はてなキーワード: 場所とは
今回(その5)で観光地編は終了で、次回から食事編になります。
別途、レスをいただいているように写真がないことで伝わりにくいなあとも思っています。増田で書き終えた後はnote等にでも写真付きて再編集したものをアップして、よりたくさんの人に参考にしてもらえればと思います。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
せっかくの中国だから万里の長城も行きたいよね、となり、まずは調べた結果、他にもいくつか候補はあるが八達嶺長城か慕田峪長城が良いらしい。八達嶺長城は最もメジャーであって行きやすいがかなり混む、混雑を避けたいなら慕田峪長城がおすすめ、と書いてあるガイドブックが多い。とは言え慕田峪長城は交通や現地に関する情報が少なく不安要素が強いので八達嶺長城を選択した。
八達嶺長城への行き方は北京北駅から出ている近郊線S2もしくはバスで行って1時間半ほどかかる、などの情報が多くあるが、詳しく調べていくと高速鉄道で新駅(八達嶺長城駅、ロープウェイ乗り場からすぐ近く)ができており、北京の北部郊外にある清河駅からだと20分ちょっとで着くことがわかった。大同行きで高速鉄道には信頼感を持っているので、この時点で完全に高速鉄道一択である。
大同行きと同じようにTrip.comで高速鉄道を予約した。ホテルから清河駅までは地下鉄を1回乗り継いで50分ぐらい。Conradホテルの朝食をゆっくり食べてから出発したいということで、10:23清河駅発、10:46八達嶺長城駅着の列車を予約。乗車時間が短いので快適である必要もなく座席は2等席にした。料金は1人あたり574円と格安過ぎる。帰りの切符については、現地での滞在時間が読めないのと30〜50分間隔で列車がありそうだったので、後で買うことにした。(もちろん帰りの列車候補の時間はメモしてある)
清河駅は北京の北側の郊外にあり、地下鉄、高速鉄道、近郊線の3つが通っている交通の要所。北京北駅を起点とする高速鉄道からだと最初の駅が清河駅になる。また、すべての高速鉄道が北京北駅発着というわけではなく、八達嶺長城往復なら、むしろ清河駅を始発・終着とする列車の方が多い。列車は北京北駅にこだわらず清河駅も含めて探して欲しい。清河駅のコンコースにはコンビニ(便利店)やケンタッキー(北京では多くケンタッキーを見かけた)などの飲食店もあるので、早く着き過ぎた時は使ってみてはどうか。
八達嶺長城駅行きの列車は2等席ということもあるのか満席だった。また、座席リクエストしたものの少しバラけてしまった。増田は他のメンバーと少し離れた座席が向かい合わせになっているところだったのだが、行くと南アジア系の顔立ちの2人組が増田の席に既に座ってる。声を掛けると向かい側の座席に移ったが、その席も後から来た人に声を掛けられて移動していたので、この人たちはいったい何だったのだろう。到着までの乗車時間は23分なのであっという間に着いた。
八達嶺長城の入場券は、いつもと同じようにWeChatのミニプログラムから購入するのだが、落とし穴がある。ミニプログラムから検索すると最上位に「八達嶺長城門票預約」という、いかにもそれらしい名前が表示されるが、これは直通バスのとセット券などを取扱う会社のもので、ここからだと単独の入場券やロープウェイの購入に至れない。高速鉄道を使って現地に行く場合は、検索結果の5、6番手に出てくる「長城内外旅遊」(交易保証という緑のバッチが付いている)を選ぶ。もしくはWeChatのアカウント検索から「八達嶺長城」と検索して、そのアカウントを友達登録する。チャットに「八達嶺長城」が追加されるので、そこから「微购票」→「个人购票」を選ぶとミニプログラムが起動してチケット購入画面に遷移できる。
八達嶺長城の入場料(淡期=閑散期)は一般35元、老人(60歳以上)と未成年は無料とあるが、注釈を見ると無料適用は中華人民共和国民のみ適用と書いてある。外国人は一般料金だと思うのだが、気付かずに老人無料で購入手続きを進めていったら、何事もなく購入完了した。(未成年の子供分は一般料金で購入した)無料であってもパスポート情報の登録は必要で、それぞれにQRコードが発行される。入口ではそのQRコードを全員分読み取る。
ロープウェイ(現地の英語表記はCable Car、日本だとケーブルカーとロープウェイは別物のイメージがあるので混乱するが、Cable Carの表記に従って進んでもらって構わない)の料金は片道100元、往復140元となっている。往復歩くことはなくても片道だけ歩く可能はあるかなと思い当日まで買わなかった。北京旅行も5日目となり連日の歩きで元気な子どもたちも疲れていたため、全員ロープウェイ往復にすることにして、行きの高速鉄道の中でチケットを購入した。
八達嶺長城駅は地下にあり、地上に出るまでにやはり多く歩く。パスポートによるセキュリティチェックを受けてようやく外へ出た。詳しい案内板とかはないが、駅を出て向かって右側に登って行くとロープウェイ(Cable Car)と書いてあるのでそちらへ向かう。左側へ下って行くと自力で登るルートと思われる。
ロープウェイ駅の入口でチケット確認を受けるが、ここでチェックされるのはロープウェイチケットのみ。QRコードを全員分読み込む。八達嶺長城の入場券はロープウェイに乗る直前に改札する。ロープウェイも混んでいて列も並んではいるが受付の女性がチャキチャキと皆を急かすので、イライラするほどの時間はかからなった。
ロープウェイは8人乗り、上りは係員がどんどん詰めて乗車させるので、グループだと分かれる可能性あり。増田一行はたまたますぐ前で切れたので、一緒のロープウェイに乗れた。乗車時間は計っていないが、体感的に7〜8分だと思う。
