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「便箋」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 便箋とは

2024-12-14

シベリア抑留日記

  8月25日からシベリア抑留ガザ地区にいたから。

  8月26日   弁解録取手続き        会った人  青山景子    事務官不明

  8月27日    勾留質問           特記事項   タチィ!!!!!!!!!!     22時から弁護士面会

  8月29日    中間            三摩哲也      言ったこと   お前クソガキじゃん    反応   ガキ・・・

  9月1日(日)   便箋購入

  9月4日      勾留延長

  9月5日     リミンと一緒に、少年房に移される、嫌がらせ

  9月6日      準抗告棄却

   

  

2024-12-10

   シベリア抑留決定というときシベリアというのは、留置の部屋のすみっこのコーナーのところであり、便箋と貸与されたボールペンしかないことからロシア連邦

  シベリア勾留されることをいう。

2024-12-08

    鑑別所拘置所など、拘禁されている施設にいるにもかかわらず、便箋とか封筒を買ってあーしてくれこーしてくれとも発信しないような被収容者に興味はないよ

  何もしないか勝手実刑食らって刑務所かどこかにいけ、くそまらん。

2024-12-05

  何が10時だよ、お前たまに例外的に、9時から便箋取らせてるじゃん、糞野郎

  担当担当便箋とっていいっすか?

    待って待って、10時から

2024-10-29

anond:20241029135249

推薦状にしては船舶会社便箋に走り書き、署名も無し

それは下書きだったのかもよ。

手書きフォーマル文書とかだとまず1枚試しに書いて、文章量見て文字の大きさとか改行位置とか調整しながら何枚か書いて、うまく行ったら本番を書く。

PCプリントするのが基本の時代だとそういう試行錯誤ってPC上でしかしなくなったね…

曽祖母の遺品から1907年に書かれた英語便箋が出てきた

便箋の上部に四角い白地に赤い波線の2つ入った旗のロゴ、その下には以下の赤い印字がある

NIPPON YUSEN KAISHA.

   S. S. 〝TANGO MARU.”

         ___ 19 ___

「 ___ 19 ___」と印字された箇所に「July」「20」「07」 が手書きで記入してある

July 20 1907、1907年7月20日ということは120年近く前だが、そうとは思えないくらい紙もインクも綺麗だ

ネットで調べると、かつて横浜シアトル間を日本郵船丹後丸という船が運航していたらしい

これを書いた人はその丹後丸で日本までやって来たのかもしれない


本文の筆記体が読めないのでAIに書き起こしと翻訳を頼んだら、これは手紙ではなく仕事の推薦状だと教えてくれた

ちなみにAIによると、文体イギリス英語、「S. S.」は「Steamship(蒸気船)」の略だそうだ

曽祖母の両親(高祖父母)のために書かれたもののようだが、推薦状にしては船舶会社便箋に走り書き、署名も無しとはひどい

他にも同様の英文の推薦状が合計4組8通残っていたが、この一番古い丹後丸の便箋以外はすべて無地のもの使用され、署名もされている


こういう推薦状は就職先に提出すると返却されないものだと思っていた

しかし日付の違う推薦状が8通も残っていたということは、いわゆる在職証明書役割も兼ねていたのかもしれない

から祖父母最初の推薦状以外は、無地の便箋への記入と署名を求めたのかもしれない


推薦状の内容自体は、どれもこれも似たり寄ったりの文章だった

この推薦状の持参者である〜は、住み込みコックとして私の下で〜ヶ月間働いた

彼は忠実で誠実、温厚な人柄で〜

腕のよい料理人を求める方に、彼を推薦いたしま

この推薦状の持参者である〜は、家政婦として私の下で〜ヶ月間働いた

彼女は忠実で、性格が良く、きつい仕事もいとわず

さな子供のいる方、勤勉な使用人を探している方に、彼女を推薦いたしま

興味深いのは高祖母職種が「baby amah」や「house amah」となっていたことだ

「amah」は日本語の女性意味する「尼(あま)」が由来かと思ったらそうではなく、その昔、欧米人東アジアで家政婦兼乳母のことをそう呼んだそうだ

語源中国語説、ポルトガル語説、アラビア語説と諸説あるらしいが、よくわからないらしい


戦前、高祖父母神戸レストラン業を営んでいたことは聞いていたが、若い頃に外国人の下で夫婦住み込みで働いていたことまで知らなかった

一通の文書からいろんな歴史が見えて面白い

2024-05-27

とあるVTuber推し

去年の夏、とあるVTuberが消えた。

掃いて捨てるほど生まれVTuberの中の一人に過ぎない彼だけど、私にとっては日常に色を添えてくれる推しだった。

とある企業研修生としてデビューした彼は、週一回の30分だけの配信でも惹き込ませるには充分だった。

推しとしての私の好みドンピシャビジュアルと声の雰囲気オマケ趣味が似てる、それから配信を見るようになった。

平日の昼の配信で、リアタイが難しいかアーカイブを追っかけた。研修生から動かないし、表情も変わらない。立ち絵のまんまの無表情。それでも彼の配信は明るくて面白く、配信終わる時のお別れの挨拶がとても素敵で好きだった。いつか企業でのデビュー勝手に一緒に夢見て追いかけていた。

研修生から、同期もいる。先輩も居たし、後輩も居る。その中でもアーカイブ再生率は高かったと記憶してる。贔屓してると思われるけど、初配信インパクトが強く話題性がとても高かった。

から、私は勝手に『企業絶対デビュー出来る、いつデビューするのかな。』って思ってた。でも、デビューしなかった。彼の先輩たちが早くて3~4ヶ月位の研修を終えてデビューしてたのに対して、彼の期は殆どデビューしなかった。

2~3週間配信休みの案内が来るとドキドキした。何故なら今までの研修生休み明けにデビューしてたから。

休み明けにツイート配信の告知もあると少しガッカリした。企業の方から違う研修生デビューすると、喜んで安心もした。研修期間が長いけど、ちゃんデビューしたんだ、良かったなって気持ちになる。でも、少しだけガッカリした。

私は貪欲から週一回のツイートや30分だけの配信じゃ満足はしなかった。もっと配信見たいしゲームしてるところを見たい、歌が苦手じゃないなら歌ってみたも聞きたいし、もっと好きな物を語るだけの枠も見たい、表情が変わらないから笑ってる顔や怒ってる顔や困ってる顔、ほかの表情が知りたい。エイプリルフールネタ面白かったからボイスドラマとか聞きたい、今企業でやってる企画とかも出て欲しい。欲は尽きなかった。

ファンレターを1度出した。書くのは中学生振りで、文書纏めるのと漢字を書くのが苦手だから下書きを書いた。ノートに2回くらい書き直してボールペン便箋に清書した。字が下手な事に絶望しながらゆっくり、丁寧に書いた。無地の便箋だったから、配信で好きだって言った食べ物シールを賑やかし程度に端に添えるように貼った。バレンタインの時期だった気がするから、「春頃にまた書きます。」みたいな事を書いていたと思う。私生活が忙しくなり、結局2回目のファンレターを出す事は叶わなかった。

まだ配信してた頃に、「この封筒推しっぽいな。」と思って買った封筒がある。次はこれに入れようって思っていた。今日久しぶりにその封筒を見た時、やっぱり推しっぽいなって思った。

私生活がどんどん忙しくなってアーカイブも少し溜まった頃、推しが消えた。

推し含む何人かの研修生アーカイブが消えた。私は、来たんだなって思った。『デビューするんだ!』って嬉しくなった。

今までは男女別にアーカイブが消えていたが、今回は男女関係なく消えていた。混合でデビューするのかなって思って楽しみにしてた。でも、待てど暮らせどデビューに関する報告は無く、残された研修生アーカイブも大量に消えた。

推しが消えた。

ショックだった。

デビューするもんだと思ってた。勝手に期待してたか勝手絶望した。寝込んだり体調を崩すような事は無かったけど、私の日常から彩りが少し欠けた。

最初は嘆いてた、亡霊のように過去にしがみついたいた。パブサして他人ツイート勝手に傷を分かちあっていた。でも、そんな余裕が無いくら仕事が激務になって家庭も荒れて鬱になって、彼の居ない秋と冬と春が終わった。気が付けば、思い出すことが無くなっていた。彼の同期だったライバー配信の切り抜きやツイートを見ても影すら思い出さなかった。その事に気付いて少し悲しくなった。

