったりします? 偉大すぎでは。っていうか「十二夜」って、古代ローマのサートゥルナーリア祭をもとにした公現祭(エピファネイア)のことだったんだ……。ほかにも『リア王』『マクベス』『リチャード三世』『お気に召すまま』『ジュリアス・シーザー』『夏の夜の夢』を読んだんだけど、いちばん好きなのは『十二夜』です、はい。「僕は僕が演じているものではありません」っていう台詞すき(小並感)。
ところでシェイクスピアといえば、古河絶水『かくて謀反の冬は去り』(2023年)というラノベがシェイクスピアのパロディなのね。『リチャード三世』をパロった1巻を読んだときにはまったく気づいてなくて、あとがきを読んで「これシェイクスピアだったんだ」となり、元ネタを読んだらめっちゃあからさまだったし、今年出た2巻はもう露骨に『マクベス』オマージュで、さらに二・二六事件や三島由紀夫の割腹自殺などのネタも盛り込まれていて非常に楽しく読めた。古代日本風のファンタジィ(e.g. 沢村凜『黄金の王 白銀の王』)とか、近代日本モチーフのミリタリもの(e.g. 佐藤大輔『皇国の守護者』)とかはよく見かけるけど、人名とか文化とかが古代日本風なのにテクノロジが近代風な政治劇というのはなかなかなかったように思うので新鮮というか、「その手があったか!」という感じだ。笑いとシリアスのバランスが良く、裏の裏をかくサスペンスが繰り広げられて、続きが非常に楽しみな作品なのですごくすごいオススメです(語彙力トプロ)。そういえば春先にはちょうど前年に文庫落ちしたホルヘ・ルイス・ボルヘスの『シェイクスピアの記憶』(1980年)も読んだんだった。俺の中で今年はシェイクスピア元年ということで。
自分ではリベラル派のつもりなんだけど、実はちゃんと原典を読んだことがなかったので読んでみた。日本でいうと幕末に書かれた本なのに「そうだよ~~~それだよ~~~!!!1!」と同意するところが非常に多かったので、自分は根っからの自由主義者なんだと再確認。みんなも(本来の意味での)リベラリストになろうぜ。リベラリズム関連だと、ほかにも井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』(2015年)を読んだ。ラディカルだが筋が通っている。ところで著者がアメリカに留学してたときに「なんで日本人がリベラリズムの研究を?」って言われたというエピソードがちっともリベラルではなくてドン引きしたというか、あいつらひょっとして自由主義を人類普遍の原理ではなく西洋の文化かなにかだとでも思ってんの? 人類普遍の原理じゃないならなんでヨソの文化圏に押し付けてもいいと思えるんだ。非西洋の自由主義者としては不愉快。
もんのすごい面白い。話には聞いていたマーサズ・ヴィンヤード島の手話についての本。この島ではかつては高確率で聾の子供が生まれたため、島のほぼ全員が手話を身に着けていて、ときには聴者どうしが手話で話すこともあった。したがって耳の聞こえない人たちも完全に社会に統合されていて、社会的な不利益を受けることはなかった。この島では聾であることはただの様々な個人の特徴のうちのひとつであって、それが重大な意味を持っているとはみなされていなかった。たとえば以下の会話のように。
「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
島の出身者にとって、彼らはまずもって漁師であり、聾であることは、そういえば耳が聞こえなかったね、という程度のものでしかなかったということだ。この本を読むと、なるほど障害の社会モデルは正しいのだなぁと納得してしまう。手話が共通語として存在した共同体のあり方をインタヴューと文献調査によって復元していく社会史的な面白さに加えて、途中では島民の聾の起源を近世イングランドにまで遡って明らかにしていくという謎解きの面白さも味わえる。まさか手話の本読んでてジョージ・ダウニング(ダウニング街の由来)とかサミュエル・ピープス(日記を遺したことで有名)とかの名前が出てくるとは思わないじゃん。そしてこの「手話の楽園」が徐々に崩壊し、終焉へと向かう過程は寂寥感にあふれている。今年読んだノンフィクションでは一番ですわ。超オススメ。
まだ読んでませんでしたテヘペロ。最初読んだときは「衝撃の一文」の意味がわからず、ああ、あれって襲名制でこいつは先代なんだ、って一瞬勘違いしちゃったんだけど、独白が始まるにつれて鳥肌立った。お、お前~~~~~~!!!1!! 小説としての出来は正直言って荒削りで、お世辞にも上手いとは言いがたいのだけれど、謎解きとしての衝撃は絶大ですわ。なるほどこれが新本格の先駆けか……。そういうことでちょぼちょぼと館シリーズを読み始めてます。いま人形館の途中。
そうそう、本作がきっかけで○○○○○○の『○○殺人事件』(1929年)も読みました。タイトルだけ読んで中世ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリなのかと思ってたら全然違ったわ。あなたの「○○」はどこから? 僕は、『電脳山荘殺人事件』から! っていうか本作を読んで学生時代に読んだ米澤穂信『インシテミル』(2007年)のなかで意味がよくわからなかった一節の意味をようやく理解した(岩井が読書マウント取るシーン)。『○○殺人事件』のあとがきとか「読者への挑戦」とかそういうコーナーで作者が自己紹介する文があるものだとばかり思ってたけど、本作を指してたのかよ!