ロープウェイ頂上駅は八達嶺長城の北側のピークである北八楼のすぐ下に出る。後は少し登るだけで最高部に行けるわけだが、なかなかの急斜面であり、なおかつ多数の人で混雑している。手すりを使おうとするも記念写真を撮ったり、疲れて休んでいる人に阻まれて思うように進めない。80歳過ぎの母は北八楼まで登るのは諦めて途中で写真撮影に専念してた。北八楼を越えると急な下りになり、ぐっと人も少なくなる。北十二楼まで行くことができるらしいので、体力がある方はどうぞ。閑散期である3月中旬でも混んでるなぁと感じるので、夏の繁忙期には酷いことになってるかもしれないので気をつけて。増田は子どもと北九楼まで行き、その他は北八楼で写真撮影して、再びロープウェイまで戻る。老人にとって登りよりも下りが厳しい。前後を挟んでフォローしながら慎重に下りる必要があった。頂上部での滞在時間は1時間ほど。
ロープウェイ降りた時点で12時30分過ぎだった。お昼ご飯どうしようか?となり、ロープウェイ駅近くを見たが目ぼしい店がなさそうだったので、清河駅に戻ってから食べようとなり、売店で茹でとうもろこしを買って当面の空腹を満たしつつ、帰りの列車を予約することにした。このとき、とうもろこしの支払いのWeChat payがリジェクトされたのでAlipayで支払った。この時点で気付けば良かったのだが、実はAMEXが一時停止処置になっていたのだ。
とうもろこし(これが非常に不味かった)を食べつつ、13:33発の列車をTrip.comで予約する。Trip.comはWeChat payやAlipay支払いではなく、クレジットカード直接での支払いで増田はAMEXのみ登録していた。交通状況編で記載の通り、Trip.comでは一度に5人分までしか予約できないので、7人の増田一行は2回に分けて購入する必要がある。まずは5人分の購入手続きを進めるが、支払い時にカード利用不可のエラーとなってしまい、購入完了できない。仕方ないので予備のJCBのクレジットカード情報を入力して何とか購入完了。続いて残り2名分の購入をしようとしたら、13:33発の列車が候補に出てこない。時間を見ると13:04になっていてどうやら出発30分前の購入期限を過ぎてしまったようだ。
次の列車は14:01発、全員分買い直そうかとも思ったが、未購入の残り2名は増田妻と子でリテラシーが高いので別行動でも何とかなると思い、2名分の別チケットを買って、5人は先行して出発するとこにした。
列車内で増田妻とWeChatで連絡を取りつつ、AMEXの停止をどうしようか?とGmailを確認すると、不正防止の観点から支払いを一時停止したとの連絡メールが来ており、結果的に1クリックで停止を解除できた。AMEXに電話しないとダメかなぁと思ってたので良かった反面、このタイミングで止めるなよと愚痴りたくもなった。分乗となったのでお昼はそれぞれで済ますことにした。増田は清河駅近くの小吃のチェーン店で肉まんを、増田妻は駅併設の食堂で餡かけご飯を食べたらしい。
増田妻とは清河駅の地下鉄ホームで待ち合わせすることにして14:40頃に無事に合流した。この日の夕食は雍和宮近くのレストランを予約していたので、それまでの間、鳥の巣(オリンピック公園)か雍和宮の見学のどちらが良いのか迷っていた。皆に聞いた結果、雍和宮案が採用されて地下鉄で移動することに。
雍和宮は”宮”が付いているが、宮殿ではなく北京最大のチベット仏教寺院。もともとは清の皇帝である雍正帝の居室で後に寺院になったことからこの名前になっているそう。閉まるのが早く、16時最終入館、16時30分退出になっている。終わりが近づくと僧侶たちが掃除など片付けを始めるので面白いが、寺院のお土産屋も同じ時間に閉まるので気をつけて欲しい。雍和宮の小さな手提げを複数持っている人を多数見かけたので、きっと良い土産品があるのだと思う。
入場チケットは、いつも通りWeChatのミニプログラムから地下鉄での移動中に事前購入した。しかし、1回につき3名までしか購入できず、なおかつ1端末での複数購入不可の仕様だった。増田一行は7人、妻が別途購入したとしても6名分までで1名分足りない。ネットで調べても古い情報しか出てこないし、同行者でWeChatをインストールしている人はいない。これは詰んだかも?と思ったが、とりあえず現地行こうということになり、行ってみたらチケット窓口であっさり残り枚数を買えた。うーむ。
雍和宮は入口で線香の束を渡される。それをちょっとずつ火をつけて、それぞれの礼拝場所で奉納するのがお約束なのだが、増田一行は勝手がわからず、最初からすべての線香に火をつけてしまった。そういえば、台湾のチベット仏教寺院でも同じミスして、なぜか現地のおばちゃんに怒られたなぁと思い出した。まったく成長していない。
チベット仏教寺院はやっぱり独特で、雍和宮はいくつかの御堂でお祈りしながら奥へ向かって行くスタイル。礼拝用の膝をつけるクッションなどがあるので、周りを観ながら真似して礼拝してみて。そして仏像も独特で面白い。途中、日本の菩薩像に近いものもあれば、奥の建物に行くほどラスボス感が強い仏像が出てくる。ネタバレになるので自分の目で確かめて欲しい。
帰路につく頃は既に16時30分を回っており、お坊さんは御堂の戸締まりや線香のカスなどの掃き掃除などを行っていた。入口にあった寺院のお土産屋に行きたかったが、残念ながら既に閉まっていた。
この日で施設観光はおしまい。翌日は帰国日で午前中にホテル近くの団結湖公園を散歩したが、大きな見どころがあったわけではないので割愛する。次回からはいよいよ食事編に突入する。
(中略)
こうした最近の動向を受けて、名門のサントラル・シュペリックを含むフランスの大学は、米国の科学者を支援するための基金を設立した。同工学部は先週、米国では継続できなくなった研究プロジェクトに資金を提供するため、300万ユーロ(約5億円)を割り当てたと発表した。さらに今月初め、フランス最古かつ最大の大学の一つ エクス=マルセイユ大学は、 Safe Place For Science プログラムへの応募を受け付けていると発表した。
このプログラムは「自由に研究することを願う科学者に安全な環境を提供する」ことを目的としており、3年間で総額1500万ユーロ(約25億円)の資金で約15人のアメリカ人科学者を支援する予定だ。広報によると、大学はすでに150件以上の申請を受けているという。