彼は世間から見たら数多の中のVTuberの1人に過ぎないし、私からしたら数多の中の推しの1人に過ぎなかった。

私は推しが作中で死ぬ経験も無いし引退する事も無かったから、何のアナウンスも、お別れもなく消える事はショックだった。

長いし何書いてるか分かんないし、綺麗に纏めるつもりもないし、誰かにヨシヨシして欲しいとか思ってるわけじゃないけど、めっちゃバズったらワンチャン推しの目にも入るかなってカス見たいな下心があるけど、私の中の1つの区切りとして世に放つことにした。

勿論、世に放てば私の推しへの感情インターネット玩具にされて消費されて一生残るけど何処かに出したくて仕方ないから放ちます

これをたまたま見つけて読んでくれた推し、見つけてくれてありがとう、汚いもの見せてごめんね。

ここに書いてあるのは全部私のエゴから

何処かでひっそり暮らしててもいいし、どっかでデビューしてもいいし、推し幸せならそれでいいかなって思ってます

最後まで長々とありがとうございました。公開オナニーに付き合ってくれたその他の人達にも感謝します。

2024-02-19

広島中央署さんさあ

証拠現金8500万円盗難事件 2017年

広島中央署の金庫で保管していた特殊詐欺被害金8572万円が盗難される

5月8日会計課長が気が付いて発覚したが、その前に署員が確認したのは3月15日だった

被疑者である36歳男性警部補9月16日に自宅で死亡

事件性はないとして司法解剖は行わなかった

2020年被疑者死亡のまま書類送検

現金は今に至るまで発見されていない

不同意性向容疑警視正自殺事件 2024年

2023年11月7日 中国四国管区警察局警察学校指導部長警視正58歳を不同意性交容疑で逮捕

マッチングアプリで知り合った20代女性ホテルに入ってから制服を見せ実は売春捜査警察

売春犯罪だが身体関係を持てば始末書で許すなどと犯行に及んだ疑い

その後他の1020代女性への同様の犯行でも逮捕起訴され4度目の逮捕中だった2024年2月17日

広島中央署の留置場トイレ内で意識不明被告を署員が発見搬送病院で死亡確認

衣類を首にかけて自殺を図ったとみられ、遺書とみられる便箋もみつかった

被告自殺などの恐れがある「特別要注意者」に指定され警戒監視されていた

被告はいずれの事件でも容疑や起訴内容を否認していた

2023-12-05

よ~し買い出しや便箋封筒などなど買ったで~

帰ってきて自転車ライトも買わなきゃって思い出してはあああめんどくさいやで

危険物乙4に無事合格したんで封筒申請書やら返信用封筒やら入れて送らなアカンくてやね

便せんに「〇〇月○○日の危険物乙4に合格したんで交付申請します。お手数かけますよろしくお願い申し上げます」って一筆添えて同封しようと思うんだけど

それ用の書式ってあるん?

それともこういう便箋の書き方に合わせるだけでええの?

https://letter.midori-japan.co.jp/letter-manners/binsen/

2023-07-15

手紙を書くことになって、便箋を持ってないことに気が付く。

漫画キャラが描いてあるファンシー便箋はあるんだけどね、普通に使えるのがね。

2023-05-29

人気者だった彼女10数年後の話

わたしが育った田舎の小さな中学校は、当時いくつかの小学校から生徒が集められていた。

メインとなる小学校から来る子どもが半分、そのまた半分を別の学校が、さらにその半分づつを別の小学校からの生徒が占めていた。

その中の小学校のうちの一つは、人数が少ないのに個性的子どもが多かった。

そこから来た女の子のうちの一人が、さなちゃんだった。

さなちゃんは、色が白くて、黒目がちな瞳がくりくりしていて、ベリーショートの髪が真っ直ぐぴんとしていた。当時流行っていたウルフの襟足の所の毛が首筋に沿ってきれいに流れていて、アイロン毎日やるの大変なんだよねとからっと話していた。

細くて無駄な肉のないすらっとした手足は、量産型制服で隠されていてもすぐに分かった。

サバサバした話し方なのに、一人称名前呼びで、さなはねって話するのが、ちょっとあざといようで、でもそれもまたよかった。

とにかく、さなちゃんは、とてもとても可愛い女の子だったのだ。

さなちゃんは、可愛いだけでなく、所属していた部活でも副キャプテンとして活躍していた。それでいて、勉強も出来て、センスも良かったから、男の子から女の子からも人気者で、友だちも多かった。

わたしさなちゃんは、特別仲がいいわけではなかったけれど、中学生らしく、たまに手紙を交換する仲だった。

当時はキャラものメモ用紙とかレターセットとかが流行っていて、カラフルな紙をハートイチゴの形に折ってそっと休み時間に渡しにいくのが定番だった。

さなちゃん手紙はだいたいシンプルな白い紙や、いらなくなった理科プリントを工夫して作ったお手製の便箋が多くて、そこにいろんなイラストや書かれていた。ただのファミリーマートで買った無印水性インクペン無造作に書いただけの線でできてる便箋さえ、おしゃれに見えた。

ひらがなが多めのさなちゃん手紙は、文字ひとつとっても、小さくきゅっとして不揃いにならんでいて、それだけでも他のどの女の子よりも可愛かった。

読んでいるだけでワクワクが溢れてくるし、使う言葉センスがすごくよかった。唐突に出てくるイラストや、仕掛けにいつも早く返事が欲しくなった。

あの頃のわたしにとっては、さなちゃん手紙交換出来ていること、それ自体がとにかく自慢だったのだ。

他の人に大きい声で自慢したくなるような感覚さえあった。

さなちゃんから手紙を受け取ると、自分がなんだかそれだけで価値のあるものに思えた。

こんなに可愛い子が、わたしの友だちなんだ、

手紙を貰えるくらいに、仲良しなんだと。

さなちゃんは、中学校の時に、わたしずっと好きだった子と付き合い始めた。

彼はクラスの中心にいて面白くて足が早くて、数学が得意で、背が高かった。顔はカッコよくないのに、ギャグセンが高くて、いつも人を笑わせていた。でも飄々としてて掴みどころがなくて、そこもまた人気だったのかもしれない。

さなちゃんだったら、クラスで1番のイケメンとかとも付き合えるはずなのに、ちょっと癖の強い彼を選ぶセンスも最高だと思ったし、並んだらお似合いだなと思った。

さなちゃんは学区内で1番の進学校に行った。そこは、ちょっと真面目な子たちが行く高校で、指定制服ダサい学校だった。

黒いブレザーで、校風もあるのか、なんか地味。

隣の広告の方が制服可愛いじゃんって思ってた。

高校入学後に、4月に駅でばったり会ったさなちゃんは、中学生の時よりもっとキラキラしていた。

わたしダサいと思っていたブレザーに包まれさなちゃんキラキラした小物やアクセサリーで彩られて、それが黒い生地を背景に輝いていた。

綺麗に細かく折られたプリースカートは少し短めになっていて、そこから細くて白い足がすっと伸びているのも、品がない感じがしなくて、ヘルシーなのにちょっとキドキもさせてくる感じだった。あまりにも可愛く着こなしていたのに加えて、お化粧をしていたからかもしれないけど、とにかくその姿が眩しくて、こんな山奥の駅にいたらいけない存在だ、と思った。

間も無くして、さなちゃん中学校の時の彼氏と別れて、同じ高校の素敵な先輩と付き合っていると風の噂で聞いた。

その後、中学の時の彼氏復縁したとかまた別れたとか、聞いてなくても誰かが教えてくれた。

久しぶりにさなちゃんと会ったのは大学卒業後に開かれた同窓会だった。

相変わらず可愛い姿を振り撒いているさなちゃんは、卒業アルバムから出てきたみたいに何も変わっていなかった。そこにいるだけで輝いていた。

大好きだったパティシエ仕事についていて毎日忙しいこと、大学時代から数年付き合っている彼氏結婚まで秒読みなのだということ、聞きたい聞きたくないに関わらず、居酒屋の隣の席でいいなー!と絶叫する旧友の声で知ることになった。

きっと、ウエディングドレスも似合うんだろうなと思った。おしゃれな会場で、白いドレスカラードレスも着こなすさなちゃんの姿は、パンフレットに載ってるモデルさんと代えても遜色ないくらいに素敵だろう。

さなちゃんのことを久しぶりに思い出したのは、さなちゃん親友だった友人と久しぶりに会った時のことだった。

たっぷりサイズアイスカフェオレを頼んで涼んでいたら、友だちが教えてくれた。

さなちゃんが、付き合っていた彼と結婚したものの、その後、同窓会で再開した同級生W不倫の末に略奪デキ婚したという話を聞いた。

相手は、やっぱりクラスの中心にいた、おちゃらけ系のみんなから好かれていた、いわゆるいい奴。事業成功してお金もあったようだ。さなちゃんのお店を出すのをサポートしていたらしい。

