はてなキーワード: 写植とは
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
https://no9.co.jp/faq(現在閉鎖中。不思議だね?)⇒直りました。
https://note.com/sleeping_husky/n/nf4e615affd10(関連記事)※コメントから拾わせて頂きました
炎上理由は生成AI関連で、まあコンテンツの卸売り業者が商品をちゃんと精査しなかったという点に要約されるが
明らかに生成AIと見て取れるものを商業ベースでも展開してしまった点は御粗末と言わざるをえない。赤松先生なにやってんの。
さて、ナンバーナインのはなし。あそこは根本的に、ガワだけよく見せようという姿勢が強いベンチャーだった。
(※追記:メインは生成AIの話じゃないです!どういう会社なのかって部分で見てきたものや思うところがあるって愚痴)
俺は一応商業経験もあって、その後、キンドルでわりと儲けさせてもらい、いまでは業界関連の正社員で働いている元作家・副業作家みたいなポジションだが、
当時、それなりに商業でやってきた作家のはしくれとして、あの会社のイメージ戦略には辟易としていた。
業界の基本構造をおそらく理解していながら、クリエイターに有利誤認させて利益誘導する彼らのロジックは非常に不快だった。
「紙の印税率は10%!マージン9割ですよ?まだ商業で消耗するの?笑」と煽ったり
「まあ、それでもやるっていうんならそれはそれで良いところあるんでしょうけどねえ」
とか、公然と発信してたんだよ。まるで「大して売れてもねーのにそこで描いている奴は情弱」と言わんばかりにね。
俺はそれがめちゃくちゃムカついた。
なぜなら、実際にサイトの条件詳細(なぜか今表示されない)を読んでみると
ナンバーナインは「ウチは80%作家還元!」とか超アピールしながら
「定価ではなく入金額(出版社の取り分=販売価格の25~50%)の8割」
(アダルト系だと性器修正が率の低下がエグく、既存出版社がやってる作業を全部任せたらAmazon販売額のたった4%)
(オールド出版社も総じて電子のほうが印税率が高い。出版社への入金額ベースなら30~50%、販売額ベースなら、15~20%が多かった)
つまり、まともに比較したらどっこいどっこいなのだ。なのに「相手にだけ不利な条件の数字を出させている」形。世論誘導の手口と同じだよね~。
これをやっといて、改めて引用するけど、相応の立場の人が配信で
「紙の印税率は10%!マージン9割ですよ?まだ商業で消耗するの?笑」とか言っちゃってんだよ。ダブスタにも程がある。
DL数に応じたロイヤリティ(インセンティブ)を「印税」と言っているのも言葉の使い方が明らかにおかしい。
ふつうの出版社も「電子印税」と便宜的に呼んだりするが、本来印税ってのは、売れたかどうかに関わらず、刷ったぶん確実に払ってくれるお金のことだ。
ちなみに、クリエイターの意見も紹介してるけど概ね褒めてるのは、数字が一元管理できることであり
そんなふうに「わかってる」人が取りこぼしを回収するために商業以外のチャンネルとして利用する分には有用なのは間違いない。
実際、システムとしてはいい感じみたいだしね。エンジニアは優秀だけど、広報の品性が下劣ということかもしれない。
まあ、ナンバーナインのほうをいろいろサゲたけど、既存出版社に対して思うところがないわけではない。詳しく読まないとわからない、って構造のずるさは同じだ。
あと、純粋に業態で比較するなら、たとえば、「写植や(エロなら)性器修正を自分でやるから率を上げてくれ」ができない状態、
編集者監修も含めてセット売りしてる業態といえる(ナンバーナインはそれがオプション扱い)
ただコレって、写植が汚かったりクオリティのばらつきがあったらブランドイメージが作れないから、それとトレードオフで悪い点ばかりじゃあない。