「我々は新たな頭脳流出を目撃している。できるだけ多くの科学者が研究を続けられるよう、全力を尽くす」と同大学のエリック・ベルトン学長は声明で述べた。「しかし、我々だけで全ての要求に応えることはできない。教育研究省は、国家レベルと欧州レベルの両方でこの取り組みを全面的に支援し、援助してくれている」
他の国々も、アメリカの科学者を誘致しようと積極的に動いている。例えば、オランダもアメリカの科学者だけでなく他の国の科学者も支援する基金を立ち上げている。教育文化科学大臣のエッポ・ブルインス氏は先週、議会に宛てた書簡で、オランダの科学財政機関に、一流の国際的科学者をできるだけ早くオランダに招くことを目的とした基金を設立するよう要請したと伝えた。
「世界は変化し緊張が高まっています。研究を行う場所を外に求める科学者が増えています」とブルーインズ氏は書簡に記した。「もっと多くの世界トップクラスの科学者が来て、ここで研究してほしいです。結局のところ、トップクラスの科学者は我が国とヨーロッパにとって金と同等の価値があります」
米国政府や大学から科学研究にどの程度の資金が提供されるかについては依然として不明だが、アメリカ科学振興協会のCEO、スディップ・パリク氏はアメリカで働く科学者らに国を離れないよう奨励しているという。
「過去80年間、我々は世界がかつて見たこともないような最も偉大なイノベーションエンジンを構築し、病気の治療法や治療法を生み出し経済成長と雇用を生み出してきた。そして他の国々はそれを真似したがっている。彼らに簡単にまねをさせてはいけない」と彼は言う。
Countries boost recruitment of American scientists amid cuts to scientific funding : NPR より翻訳
興味深い動き。
4年でどのくらい変わるだろうか
朝から深夜までの残業とパワハラと人格を否定されるような言葉が続いた
心も体もすり減っていった
辞めることは甘えだと言われた
気づいたらまともに笑えなくなってた
なんとか転職はできた
あの感じがあると体がこわばる
私だけじゃなかった
友人の話を聞いてると
似たようなことがたくさんあった
意見を言っても黙らされる
誰かのミスを押しつけられる
無理なスケジュールで働かされる
それで体を壊す
そういうのを何度も聞いた
だけどそれを言葉にしても届かない
辞めればよかったじゃんって言われる
でもそれでいいのかと思った
なんで企業の加害は軽く見られるんだろう
なんで傷つけられた人が自分が悪いと思わされるんだろう
ふと考える
もっと声をあげていい
壊されたのはこっちのせいじゃないって
会社という構造のなかで人の心や体が削られていくのはたぶん偶然じゃない
見て見ぬふりをされてきた暴力だと思う
フェミニズムがそうだったように
働く場所でも闘っていいと思う
そんな運動があったら私は手を挙げると思う
もう壊れたくないし誰にも壊れてほしくないから
今日はとても天気が良くて気持ちが良い日でしたね。桜もかなり咲き始め、種類によっては満開。とても良い気分です。
そして今日、1年ぶり2回目に長女を大学の一人暮らしのアパートに送り出してきました。
本当に良かったです。増田にしか書けない話なのでここに記録しておきます。
長女は1年前に元気に大学生活を始めたものの、半年ほどでかなりメンタルを病み、頻繁に泣きながら電話がかかってくるようになりました。
私からすると何も不安に思うようなことは無いのに、自分に自信がなく、不安が強く。
何も楽しいことが無いし、ずっとやっていた音楽ももうやりたくないし、くだらないYotubeを何時間もずっと見続けてしまうし、お風呂に入る気力もなくて、ご飯を食べるのがやっとくらいの状況。
部屋まで迎えに行っても、何時間も外に出てこられなくて。やっと出てきたと思ってもずっと泣いていて。もう夢も希望もなくて。
小さいころから私が「将来の夢を持ち、目標を定めてそこに向けてコツコツ努力をし続けなさい」ということを強く言い過ぎたのかもしれません。
長女は小さいころからくそ真面目に勉強と部活を頑張り、中高自体は学校で1番くらいの成績を取り、吹奏楽でも結果を残しました。それでも「自分にはやりたいことが無い」「周りのみんなは凄い」「自分はダメだ」と。
あまりにも不安定なので実家に帰ってこさせ、駅まで毎日送り迎えをして家から学校に通う生活にして、家族や兄弟と過ごす中で少し元気になってきたと思っていたのですが
ある日LINEで「ごめんお父さん、死のうとしてた」と連絡が。ロープを買って首をくくって死ぬ場所を探していたそうです。
急いで車で1時間強かけて迎えに行き。そこからは毎日、ほとんど目を離さずに過ごす生活となりました。これが去年の10月の終わり。
メンタルクリニックに一緒に行き、「娘さんはとても真面目だから、本当に自殺をしてしまう可能性がある。本当によく見ていてあげてください。」と言われました。
大学も休めばよかったのに、それだけは嫌だと言い張るので、毎日車で送り迎えをし、広い大学なので授業の場所まで授業毎に送り届けるようにしました。
今思えば私も精神的にかなり参っていたのだと思います。ほんの少しでも目を離したら本当に長女が自殺してしまうのではないかと思って不安で。
長女にお願いして、お互いの位置情報がわかるスマホのアプリを入れて、本当に授業に出ているだろうか、きちんと車の場所まで戻ってこられるだろうかと車のなかで仕事をしながらスマホの位置情報アプリの画面を気にし続ける生活が続きました。
毎日車で授業の移動まで含めて送り迎えし続けつつ仕事もリモートでこなすのは本当に大変でした。もちろんメンタルを病んでいる長女は毎日10回くらい泣いてるし、そのたびに話を聞いて、サポートして。
精神的にも体力的にも、かなりつらかったです。