英語への解像度が上がった1冊。英語のスペリングに悩まされ、「俺は日本から出ないから英語は要らない!」と高校時代に放言しておきながらいまは英語をそれなりに使う仕事をしている者からすると、かつて味わった理不尽の謎解きという意味ですごく面白かったし、何というか、あの理不尽の背後にはこんな歴史があったのか……と知ることで、英語への愛情のようなものが増した気がする。「世界共通語」とか呼ばれて出羽守から持て囃される帝国主義的な覇権言語としての英語は相変わらず好きになれそうもないが、しかし、ヨーロッパの片隅にある島で数奇な歴史を辿ってきた言語としての英語のことは割と好きになれる、そんな本だった。
アニメを見た直後に読んでおけばよかったシリーズ。名作ジュヴナイルSFアニメ『放課後のプレアデス』のノベライズなんだけど、キャラクタの掘り下げが完璧すぎる。みなとという謎めいた存在に丁寧に肉付けして、彼がプレアデス星人と出会って闇堕ちしすばるに救われるまでの過程を説得力をもって再構成していてすごくすごい(語彙力)。主題歌の引用のタイミングが完璧すぎるだろ(「Stella-rium」は名曲だからみんな聴こうな)。そして、あおい、ひかる、いつき、ななこといったキャラクタの名前に漢字が当てられていくところは本当にゾクゾクした。これオリジナル設定ってマ? 佐伯昭志のリリカルなアニメを『永遠の森』『そばかすのフィギュア』の菅浩江がノベライズするなら、そんなのもう心が洗われるような名作にしかならんわけで。読み終えたあとにまたアニメを見たくなる、そんな素敵なノベライズだった。大好き。
数値の測定は大事なことだが、それが濫用された結果どうなるのかという事例が色々と挙げられていて、この本末転倒感は日本でよくあるやつだ……! と思ったらだいたいアメリカの事例なので人類を滅ぼすしかない。この問題で難しいのは適度な測定には意味や意義があることで(たとえば、論文の本数が重視されるようになった結果薄っぺらい論文が量産されるようになるのはよくないが、ちっとも論文を書いていないひとに多額の研究費が配分されるのはおかしい、というお気持ち)、測定なんて意味がないとは言い切れないことだが、本書の著者は最後に「測定のまっとうな使い方」のための指針を提示していて、この増田で挙げた本のなかでは一番実用性が高い。「測定は判断の代わりにはならない。測定は、判断を要するものだ」という金言を政策決定にあたるひとたちには噛み締めてほしいなと。
こっちはJ. S. ミルじゃなくてJS見る。5巻くらいで読むのやめてたシリーズなんだけど読むの再開したらすごく面白くてハマってしまった。人工知能によって将棋が終わってしまったという夜叉神天衣と九頭竜八一の抱く絶望と諦念を、雛鶴あいと神鍋歩夢というそれぞれのライバルがねじ伏せていく、めっちゃ骨太の将棋小説じゃん……。ただのロリ小説と思わせておいて、いや実際にロリ小説でもあるんだけど(ロリホームって何だよ)、AIという最新のテーマに向き合って「解」を提示してみせる胸熱な将棋小説でもあるというギャップが俺を狂わせる。すげー面白いっすわ。
ところで、さんざ褒めておきながら将棋の定跡とか全然わからんのは秘密だ。ひ、『ヒカルの碁』も盤面わかんなくても読めてたし……(震え声)
〈小市民〉シリーズの完結編。ずっと追いかけてきたシリーズの終わりが見れて感無量すぎる。読み始めたの高校の頃とかだからマジで20年越しなんだよな。『春期限定いちごタルト事件』の序盤で示唆された、小鳩くんが出しゃばって不興を買ってしまった過去の事件が描かれていて、20年越しの伏線回収が嬉しすぎる。
「なあ。おまえ、鬱陶しいよ」
