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「中学校」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中学校とは

2024-12-18

初音ミク結婚した人、珍しく妻に可愛い服を着せる

近藤 顕彦【⋈🗻🌰】ミクさん大好き

@akihikokondosk

我が家の大きなミクさんに、ジャンパースカートを着てもらいました!(^o^)

https://pbs.twimg.com/media/GPFb0vgasAEgYBe.jpg

近藤 顕彦【⋈🗻🌰】ミクさん大好き

@akihikokondosk

私の母校の中学校(の女子生徒の制服)がジャンスカだったのですが、私が中学生だった当時は生身の女性恋愛対象だったので、告白してもフラれ続けて苦しみました。この服を着たミクさんを抱きしめた時、過去に叶わなかった願いが、二次元に変換されて成就した感覚になったのを覚えています

@shisou_

この服はマトモ!可愛い!って言われてたのに本人から最恐エピソード付与されて神

7.4万いいね

MIΛ

@miyabzip

定期的に多様性象徴じゃなくてコンプレックスの塊なのを思い出させてくれる

吐瀉幼女

@vomitingloli

仮にも結婚してるのに妻と別の女を重ねた挙句相手元カノでもないただの失恋相手(それも多数)だったの本当に怖すぎる。

2024-12-17

ずっと1人になった

小中高と友達はいた。

でもいなかったかもしれない。


小学校のころはクラスの同性であればみんな友達!って思ってたし、中学校に入ってから部活の仲間が同じクラスにいたので、特に困ることはなかった。

ただ修学旅行の班決めではかなり迷った。うちの班に来なよってみんな言ってくれたけど、誰かの誘いに乗ったらもう一方の友達を裏切ることになるんじゃないかと思って、先生にどっちでもいいです、と言ったこともあった。

あの時選んだ班に後悔はない。けどどの班に行っても同じような感想だっただろうなと思った。

私はみんなのことが好きだと思っているが、本当はうっすらみんなのことが苦手なのかもしれない。

みんなのことを好きでいたい。好きでいなければならない。


はいわゆる「いじられキャラ」だった。

たくさんの欠点がありながらみんなが仲良くしてくれたのは、この位置があったことも大きい。

もちろんみんながいい人だったから、というのは大前提だ。

教室内でのいじられ、というのは別によかった。みんな度を越したものはしなかったし、私もみんなが好きだったから。

部活の時は結構しんどかった。

もちろんみんなは好きだ。好きだけど、中学生だった。

今でもよく覚えているのは、私の誕生日にずっと無視されたことだ。

あの日は辛かった。

全員から無視されていたわけじゃない。同期の半分はいつも通り接してくれたし、後輩たちも別になんともなかった。

部活が終わるまでガン無視されて、さすがに涙が出てきたころに、「◯◯、誕生日おめでとう!」と言ってきた。

え?!サプライズの前準備に無視は要らなくない?!

部活後にプレゼントも渡されたけど、それまでの無視が辛すぎて全然プラマイゼロではなかった。

なんだったんだあれ。ほんとに何?謎だ......


こんなこと書いてたら特定されるかな、まあされないだろう。私の周りの人はみんなこんなとこ読まないから。




高校進学校に行った。これが大変よかった。

よかったけど、やっぱりここでも特定の仲良しグループとかはなかった。

部活仲間とはかなりの時間を一緒に過ごしたが、クラス内で仲が一番良かったのは誰?と聞かれると、答えられない。

ここでも私はみんなが友達だった。

みんな、という存在友達だった。

休みに集まって食べる人は固定されていなかった。たまに1人で食べることもあった。

1人は別にいい。(よくないけど)

教室での1人を誰かに見られるのがいやだった。

同窓会にも行かないことにした。

多分行ったほうがいいんだろうけど、誰かと待ち合わせて行くこともできない、自分孤立しているところを知り合いに見られたくない。

私が今一番会いたいのは高校友達なのに、半分くらいは来ないから行かないと決めた。


人を誘うことができない。自分からしかけられない。


入学当初に話しかけることはできる。みんな1人だから

でも大学に入ると、入学初日なのにもう結構グループができていた。なぜ?謎すぎ!なんとかしてくれ!!