俺だって憧れた作家たちが描いている雑誌って概念がなきゃ商業連載なんて目指さなかったし。
でもね!!!連載準備期間マジで食えないのはもうどうしようもないよ!!!!???泣
まあとにかく、実態以上に他をサゲて、自分らをアゲるやり方ってアンフェアでむかつくから、この機会なら伸びるかなと思ってエントリ。
(※劇場版とかアマゾンズみたいな配信作品は除外/あくまでニチアサテレビシリーズのみを対象)
・アギト:小塚明朝(Adobe)→ロダン(フォントワークス)
・響鬼(後期):ヒラギノ角ゴ(大日本スクリーン/34・35話)→ニューロダン(フォントワークス/36話~)
・W~ガッチャード:ニューロダン(フォントワークス/鎧武除く)
■集計(書体別)
・4作品:新ゴ
・1作品:平成明朝、小塚明朝、ロダン、角ゴCa、Popハッピネス
■集計(会社別)
(※クウガの平成明朝は複数の会社から出ているのでベンダーは特定できず)
■補記
・『仮面ライダー電王』のOPクレジットは新ゴだがサブタイはなぜかニューロダン
・(デカレンジャー以降の)戦隊シリーズOPだとモリサワはあまり使われない
→ルパパト(1話のみ/2話以降はニューロダン)とブンブンジャーだけ
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
>今の日本はEVのラインが少ないから、日本が拙速にEV化に進むと生産能力の急激な低下と雇用喪失に陥るぞ、って言ってんの
違うよね。たとえば以下で、豊田氏は「エンジンを今否定されてしまうと、100万人の雇用が失われてしまう」と言ってる。「今の日本はEVのラインが少ないから」とも「生産能力の急激な低下」とも言ってない。それはあんたが付け加えただけ。単に、エンジンという技術要素に紐づく製造ラインが、それだけの雇用を維持しているんだ、ということを言っているだけ。
豊田会長は「エンジンを今否定されてしまうと100万人の雇用が失われてしまう。550万人中の100万人です」と語る。エンジン、つまり内燃機関を活かす道を模索し、その中で自社にあった水素エンジン技術に巡り会ったのだろう。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1326323.html
自動車生産に関わる自動車メーカーやティア1〜ティア3の下請け企業から、エンジン関連の製造に関わる100万人がいらなくなる(本当はもっといらなくなるけどね)。米上院では、自動車部品産業の代表者が「このまま脱炭素政策を進めれば3分の1の人々が職を失う」と主張したけど、これも同じ話。そして、EV独自の要素技術であるバッテリとe-axleの製造には、明らかに100万人は必要ない。それはつまり、EVという技術実装のあり方が、内燃車よりも非労働集約的で高効率なことを示しているわけ。
あなたが言ってることは「EVのラインを着実に増やして、慎重にEV化を進めれば、雇用が喪失しない」という風にも読み替えられるけど、実際はそういうことは起こらない。世の中の自動車が全部EVになったら、自動車産業の雇用はすげえ減る。既存技術よりも少ない労働量で、既存技術よりも安く作れるようになるのがEVだから。つまりEVはディスラプティブ・イノベーションの一種。グリーンだの環境だのSDGsだのは、当面は政府助成金という形で市場拡大を撹乱する要因になってるけど、そのうち関係なくなる。e-axleが量産化で安くなり、バッテリがLFPやNa-ionで安くなる。EVは店頭価格でも内燃車より安くなる。そんでみんなEVを買うようになる。おしまい。
あと、「いまEVを導入したら内燃系企業の労働者が職を失うから反対」というのは「いまDTPを導入したら写植オペレーターが職を失うから反対」とか「写植が導入されたら文選工・植字工が食を失うから反対」みたいな話なんだよね。「職を失う」のは事実としてそうなんだけど、だからといって、これから海外で売れなくなる(人気がなくなるという意味ではなく、そもそも法的規制で逆インセンティブが課されたり販売自体ができなくなる)内燃車を作り続けてても意味はないわけ。ますます先がないんだから。