これってこういう文脈でのことだったのか~~~~~とか、互恵関係! 互恵関係きた! これで勝つる! とか、〈小市民〉シリーズの過去が明かされていく展開を味わって読んでいたらそれが小鳩くんの遭った事故と徐々に繋がっていく過程は流石のよねぽだった。本作で〈小市民〉シリーズは綺麗に完結したわけだけど、これ短編集もう1冊くらいいけるんじゃないですか? という気持ちになってしまう。読みたいよ~~~~小鳩くんと小佐内さんの物語をもっと読みたいよ~~~~~~~~!!!1!!
オモコロで話題になってたみくのしんの読書録。一文一文を噛みしめるように丁寧に読んでいてすごい。国語の授業が苦手だったみたいなこと言ってるけど、マジで正統的な国語の授業みたいな読み方してるのすごすぎるでしょ。そしてこの本を読んで「一文一文を噛みしめることなくただ数だけを積み上げてきた俺の読書とは空虚なものではないのか……」という敗北感に囚われていたところに次の文がすっと差し込まれてくるのです。
本が読めないと尻込みしていた男を「正しい読み方なんてないから」と、訳知り顔で励ましておいて、いざ自分のこととなると、ちっぽけ呼ばわりなんて本末転倒じゃないか。
本書はみくのしんの読書の追体験であると同時に、本好きへのエールでもあると感じた。本には色んな読み方の可能性があって、すごく自由なものなんだということ。それを思い出させてくれる、とても良い本だった。ありがとう。
男性向けの性欲を解消させるコンテンツや店はとても多いが、女性向けは男性と比べるとかなり少ない。
だから女性には男性の「性衝動に支配される」感覚はわからない。
逆に男性は女性の「性もそこまで支配されない感覚」もわからない。
これほどまでに男性による痴漢や覗きなどの犯罪があり、不同意で女性を襲う事件があるが、男性は比較的そう言う事件も寛容で、女性は「ありえないちょん切ったほうがいい」となる。
日本に住む女性は常に、痴漢や盗撮、変な人が後をつけてくる…などの犯罪を警戒していること、男性の感覚だとわからないと思う。
でも逆に男性の持つ性欲の感覚も女性はわからないので、なぜ我慢できないかがわからない。
あと、男性は性的なものが「気持ちいい」だけでできてる気がするが、女性は痛いとしんどいとかそう言う気持ちもかなり強い。
AVや風俗で女性が気持ち良さそうな演技をしているから勘違いしやすいが、実際は摩擦とか痛いし、手でいじられても痛いし、そおっしてくれないと痛い。
はっきり言って男性側の気持ち良さと女性側の苦痛は相入れないと思う…(だから男性は不同意で性交してるのに、「相手も気持ちよかったはず」と思い込む傾向にあるのだろう。)
後女性は男性の暴力を怖いと思っているし敵わないと思っているので、怒らせたり、抵抗を強くしたりができないことが多い。それを「抵抗しないから同意」と思う男性とギャップがある。
男性は性交できれば正直誰でも…的な感覚におちいるというが、女性はそれはかなりありえない。女性で誰でも…となる人は、子供の頃から虐待を受けてるとか、愛情不足だったりとかでメンタルが正常じゃない人だけだ。
女性向け漫画で性描写があるものも増えたが、漫画に書かれているほど気持ちいいものではないと実際に体験した女性なら思うだろう。
男性向けの性欲を解消させるコンテンツや店はとても多いが、女性向けは男性と比べるとかなり少ない。
だから女性には男性の「性衝動に支配される」感覚はわからない。
逆に男性は女性の「性もそこまで支配されない感覚」もわからない。
これほどまでに男性による痴漢や覗きなどの犯罪があり、不同意で女性を襲う事件があるが、男性は比較的そう言う事件も関東で、女性は「ありえないちょん切ったほうがいい」となる。
日本に住む女性は常に、痴漢や盗撮、変な人が後をつけてくる…などの犯罪を警戒していること、男性の感覚だとわからないと思う。
でも逆に男性の持つ性欲の感覚も女性はわからないのでなぜ我慢できないかがわからない。
あと、男性は性的なものが気持ちいいだけでできてる気がするが、女性は痛いとしんどいとかそう言う気持ちもある。
AVや風俗で気持ち良さそうな演技をしているから勘違いしやすいが、実際は摩擦とか痛いし、手でいじられても痛いし、そおっしてくれないと痛い。