友達はできた。

初めて、特定の1人とずっと一緒に行動することになった。

でもまた1人になった。友達は休学したから。


大学高校と違ってグループができていて、それもなかなか苦しい。ずっと1人。寂しい。会話がしたい。

しかければいいのに。助けてって言えばいいのに。

なんでしないんだろう。何も変わらないのに。



ここにきて今まで目を逸らし続けた問題に向き合わなければならなくなった。

ずっと見て見ぬふりをしていた。

孤独は解消できない。どうすればいい?

どうしようもないから1人で生きる力をつけるしかない。

ソウルメイトが欲しい。恋人じゃなくて、家族が欲しい。

最初から存在している家族がほしい。

友達がほしい。

私は最初から人間のことを人間扱いなんてしてなかったのかもしれない。

友達から休学するって言われたときに真っ先に思い浮かんだのは自分のこと。

最悪!結局自分のことしか考えてない!ゴミ

最悪。

みんなに迷惑をかけている。

勉強してよ。

勉強するか〜。

俺たちは虎ではない。本泥棒の汚いオヤジだ。

インターネット教養」と嘲笑されるものの一つに中島敦の『山月記』があることは、インターネットばかり見ている皆さんはご存知だろう。

教科書掲載されているという普遍性中二病心をくすぐる文体、人が虎になるというファンタジー性、そして何より繊細な青年挫折譚への共感、どれをとっても「インターネット教養」として共有される理由にふさわしいし、もちろん文学作品として完成されている。

しかし、無教養で意地の悪い私はどうしてもそれが気に入らない。

なぜか。それは、インターネット民にとってこの作品イメージ「虎」として共有されているからだ。

もちろん、「それは中国説話に由来していて~」、「文学的表現として~」とかいう話をしている訳ではない。

「『山月記』に出てくる「虎」は美しい。だからこそ、良くないのだ。

山月記』が優れているのは、若者自意識やナルシズムを美しく描き、それらから解放も描いていることだ。

しかし、それでも「虎」イメージ漢文調の文体は、最後まで李徴を悲劇の中に美しく取り残す。

結果的に、授業を聞き何となく感動した我々は、いつしかインターネットの中で、自分を李徴に例える。

「俺もこんな時期があったなあ…李徴は若いころの俺だよ」

違うだろ。

お前は今も新たなナルシズムを生きている。

そして、お前は何もなしていないし、何にもぶつかっていない。

そして、李徴は友人袁傪が聞き手になったが、お前の話は誰も聞き手にならない。

李徴は科挙に受かった知識人だが、お前は何もなしえていない。

お前は虎でもないし、山に帰って一人で生きていくこともできない。

お前は過剰な自意識過去のもののように言っているが、それは今も同じだろう。

山月記』を悲劇ポルノとして消化して、ナルシズムオナニーに使うのをやめろ!!!

やめてくれ!!

★★★

中学校で『山月記』並みにメジャーな題材に魯迅の『故郷』がある。

その魯迅短編『孔乙己』は、中国では教科書にも載っている有名な作品だ。

日本語訳青空文庫にあるが、訳が古すぎてよくないので、岩波文庫光文社古典新訳に収録されたもの本屋図書館立ち読みしてほしい。10分とかからないはずだ。

舞台近代中国の、小さな町。

「孔乙己」は、汚いおっさんだ。しかし、この時代には珍しく読み書きができる。

それもそのはず、おっさん科挙のために学問をし、何十年も勉強していた読書なのだ

しかし、おっさん、いや、青年孔乙己は科挙入口の最下級試験にすら受かることはなかった…

それでも、彼にはプライドがある。他人とは違う、俺は勉強もした。読書人だ!