それにね、職を失っても、実は労働者は大して困らないのよ。どうせこれから日本は恒常的な働き手不足に陥るし。そもそも自動車産業が盛んなエリアって、もとから労働移動が激しい。リスキリングなんて言葉ができる前から動的な労働資源配分が達成されてた業界。EVでいらなくなった雇用は、人手不足に悩むどこかの企業がちゃんと拾う。困るのは内燃という衰退技術に紐づいた製造業企業のオーナーや経営者だけ。ゾンビ企業の撤退を促すことに快哉を叫ぶ人達は、そのうち内燃車というゾンビ技術の淘汰を求めるようになる。あと2〜3年でそういう流れが起きるだろう。
そういう時代の皮切りになるのがBYDだ。バス会社には続々導入が進み、乗用車分野では7/1に第1号ディーラー店ができる。ちなみにBYD国内発売車のボディはすべて、いまやBYDの100%子会社になったTATEBAYASHI MOULDING(旧オギハラ館林工場)が手掛けている。EV化に順応できている下請け企業は、こういう風に生き残っていく。そうでない企業は、どうなるだろうか。大阪技研の例が思い出されるね。
https://togetter.com/li/2055463 を読んだ同人日記さんだよ
はい高くて薄い本かいてる本人だよ(ただし名前詐欺はやってないのと人気CPではないよ)
いままで出した中で一番字数が多いのは20万字、2段組み8ptで200pに詰め込んだよ
そして本題。あれはさほど「高く」はない。
いままで出した中で一番字数が少ないのは初期のコピー本(数千字)だが、比較にならんのでとりあえず印刷所に頼んだ中で薄いやつはっていうと
・B5版口絵つき二段組1万字全年齢16ページ30冊
早期割引価格8980円+税金送料1000円(直接+自家通販用)で9980円だよ イベント価格400円にしたけど案の定売れたのは20冊以下なので完全に赤字です
他は
・B5無線綴じ32ページ20冊 早期割引で商品代金:¥6,110+送料1000円
一冊原価は350円だがとらだとたぶん600円くらいになってるはず
・2014年A5無線とじ60ページ20冊8236円 (送料不明)
このころが一番安くつくれたけど400円は超えるよ。今はこんな安いとこはない。
さらに昔はオンデマがなくてオフセットしかなくて最低発注冊数が100以上とくそ高かった
最初だから気がくるって原価一冊500円におさえて自分を納得させたかったんだね。売れたのはたぶん30冊くらい。つまりリアル原価では2000円近いんだ。
===
とらが少部数小説は審査の結果うけつけないという時期だったので2008年のは既刊のまま廃れジャンルの在庫としてずっと家にあるよ。
今はとらが少部数でもなんでも受け入れてくれるようになったんだ。そのかわり手数料は一律35%とる。
印刷代も安くなったけど特殊製本があたりまえとおもわないでくれ。版分けどころかタイトル写植にさえ苦労するんだ
(小説かきなんてクリスタSaiアズぺアルパカあたりの画像加工ソフトすら一切もってないことがある。その分ATOKかWORD、官能表現辞典あたりに課金したい生き物なんだよ)
1500円の本がとらで売ってて買ったら本を出した人のもとには1000円(マイナス振込手数料1月あたり300円)が入る。その1000円×nから印刷代を払うとたいていは赤字だ。赤字で買えることを当たり前とおもわないでくれ。なら買わなくていい。
===
でも、同じペンネームはコミケっとカタログの目次をみればわかるように常に発生しているのも事実。
「おおこれは気の利いたダジャレだ!」とおもっても歴代のコミケっとカタログをみれば3万サークル×100回のうち1~3人くらいはいるんだ。
あとurl1字違いってのはどこのurlのことなのか。とらなら同時期登録とかならそうなるんじゃないか。自分でつけられるものじゃないからな。