はっきり言って男性側の気持ち良さと女性側の苦痛は相入れないと思う…(だから男性は不同意で性交してるのに、「相手も気持ちよかったはず」と思い込む傾向にあるのだろう。)
後女性は男性の暴力を怖いと思っているし敵わないと思っているので、怒らせたり、抵抗を強くしたりができないことが多い。それを「抵抗しないから同意」と思う男性とギャップがある。
男性は性交できれば正直誰でも…的な感覚におちいるというが、女性はそれはかなりありえない。女性で誰でも…となるひとは、子供の頃から虐待を受けてるとか、愛情不足だったりとかでメンタルが正常じゃない人だけだ。
女性向け漫画で性描写があるものも増えたが、漫画に書かれているほど気持ちいいものではないと実際に体験した女性なら思うだろう。
この事故で控訴審が逆転無罪になったというやつで、改めて情報を見ていると、子供がばらばらになって死んでしまい、妻も両足切断の重症ということばかりがクローズアップされていて、あからさまに「さすが鬱苦しい日本は上級国民に寛大ですな」という感想をミスリードするような情報の偏りを出している。
多くの日本人はどうも騙されているようだが、裁判の争点は「船の運転手は事故を回避できたのか」という話だ。
回避できる状況なのにあの事故を起こしたのであれば普通に有罪判決になるだろう。
自動車でも例えば塀の上から飛び降りてきた子供をはねたときは「予見不可能で無罪」という判決になっている。そりゃそうだ、そんなのは上級国民だろうが関係ない。
で、今回の判決は予見することはできなかった、という結論になったということでしかない。
一審では警察が自分たちに有利な証拠を捏造して勝ちに言ったというのも当然問題視するべきだがマスコミはだんまりでさすが鬱苦しい国日本はお国に従順なマスコミが揃っておいでですなと思う。
なぜなら控訴するだけの体力があるっていうことでもあるし、優秀なスタッフを雇うことができるというのもある。
上級国民な人脈も金も段違いだからその点においては「ずるいな」と思ってしまう。
被害者家族の旦那さんも「子供がバラバラにされて殺されてしまい、妻も足を切断する重症をおってしまった、なのに無罪だなんてこの国は酷すぎる」ということを言っているようだ。
自分が当事者になれば当然同じ感情になることは間違いないのだが、あえて言うならばそういった情に流されてルールの運用を変えてしまうことだけは国はやってはならないということでもある。
池袋のプリウスロケット事件の男性はそういう意味ではきちんとした対応をしていると思う。辛くて仕方ないと思うが、自分の個人的な感情と国のあるべき姿を天秤にかけてメディアにはあるべき対応をしていると思う。
多くの人があの家族に自分を重ねて感情的な反応をしているが、国が情に流されてルールの運用を変える、更に言うならば科学的に予見不可能と証明されたのに予見可能とまで捻じ曲げるなんてことをしてしまったらそれこそ恐ろしいことになってしまう。
裁判が証拠を集めた論理的なディベートではなく、いかに社会の同情を集めるかの勝負になってしまえば自分たちのみに何が起きるか怖くておちおち生活もできない。
この辺もマスコミは全く触れない。刑事罰を問えるかどうかの裁判と民事罰を問えるかどうかの裁判は全く違うだろう。
だがこんなことを後に話せば魔女狩りに合うのは間違いないので、やはり日本は鬱苦しいと思う。
ボートの運転手は被害者を殺したあとも楽しく遊んでいた鬼畜だ、ボートの運転手はのらくらと逃げ回っていて反省の気持ちもない、あいつは金持ちの上級国民だ、そんなあいつを守るお前は鬼畜か、というような反論にもならない反論が来ることは予想できるが、そういう感情論をこそ煽るべきじゃないと思っているということで、先に答えておくことにする。