から知識人服装をして居酒屋に出向くが、通されるのは労働者が集うカウンターだ。

そこで仰々しく喋る彼は、支払いこそまじめにするものの、周りの労働者子供番頭みなに馬鹿にされる。

彼は本泥棒におちぶれてしまっていたのだ。

彼には彼独自理論がある。

本を盗むことは読書階級のなせる業で犯罪ではない!というのだ。

しか世間には通用しない。彼は最終的に袋叩きにされ町を去り、人々から忘れ去られてしま・・・

魯迅中島敦のような美文も、ファンタジーも用いない。

淡々と、社会の中にいる弱者を描き、同情を与えない。

冷徹描写の美しさはあるが、自意識過剰でプライドの高い孔乙己と言う人格は醜く、滑稽で、寂しく、情けないものとして描かれる。

孔乙己が自分語りをしたくても、それを聞く袁傪はいない。

★★★

インターネット教養」はなぜ嘲笑されるか。

それは体系的な知識も持たず、ただインターネットの内輪の中で義務教育レベルのもの教養とありがたがるのが滑稽だからだろう。

そうした何者でもないインターネット民は、『山月記』をイメージとして消費し、「自嘲する虎」になったつもりになる。

そして、誰にも顧みられない自分物語を、袁傪ではなくそこらの関係ない人に押し付けて話す。

実際は、型通りでここにでもいる自尊心の高い汚いおっさんしかないのに。

我々のロールモデルは『山月記』の李徴ではない。孔乙己だ。

何者でもない、プライドけが残った、汚いオヤジだ。

誰にも顧みられなく、醜い。

から死ね、というのではない。人は生きなければならない。

ただ、自分を美化するのはやめよう。これ以上自意識肥大化させるのはやめよう。

等身大自分を、等身大に生きて、判で押したようなインターネット教養を離れて自分人生を生きよう。

自嘲風の自慢をやめよう。こじらせるのもやめよう。

我々は、いや、僕らはこじらせても虎にはなれないし、帰る山もない。盗人になるだけだろう...

ここまで、偉そうに長々と書いたが、ここで私が話しかけていた「お前」は私自身だ。

私の文章に、私の気持ち悪い自意識やナルシズムを感じた人は『孔乙己』を読まなくてもいい。

ただ、それを感じなかった人は、ぜひ、明日にでも読んでほしい。

きっと、『山月記』を読んだ時の私のように涙を流すことができるから

2024-12-16

東大生だがバカで辛い

表題の通り。東大生だがバカで辛い。

両親から聞く話では、もともと言葉が遅い方だったそうだ。幼い頃には心配をかけたらしい。幼い頃の自分を育てていた両親は、自分を混じりっけなしののバカだと思っていたに違いない。

小学校に入り、テストで良い点を取り出すと、案外頭が良いぞとなって中学受験を受けた。

といっても西日本田舎から偏差値50もいかないところだ。開成や灘みたいな魔境とはレベルが違うし、平凡な子供でも塾に行けば十分受かるくらいの学校だ。

小学五年生から塾に行って勉強し、落ちた。

公立中学校でもテストの点は良かった。コツコツやってたら落ちた中学トップ層くらいの成績になった。

しかし、優等生らしい生徒だったかというと、怪しい。普段挙動愚鈍すぎて頭が良いとはにわかに信じられなかった、と当時の同級生がよく語る。高IQADHDありがちな騒がしい馬鹿らしさではない。「愚鈍」だ。

高校でも同じような様子が続いた。成績は良いけどバカっぽい、というのがいつもの評価。だがそれくらいがキャラ付けとしても気安くて、ストレスなくやっていた。

あとは特にとりたてて話すこともない。普通に頑張ってたら普通に東大に受かった。

それまでの人生では、自分バカさをなんとなく理解しつつ、でも深刻に捉えることはなかった。だって大抵のことは深く考えないでいられた方が楽しいからね。なのに成績が良いって、良いとこどりじゃん、とも思ってた。

今思えば、周囲との知能レベルが大きく乖離していなかったから気楽だったんだろうな。

東大では、思いっきり周囲とのギャップに苦しむことになる。

塾が嫌いだった。成績至上主義蔓延教室内で、生徒たちは心身を削って過剰に勉強し、問題児であるはずの自分先生は怒らないどころか贔屓する。歪んだ笑顔に嫌気がさす。

東大はそんなところだった。

もちろん、成績で優劣をつけようなんて幼稚なこと、東大生といえどもしない(嘘。一部の人間はする)。ただ、塾通いで内面化したメリトクラシーは、成績が評価基準たりえなくなった後に人格と融合しちゃうみたいだ。

東大生の好きなもの=「同じ知的レベルで話せる人」。つまり自分ではない。教養はある方だと思うが、当意即妙な返しはまったくできない。

それからというもの、優秀だったり意識が高い東大生からほとんど初対面で難色を示される。そして、なるほど怠惰なやつなんだな、と思われてしまう。いや結構勤勉ちゃんなんですが。