先にやってて売れているほうの作者さんがとらに「ペンネームを勝手に利用され著作人格権を侵害されている」と申請するしかないんじゃないかな。
あと、とらの売り上げはたぶんサークル別月別なのでその意味でも他人のペンネームを大量に借りてそういうことをするのは不利なんだが
初回から110冊印刷したバカとしては、いろいろな人に自分の文章を知ってほしくてやらかしたんじゃないかという気はする。
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「なんか買えた」までやっちゃうほどの小説ほしがりさんが今でもいてくれてうれしいよ。
上客なので面と向かって文句は言いづらいけどな。
どのジャンルでも婦女子は「なんか買えた」は公式ショップ以外ではやらない(迷惑だから)。やるな。
おちつけ。よくみてかえ。そして予約再販を待て。
そこまで文句いうなら中古同人書店やメルカリなんぞに絶対流すなよな。
ネットで燃やすより紙本を燃やして世界一高いコーヒーでも湧かせばいいだろ。
(うちの本は読み飽きたら燃やさず表紙はがして古紙回収にしてくれるとありがたい。SDGsに興味あるので)
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https://twitter.com/chiboustju/status/1616725205350772738
ありがたいです
https://twitter.com/covermkrinfo/status/1617124886908145664
そのとおりだとおもう
という話はAIとは言えないレベルのプログラムが反応を返した数十年前から、まるで出来の悪いSF小説のようにある人は危機感とともに、またある人は新しい飯の食い扶持として盛んに議論されてきた
ここ数年の進化でにわかに現実味を帯び、さらにここ数ヶ月の画像生成系AIによって実際にイラストレーター界隈で筆を折る人まで出てきてしまった
クリエティブ領域をAIが侵略するのはまだまだ先だと言われていたものの、Microsoftが発表したデザイン系AIによってクリエイティブも焼け野原にされ駆逐されてしまうかもしれない
デザインで生活をしている私にとってもこれは由々しき事態で、かつて紙系のデザイン業界には二度の嵐が襲いかかり、卓越した職人技や伝統的な技法などが失われた
一度目の嵐は、活字を一文字ずつ拾う写植や、烏口やロットリングで手作業だったアナログ製版という分業で成り立っていた印刷業界を「DTP」という方式が統一してしまい、専門的な職人たちはデジタル移行への波に乗れず廃業を余儀なくされた
二度目の嵐は、このまま印刷物のデザインに留まるか、それともweb業界にも進出するかという岐路で、web業界へ漕ぎ出した会社や個人のことごとくは成長の一途をたどり、留まったものたちはまるで蠱毒の壺のような様相を呈している
ここにきて三度目の嵐だ
「過去の作品やデータを参照して機械学習を繰り返すAIに、新しいものは生み出せない」という言葉は虚しく消えかけている
何を隠そう、デザイナーの多くは先人たちが残したデザインをインプットし、そのほかに見て聞いて触った体験を織り交ぜてアウトプットをしている
時折、世間を騒がす盗作騒動も、こういったインプットからアウトプットまでの試行回数の差によるもので、こればかりはいつどのデザイナーが倒錯の謗りを受けるかなんて、神のみぞ知るところだ
もしデザイン系AIが過去のデザインだけを参照する単純なインプットだけを繰り返したのちに、ほかの領域の要素まで取り入れ始めたら勝てる気がしない
デザイナーが何日も頭を悩ませ、作っては消し、並び替えては戻しを繰り返し、出涸らしのような状態になりながらもひり出す工程が「AIなら2分で完了です」となったら、殺されたも同然だ
◎どんな漫画?