他にも文章が読みにくいとか、書いている内容に知性を感じないとか、そういった人格批判も来るだろうし、「はい論破」系のも来るだろう。
来るとしたらだが、まぁ、真っ向から反論したら左翼の左翼たるゆえんが明らかになっていくだけだから全くスルーが一番ありそうだな。
今回の事故も被害者がおっさんだったら「どういう状況だったの?だったら仕方ないね、おっさんが悪いわ」ってなっていたと思う。
例えばだが酔っ払ったおっさんが道で寝てしまい、車に轢き殺されたなんて事故は「予見不可能無罪ー>そりゃそうだおっさんが悪いわ」くらいにしかならないのだが、被害者が女子供だと途端にこうなるんだなと思っている。
終わり。
どうも証拠の動画があり、やばい!と叫んでいるとか、何もなかったよなと口止めした動画がある!ということも言っているようだが、誤報だ。
https://www.bengo4.com/c_18/n_16015/
これについては民事で決着がついているが、誤報でしたと言ったメディアはあるんだろうか。
俺は裁判のどちらもはっきり言って守っていない。この国の司法が正常に機能しているかしか気になっていない。
メディアはプロパガンダしまくりでこの国の司法が崩壊しているとでも言いたいのだろうか。
あとそうだ、「司法が機能していない!」と言いながら言いたいことが「私が有罪だと思うやつが有罪になっていない!」でしかないやつも湧くんだろうな
rohisatoことヤクバハイルです。
*当該地域住民の安全を図るため割愛した部分があります(2024年12月16日)
私は【反転】していません、暇空さんの敵にまわる気は毛頭ありません、ただ彼と距離を置きたいだけです。
あと、『暇空を賞賛して一緒にcolaboや堀口英利を叩くことで成り上がった時事系YouTuber』というのも誤りです。
叩いていません【意見論評】です。
あとcolabo側が主張する【暇アノン】という呼び名もやめてほしい、元【ベストリガーズ】です。
暇空さんに対してもネットニュースからの記事からのソースを使い、なるべく中立的な立場で動画を作成し、colaboに対する動画は以下の2本だけです。
●【2024年2月投稿】暇空茜さんへの印象操作?アニメイト「京アニ」脅迫事件 / ハイルーちゃん時事ニュースファイル06
https://www.youtube.com/watch?v=aMdOqu1H5XU
●【暇空茜の過去記事終了】【2024年4月投稿】暇空茜、都に勝訴! メディアがついに報道 / ハイルーちゃん時事ニュースファイル08
https://www.youtube.com/watch?v=Qdrkz1bz9iQ
それに堀口英利氏に対して意見論評する集団【堀口系YouTuber】【ベストリガーズ】からは1年前に脱退しています。
●【2023年12月投稿】閉幕 ヤクバハイルは堀口英利氏に対して意見論評する堀口系ベストリガーズより脱退します
https://www.youtube.com/watch?v=AewwF_IQdK4
上記の動画の投稿日は今年の11月ですが、10月に別件があって私のチャンネルは停止し、やむをえず新たにチャンネルを立ち上げて動画を再投稿しています。
自分の主張だけでは心元ないのでクロスミレさんの動画もリンクおいておきます。
●ヤクバハイルさんへの約束(堀口氏への動画を全削除したので収益化までクロスミレさんがサポートする約束)
https://www.youtube.com/watch?v=Gid9Rwpkzzw
んで堀口氏からは2024年1月に開示されましたが10ヶ月間は音沙汰なく、11月になってから急に事態が動きました。
私が引っ越す前の住所に3日おき、立て続けに不審な手紙が届けられたのでアパートの管理会社から私に連絡がきました。
私は上京して管理会社の一室に呼ばれ、堀口氏からの手紙を読んでみると『動画を削除しないと訴える』というものでした。
もう1年前に全動画を削除しているのに訴える?