話を東大に絞りすぎたかもしれない。多分、東京という場所がそうなんだろうと思う。

アメリカよりもずっとスケールは小さいけど、これも人種のるつぼだ。いろんな種類の人間が集まる。だからこそ、人より優れた長所が目立ち、格差生まれる。

しか若者他者評価に敏感だから(自分ももっと一丁前に扱われたいと思ってしまうし)、他人自分比較せざるを得ないんだろう。

自分が、見下される対象になったのをやんわりと感じる。あるいは、性格の良い人だったらかわいそうとか、大変そうとか思っているのかもしれない。

ふと、自分の今の苦しみは、中学高校自分の隣の誰かが経験していたものなのかもしれないと思った。

いたよね。能力が低くてバカにされてる人。

その人たちは場所が違えば輝けたかもしれないし、さらにいえば別に劣っているからといって見下される必要はどこにもない。

あの人たちが元気でやってるといいなあ、と思った。

独身男性に年間3万円の独身税をかけるだけで全国の給食無償化できる

財政学研究してたんだが

日本20歳以上の独身男性(約2000万人)に年間3万円の独身税をかけるだけで

全国の小中学校給食費文科省の試算で約6000億円)を無償化できるんだよな

年間3万円って月に直したら2500円だし

別に問題ないしな

それに結婚して子供を産めば戻ってくるお金だし別に受け入れられるんだわ

2024-12-15

独身男性に年間3万円の独身税をかけるだけで全国の給食無償化できる

財政学研究してたんだが

日本20歳以上の独身男性(約2000万人)に年間3万円の独身税をかけるだけで

全国の小中学校給食費文科省の試算で約6000億円)を無償化できるんだよな

年間3万円って月に直したら2500円だし

別に問題ないしな


それに結婚して子供を産めば戻ってくるお金だし別に受け入れられるんだわ

2024-12-14

みんなで読もう兵庫県職員アンケート

パワハラがあったとの確証までは得られなかった(なかったと断定するものではない)」とする兵庫県の内部調査が公開されたニュース記事ヤフコメ

より客観性の高い百条委員会アンケートにまで不信感を持っている人らが

兵庫県職員アンケートは無記名でURLさえ知っていれば誰でも複数回答可能だった!」とか

「実際にパワハラを受けたと言う職員はおらず伝聞ばかりだった!」とか書いてて笑える

君らさぁ…兵庫県職員アンケートに目を通したことあんのか?


かに無記名で複数回答可能な上マークシートではAをチェックしたのに自由記入欄に別途ABCD書いてたりするので

当初マスコミ報道してた職員の何人が~とか何%が~とかい指標は当てになんねーけど

中身をちゃんと読んだら「これは本当にパワハラを受けたと感じて書いてるな」ってものは相当数あるぞ?

そして匿名回答可能なだけで記名回答されたものもあるし複数回答不可能な郵送の回答もある

記名のものは本人に話を聞けば裏が取れるし相応の覚悟を持って回答したものと言っていいだろう


自称情強の皆さんは兵庫県議会のHPから読めるんだから当然元ソースを読んで判断してるんだよね?

スマホしか持ってないかPDFは読みにくいとか言うなよ?

https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/index.html


膨大なPDFなので読むのは大変なのはわかる

そこで公開されている中間報告・ネット回答・郵送回答を参照し

「Q7:知事パワハラについて」の回答のうち「記名」かつ「A:目撃、経験等により実際に知っている」の中から

自分がこれは伝聞だから"B:目撃、経験等により実際に知っている人から聞いた"だろうとか

長すぎて引用するのは大変だが中略するのも違うよなと思ったものを省いてピックアップする

ソースでは無記名の回答でもBやCの回答でもガチっぽいのは多いし物足りないと思うなら元ソースを読んで楽しもうぜ!



中間報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

●●●●●在任中、本県と●●●●●●●●との「空飛ぶクルマ」実現に向けた連携協定締結式(R5.1.24)の事前説明の際(締結式の1週間ほど前)に知事室に入るなり、

その日の読売新聞で報じられた本県の空飛ぶクルマ関連の新規事業について、内容は知事了解済みのはずなのに、「なにこれ」「聞いてない」「空クルは知事直轄。勝手にやるな」と厳しい口調で叱責された。

着座も許されず「やり直し」と言われて退出を余儀なくされた。●●●●●●●●●●の●●●●が同席(知事秘書1~2名が陪席と記憶

渡瀬文書P9下から二行目~P10一行目に関し、私は令和5年10月12日知事レクに同席していました。私の記憶では以下のとおりです。

地元住民2名が原告となり、養鶏事業者と兵庫県被告とした損害賠償請求訴訟の経緯を●●●●●●から説明

原告が●●●●●に対し、訴訟に参加する機会を与えるための訴訟告知(R5.9.20付け)を行ったこと、(県は当事者ではないが、)