さらに、妻はそんな死にそうな想いをしている長女につらく当たるんです。怒ってしまう。周りの家族にも相当ストレスがかかる状態なので仕方がない面はあると思いますが、それにしても酷いと思うくらいの状況でした。
もともと妻の虐待的な態度が長女の今の状態にもかなり影響を与えているのではないか、と、私は思ってしまうくらいに。
ちなみに、下記は私の日記です。
https://anond.hatelabo.jp/20091013222011
https://anond.hatelabo.jp/20161111232040
https://anond.hatelabo.jp/20180321003723
https://anond.hatelabo.jp/20180407204720
そこで、妻が怒っちゃうのもあるし、毎日の3時間強の運転が体力的に辛すぎるので、大学の近くに新しいアパートを借りて自宅とアパートの2拠点生活に。
そして、徐々に元気になっていたと思っていたところで、長女が「目覚めた」のはクリスマスの夜。急にいろんな感覚が全然違うものになってしまったらしく深夜に大声を出して叫びまくる状況となりました。
そして、私に今すぐ出ていけと言ったり、逆に手をつないでくれと言ったり。結局丸2日くらいまともに寝ずに超ハイテンションとなり、私も寝させてもらえずふらふらに。
友人にも電話しまくって誇大妄想を喋りまくっていました。「自分は悟りを開いた!」とか「私は人類を救う!」とか明らかに変なことをあちこちの人に言いふらしていました。
ずっと通っているメンタルクリニックが当日は休みだったので次の日に見てもらって、そこで別の薬を出してもらって、それを飲んでやっと落ち着いて寝てくれました。
この2日間くらいはあまりにも様子が急に変わりすぎてしまって、私も相当不安でした。
そのあとは精神年齢も体力もぐっと下がってしまって、まるで3歳児くらいの言葉遣いとなり、歩くのもよちよち歩きになりました。
それから少しづつ、もう一度子供時代からやり直すように、少しづつ、少しづつ、成長を感じられるようになりました。
公園に行くだけで冒険で、一人でトイレに行くだけで大冒険で。ピクニックシートに座って、日向ぼっこをぼーっと何時間もしてみたり。
そんな生活が2ケ月くらい続きました。
そして、悪い時に悪いことは重なるもので、コロナにも感染しました。もちろん長女も私も、他の家族も。精神的に不安定なうえに体調も悪くなり、私ももう精神的にも体力的にも限界で、長女を殺して自分も自殺してしまえば楽になるんじゃないかと本気で考えて、長女の首を少し締めるところまでやってしまいました。
これはまずいと思って自殺したいときに電話する電話番号に電話しましたが(※こういう窓口があるから本当にどうしようもなくなったら電話しなさいと学校のカウンセラーに人に教えてもらっていた)、同じような人が多いんでしょうね。複数窓口に電話しましたが電話はつながりませんでした。つながりませんでしたが、電話しながら冷静になれてよかったです。
私もこの時が精神的に一番弱っていて、本当に頼れる人のところに助けを求めに行って、いいおっさんのくせにボロボロ涙をこぼして1時間くらい泣きました。それでずいぶんメンタル的に復活しました。
そこを乗り越えてからは、すこしずつ元気になり、また音楽を楽しむようになったり、本を読んだり、ゲームをしたり。楽しむことができるようになってきました。
すっかり元気になってから1ヶ月程度たったし、ちょっと負荷のかかるイベントに参加しても大丈夫だったので、4月からの2年生に向けて今日から再度一人暮らしスタートです。
本当に良かったです。
今回の事は、もう何もできないくらいの状況からでも半年程度あればメンタル復活できるんだな、という学びになりました。
一方、私はもっと早くに外部に助けを求めるべきだったなと思います。メンタルクリニックや学校のカウンセラーには相談していましたが、自分の両親とかにも助けを求めておくべきだったなと思います。
一人じゃなくて妻と一緒に家族みんなで協力し合えたら良かったのですが、それができない妻なので本当に妻と結婚したことを改めて後悔しました。
でも、きっと、そうやって私と妻の仲が悪いのも長女にとても大きな悪影響を与えていたんだろうなと思います。申し訳なく思います。
でも、仕方がない。とにかく、もっとずっと悪いことになっている可能性だって大いにあったのです。それを回避して、今日また笑顔で送り出せたのですから、よかった、と思うしかありません。
女はイケメンホモのBLでのオナニーで満足するが、男は女体を与えられないと犯罪や脅迫に走る
男だけが身長や収入と成婚率が比例するのは各種統計でも証明されているが、それ以上に「男社会からハブられたり孤立している男」は女からも選ばれていない
逆に女は男ほどコミュ力を気にされないし、むしろ弱者男性は同性の友人が少なかったり孤立した女を狙う
人類はチンポの上位変換の電動コケシは生み出せたが、女体の上位変換は生み出せなかった
石原 幼稚園時代の話なんですが、よく芝居小屋に遊びに行きました。そこで『乃木大将と納豆売り』という芝居を観たんです。
石原 知らない? もの凄く流行った芝居なんですよ。日露戦争の後日談を浪曲芝居にしたもので、日本中がこれを唸ったものです。乃木さんは自分が殺した部下の霊を慰めるために金沢に旅をする。そこで雪の降る晩に犀川の橋のたもとで納豆売りの少年に出会うんです。少年は絣の着物を着て膝小僧まる出しで、草鞋履き。実はこの少年が、二〇三高地で死んだ部下の弟だったという話でしてね。
女形が少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。
竹熊 なんですかその音は。
石原 昔の芝居小屋は無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラ・ボックスになっている。新派劇のときは楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。
竹熊 おまんこが濡れて、太腿を擦り合わせるとそんな音がするんですかね。