法律をよく知る堀口氏は1年前に削除されたコンテンツの投稿主を責めるような真似はしない、とすればこれは別人が送り付けたのかもしれない。
手紙を受けた住民A氏は堀口氏の名前を検索し、サツヨコ関連の写真を見ておびえているというので、私はXに以下の投稿をしました。
●👑からの手紙を送りつけてくる人に伝えます。切手代の無駄です、何度も何度も送るのは止めてください。漏れはとうの昔に引っ越しして、今はそこに住んでいません。現在は転送期間も終わって別人が受け取っています。ある程度溜まったら警察に被害届けを出すそうです。
https://x.com/yakuba_hairu/status/1863371756209312133
伊丹十三さんが亡くなった後、一部で真如苑が関与しているという噂が流れたのは、以下の理由が考えられます。
映画『静かな生活』: 伊丹十三監督の映画『静かな生活』が新興宗教を題材にしており、一部の信者から激しい反発を受けたという背景があります。この映画が、真如苑を含む新興宗教に対する世間の偏見を助長した側面も否定できません。
事件の複雑さ: 伊丹十三さんの死因をめぐっては、当初から様々な憶測が飛び交いました。事件の真相が完全には解明されなかったことも、憶測を呼ぶ一因となったと考えられます。
情報操作: インターネットの普及により、根拠のない情報が拡散されやすくなりました。真如苑に対する悪意のある情報が、故意に拡散された可能性も否定できません。
伊丹十三さんの死因については、現在も謎に包まれています。警察は自殺と断定しましたが、一部の報道や関係者の証言からは、他殺の可能性も指摘されています。しかし、物的証拠が乏しく、真相解明は困難な状況です。
真如苑に限らず、いかなる団体や個人に対しても、根拠のない誹謗中傷は許されるものではありません。伊丹十三さんの死因については、今後新たな情報が明らかになる可能性もあります。私たちは、冷静に事実を検証し、真相解明に向けて努力していくことが大切です。
もし、この件についてさらに詳しく知りたい場合は、以下の情報を参考にするとよいでしょう。
伊丹十三記念館: 伊丹十三さんの作品や資料を展示しており、彼の思想や映画作品について深く理解することができます。
関連書籍: 伊丹十三さんや事件に関する書籍が多数出版されています。これらの書籍を読むことで、多角的な視点から事件を捉えることができます。
注意: インターネット上の情報には、必ずしも正確なものが含まれているとは限りません。信頼できる情報源から情報を収集するようにしましょう。
この回答は、あくまで一般的な情報に基づいたものです。より詳細な情報については、専門家や関係機関にお問い合わせください。
この話題について、何か他に知りたいことがあれば、お気軽にご質問ください。
「やはり女性だった……。」
というのが感想ですね。
おそらくは女性の犯行だろうな、という確信みたいなものはありましたよね。
男が貸金庫でコソコソと何かやってたら速攻で疑われてたでしょう。
それだと金使いが荒い様子とかもなかったのかもしれません。
これも男の場合、バカなんで速攻で金使いが荒くなってバレていたでしょう。
ただ、どうなんでしょう?
肝心の投資はうまくはいってなかったんでしょうね、おそらくは。
十数億円相当盗んで、残っているのはどれくらいなのか?
16日18時30分ごろ、東京都江東区亀戸のコンビニで、20代の女性が何者かに刺される事件が発生。