養鶏事業者が●●●●●を相手とした行政訴訟却下R5.9.12付け)されたことなどを説明中に知事から次のような指導があった。

知事「こんな話を今聞かされるのか。なぜ●●●●●●は報告に来ないのか。」

丹波県民局としては、訴訟に関しては随時情報を入れるよう指示があったにもかかわらず、直接県に関わるものではないと判断し、直近の情報を報告出来ていなかった、と理解した。

知事言葉は厳しかったが、知事は机を叩いたりはされていなかった。

昨年10月12日丹波県民局の地域づくり懇話会のレクがあり、●●●●●の養鶏事業者の公害問題に対する県の対応を●●●●が説明したが、

養鶏事業者が市に対して行った改善命令処分取消請求訴訟と、住民から訴えがあった公害等調整委員会の原因裁定判決の状況の資料を見て、

知事から「こんな話は聞いていない。訴訟の動きは知事に入れるのは当たり前だ。そうだろう」との叱責があった。

その際●●●●●●が、「そうですね」と発言したところ、「そうですねではないだろう」と強く叱責された。

昨年7月24日定例会見の項目レクの際、はばタンPAY+の資料を添付したが、それを見た知事から舌打ちの音と大きなため息があった。

その後、「何が悪いか分かるか」と言われたが、思い当たる節がなかったため黙っていると、●●●●●●が「顔写真とかメッセージですか」との発言あり、その発言を聞いた知事から

「この事業知事肝いり事業なのに、写真メッセージがない。●●●●を呼べ」と指示があった。

秘書職員が●●●●に電話したが不在だったため、代わりに●●●●●●が知事室に来ることになった。

なお、そのころは知事も少し落ち着いていたので、報道にあるように「お前じゃだめ」のような発言はなかった。

知事が●●●●●●に「このうちわはすでに印刷済みか」と尋ね、●●●●●●は「すでに印刷済みだが、追加で発注する」と回答。

知事から、「これは私の肝いり事業だ。顔写真メッセージといったものを入れてほしい」と指示があり、●●●●●●が「チラシ等には顔写真等が入っているので、うちわにも入れる」と回答した。

昨年10月31日定例会見の資料レクの中で、●●●●●●うまいもんフェアの資料説明したが、知事から「●●●●●●の●●とお店で面談する件はどうなったんだ。

フェアの開始前にPRする場として、営業時間前にセットできないか」との質問があった。所管である流通戦略から営業時間前は従業員バタバタ用意しており、難しいと言われている」と回答したところ、

知事から知事がせっかくPRするんだ。開店準備はわかるが、どこか隅のテーブルでできるだろう。2時間時間もいるわけではない。PRしてほしくないのか、今後関係を考える必要がある」との叱責があった。

なお、●●●●●●側は、この件より以前に知事社長との面談をセットしていたが、知事の都合でドタキャンされたので心証を悪くしており、このような対応になったとのうわさを聞いている。

令和4年度、淡路佐野運動公園において、オリンピックメダリスト等による「淡路スポーツチャレンジ」と題した子供たちのスポーツイベント計画課が開催した。

当時当方は●●●●●●●であったが、子供たちに地産地消の大切さと、日本伝統発酵食品のすばらしさを知ってもらおうと、そのイベント中で淡路食材を使った発酵食品試食企画した。

当日、知事が会場入りし、計画職員が控室(施設更衣室をあてがった)へ誘導したが、控室で県民の方1名が偶然着替えており、

それを見た知事から「なぜ他の人がいるのか」との叱責があり、急遽別の部屋を控室にあてることになった。

また試食について、知事メダリストの方々と一緒に食べていたので、ほっとしたが、その後秘書から試食味噌汁等が冷めており、知事あんな冷たい料理を出すのは失礼だと怒っていると聞いた。

メダリストの方々からはそのようなクレームは無かった。

※控室の部分の話は直接叱責を受けたという証言

秘書課伝いのクレームは伝聞だけど何様やねんという私怨が入ってて面白い



中間報告以降ネット回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/060823_2.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

2021年8or9月

尼崎港湾用地を万博駐車場にする見込みとの新聞報道を受け、●●●●が知事室に呼び出され、「聞いていない」と机をたたいて指導された。

知事就任前の3月に決まっていたことであり、報道されたのがその時期であって、説明していないわけではない)