からさなちゃんのことが好きだった彼は、同窓会幹事をやる中で、改めてさなちゃんに惹かれたようだ。

彼には長年付き合っていた歳上の奥さんがいたが、その方との間に子どもはいなかったとのこと。

そして、さなちゃんは、子どもが産まれものの、その彼ともお店もあまり上手くはいっていないようで、結局お金を貰いながら実家子育てをしているのだという。

わたしは喉が異常に乾いて、焦るようにグラスを手に取り、ゆっくり飲んだ。

喉を通るあの液体の冷たさを思い出すたびに、わたしの中のさなちゃんが、14歳のままの姿で蘇ってくる。

決して色褪せないまま。

追加

そっか、フェイク入れなきゃと思ってパティシエにしたから嘘っぽいのか…本当はペット系のお店です。山奥なのは本当です。徒歩圏内コンビニなくて猿が出るレベル過疎地域ではない。

2023-04-19

anond:20230418145703

耳で聞いたことが頭に入らないタイプの人では

メモとか手紙にしてみるのはどう?ファンシー便箋にいつもありがとうプレゼントより貯金して有事に備えたいな♡とかなんとか書いとけば響くかも

2023-04-15

贔屓(推し)が元贔屓(元推し)になるまで~好きと義務の間で~

※前書き

贔屓というのは宝塚で言う推しのようなものです。

分かる人にはすぐ分かる元贔屓ですが誰か分かってもそっとしておいて下さい。

◾︎本文

(下書きににして出せないまま8年も経ってしまったのだけど、区切りをつけるため投稿します。)

なぜ贔屓が元贔屓になったのか?

っていうか元贔屓のことを私はちゃんと好きだったのか?

贔屓が退団してからその答えに至るまで様々な葛藤がありました。

最初に言っておきたいのが元贔屓と今の贔屓を二人を天秤に掛けて元贔屓以上に贔屓が好きになって乗り換えたという訳ではない。

この二人はすごく似ているのだけれど(私見でね)現役時代の二人を比べたことなど一度もなかった。

元贔屓のことは某大作ミュージカルで好きになり組替えをきっかけにファン活動にのめりこんだんだけど、私のファンピークは2番手時代~2作目あたりでした。

元贔屓の2番手時代はその当時2番手になるのではないかと言われていた上級生を抜かして組替えしたことが原因であまりファンに受け入れてもらっていないような雰囲気がありファンでも胃が痛くなる状況だった。

入出でもダントツで遅く入って早く出ていく日々。

ファンの間では、楽屋に居づらいのではないか、辛い思いをしているんじゃないか憶測が飛び交ったり。

しかも元贔屓はファンが少なかった!!笑

入出に来るようなファンしかり。

ファンが増えなかったのは色々原因あるとは思うけれど、会に入ったり入出をするメリットを感じられなかったからではないかと思います

今だから思うけど、元贔屓はギャラリーするだけで十分だったかもとファンですら思う。

日の入りなんて私含め数人くらいしかいなかった時もあり、元贔屓はギャラリー死ぬほど嫌いだったので手紙を奪うようにとると一瞬で楽屋に入っていった。

その時は元贔屓が可哀そうで可哀そうで、私は学生だったのもあって結構な頻度で入出に行っていました。

2番手時代の元贔屓は少ないファンが「私たちが守って(応援して)あげなきゃ」と使命感を感じさせるような何かがあった。

追い打ちがトップになる前の大量の組替え、それがまるで元贔屓がトップになる為の体制を整える為のようで組ファンから批判は凄かった。

本当のことは分からないけれど、あまりに衝撃的でそのすべての批判が元贔屓に行っているような感じがあった。

発表された翌日はどうしても自分の思いを伝えたくて『何があってもあなたについていきます』という内容の手紙を渡すため用事を全部キャンセルして入り待ちに向かった。

紆余曲折を経てトップ就任が発表され、その時のスケジュール帳にはしっかりとトップ就任発表日が記されている。

幸運なことに前トップのサヨナラショー前楽も観れて本来出演してなかったショーナンバーを踊る元贔屓も観れた。

披露初日もムラまで行って開演アナウンストップ羽を背負った元贔屓にぐっと胸が熱くなった。

披露目公演観劇数は途中から数えなくなるほど観たし、客降りした元贔屓が本来お客さんとはハイタッチしかしないのに自分だけ手を握ってもらったことがめちゃくちゃ嬉しかったり。

トップになって初のショー、当たり前だけどどの場面でもセンターに元贔屓が居て楽しかったし何より芝居が良作だった。

この頃の私は純粋ファンだったように思う。

でも思ってみればこの頃から色々とおかしくなっていった。

自分が好きで行っていた入出も途中から自分意志など関係なくいかなければいけないという義務に変わっていき、渡したかった手紙も何を書いていいのか分からなくなっていった。

観劇回数が大幅に減ったのはトップ中盤〜後半の地方の長期公演からだった。

劇場東宝は行きやすいしごまかして行ってたけど地方の長期を通うにはモチベーションが足りなかった。

そして私は上演作品が嫌いだった。

トップ前半期はとてもいい公演をしていたのに個人的にあまり好きでない再演公演を当てられまくった後半の暗黒期を私は未だに許せない。

特に退団公演、観劇していて怒りが沸いた公演は初めてだった。

初日幕間のファン流れる通夜のような雰囲気、みんなが

「これが退団公演か……」

「こんな駄作をあと何十回も観なきゃいけないのか」

と思ったに違いない。

ショーがなかったら絶対に救いようがなかった。

良い公演に当たらなかったというのは贔屓が元贔屓になった要因ではない。

観劇回数は減ったけれどそれでも観ればやっぱり好きだなぁと思ってしまうのだ。

やはり一番の要因は退団発表に関する色々だった。

退団発表より前に発表されたショータイトルが退団仕様だったため

『次回公演で元贔屓は退団するに違いない』

と言われていたのだが、私はどうしてもそれが信じられなかった。

元贔屓は至る媒体で100周年のことについて聞かれ、その度に「本当に大切なのは101年目から」と口にしていた。

だがそれが現実に発表され、寂しさとか惜しむ気持ちより先に来たのは落胆だった。

「あれだけ101周年目が大事とか言ってたのに自分は辞めるんかい……」

私は勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。

そのうえで決定的だったのは退団公演集合日で同期の人が元贔屓と一緒にやめることが発表された時。

「やっぱりな」と思うとともに心が急速にさめていった。

「この人この組でトップになる意味あったのかな?元いた組にずっといればよかったんじゃないの?」

トップになって何がしたかったんだろう」

「結局は自分が、二人がよければ組の事はどうでもいいのかな?」

一度思い始めると良くないことしか考えられなくなっていった。

しか無駄ファン歴が長いと友人伝いに知りたくないことも耳に入ってくる。

タニマチの事だとか、ファン派閥とか、、、

会に入った当初仲良くしていた子も一人、また一人と辞めていって結局退団公演まで残ったのは私一人だけだった。

宝塚にいるの、辛かったのかな」

「ガードの事、ただのギャラリー除けにしか思ってなかったのかな」

「仮初めでも演じてもいいか舞台上で位トップコンビを演じて欲しかった」

そう考えていくともう何もかもがどうでもよくなっていった。

ファンならその人のすべてを受け入れるべき、受け入れられないのはファンじゃない!!という人もいると思うけれど、私はそんなご立派なファンにはなれないし、なるつもりもない。

何よりこれ以上この人のファンを続けていたら、私はこの人を嫌いになってしまうと思った。

言い方は悪いが、私は悩み、苦しんでいる元贔屓が好きだった。

元贔屓はトップとして、スターとして完璧な人ではなかったと思う。歌も、ダンスも、人間としても。

2番手の元贔屓には自分の欠けたものをよく分かっていて、それを埋めようともがき、苦しみ、ただひた向きに舞台に向かっているように私は感じていた。

それがトップになってから宛てられるのは、当たり前だけれど全てが元贔屓のために作られる公演で、もちろん元贔屓は日々上を目指して進化していったのだけれど、その進化のかたちは2番手トップ初期の頃とは少し違っていた。