東日本大震災で家族を失った15歳の作者がホームレスになって生きるカラーTwitter漫画。
◎何でこんな日記書くの?ほっとけばいいじゃん
タイトル記事の漫画がこれからバズりそうなので、今のうちに冷や水をぶっかけておこうと思った。
というのも、自分も被災で家族を亡くしたり、親戚の人生が破綻したりして地獄を見たサイドの人間なんだよね。
あの震災を『お涙頂戴感動ポルノ』にパッケージして商売の種にしようって人間がものすごく気に入らねえから。
◎まず騙されないで欲しい事
最初にハッキリ、結論から言わせてもらうとステマ案件と思われる。
そして描いてる人間、100%プロ。見る人が見れば一発でわかる。
可愛い動物で主人公を表現するあざとさだとか、塗りの見やすさだとか、コマ割・ネームの視線誘導だとか…
(今はイラストレーターや漫画家、編集の方がツイッターにごまんといると思うので、聞いてみればいいんじゃないでしょうか)
このままだと、テキトーな出版社から「SNS発の感動震災漫画が単行本化!描きおろし○○ページ」なんて思考力ゼロのカスみたいな煽りつけて、
単価1500円くらいの原価率が良い書籍サイズ単行本になるのが目に見えてるね。感動をありがとうってやつだ。
売る時期は2022年の3月とかに合わせるんじゃないかな。ページ数的にも丁度よくなりそうだし。安易~。
まず、「プロが体験をTwitterで綴ったらあかんのか?」と思われるでしょう。別に事実を伝えてくれて、我々が得るものがあるならいいじゃないかと。
あかんのです。
何故なら、現在の作者様は
「震災の記憶を風化させないために当時の事を漫画で発信していきます。みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います。」なんて表明をしているからです。
要は、これはビジネス目的ではないのだとおっしゃられています。
(「ただし後で出版しないとは言っていない」というのがミソです)
これは、錯誤を招く表現です。「可哀想な無名の被災者が、震災の悲惨さと孤児の辛さを漫画で伝える物語」を作り上げているのです。
ステルスマーケティングが何故悪なのか、というのと被るテーマですが、
「あたかも災害への意識を高めたりだとか、被災して苦労した人々への追悼の意を表現するための無料サービス作品」と錯覚させておきながら、
実は後の出版化・金銭化のための布石、というのは詐欺行為なのです。プロが、無名の人間を装うことは倫理に反することなのです。
別にこれを猫漫画とかでやって、同じようなシステムで金儲けをしても私は何も言おうと思いません。
でも、今回の漫画は震災を商売の種にしようとしている。これを、被災者への冒涜だと私は考えます。
──いやお前の妄想じゃん。何で今出版がどうとかの話してんの?というツッコミが聞こえますが、上にも書いたようにこの作品はほぼ確定的にプロが描いています。
そしてプロが慈善事業をするならば、しかるべき舞台=媒体というものがあります。
プロが本当に世論に震災の恐怖を伝えたければ、初めから政府広報でもいいし、地元の自治体の広報誌でもいい。
SNS媒体の方が良いというのであれば、それこそ初めからWEBメディアを通して発表するべきなのです。
そして「売上は被災地に寄付します」とでも言って広告費や単行本の売上を被災地に流す。
何故彼はそうはしなかったのか?簡単なことです。
商売として、SNS発の方が見栄えがいいからです。いかにもドラマティックだからです。そういう宣伝手法だからです。
100%と断定は勿論できませんが、これは同じ表現者からの告発だと思っていただいて構いません。
みなさん、騙されてはいけません。
「SNS発の美しい物語」の登場人物には、読者の皆様も含まれています。
貴方達の応援ツイートが宣伝文やらニュースでピックアップされて、商品に添えるリボンになるのは規定事項だと思われます。
そうならなかったら?