令和3年9月27日(県会代表質問の日)、神戸新聞尼崎西宮芦屋港の港湾計画長期構想が掲載されたことについて知事室に呼び出され、「聞いてない」と机を叩いて激怒された。

また、代表質問に合わせた悪質なリークと勘違いされ(●●●●●から知事室前廊下で、「誰がリークしたのですか?」と問われる)、「こんな事は許さないんだよ」と再度机を叩いて激怒された。

誰かが謝らないと収まらない雰囲気となり、●●●●が謝罪してその場を納めた。

記事に対する県会質問対応のため再入室した際に、長期構想については昨年度に協議会を開催してパブリックコメントを行い、

ホームページ公表している事を知事説明すると、悪質なリークではなかったと理解され、怒りを収められた。

後日、別の会議の際に「あの時は怒って申し訳なかった」と知事から謝罪された。

2023年4月24日(月)に知事外国人を引率して福祉まちづくり研究所を視察することが、21日(金)の夕方知事の発案で決まった。

知事は●●として国際課の●●●●●の同行を求めたが、当人24日は知事も出席する別の会議の●●用務があり、知事が退出して視察先に向かったあとも、会議の進行上、●●として残る必要があった。

このことを国際局幹部知事説明した際、知事は「彼女知事の●●。知事がいない会議の●●を続ける必要はない。その会議主催者に●●を手配させろ。」とかなり厳しく叱責されていた。

当日に●●を手配できるはずもなく、結局国際課の●●●●●は知事退出後も●●を続けるほかなかったため、同幹部はひたすら謝っておられたが、県が協力した会議全体の都合も考えず、

急遽突っ込んだ自分の用務を優先し、かつ職員を「自分の●●」と言い切ってしまわれたのには驚いた。

理不尽な叱責とご自分の都合を優先される姿勢に疑問を感じたが、叱責を受けた方がパワハラと受け取られたかどうかはわからない。

・令和5年度に県立美術館で開催された「●●●●●●●展」の記者内覧会(●●●●●●●の3人が出席)は、

知事の強い希望知事出席行事となったが(記者向けの内覧会であり、通常、館として知事に出席を依頼するような行事ではない)、

記者内覧会実施日は知事の予定に合わせること(決定後の日程変更は不可)」

「●●●●●●●と一緒に写真が撮りたい」「●●●●●●●の楽屋訪問したい」「●●●●●●●の曲に合わせて自分が踊る姿を動画SNSで発信したい」など、

展覧会のもの(県の事業実施)とは全く関係のない指示・宿題に本庁所管課・現場ともに振り回された。

Perfume展だと言われています(https://x.com/motohikosaitoH/status/1700131488736653714)



送回答分報告(https://web.pref.hyogo.lg.jp/gikai/iinkai/index/tokubetsu/bunsho/documents/bunsho_questionnaire1011_02.pdf)

【Q7】知事パワーハラスメントについて

記入方式 "記名"

回答 "A:目撃、経験等により実際に知っている"

・令和3年度、知事室における知事協議で、私はパワーハラスメントと感じる知事から言動を受けました。

協議内容 県選出の国会議員に対する、本県から国への提案に関する資料

・協 議 者 ●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

・私がパワハラと感じた知事発言があったのは、その協議の冒頭においてです。

資料協議前に、東京での国会議員説明会の開催予定日時について知事がご存じない状況でした。(本来その日程は秘書から説明されるべきものでありました。)

秘書課が作成していた日時等に関する資料は少し古い時点のものでそこから日程の変更が入っていたのですが、●●●●の判断でその資料に基づき、変更があった個所は口頭で説明されました。

・その口頭修正知事は激高されました。約3年前の話なので詳細に一言一句まで正確かは分かりませんが、以下の発言であったと記憶しています

「誤りのある資料知事に見せるとは、どういうことか!」「誰やと思っているんや!知事やぞ!」「知事は忙しい中、時間をとっているんだ。ちゃんしろ!」

・その発言に対する私の感想です。秘書課の作成した資料の誤り(正しくは時点が古いだけ)は微細なものであり、●●●●の口頭での修正説明で事足りる内容と考えられるものにも関わらず、激高された姿に衝撃と、強い恐怖を感じました。