目指すものがなくなり、ただ作品にすべてをかけられる充実期というんだろうか。

「私が観たかったのはこんなのじゃない」と思ってしまった。

そう思った時に気づいてしまった。

結局私は元贔屓自身について行きたかったのではなく、自分理想通りになるであろうと仮定した元贔屓に着いていきたかったのだ。

退団公演は正直義務感とただ「既に払ったチケット代がもったいない」という2つに支えられて観劇に行っていた。

それでもモチベーションを保てなくて、入出待ちには中々行けなくなってしまった。

周りの空気も私にはつらかった。退団に向かい元贔屓を送り出そうとする姿勢や、1公演を惜しみ涙する人たち。

あと少ししかないのに、元贔屓の男役はもう見れないのに、どうして自分はその人たちのように熱くなれないんだろう。素直に応援できないんだろう。

ヨナラショーでもパレードでも泣けなかった。

観劇では泣けないのに、終わった後どうしようもなく虚しくなって泣いて帰ったこともある。

結局私は退団公演を結構な回数観て、サヨナラショー付きの回は全部観れたし、千秋楽の入りも出もフェアウェルにだって参加した。

うそれは好きだからファンからというよりもはや意地のようなものだった。

ずっと(といっても新公主演後からだけれど)見ていた元贔屓の最後を見届ける。それだけに固執していた。

終わった時は実感も寂しさもなく、「あ、終わったんだ」とあっけなかったことを覚えてる。

退団後しばらくは私はいから元贔屓のことを応援するのが好きからでなく義務になっていたのだろうと考えるようになった。

パッと気持ちが離れたのは退団公演集合日の発表だったけれど、実際はもっとからな気がする。

それとももしかしたら最初からきじゃなかったんじゃないかとすら思ってしまう。

でもやっぱり昔のDVDを観たりするとそこには私が好きだった元贔屓がいて、自分でもよく分からなくなってしまった。

元贔屓が悪い訳でも、辞めた同期の人が悪い訳でもない。

ただ着いていけなかった私が悪い。と自分を責めることもあった。

退団公演が終わってしばらくはとても無気力で、宝塚を観る気にもなれなかった私を奮い立たせてくれたのは

YOUは何しに日本へ?」だった。

ドイツ在住の宝塚ファンに密着したというもの

たかった宝塚を観るためにお金を貯めて異国の地へ、好きな人の退団を思って涙している。

私はそれにとてつもなく感動した!!この出演者の人たちに昔純粋ファンだった自分自身を重ねていたのかもしれない。

この番組を見て、気になっていた今の贔屓を観にムラに行こうと決心した。

その後は宝塚でのもやもやは同じく宝塚で晴らす!というようなハマり具合。

私が今とても贔屓が好きなのは反動もあるのかもしれない。

正直今後私がずっ現贔屓を応援できるのかというととても微妙だと思う。

だって私昔は元贔屓に退団しても一生着いていくと思ってたし)

私はもう二度と好きなのか、義務だったのかなんて悩みたくないし、楽しくて宝塚を見ているのにつらい思いはしたくない。

贔屓のファンになって、前と比べるとずっと緩くだがファン活動も再開した。

今、楽しくてしょうがない。

お芝居でもショーでもオペラ無くてもどこにいるかわかるし、1人だけをオペラで追ってしまって他の人を見る余裕なんてない。

感想のお手紙を書いてると楽しいし、入出で姿を見るだけで満足、お手紙を渡せて幸せ

お茶会お話をしてるのを見るのも幸せだし、近くに来ると嬉しい。

握手をするときは緊張するし、そしてほとんど覚えてない。

文字びっしり便箋6枚にわたる手紙を寝ずに書いても全然眠くない。

そのたびに私は『前にもおんなじことを思ったことがあるな』とデジャヴを感じていた。

そうだ、元贔屓を応援していた時だ。

私は元贔屓のことを忘れて現贔屓を新たな気持ち応援していると思っていたのに、現贔屓を応援していることで、元贔屓のことを好きだったのはけして嘘ではなかったのだと思えた。

そう思うと、生で観て泣けなかった退団公演のショーが今になって泣けて泣けてしょうがないのだ。

元贔屓は確かに私の贔屓だった。

私は確かにあの人のことが好きだった。

誰かを好きでい続けるのは幸せなことだけれど、同時にとてもエネルギーを使う。

長く応援していると色々としがらみが増えていく、自由だと思っていたことが不自由になってその時好きだったことを否定したりしまったりする。

「ずっと好きです」

いつまでも応援しています

元贔屓に送った言葉は今では嘘になってしまったけれどその時の私は確かにずっと、いつまでもという感情を贔屓に持っていたし感じさせてくれた。

それは嘘じゃないと思う。

2023-03-16

ジャンプ+の読み切り鹿野くんって美味しそうだね」が良すぎたので

最&高作品感想を書く。ジャンプ+は莎々野先生に「マリトッツォだっつてんだろ」でアナログ部門賞をあげた責任を取ってさっさと短編集を出して欲しい。

本作があまりにも性癖クリティカルヒットしたので思わず筆を取ってしまった。

何が最高かって、キャラも可愛くて純愛で、そして適度に闇があっても作品根本には人が人を想う思いやりにあふれているところ。空気感がエモくて二人の関係恋愛ゴッコから運命恋人に変わっていく流れも最高だし、何より溢れ出す感情言葉にできず涙としてしか吐露できないシチュフェチの筆者にとって終盤の展開が死ぬほど刺さる。

ただ、作品ステレオタイプに「ヤンデレメンヘラもの」とラベリングしてちゃん物語を読み解いていない人が散見される。それはとてももったいないので、後ろで自分なりに補足を書きたいと思う。

かわいい

とにかく鹿野くんも狩谷さんも可愛すぎる。狩谷さんにうでギュッってされる度に「アッ」とビクンビクンするのは、女、いや人慣れしなさすぎてまさに野生のシカみたいだし、自分から振ったくせに泣きながら揚げ物かじる姿は滑稽可愛いし、初デートで初めてばかりの経験に目をキラキラさせて精一杯楽しもうとしている姿も素直でかわいい

「語尾にハートがつくような甘々口調でしか恋人献身的で可愛くておっぱい大きな女の子」だけど「実は傷を抱えていてバイブル少女漫画)に書いてない自分本音晒すときうつむいてつっかえてながらでしか喋ることができない」ギャップヒロイン(狩谷さん)みんな大好きでしょ? 少なくとも筆者は大好き! あと作中に出てくる二通の狩谷さんの手紙便箋デコっているシール女児みたいでめっちゃ可愛い。髪の毛が細いから毛が浮いて輪郭がホワホワしているところも好き(懺悔すると、筆者は別れ話を告げられた時の狩谷さんのどんどんと感情が抜けてゆく目と回らない呂律という可哀想てんこ盛りのシーンにちょっぴり興奮してしまった。)

でもやっぱり一番好きなのは、二人の最後のページ顔だよ。狩谷さんの笑顔キスで照れて赤面している可愛い鹿野くんに向けられて、鹿野くんは狩谷さんの真っ直ぐな笑顔ますます照れてしまう。無限機関はここに実在した。

ヤンデレメンヘラ描写について

本作の感想ホラーだとか鹿野可哀想だとか漫画の(しかも絵だけの)表層しか理解していない意見散見されたが、狩谷さんをメンヘラと呼ぶのは(一応)正しいけどヤンデレは間違いであって、本作のストーリーライン理解していない発言である。狩谷+鹿野を指してヤンデレメンヘラに捕われた彼くんと考えるのを止めるのは、作者のミスリードに見事に引っかかっていると言えるだろう。主人公の狩谷は一見愛が重くて行き過ぎた愛情表現をする少女に見えるが、実際はかつて元カレの心ない言葉で酷く傷付けられ心に呪いを受けて苦しんでいる怪我人であり、本作はその彼女鹿野の若く真っ直ぐな愛で呪いから解き放たれる物語である

作中の時系列に従うと、狩谷の心境の変化は次のように説明できる。

  • しかし、元カレにかけられたその呪い鹿野の「自分は狩谷さんが好きだから一緒に居たい」という言葉、そしてその後の「恋している人はみんな馬鹿だ」「あなたおかしいなら一緒におかしくなるから」という頭がおかしくたってそれが普通なんだという告白で解呪されました。目の前の鹿野くんは真っ直ぐに私のことを好きだと言ってくれていて、私は頭がおかしくないしそれが普通なだって。(余談だけどp61の「狩谷さんに一回ぐらい殺されそうになろうと 狩谷さんを受け入れる選択をする」と告げる鹿野を無言でじっと見つめる狩谷さんの涙の跡が残る顔が、強く睨んでいるようにも惚けているようにも見えてめっちゃ好き)

元カレに傷付けられた心も癒えて、お互いの想い合う気持ちも伝えて、あとはもう二人が人生の終わりを迎えるまで何度も生きてきた中で最高のキス更新していくだけだよ!!!!!! ラブあんハッピー!!!!!!!!! お幸せ!!!!!!!!!!!!