東北の当時の様子はそれなりに知ってますが、まあ事実を元にしたフィクションって印象ですね。
どこまでは嘘、どこまでは本当、なんて話はしてもしょうがない。そういう風に作ってあるのがまた憎らしい所です。
真実なんてものは、誰かのフィルターを通して表現された時点で曖昧になるものなのです。「これは嘘あれは本当」なんてファクトチェックをかの漫画に行うことは、大して意味持たないんです。
不幸にも家族を失った可愛らしいクマの主人公。混乱するが本質は思いやりのある東北の人達。
心の底から笑わせてくれます。読者が求めているものをよくわかっていらっしゃる。
その責任感が、現状の漫画からはあまり感じられないように思います。
まあ当然ですね、なんたってプロではなく無名の人物が描いた漫画という体になっているのですから。
「Fukushima50」の映画が、事実と異なる表現があるだの、人をむやみに美化しているだの批判されても、私はあの映画のスタッフをリスペクトします。
何故ならば、彼らはしっかりと名前を出し、正規の手続きを踏み、表現を行っているからです。
匿名で、責任をとらなくていい立場から、あたかも知ったかのように物を申す事が如何に無責任なのか?それはこの記事を見ればわかるでしょう。
読者に押しつけているものが、批判なのか感動ポルノなのかという違いだけです。
しかも半匿名でありながら、被災者という「被害者の道徳的正しさ」を利用するのは、最高に卑怯なことです。
◎読者の方へ
あの漫画は、間違いなく正しく読者の求めるものを考えて描かれています。
みんな、震災や人の本当のグロテスクさなんてものは、見たくないのです。
でも、本当に震災の大変さを、孤児として生きる大変さを伝えるなら、あの漫画はあまりにも、不気味なほどに清潔なのです。
そして、わざとツッコミどころを残している。何故なら、議論が盛り上がると作品が盛り上がり、それは結果的に金になるからです。
しかも、そのツッコミどころは、おそらく被災した役場や教師、都会の人の冷たさといったものを対象とするように、恣意的な方向性を持たされている。
最後は人ではなく、時代や環境が悪いという結論が出るように誘導されている。ああ、なんて正しいんでしょう。誰も不幸にならない。
被災者をテーマにしていなければ、私も拍手喝采をするでしょう。
あの漫画は、読者の皆さんの善意を誤作動させるように作ってあるのです。
冷たい計算の元に、ネームが切られ、写植が打ち込まれ、着色されています。
しかし、おそらく、皆様が思っているほど、あの漫画は善なるものではないと、一歩距離を置いて読んで欲しいのです。
◎最後に作者の方に、一つだけ
本当に震災のことを伝えたいなら、ちゃんとしてください。頼むから。
「別に日記だし?崇高な目的を勝手に感じるのはそっちじゃん?」と言わんばかりの、プロフィールの「プロとして正しい書き方」が、本当に卑怯に見えます。
10年経っても、まだ苦しい人がいるんです。
私はまんがの編集者やってる。
多分そこそこ有名な、作品名言えば幅広い年代の人に通じる本出してる会社。
私が担当している作品は「超有名!」って程じゃないかもしれないけど
ファンもいるし、そのジャンルが好きな人なら知ってるだろうって作品。
編集って、多分何やってんだかよくわかんない仕事の上位に入りそうな仕事だと思う。
作家の家に原稿取りに行って「できるまで帰りません!」と居座るとか
まんがの描き方は様々なので、
全部自分でネタ出してきて、描き間違いや矛盾がないか確認するだけ人もいれば
「今回はグループで遊園地に行かせたいんだけど、2人きりにするシチュエーションは何が良いかな?」とか具体的に聞いてくる人もいる。
9割ネタ出し丸投げの人もいる。
丸投げタイプも「じゃ~何しまっしょっか?」と会話をするうちにネタがまとまる人がほとんどだから、
完全な編集任せじゃないし、楽しく仕事させて頂いている(と、私は思ってる)。
メインの仕事は文字の校正とか写植の手配とか広告や記事ページを作ったりすること。