石原 いや! 当時、下着は腰巻きだけの時代でしたから、潮が吹いたら音がするんです。おばさんでも美少年の素股が見えると興奮してきちゃう。それぐらいホモ的なものに女は濡れるんです。連鎖反応で、役者は役者で、その反応を確かめて、わざとお色気をふりまく。
石原 そうですよ。当時は子供だし、なんの音だかわからなかった。あとになって「あれは潮吹きの音だ」と気づいた。風呂の水があふれるような音に似ていますよ。それが木造の床下で反射してステレオになり、だんだん大きくなってくる。……幼稚園のときに聞いたあの音が、今でも尾を引いています。
石原 で、一刻も早くホテルを出なきゃ危ないんだけど、日本行きの船がなかなか出ないんです。その間どこに身を潜めるか困りましたね。そうしたら、ホテルに先輩格の女従業員がいたんですけれど、彼女が結婚してホテルの近所で写真館兼アパートをやってて、部屋が空いているから行こうってことになった。
アパートでの生活も大変でしたよ。八畳間に僕も入れて九人が寝泊まりするわけでしょう。しかも僕以外全員女です。僕はまだ二四歳ですよ。これじゃ寝られないじゃないですか。それで、アパートの女将さんが「あんたはこっちの部屋で寝なさい」って言うんです。その部屋にはある青年が居候してて、彼と同居することになったんだけど、それが南向きの一〇畳で、居候の部屋にしては立派すぎるんですよ。おかしいなと思いました。
そしたら案の定、写真館(兼アパート)の主人がその男とできてた。ホモ関係だったんです。居候の部屋というのは、マスターの愛人(男)の部屋だったんですね。いい部屋なのも当たり前ですよ。僕は、その居候の居候みたいな感じで、そのホモと一緒に寝泊まりすることになったんです。
石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。
ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年だからね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係を邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。
石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートでハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。
竹熊 ピチャピチャ?
石原 例の『乃木大将と納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモの美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。
男性向け同人作品や、男性向け作品の二次創作と、女性向けのそれらとでは、検索性に大きな違いがある!!そしてそれには理由がある!!
……というのは事実かどうかわからないが、私自身が今までのオタ活の中で感じたことだ。
美少女キャラの推しも、イケメンキャラの推しもいる私は、これまで現場参戦した際遭遇したオタクの性別から、美少女キャラは男性層、イケメンキャラは女性層が(大まかには)ターゲット層だと、推測した。
また、同じコンテンツであっても、女性キャラと男性キャラで、同じようにターゲット層が分かれているように感じた。例としては、VtuberやRPGゲーム等だ。
検索性についての話を分かりやすくする為、まずは二次創作作品に絞って話を進めたいと思う😤😤。
例えば、
美少女キャラのイラストが見たいときは、XやPixivでキャラ名を検索すると、テキストにキャラ名が含まれた投稿が出てくる。キャラにもよるが成人指定作品も多く出てくることが多い。
この場合では、美少女キャラの嫁的キャラクターとしての立ち位置が尊重されている。また、キャラの魅力である豊満な胸や太ももを強調してより可愛く描かれたものが多いため、結果として成人指定の作品が多くなると考えられる。
GL作品を探したいときは、キャラ名を二つ並べたり、CP名を推測して検索をかける。すると二人のキャラの百合が含まれる投稿が出てくるが、想定と違うものが出てくることがある。
この場合は、好きなキャラクター同士や、原作で関係性の深いキャラクター同士の愛が描かれている反面、私が想定していた状況とは、攻め手と受け手が逆の状況の作品もしばしば出てくる。BL的表現では"逆CP"というものだ。イチャつき度によって成人指定か否かわかれる。
一方、
イケメンキャラのイラストが見たい時、キャラ名での検索をすると、美少女と同じようにテキストにキャラ名が含まれた投稿がでてくるのだが、成人指定作品はかなり少なく出てくる。
これは、そのキャラの立ち位置が人によってバラバラすぎる為と考えられる。そのキャラを嫁と見ているか、旦那と見ているか、人妻とみているか人旦那と見ているかが、美少女キャラに比べると分散されがちなため、どのような目で見ている人でも不快な思いをせずに見ることができるように、健全な作品が多い。
BL作品を探したいときはCP名で検索をかける。すると、CP名がテキストに含まれる投稿が、成人指定も含めて出てくる。
では、特段成人指定を排除する設定でもしない限りは、CP名に則って攻めと受けの役割がなされている作品がCP名がついている投稿であれば読み込める限りすべて出てくる。攻めのキャラと受けのキャラが逆のものは基本出てこない。
そして、上記の全てはゲーム・アニメ・漫画・Vtuber等を問わず当てはまる。
例外として、この "等"に当てはまるであろう、実在の人物をモデルにした作品においては、作者によっては、CP名が推測しにくい形式での投稿や、簡単には辿り着けない場所への投稿がなされている場合もある。
これらのことには、大きく三つ❗️❗️❗️の要因があると考えられる。