鹿野くんは光の彼くんなのか

軽く流し読みしただけだと鹿野くんは病んでる狩谷さんを都合よく支える彼くんに見えるかもしれない。しかし、ちゃんと彼の発言分析するとそうではないことが分かる。前述したレストランの一幕、ラブラブカップル専用ジュースを頼む奴らなんて頭がおかしいという近くの席から聞こえる陰口に、彼はそんなこと言う奴らの方がモテないしブサイクだとこちらも大概な偏見丸出しの発言をする。自分自身が陰口を打つ彼らと同じ側の人間であることを証明しているのである(「アッ(気付き)」とか漏れ出る情報から分かるように腐れオタクだしね…)。そして傷ついたからと独善的に狩谷さんに別れを切り出すところもそう。自分彼女と付き合う自信が無くなったくせに「彼女元カレを忘れられないから」と欺瞞を重ねて一方的彼女に別れを告げるのは、頭でっかち自分のことしか考えていない独りよがり非モテの発想他ならない。

これらの事例から分かるように、鹿野くんも年相応に青くて不器用少年なのである。これまで彼女が居たことがなく、作者曰く「中学生の頃は教室の隅でニヤつきながら、如何にリア充が害のある生き物であるかを友達と話し、そんな会話がなんだかんだ肌に馴染んでいた」少年だ。だからレストランの時に彼女に言った「恋愛していると皆バカになる」という発言実体験を伴わない聞きかじっただけの知識披露しただけだろうし、相手が狩谷さんではなければ上から目線ウザみたいに思われていたかもしれない。しかしその時彼の前に座っていたのが狩谷さんで、しかもその言葉元カレに淡い恋愛観をへし折られ傷ついている狩谷さんにとって最も必要ものだった。彼がこの発言をしたのは自己肯定感が低いオタクからというのもあるのだろうが、ただの偶然だとしても、その偶然の積み重ねが運命なのである

そして彼の最も偉大な功績は、狩谷さんに対して真摯に向かい合い続けて、自分の素直な気持ち楽しい、嬉しい、一緒にいたい)を伝え続けたことだ。元カレの心ない言葉に傷ついて自分恋愛観が信じられなくなっていた狩谷さんにとって、真正から彼女気持ちを受け止めて感情を伝えてくれる彼の存在特効薬だった。二度目の「恋している人はみんな馬鹿だ」は彼女デートして浮かれてしまった自分体験に根ざした、心から気持ちだし、真剣に、本当に正面から彼女気持ちを受け止めて打ち返したのは本当にすごいことだ。

まだ青いけどいい奴なんだよな鹿野くんは。狩谷さんを一方的に振った後も泣きながら一人で反省していたのだろうし、「俺は狩谷さんのことが好きだからです」以降は覚醒して包容力化身と化しているし。正直告白以降の鹿野くんは光の彼くんと言ってもいいと思う。もう鹿野くんがいる限り狩谷さんは大丈夫だろうけど、へんにスカしたりせずに素直なままでいるんだぞ。

2023-02-22

anond:20230222235703

とりあえずメッセージ子供写真だけでも送っとけば励みになるかもよ

メールでもラインでも便箋でも

2023-02-02

学生の頃、古本屋アルバイトしていたキモオタクなのだが、社員に「もっと店内放送してッ。」と怒られて、10分に一度、「若槻千夏写真集、入荷致しましたッ。」と一日中絶叫していたら、後日便箋一枚にぎっしりと駄目だしが書いてある紙を頂戴致したので、給料の入金を確認した翌日にバックれた。

2022-10-19

PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人に言いたいこと

PTAに加入しないでください。

すでに入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

でも現実はそうなっていません。

強制的に加入させられているだけです。

PTA規約を見ても、会員は「○○小学校に通っている児童保護者とする」というような書き方しかしていません。

加入要件手続きもなく、退会方法すら載っていません。

これが現実です。

これからPTAを退会した私の経験を話します。

子供卒業した今だから、そして匿名から書けます

何も私はPTA不要論者ではありません。

自分が退会したことを自慢に思ったこともありません。

なので、今日まで人に言いふらしたこともありません。

本来PTA活動は、必要と思う人、活動に協力できる人が任意活動すればいいとだけ思っています

ただ、家のこと、子供のこと、生活のことでいっぱいいっぱいなところに、PTA役員が回ってきて、悩みに悩んで苦しい思いをしている人(特に私と同じ母親)が1人でも減ってほしい!

そういう思いから、書きます

PTA退会を決意するまで

私はシングルマザーフルタイムで働いています

子供は1人で、小学校入学する前の秋、学校説明会PTAについても簡単な紹介がありました。

PTA

活動に協力できるか不安で、規約をみてみると会員は「○○小学校児童保護者とする」としかなく、それ以上何をするでもなく、子供小学校入学

入学すると、1年生のときはほかのお母さん(100%母親でした)がこぞって役員立候補していました。

何でも早いうちに役員をやっておけば楽なんだそうです。

子供が6年生になったときに、1度も役をやっていない人はほぼ確実に役員に選ばれますが、

そうなると重たい役をやる羽目になったり、卒業関係仕事などで大変だそうです。

(初めてなので、仕組みがさっぱりわかりませんでした。退会したので今もよくわかりません)

でも、できる人はいいですよ。

私は低学年のうちに役をやることすらできなかった。

仕事生活でともかく大変だったので。

この世の中、私だけでなく保護者はみんな忙しいと思います

でもほかのお母さん方にはPTA役員になっておこうと考える余裕があったようです。

どっちが大変とか偉いとか、そういう話では断じてありません。

ただ、ともかく私には役をやる余裕がなかった。

日中仕事毎日仕事して帰ってきて生活をまわすのが精いっぱいで、休日もぐったりしていました。

それから5年生まではずっとそんな感じで過ぎました。

6年生になる前の冬、まず子供会の役決めがありました。

なぜか勝手に役に選ばれていました。

夏休み中に子供会の行事企画するそうです。

あと、資源ごみ回収のための市役所への手続きをしたり、通帳を管理するとか。

平日は無理です。

窓口の開いている時間市役所農協金融機関支店にはとても行けません。

私がその役になったら夏休み企画しません。企画はなしで終わるでしょう。

そもそも前任者も忙しいお母さんで、役決めの集まりの連絡ができず、私はその場にいないので勝手に決まっていたそうです。

そのことにも納得できず、引き受けられないと伝えつづけ、その間に不快なやり取りがいくつかあり。

結果、見かねた別のお母さんが役を引き受けてくれました。

そうです。

やれる人、やりたい人がやればいいじゃないですか?

やれる人、やりたい人がいないなら、無理に活動する必要ありますか?

その間に私も相当嫌な思いをしました。

他人に望まず嫌な思いをさせてしまっていることもストレスでした。

何のために?

たか役員のために。

そのことで気づきました。

今まで忙しかったのと、よくわかっていなかったのですが、

このままじゃPTA役員も確実に押しつけられると。

本当にできないんです。

この間、ものすごく悩んで追いつめられて、段々鬱っぽくなっていたように思います

子供のことでこんな苦しい思いをするんだったら、子供と一緒に心中する!とまで思い詰めていました。

でもある日ふと思いつきました。

じゃあ、抜ければいいじゃない。

退会すれば役員はまわってきません。

さすがのPTAも、退会した人に役員やらせないでしょう。

こんなに子供のことで思い詰めて嫌な思いをするくらいなら、抜けてやる。

ただしそれは、ほかのお母さんに白い目でみられることと引き換えです。

それでもいい、と思いました。

どうせ生活のために働きづめで、ほかのお母さん方と交流する機会もありません。

学校行事にもロクに行けていませんでした。

元々誰かとつるむことがなかったので、抜けやすかったのかもしれません。

PTAを退会するまで

さて、抜けるときめたはいいけれど、その方法がまったくわかりませんでした。

ネットでの経験談を読むと、校長?とPTA会長?に退会届を出すとか。

退会届の見本もネットに載っていました。

でも、そもそもPTA会長の連絡先がわかりません。

そこで連絡帳で担任先生質問しました。

PTAを退会したいのですが、どちらに退会届を出せばいいでしょうか」

するとまず、校長先生からPTA会長お話したいと言っている」旨の返事が来ました。

聞いてはいたけど、「退会したい」と言ったらまず、

「まあまあお母さん、まずはお話しましょうよ」

と説得して退会を防ぐ腹積もりらしいです。

しかも、電話で。

平日がダメなら休みの日にでも。

かいうんです。

いや、平日はもちろん無理だし、休みの日は休みの日で忙しい。

何よりも休みの日にそんな不愉快電話を受けたくありませんよ。

こっちは話すことはないし、そちらの都合でかけてくるのに。

すでに退会することは決めました。

話し合うことはなにもないんです。

私はただ、どこに退会届を出せばいいのか知りたいだけなのに、それに対する返事はありません。

退会する人、電話は避けましょうね!