あとWEBサイトやネット公開用の漫画を整えたり、複製原画作って営業さんに渡したり販促品作ったり。
私は業務時間の8割くらい広告や記事、販促品作ってる気がする。
この仕事をしていて寂しく思う事が一つある。
本当に貰った原稿をみて興奮したり爆笑したり泣いたりしたから感想を伝えている。
わかるんだ。
私も書店さんから「今回の告知チラシ良いですね」って言われたら社交辞令半分に受け取るから。
でも私は本気で作家に「楽しみにしていました」って言ってる。
じゃなきゃ会社で貰える見本単行本とは別に自宅用に、自腹で購入しないって。
いや、わかる。他人に言われた方が嬉しいのすっごいわかる。
作家は悪くない。
でも最近悔しいから、担当作家が他社で描いてるマンガに応援のアンケートはがきを送った。
他社の単行本にAmazonでLOVEコールレビュー書いた(実際すごく面白かったから嘘じゃない)。
他社の担当さん、感想伝えてください。アンケートはがきを読むと捗るタイプの作家さんです。
今日も、表向きは真面目に数字や読者反応を考えて動ける編集者として応援して、
これ以上めんどくさいファンにならないよう、自戒と愛を込めて。
P.S すべての作家さんへ。
頼む、よく寝てよく食べて適度に運動してくれ。長生きしてくれ。
私は健康にいいむくみが取れるお茶(My担当作家の好きな物)を
フェニミスト協会グローバル本部という宗教法人でバイトをはじめてから2週間くらいたつ。仕事内容はそんなに難しくなくて、書類の整理が多い。PCを使うのは会員名簿を見て発送作業をするときくらいで、あとは古い書類の仕分けをすることが多い。
30年以上経った古い書類は個人情報に気をつけてシュレッダーにかける作業を先週はしていた。埃だらけのドキュメントボックスにはやたらと古い手紙が入っている。昔は団体の会報で人生相談みたいなコーナーがあったらしく、そのときに会員から本部に寄せられた手紙らしい。
ほとんどの便箋にはホッチキスで別の紙がついている。同じ人の筆跡で、かすれた青い文字で書いてある。見たことはないけど、これはたぶんカーボン用紙でとった昔のコピーなのだと思う。相談員か代表(?)が相談に答えた手紙のオリジナルは箱の中に入っていない。たぶん印刷のために写植に回ったのかもしれない。
手紙はたくさんあったので全部は内容を覚えていないけれど、廃棄後もまばらに記憶に残っているやつがある。たとえば、1983年12月付で、20代の女性らしい人から来た手紙だ。80年代っぽい丸文字で書いてある。
親愛なる総長様
いつも陽の光のような愛につらぬかれて生きていきたいと思っているのですが、最近は心に思い悩むことばかりが多く、また、ちょっとビロウなお話ですけれど、おトイレにばかり行きたくなるんです。それで、大きいほうがたくさん出てしまうのです。気にしていると余計、一日に何度も行きたくなってしまいます。まるで私、大きい方を作り出すだけの機械になったような気がして、苦しい思いです。気にせずに過ごす方法はないものかとますます思い悩むばかりです。
別紙で回答(?)がついていた。
迷えるフェニミの子へ
お腹が毎日張って苦しいことでしょう。また、みずからの「思いなし」に囚われていることも同様に苦しいものです。そのようなときにはなによりも、つねに私達とともにある唯一神フェニミの教えを思い出すことをお勧めしたいと思います。すべては太陽の如き神の愛に貫かれ、フェニミの意志によって設計されているのです。種から芽を出し、天に向かって伸びる花は、神の意志に沿って作られた機械なのです。あなたもまたその機械の一部であり、巡り巡る物質を摂取し、産み出すべきものを産み出す機械なのです。あなたは大きいものを産み出す機械であり、子を産む機械であることに気づくでしょう。神の意志に沿って、神の愛を感じて生きるとは、機械の動きのままに生きることなのです。そうすればおのずから心も安らかになってくることでしょう。毎日しっかり食べ、しっかり寝て、どんどん産み出していきましょう。