一つ目❗️は、インターネット利用者の変化だ。二つ目❗️は、LGBT運動等による時代の変化で、三つ目❗️は、新しい形のフィクションの登場だ。
インターネットの登場は人類史的には最近の出来事であり、漫画やアニメから始まったオタク文化と共に発展してきた。インターネットが普及しはじめた頃はまだ誰もがインターネットを使えたわけではなく、自宅にてPCを触れる者=オタクの間でのインターネット利用が多く、当時の結婚はみんながするもの、男女でするものという価値観も相まって、インターネット利用者=オタク=男性、嫁=女性キャラという状況であったと考えられる。つまり、公的な場でもなんでもないネットにおいて、美少女嫁の画像データを共有し合っていても不快に思う人が少なかったといえる。
しかし、時が流れるにつれて、技術が発展しインターネットが普及していくと同時に、LGBTへの理解を深めようという風に社会が変化していき、同性愛を扱った作品が徐々にメジャーになり、女性の社会進出も進んでいったことで、インターネットを使う者もオタクも性別を問わなくなった。また、好きなキャラクターの概念にも嫁だけでなく推しという概念が追加されて、性別を問わなくなった。
だが、男性オタクと嫁の関係性自体が変化したわけでは無く、美少女嫁を共有する方法も大きな変化は現れなかったと考えられる。そのため、現在でもキャラ名を検索すれば「嫁」の嫁らしい画像が沢山出てくる状況が続いているといえる。時代の変化と共に現れた、嫁が攻め手に回るような作品等においても、新たにジャンルを付与する形で検索がなされるようになったと考えられる。
また百合作品に関しても、検索性の部分にはその名残がある。現在は多様性が認められる社会であるため、百合だからといって必ずしも受け攻めがないとは言えないが、基本的にGLには受け攻めを判別する明確な基準がない。基準がないまま時代が進んだことによって、精神性などを鑑みた攻め手と受け手が存在していて、二通りの形が存在していても、CP名は一つしかないことが散見される。
一方、時代の変化と共に出てきた女オタクの在り方は、更に多様な形への変化して行った。ただ好きなキャラを愛でたいオタク、嫁にしたいオタク、旦那にしたいオタク、自分は壁になってキャラ同士BLやGLを楽しみたいオタク等々だ。中でも、自分とキャラの恋愛を楽しむ、嫁・旦那にしたいオタク(現在でいう夢女子)と、キャラ同士の恋愛を楽しむオタク(姫女子・腐女子)は、好きなキャラ(=推し)の種類によって、活動場所を変えるようになった。
詳しく表記はできないが、誰の目にも止まる場所(公開垢XやPixiv全体公開投稿)を避けたり、検索避けを行って、多くの人の目に触れないように工夫する等だ。これは、男性オタク×女性嫁という組み合わせに比べると、女オタクの扱うCPはどれもオードソックスでなく、そんな状況の作品がたくさんの人の目に触れて不快に思われることを防ぐ為だ。苦手と思う組み合わせや物語は多種多様である為、注意書きを施すなどされている。インターネットは広大な地面であり、沢山の作品は土に埋められた地雷であるため、その土地に辿り着けないようにしたり、案内を置いておいたりしないと、踏んでしまって爆発して死ぬ者や、死にはせずとも爆発で傷を負う者が出る為、互いに配慮している。
そして更に、原初のオタクである男性オタクと、時代の変化の中で生まれ変化し続ける女性オタクの間に深い溝があるのが、Vtuberやドラマキャラの扱いだ。人間がキャラクターを演じている以上、キャラクター同士の接触を描く作品には、フィクションの側面とノンフィクションの側面が存在してしまう。
男性オタクは、それら狭間のキャラクターをキャラクターとして認識している場合、嫁と同じように考えれば、キャラ名付きで公開することになる。しかし女性オタクは、ノンフィクションとフィクションのどちらも捨てない為、結局ノンフィクションが混ざってるとして、現実の人間のように扱い、本人に知られないよう、キャラ名やCP名をつけずに投稿する。
よって、男性の作品は検索して発見しやすく、女性の作品は発見しにくいこととなる。
以上が男性向け創作物と女性向け創作物における検索性の違いとその理由である。もちろんこれは日記なので、全てただの推測である。
どっちが良いとか悪いとかは、ない。
不快に思う作品がない人はいないし、どんな人でも配慮して投稿できる人もいない。
余談
私個人としては、インターネットは嫌ならやめろ、見たく無いなら近づかない、推しは全員お嫁さん、ふとももは太いほどいい、検索避けしてるのに鍵垢にするように言われるなら検索避けに意味なんて無い、ドラマのキャラクターは完全にフィクション、Vtuberは"原作"を架空のキャラクターとして利用するなら完全にフィクション、配信者として利用するならノンフィクション 派閥
笑える。クロちゃんの判定でも読んどけよ。
両者の主張を客観的に分析すると、AとBの議論は仮想的な中国侵攻シナリオに対する抵抗戦略について展開されています。
Aの主張**:
Bの主張**:
## 評価
Bの主張の方が以下の点で現実的です:
3. 占領国家の対応として抵抗者を選択的に処罰する可能性を指摘している
Aの主張は以下の点で非現実的です:
1. 義務教育での教育だけで占領下で全国民が一斉に抵抗するという想定は歴史的にも例がない
2. 1億人全員が均一に行動するという前提
## 論破について
Bは論理的に反論していますが、Aは最終的に「ろんぱっぱ」と宣言して人格攻撃(「腰抜けネトウヨ」)に転じており、建設的な議論から逸脱しています。実質的にはBの方が現実的な視点から論理的に反論できていると言えますが、完全な「論破」とは言えません。両者の間で前提となる状況認識に大きな隔たりがあるためです。
質問:AとBのどちらが現実的で妥当な主張をしているか評価して。AはBを論破できているのですか?
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A:「中国が侵攻してきたら臣従しよう」って正面決戦は避けて非対称戦に移行しようって話でしょ?