特に気の弱い人、遠慮がちな人は、直接話すと丸めまれたり、けむに巻かれたりしますよ。

私は連絡帳にて、

平日は仕事中だし、休日も都合が悪いので、文書にしてくださいと伝えました。

少しして校長先生からパソコン作成した文書が届きました。

内容はPTA活動の意義を説くもので、

「できる人ができることをできるときにやればいい」ものだという、呆れたことが書いてありました。

もし本当にPTA役員が、

「できる人が、できることを、できるときに」

やることになっていたら、私は退会しなくて済むわけです。

でも現実にそうなっていないから、私は苦しんだし退会することになった。

現実は、

「できない人が、できないときやらせれている」

だけじゃありませんか。

多くの保護者が、PTA役員のことで苦しんでいる。

特に母親が。

この母親がっていうのがポイントだと思います

最近父親保護者会に参加したり親父の会とか作って子育て積極的コミットしていますが、それでもPTA役員にまでなって活動する父親は、やはり圧倒的に少数派です。

なぜか。

そんなこと明らかじゃありませんか。

父親一家の稼ぎ頭として、日中会社で働いているからですよね。

父親役員やる人は自営業とかで、妻より時間の融通がつく人だったりします。

無理もありません。

別に父親育児に関心ないとか、家庭にコミットしないとか思わない。

家庭内分業として、父親が主たる働き手として生活費を稼ぎ、子育ての子供の面倒を見るためにも母親が家のことを行いつつ、パートに就いたりするのは、家族内の協力体制自然なことだと思います

単に家庭内母親の方が時間的に融通がきくからPTA活動をになっているのではないでしょうか。

現実問題父親PTA活動を担えないんです。

そして私の場合、私が生活費のため日中仕事に出て、家にいる間は家庭をまわす主婦になっているわけです。

到底自慢なんかじゃありませんよ。

大変さアピールでもありません。

ただそういう実態であるというだけです。

働く父親にがPTA役員をやれないなら、私も同じ理由でやれないんです。

なんせ、朝出勤してから往復通勤時間を含めて12時間程度は家に帰ってこないんですよ。

有給休暇もあるけど、顧客都合で休めない日もあるし、休んだらその分休日出勤しないといけない仕事量でしたし。

何よりも仕事責任を果たせないのが恐怖で、ずっと綱渡りでした。

ふざけんな!ですよ。

この校長先生は、そういう母親現実をわかっていないと思いました。

そこで手紙に対する返事をこちらは便箋縦書き手書きしました。

そこは私も大人なので、表面的には平身低頭に書きました。

何も私は対立したいのではなく、ただ退会したいだけなので、退会という目的さえ果たせばあとはどうでもよいわけです。

返事には、

PTAの意義はよくわかりました。活動に協力できず大変心苦しく思っています。」

というようなことを書きました。

会費を出し渋ってると思われるのが悔しかったので、PTAには入らないけれど、

「会費相当額を学校寄付させていただく」とまで申し出て、後日実際に寄付しました。

そして校長先生コネクションが開通したのをいいことに、

この際、校長先生PTA会長宛の退会届を添えてさっさと連絡帳にたくしました。

さらに、退会届には、退会が認められたのか確認たかったので、

「年度内に退会したこと承諾書類をください」と書き添えました。

それで終わりです。

退会届に対する返事は来ませんでした。

子供が6年生に進学しても、誰も何も言ってきませんでした。

そして。

新学期に入って、学費給食費の引き落とし時期になり、通帳を確認したところ。

どういうわけか、PTA会費が一緒に引き落とされていました!

退会してないの?

かに退会届を出したのに??

まさか校長先生が握りつぶした???

酷いですね…。

そもそも自分が退会できたのかすら不明でした。

から承諾書類をくれと言ったのに無視です。

再び連絡帳の出番です。

すると。

ほどなくして昼休み時間に、電話が来ました。

校長先生からです。

この校長先生は、退会届を出した校長先生とは別の人で、当時の校長は異動したので、電話が来たのは別の校長先生です。

この先生はとてもよい人でした。

私が連絡帳に書いた要件について、「確かに退会している。会費は返金する」と、ちゃんと回答してくれました。

それでもちょっとだけ、願望めいた恨み節をひと言言われました。

引き続き子供活動に協力してね、みたいな。

私には言いたいことがたくさんありました。

そもそもPTA活動がどんなに忙しい保護者(主に母親)を苦しめて、母親同士の分断まで生み出しているか

現に私は苦しんだし、まわりの保護者から総スカンですよ。

子供会の役員ですら、そのとき役員だった人からは夜中の1時にメールが来たりしていました。

本当にそんな時間しか送れない程忙しかったんだと思います

そんな人が役をやらなくちゃいけない状態を知っていますか?と逆に聞きたかった。

でも会社内だったので大っぴらにしゃべれなくて、言いたいことの半分も言えませんでした。

お礼だけ言って電話を切りました。

以上が私の退会経験です。

PTA退会その後のこと

これ以降、PTAは決定的に私にとって「近づかない方がいい」ものとなり、

中学校でははじめから非加入届を入学時に提出しました。

高校でも、入学説明会前にPTA名簿用に情報を提出する用紙があったので、

それに換えて非加入届を提出しました。

中学ときはきっと小学校から連絡が行っていたせいか特に咎められませんでしたが、高校では加入勧奨されました。

入学説明会に行き受付をしたら、子供名前の横に●が。

すでに嫌な予感。

まあ何かあるかもとは思ってたけど。

そして案の定「あ、ちょっとお母さんすみませんお話しが…」と教頭先生が登場。

何てのたまったと思います

「役はやらなくていいから、会費だけ払ってくれれば…」

これ本当に言われました。

わず聞き返してしまいました。

「それって入会してるってことですよね?」って。

何よりもまず、そんな不公平なことをしたら、ほかの真面目に加入してくじ引きで当たって役をやる会員に失礼じゃないですか!?

役をやらなくていいなら、多くの人がやりたくないでしょう。

そもそも入りたくないという意見はおいておく…)

ただ入会した以上、システム的にくじ引きで当たったら3年間役をやるようです。

これに納得できる人だけが本来入会すべきなのです。

役に当たって「嫌だ、やりたくない」と思う人は、どうぞ退会してください。

しろ、退会すべきですよ。

※なぜこれほどまでに退会者を引き留めるのか。

私はよく知りませんが、なんか会員1人につき、上から降りてくるお金があるような?

PTA保険とかも関係しているのか?

あと地区とか上位組織に加入者を減らさないようなプレッシャーがあるらしいですね?

からもれなく無条件加入させることに校長やら教頭はこだわるようです。

そんなことのために苦しむのがアホらしいですよ…。

最後

私はPTA不要論者ではありませんが、PTA活動はあまりにも時代と合っていないことは確かです。

私が声を大にしていいたいのは、

もう母親無償労働をアテにしないでいただきたい!

ということです。

シングルマザーに限らず、共働きだったら毎日生活をまわすのに精一杯だと思います

別に外で働いてない人でも、パートの人でも、フルタイム労働者より時間の融通をつけやすいだけで、忙しいことは変わらないと思います

だって理由があって専業主婦だったりパート労働者なんでしょうし。

子供が小さくて送り迎えがあるとか、障害を持ってて世話が大変とか、それぞれの家庭の都合が色々あるでしょう。

朝の登校の旗振りをしたときペアとなったお母さんは、赤ちゃんを家に置いてきたと言っていました。

早く帰ってね、と言ったんですけど、そもそもそういう理由があるなら無理にやらなくてよいではありませんか?

色々なことが事実上強制になっているわけです。

大勢で動くから意見は言いづらいし役も断りづらい。

でも、小さな赤ちゃんを独りにしてまで、優先させる活動なのか?

あともっというと、

そもそも仕事や家庭の都合とか理由がなくちゃ断れないんですか?

単にやりたくないから、でもいいじゃないですか。

だって任意で入会する組織ですよ?

自分は向いてないとか好きじゃないとか、そういう人もいるじゃないですか。

やりたくないなら参加しなくてもOKはいけないんですか?

この日記批判的な人もいると思います

特に自分は大変な思いで役をやったのに!」という人は批判的だと思います

だって、大変な役員がまわってきたけど我慢して引き受けたのに、って。

でもそのことと私のしたこと、関係あります

役員がまわってきたとき我慢して引き受けるって決めたのはあなたじゃありませんか?