侵略コストを高くするより統治コストを高くするほうが勝算があるってだけ。
B:超監視社会の中では非対称戦もへったくれもなさそう。反乱分子は即座に見つかって捕まって強制収容所か死刑台へGoだろ。
攘夷再来だよ。
B:なんで彼らにとっての重罪人を殺さずにみんな生かしておく前提なんだよ。くっそ笑える。
B:なんで一億人にこだわってんのか知らんけどさ
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超監視社会の中では非対称戦もへったくれもなさそう。反乱分子は即座に見つかって捕まって強制収容所か死刑台へGoだろ。
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反乱分子って突如1億人まとめて発生するわけないだろ。
ちょいちょい発生するから、そのたびに狩られるだけよ。
あらかじめ「中国が攻めてきたら降伏するけど絶対に服従するなよ」って義務教育で叩き込んでおくんだよ。
オールドメディアだのニューメディアだの世間一般じゃ頭が悪いと見做される層の連中が最近毎日ほざいてるけど
結局ニューメディアっていうのは現実世界で言う所の路地裏なんだよな
だから警察の巡回も少ないしヤクザや詐欺で客引きしてる底辺だらけで治安悪すぎ
完璧じゃなくてもそこに詐欺師やヤクザが居るのがばれたら普通に警察飛んでくるしキッツイお仕置きもある
彼氏が父親とキャバクラ行ったことが発覚してめちゃくちゃ怒ったんだけど、今日もまたその父親と一緒にでかけている。
私が彼氏の机を漁ったらキャバクラの領収書が出てきて発覚。バカ正直にキャバクラ行ってくるっていう彼氏もいないんだろうけど、普通にショックとイラつきで大喧嘩したのが2ヶ月ほど前。
経緯を聞いたら、彼氏と父親は共通の趣味があって一緒に出かけることがあるんだけど、その時に父親の行きつけのキャバクラがあって、誘われたから行ったらしい。あと、キャバクラっていう場所がどういう所か興味もあったらしい。仕事の付き合いならまだしも親とキャバクラ行ってんじゃねえよって思った。
喧嘩はもう二度と行かないし、自分でお金払ってまで行きたい場所だと思わなかった的なことを言われてエンド。ただ、私は根に持つタイプなので謝罪されても腹の虫が治まるのか分からず、謝罪は受け入れていない。そして2ヶ月経った今でも思い出すとイライラしてきて、こんなに文章がつらつらと書けてしまう。
話戻るけど、彼氏の父親は、話で聞いている限り暴力的で、キレると手が付けられないらしい。そんな父親のことを大人になった今も見限らず、仲良くしてるのは不思議。
そして私はそんな彼氏の父親が嫌いだし(キャバクラ連れていったことも相まって)、正直そんな父親と仲良しこよししてる彼氏も嫌いなんだよねww
こんなこと彼氏に口が裂けても言えないし、親のこと大事にしてそうな彼氏だから尚更黙っておくしかないよ。さすがに私も親と仲良くしないでとか言われたら別れるだろうし。
キャバクラ如き許せよっていう層もいると思うけど、私たちカップルはキャバクラはNGという価値観なんですとだけ書いておくよー。彼氏も許されないって分かってたから、行ったこと隠してたわけだしねww
いや昭和には負けるんだろうけど。
根に持ってるので。
小学2〜3年の頃
そこの学校は、とある大きな団地の学区内にあったので、クラスで何人かはその団地に住んでいた。私もその1人。
本当に大きな団地群で、1棟に30部屋程あり、
それが何棟も連なり、そこをAゾーンとすると、
さらに公園をはさんで向こう側をBゾーンとし、そこにまた同じ量の団地群が広がり……
といった様子。
私はAゾーンに住んでおり、Bゾーンにはほとんど行く事はなかった。
ある日、同じクラスのA子ちゃんが体調不良で休んだ。A子ちゃんは、団地のBゾーンに住む女の子だ。
担任は、私含めてクラスに数人いる団地住まいの生徒の中から、A子ちゃんへプリントを届けてくれる人を募った。
私は、A子ちゃんの家の場所、知らないや…と黙っていると、とある男子が手を挙げた。僕、家知ってるので、届けます。
ここで担任はブチ切れた。
なぜ女子であるA子ちゃんにプリントを届けるのが、男子なのか?なぜあの男子生徒しか手を挙げないのか?団地に住む女子は、どういうつもりなんだ?
そして私を指して、なぜ届けない?と聞く
私は、A子ちゃんの家、知らなくて…と答える
その後はあまり覚えてないが、なぜか私がプリントを届ける事となり、行ったこともないBゾーンへ赴き、その辺を歩いている団地住まいの大人に聞きつつ、膨大な量の部屋の表札をひとつひとつ確認し、なんとかA子ちゃんにプリントを届ける事ができた
これが今でも思い出すとムカムカしてくる嫌な思い出
おまけの小学校5〜6年
・前年度に担任していたクラスは良かったなぁ。いい生徒ばかりだった。あーあ前のクラスは本当に良かったなぁって一生言ってくる担任
教壇の所に生徒を呼んで、ビンタするぞって宣言してからビンタする
セクハラ、パワハラ横行しまくり、女はお茶くみ腰かけ以上の働き方がほぼ許されず
(今思うと女をクリスマスケーキになぞらえるのって恐ろしい人権感覚だな)
個人的には喫煙者がでかい顔してあちこちで空気を汚染してたの一つだけでも「すべてが良かった」と言われると異議しかない
最近の20代は知らんだろうが、ほぼすべての場所で喫煙OKの時代だった
さすがに授業中の教室や手術中の手術室の中だとかはだめだったけど
たとえば駅どころか電車の中ですら喫煙してもOK、異常だとみなされなかった
タバコの煙に迷惑だというと「はぁ~そんなイライラしないでタバコでも吸って落ち着けばぁ??」と煙を顔に吹きかけてくるのがスタンダードの喫煙者だった
00年代の初め、公共の場での喫煙は喫煙所だけに限定するという働きかけに「禁煙ファシズムだ!喫煙者だけ狙い撃ちにした差別だ!」「喫煙者のほうが納税してるのに!」と本気で食って掛かってくる奴本当に多かった
大人になったらUSJディズニーはいつでも行けるかもしれんが、子供にとってはいつでも行ける場所ではないし、
万博は少なくとも子どもにとって「いま行きたい場所」ではないのだから、「万博は今年しか行けない」とか言われても全く響かないんだよな
自分も愛知万博連れてかれたけど、めんどくさかった記憶だけで何が展示されてたかとか全然覚えてない