やりたくないと思った、あるいはどうしても引き受けられなかったなら、私のように退会すればよかったんですよ。

自分がやったから、やれたからって、できない人、やらない人を批判しないでください。

PTAのこともそうだけど、様々な家庭がある。

これ以上、色々比較して分断するのは、お互いにとってよくないです。

ともかく、PTA活動は、現実問題「できる人ができることをできるときにやって」いないです。

あの年配の校長先生は、女性の忙しさをなめてると思います

どうせ奥さん専業主婦だった年代だし、

自分家族朝ごはん作って食べて片付けてトイレ掃除してお米研いで炊飯器にセットしてから出勤したり、

退勤したらスーパーによって夕食の食材を買って、帰宅してご飯作って食べさせて片付けて洗濯して干して、

寝るまで子供の面倒をみる生活したことないでしょうね。皮肉ですが。

これでいいたいことは全部ぶちまけた。

なぜ今、こんな駄文を書くことを思い立ったかというと、

そろそろ役員決めの時期なんでないかと、

私のように苦しんでいる人がいるのではないか心配するからです。

せめて、PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人が1人でも減りますように。

PTAに加入しないでください。

入っていたら退会してください。

PTAの加入は本来任意です。

2022-10-05

anond:20221003172725

ガチで言うと、下記の3点セットをおすすめする。

①お礼の言葉をしたためた便箋封筒(カッコイイ=儀礼様のやつ)

②友人が好きな消えもの5個(酒とかお菓子とかツマミとか…)

奥さんへのカタログギフトプレゼント

人間、なんだかんだで口頭よりも形に残した方が記憶に残る。それは手元に残ったアイテムを見て、元増田との思い出を反芻することで記憶が強化されるからだ。

1枚でも良いし、10枚の長編でもよい。出来る限り綺麗な字で、実筆署名入りで書くとよい。もちろんおしゃんな封筒に入れて、可能なら封蝋印も出来ればより丁寧だ。

そして記憶五感によってより強固となるため、友達が好きな買い物を種類豊富に山ほど届けろ。物でもいいが、相手の好みで好き嫌いが明確に分かれることとも場所を取るのはよくない。消えものが良い。

イメージがつかないなら、デパートで全国各地の名産(贈答用)を肉、海産、菓子をそれぞれデカいの一箱ずつ買ってみろ。友達の家に着いたときにきっとその感謝の大きさに驚きをもって迎えられるだろう。こんなに大切に思われていたのかと…個人でこんなに感謝したりお祝いするひとはいいからな(笑)迷惑にならないように、もちろん友達奥さんに事前に連絡入れてくれよな。

そして大切なひとを大事にしてくれることは嬉しいことだ。友達は大切な嫁を大事に思ってくれて嬉しい。嫁は夫の友人(という女性にとって怖い外戚的な人物)から親交の礼儀を受けて嬉しい。おまいも喜んで貰って嬉しい…の、三方良し

女性はそのときどきに必要とするものが、男よりシビア判別される。お菓子だって適当に高級なものを買えば良いわけじゃない、だから選んでもらえるカタログギフトだ。これもデパートいけば売ってるし、ネットももちろんいろいろ検索出来る。

友達にお礼をしたいなんて、元増田は最高だな!!!

君らの友情永遠たれ!元増田も、元増田友達もその奥さんも、みんなが幸せであることを願ってるぜ!!

2022-09-18

絶縁したDV父が共同親権支持者になっていた

題名の通り。

SNSもやらないし、身近に相談できる人もいないので自分気持ちを吐き出しておく。

経緯

6,7年前、母と小学生の弟と私は「昼逃げ」を決行した。

父が仕事に出かけた後、荷物を大急ぎでまとめて家から出て行ったのだ。

父にバレないように入念に準備をしていたが、その日は恐怖で震えていたのを覚えている。

父は暴力暴言、脅しや経済力家族支配していた。

私は理由も覚えていないようなことで何度も部屋の隅で殴られ蹴られ引きずられ続けたし、

小さい弟は強制的に始めさせられたスポーツをズタズタになりながら毎日時間練習させられていた。

母は専業主婦として家に閉じ込められていて父の奴隷だった。

機嫌が悪いと新聞が日付順に並んでいないだけで熱湯をかけられるのだから

毎日地雷原で生活しているようなものだった。

それでもなぜか父親は外面がよく、私がこのことを担任相談しても何も起こらなかった。

(当時は児相なんてものは知らず、担任が信頼できる唯一の大人だった。)

児相が来なかったのは教師通報しなかったからなのか、児相大丈夫だと判断されたのか、今でもわからない)

そしてこの辺りは複雑なので省略するが、ある時意思のない奴隷状態だった母が目を覚まし、父を置いて逃げることとなった。

父は逃げたことに怒り狂い探し出そうとするに違いないと家族皆思っていたが、

弁護士を通した父の姿は落ち込み反省をしている様子だった。離婚もすんなりと終わった。

そこから数年間は父親から手紙が年に数回届くのを読むだけという交流が続いていた。

その手紙も俗にいうロミオメールのようなものだったので返事も出さず放置していた。

その時は父への恨みや怒りの感情も薄れ、だんだん憐れむような気持ちにもなっていた。

共同親権

そしてここからは今年の話になるが、初めて私から父にコンタクトを取った。

この先の人生父が後悔し続けると思うと可哀想に思えたので、軽く近況を書いた返事を数年越しに書いた。

想像し難いかもしれないが、ひどい目に合わされても父に対しては愛に近い感情がある。

虐待されても子供は親を愛していて親からの愛を求めてしまうのかもしれない。度し難い。)

手紙を書きながら、今ならい関係が気づけるかもしれないと思った。

からの返事はすぐ届いた。便箋には、

母親にそそのかされただけだとわかっている」

「すぐに救う」

「奪われてしまって申し訳ない」

「また一緒に暮らそう」

と何枚にもわたって高いテンションで書かれていた。

「これも一度読んでみてください」と

共同親権を推進する弁護士ブログコピーも同封されていた。

手紙の続きには、当事者として子供を奪われた親の支援をしていると書かれていた。


自分暴力によって妻と子供に逃げられた」事実が受け入れられなかったのだろうか。

母を悪者にして自分正当化することが、本当に何年も反省した結果なのだろうか。

今までずっと恐れてきたはずの父の愚かな姿に心から幻滅してしまった。

あなた暮らしていた頃よりも今の方がよっぽど幸せです」

みたいな返信を送ろうかと思ったが送らなかった。

その後も何通か届いたが読まずに捨てた。



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共同親権の是非はわからないが、自分父親みたいなのがいる限りは別の方法を試すべきだと思う。

本当に引き離されてしまった事例があるのは悩ましいが、

Twitter検索した時に自分の父に重なるアカウントがいくつもあり吐き気がした。

全員じゃないんだろうけどね。

あと、

DVに怯えている人がいればすぐに子供と逃げてほしい。

母が逃げてくれなかったらとっくに生きていないと思う。

ぐっちゃぐちゃな文章で恥ずかしいが読んでくれた人が一人でもいれば嬉しい。

2022-08-27

漫画家やっててもらった手紙

サインください(返信用はがき付き) めちゃくちゃ達筆な自称小学生。到底子供が読む作品じゃないので転売目的だと思う。売れないと思う。

・新キャラ案を作ったので漫画に出して下さい これは他作家さんもよくもらうらしい。メアリースー的なもの。とにかく最強。誰も勝てないキャラ

・〇〇(キャラ)の声を私にやらせて下さい

ドラマCG化の際に来た。履歴書付き。3人くらいから来た。

どの人も「事務所の力で役をもらうのは卑怯、私の方が作品思い入れがある」と仰るが

事務所に入るなどの努力もせず作者に直談判してくる方が卑怯だと思う。

結婚して下さい(1) 「もう行き遅れの年齢だろうしもらってあげてもいいですよwwww」とか言う。中性的PNだけどおじさんなんだ。

結婚して下さい(2) 「無職病気で何もできないけど俺のすべてを受け取ってくれますよね?」とか言う。そういうとこ。

結婚して下さい(3) 紙で作った指輪入れてくる。そういう所ケチから結婚できないんだぞ。おじさん独身だけど。1~3は全員別人。何か知らんが求婚は多い。

・俺とお前は幼なじみ前世から以下略 全部赤い文字漢字フリガナ振ってるのが怖い。

・お札(おふだ) 勘弁して下さい。おさつがいいです。やっぱおさつも怖いからいいです。

・これから世界を救いに行くので〇〇(キャラ)に力を貸してくれるよう伝えて下さい(待ち合わせ場所と日時付) バトルマンガじゃないのでちょっと荷が重いって言ってました。

・〇〇(キャラ)にあげて下さい(18禁エロ小説 同人とかでなく別作家の別作品。どういう心理なのか伺いたい。

毎日便箋五枚くらいの日記を送ってくる 一年くらい続いた。ブログに書いて。

・某有名作家の「アシスタントから作品へのありがたい批評 雑誌のページに赤ペン添削入り。なんだこいつ。

・↑そしてコミックス全巻も一緒に送ってきて「全冊にサインして送り返して下さい^^」とか書いてる。なんだこいつ。自称でありますように。

・別作家宛のファンレター 編集部に言ったら「破棄していいですよ」 いいわけあるか!と思ったけどちらっと見たらヤバイ内容だったので破棄した。



普通ファンレターほとんど来ない。数も少ないので数年に一回転送してもらっている。

少年誌じゃないとファンレターなんてこんなもんですよ」って言われるけど本当にこんなもんなんですかね?