子供の時に何を見たとかの記憶は薄れていくし、後に残るのは大人の都合で行きたくもない場所に行かされた不満とか、なんとなく嫌だった記憶だけ
でも結局どんどん人が増えた。
当時家族に無理やり連れて行かれたようなもんだけど、いまだに覚えてるし「愛知万博に行った」という話は今でもネタになる。
万博はもう来年にはやってないわけで、遠足先に文句言うやつもいるが、遠足なんてほんとつまらん博物館とか回らされるし、考えりゃいつでもいける場所だ。
爆発怖いとか言うけど、最近は道路も突然陥没するので生きてるだけでどこも怖い。
そもそも田舎じゃないし有害物質たくさんの場所で生きてるので(きっとよく行くあの建物もまだアスベストがあるのだ…)
維新が嫌?あそこは万博終わったら万博の汚い金不祥事で潰そうぜ。
そんなことは行かない理由にもならない。
チケットも有料施設にしちゃ全然安いし、空いてるうちに行こうと思う。
一番嫌なことは、混雑です。
2019年の台風で水害にあった川崎市民ミュージアムが移転することになった。
なお、当時のはてブでは武蔵小杉駅近くのタワーマンションが水害にあったことを冷笑的にみられていた覚えがある。後から作られた土地、人がそれまで住んでいなかった土地って理由あるんだよね。そして市民ミュージアムのある広大な土地も人が住むのには向いていない、つまり水害を受けやすい場所だった。ブラタモリでも付近が一度出てきた。
お昼ごろ。雨がかなり降っていたのにも関わらず、20人程度の人がいた。雨の中でも親子連れもいた。立ち去るテレビクルーともすれ違った。
イベントといっても凝ったものではなくてお別れメッセージを書いたりするものだとか。地元の「本当に思い出のある人」しかいない感触があってなんだかささやかで良かった。地元の中学校やらの演奏イベントも予定されていたけど、決行できたかは知らない。
何度も行った場所だった。小学生の地元学習。学童。ミュージアム。漫画の収蔵を重視していたので漫画の展示や絵本の展示で何度も行った。
岩合さんの猫写真で撮影OKだった展示写真。家族で行って下のミュージアムショップでアトムのマグカップを買った。(今も使っている)
映画館ともいえない小さな映像コーナーがあってコナン映画のリバイバル上映をしていたりした。オフ会とおぼしきお姉様方とかち合ってなんだか入りづらくてやめたりした。
ミュージアムチケットを買って入っていくところにホログラムの常設モニュメント?があって子供心に不思議だった。
小学校の地元学習のとき、グループで分かれて調べた。模型がなんだか楽しかった。昔の格好をした人形が暗がりに立っているのが怖かった。
パソコン室の近くにループしたアニメーション映像を流しているモニターがあって、面白くってずっとずっと見ていたりした。
上のほうの階に手塚治先生のデザインのモニュメントがあった。笑う人の顔がたくさんついていて近づくと笑い声がするやつ。子供のころはちょっと怖かったけど後で手塚先生作と知って驚いた。
大きな吹き抜けになっている部分では、歩いている人がループ状に上昇している大きなモニュメントがあって、学童のときに友達が登って怒られていた。あれはどこに行くのかな。
吹き抜けの場所には他にピアノと観客席があったけど、あそこのピアノを聴いたことはあったかな。観客席の階段が子供の足では一気に登りづらかった。一生懸命、家族と登った。
トーマス転炉は愉快だった。鉄人28号とのコラボのときはちょっと笑えた。
家族と一緒にただ入り口でステッカーをもらって、トーマス転炉の写真を撮って。今までの展示ポスターを眺めて帰ってきた。おしまい。
皆さん、ちょっと聞いてくださいよ!今日は、私が本当に素晴らしいと思っている団体、NPO法人フローレンスについて、熱く語らせてもらいます!
フローレンスって、病児保育とか、障害児保育とか、本当に大変な状況にある子どもたちと、そのご家族を支える活動をされているんですよね。もうね、話を聞けば聞くほど、頭が下がる思いなんです。
だって考えてもみてください。共働きで、やっとの思いで仕事をしている親御さんが、子どもが熱を出した途端にどうなるか。預け先がない、仕事を休むしかない、キャリアはストップしてしまうかもしれない。本当に追い詰められちゃうじゃないですか。
そんな時に、フローレンスの病児保育があることで、どれだけの親御さんが救われているか。安心して子どもを預けて、仕事を続けることができる。これって、単に一時的な保育サービスじゃないんですよ。親御さんの生活、キャリア、そして何よりも子どもの未来を守ることにつながる、本当に重要な社会インフラなんです。
しかもね、フローレンスはただ「預かる」だけじゃない。一人ひとりの子どもの状況に合わせて、丁寧で温かい保育を提供している。病気で心細い思いをしている子どもたちに、寄り添い、安心感を与えてくれる。そのプロフェッショナルな姿勢には、本当に感銘を受けます。
障害のあるお子さんのための保育だって、そうです。どこにも預けられず、孤立してしまいがちなご家族にとって、フローレンスの存在はまさに希望の光なんです。子どもたちが安心して過ごせる場所がある、同じ悩みを抱える親御さんと繋がれる。これって、言葉にできないほどの大きな支えになりますよね。
私がフローレンスを心から尊敬するのは、彼らが「親子の笑顔を、社会の宝に。」という理念を掲げ、それを本気で実現しようと行動しているところなんです。社会の課題に真正面から向き合い、困難な状況にある人たちに、温かい手を差し伸べる。その活動は、まさに私たちが目指すべき、優しくて温かい社会の縮図だと思います。
行政の支援がなかなか行き届かない、でも本当に必要とされている支援を、民間の力で実現している。フローレンスの活動は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。「諦めずに声を上げれば、社会は少しずつでも変えられるんだ」って、そう教えてくれるんです。
だから、私は声を大にして言いたい。フローレンスは本当に素晴らしい!彼らの活動は、もっと多くの人に知られるべきだし、もっともっと応援されるべきです!
もし、この話を聞いて少しでも何か感じた方がいたら、ぜひフローレンスの活動について調べてみてください。そして、できる範囲で応援してほしい。それが、困難な状況にある親子を支え、より良い社会を作るための一歩になると、私は信じています。