普通ファンレターツイッターリプライ作家認知されたい自己顕示欲が強い人が多くてしんどい事がある

そういう人に限ってすぐにファン辞める(力不足なのは重々承知として)

黙々と買って応援してくれる読者様には本当に感謝

2022-07-14

創価中学創価高校の思い出

自分典型的学会2世で、2000年代前半に創価中学創価高校(創価学園)に通っていた。

最近よくあの頃のことを思い出すので適当に書く。

いかんせん20年近く前のことなので中学高校混同してたり不正確かもしれないけど許して。

受験

地元の5歳ほど上の代に創価中学合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。

そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ

受験

前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry

当日は携帯本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。

お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。

通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。

俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。

入学式

創価学園だからといって必ずしも池ちゃん接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。

普段は会館で見る衛星放送映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。

うちもカーチャンテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。

ちなみに俺の在校中に池ちゃん入学式卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。

あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。

かっぱえびせん

入学式卒業式ほどじゃない節目イベントときに池ちゃんからメッセージ差し入れが届くことがあった。

終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。

コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。

何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。

かっぱえびせん感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。

唱題部屋

創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。

校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室本尊があった。

体育会系メインストリームなひとたち(サッカー部野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。

かに生徒会とかの意識の高い優等生自発的に空き時間に唱題しに来てた。

ちょっと記憶あいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズド場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。

休み時間サッカー

創価学会とあまり関係ないが印象深い思い出がひとつある。

小学生のころ休み時間サッカーをするのが好きだった。地域サッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。

中学入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。

当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通思春期10代だった。それまで接した創価学会大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこ学校に進んだ意味ないじゃんと思った。

唱歌

創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。

休み中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。

唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。

1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixOriginal Mixみたいな。

いわく5番が一番大事だそうで、5番だけがちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?

これを書きながらググった歌詞見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間記憶すごい。

ちゃんネーム

創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃん子供名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。

ちゃんネーム割合結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。

創価大学への推薦

中学卒業してエスカレーター高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。

確か条件が5段階評価の平均と、欠席・遅刻日数だったかな。

成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったか10回まで、みたいな感じだった。

自分創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。

成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。

体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。

ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者サッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。

総合的な学習と池ちゃんスピーチ

創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日会合で池ちゃんスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。

総合学習みたいな時間にはその聖教新聞クラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんときと同じようにA5の便箋感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry

ちゃんスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)

「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチ定番のやり取りで、勉強しろって説法をするとき引用しか言えないのかこの人、と常に思っていた。

他には「戦争悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめ人間100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法理論言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。

「いついつの会合スピーチめっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。

哲学者の道

創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。

中学ロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかに学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報全然出てこない。

最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道

ちなみに近隣の武蔵野美術大学白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。

白梅学園バス停前後創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議朝鮮大学校に関する記憶がない。

終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学学祭に遊びに行ったのは楽しかった。

VIPスレ立て

悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレググる結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレ元祖だと思う。

校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。

生徒や先生たちの宗教観

基本的には学会二世しかいないので、典型的創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。

一方俺はネットde真実ゴリゴリにこじらせていたので、普段からちゃん創価学会懐疑的スタンス公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。

ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。

なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生いたことが印象的。

一方で先生頑迷な人が多かったように思う。一度英語先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん

現代文のH先生

基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。

やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。

ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。

あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。

スクールカースト

平等平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカースト存在していた。

今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。

ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー雰囲気があった。

不祥事

不祥事っぽい出来事もあった。

世は前略プロフィール全盛期、同級生メジャー勢の女子前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティー写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。

停学になったメジャー女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売世界に入ったり、様々なよう。

疲れたのでこのへんで。またなにか記憶の扉が開いたら書く。

追記

履歴書学歴呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。

転職もしつつ順当にキャリア年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。

2022-05-20

anond:20220520185438

元増田のことを、前に「悪事をはたらく人間が悪いのではなく、悪事に駆り立てた状況が悪い」って感じの思想について語っていた増田と同一人物だとみなして、以下を記す。

私がこれらの増田から感じとったのは、元増田はおそらく"日常的に被害者意識を感じる環境にいる"ということ。

社畜なのか、家庭内不和なのか、恋人友人が居ないのか、同人活動による承認欲求を満足に満たせていないのか…具体的にどんな環境なのかは不明だが、所属している社会環境に不満があるんだろうなと感じた。

特に"自分思想が正当に評価されていない"という不満を強く感じる。

>> 見つけてほしくて書いてるわけじゃなくて <<

元増田はこう書いてるけど、"誰かに聞いてもらえないと消化できない感情"てのはあると思うから、それを発散したくて増田に書いているんじゃないかmessage in a bottleみたいな感覚で。

でもな、増田は小瓶の中の便箋じゃないんだよ。書いた文章は即座に全世界に晒されるだけじゃなく、自動的タグが挿入され他の増田に紐付けされる。

増田は"見つけてもらいやすい"ブログサービスなんだよ。元増田もご存知だろ?

>> 特定個人否定的なこというと火矢が飛んでくるって相当グロいよね <<

なぁ、元増田よ冷静になってくれ。

"否定的なことをいう"っていうのは、"火矢を飛ばす"のと何が違うんだ? どちらも同じ意味なんじゃないのか?

"火矢が飛んでくるグロさ"を元増田が知っているのなら、"否定的なことをいう" "否定的なことをいわれる"のも、どういうことなのか知っているんじゃないのか?

元増田は、自分発言は誰にも届いていないと認識しているのかもしれないが、インターネット上に載せる以上、誰かに見られていると思わないといけないんだ。

そして、元増田発言を見た人がどんなことを感じるのか、それを想像して言葉を選ばないといけないんだよ。

元増田同人作家らしいから、"見た人がどんなことを感じるのか想像すること"には慣れてるはずだろ?

絵が上手い人たちは、自分が描きたいもの表現するために練習を重ねているが、"描きたいもの"というのは"見た人が◯◯だと感じるもの"と究極的には同じだと思うんだ。

自分表現に対して、他人がどう感じるのか。これはトライアンドエラーで学んでいくしかないと思う。

元増田は「自分に悪意はない」と認識しているが、今回は元増田表現から悪意を感じる人が出てしまった。元増田はびっくりしたんじゃないか曲解されたと感じたんじゃないか

ここで"人によって感じ方は違う"と投げ出してはいけないんだよ。少なくとも、法治国家所属しているうちは、そのコミュニティーで通じる表現法則を身につけておく必要があるんだ。じゃないと誤解ばかりされて、誰もハッピーになれない。

とてもしんどいことだが、トライアンドエラーを重ねて、自分思想他人に正確に伝える力を身につけなきゃいけない。

そのためには、様々なバックグラウンドを持った人々と、なるべくたくさん交流した方がいい。

きっと小説マンガドラマ映画なども、参考になるだろう。

なぁ、元増田よ。どうか自暴自棄にならないでくれ。

悪気はなかったのに他人を傷つけてしまたことなんて、誰にだって経験はあるんだ。そのことに気付いていない人もいるだろうけどね。

ただ、悪気はなかったとしても、傷ついた人のその傷は消えてしまうことはないんだ。どうにかして癒す必要があるんだよ。悪気はなかったのならさ、傷ついた人にも寄り添えるんじゃないか

いや、悪意なく傷つけてしまった相手に寄り添おうとする姿勢こそが、悪意のなかったことを一番証明するのだと思う。

元増田は、きっと正義感が強く、弱い者に寄り添おうとする優しさも持っていて、それゆえに日常的に所属環境への理不尽さに疲弊していたんじゃないかと思う。だから、どうか自暴自棄にならず、理想自分になることを諦めないでくれ。

表現を磨くのはトライアンドエラーの繰り返しなんだ。きっと明日元増田は、今日元増田よりももっと表現力を身につけた元増田になれるはずだから

がんばれ!

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