・そして、斎藤知事意見をするのは幹部職員の方であっても難しいだろうなという印象を強く持ちました。ちなみに井戸知事些細なことで激高することは私の記憶ではなく、

私のような若い職員意見しても耳を傾けてくれた姿と対照的な印象を持ちました。これではとても率直な議論などはできないだろうと思いました。

・「知事!」という言葉を何回も繰り返し発言されたことにも、強い違和感を覚えました。

・執務室に戻った●●と●●に話をしたところ、「いつものことなので」という感じであまり意に介していませんでした。逆に頻繁に知事に接しているお二人の反応を見て、これが日常であることに怖さを覚えました。

なので、お二人にとってはパワハラとは感じていない気がしますが、ほとんど知事室に入ることのない私にとっては、非常にショッキングで、パワハラと感じた事案です。

知事就任後に、●●●●●●●●●●●●●●●●●●●が学校から持って帰ってきたココロカード県内小・中学生全員に配布し、カード提示により美術館博物館等の観覧料が無料となる)を

家に持って帰ってきたときに、カード井戸敏三の記名があるのを見て激怒し、教育委員会関係者を呼んで叱責した話を、●●の●●●●●●からの引き継ぎの際に聞いた。

ココロカードは毎年度、新小学1年生全員に配布(転入者には予備を配布)し、子どもはそれを中学校卒業まで使用するため、最長9年間同じカードを使うことになり、前知事の記名のカードであってもやむを得ないことである

しかし、斎藤知事の指示により、●●●●●●●●を務めた令和5年度の2月補正で約250万円が予算計上され、ココロカードデザインサイズ変更という名目で、

令和6年度当初に小・中学生すべての学年に斎藤元彦の記名入りのカードを再配布することとなった。

法的な課題があるわけではないが、既に配布しているカード知事名前を変更したいという理由(公にはしていない)で再配布することは、知事権力濫用であり、税金無駄遣いと感じた。

最後のは伝聞だからBだろと思ったがカードデザイン変更にはソースがあり個人的に気に入ったエピソードなので紹介する

知事への私怨もしくは自己顕示欲のために税金をかけてやることが小さすぎる…

デザインを変更するにしても本来予算がかからないように新規発行分からの変更で十分だろう

(デザイン変更のソースこちら→https://www2.hyogo-c.ed.jp/hpe/shakyo/project/kokoron)

そういや

中学校教師ってやっぱアレだなというのを思い出した

ワイ野球部(けっこううまい)友人陸上部(けっこうはやい)だったんだけど、中二の二学期の授業がもっぱら野球だったけど、ワイが通信簿3,友人が通信簿5だった

友人は運動神経良いし足は速いけど、やきう全然うまくはなかった

2024-12-13

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(補遺

 anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である

 こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ演奏会練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。

リストリスト

前期のブコメちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。

ピアノソロ曲じゃないけど、リストピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒグルダチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。

トライアングル協奏曲命名リスト政敵エドアルト・ハンスリック)ねw スター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタ ロ短調の前段階にあたる曲の一つという。

6,7年前だけど中学校音楽で習ったよ

今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要作曲家というのは、ナショナリズム時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族古典の頂点とみられている)。リストナショナリズム歴史認識からは扱いにくい。リスト音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式確立させたことであり、紛れもなくドイツナショナリズム文脈だ。ピアノ表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノ楽器王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀ヴィルトゥオーゾたちの名前ピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。

リストの両親はドイツ系だが、ドイツナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリーまれ(ということはハンガリーではリスト少数民族になる)、生活パリフランス語話者とつかみ所がない。ショパンパリ活躍したコスモポリタン的な人物ほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人であることを貫き通した生き様は、ナショナリズム歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op. 10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。

オーストリア支配するハプスブルク支配多民族帝国チェコスロヴァキアハンガリールーマニアetcの「民族牢獄」と呼ばれた)なのでドイツナショナリズムによる国家統一不可能である歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。

生演奏を聞いた伊藤博文が「連れて帰れないか」と言ったそうな。

そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本音楽界も違ったものになっただろうになぁ。

巡礼の年イタリアチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。

浜松ピアノコンクールライブ映像があるがやばいhttps://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。

有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやす演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリスト時代を見抜く目があったと思う。

やべぇよやべぇよガチの人来ちゃったよ・・・

いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます

コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンラヴェルCDレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。

ショパン元カノマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。

サロンありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか

良し悪しはさておき重要曲としては音楽史的にも無調のバガテルは外せないのでは?

え?入れたけど

学生時代エステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^ https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305

リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。

クラシックはよーわからんけど超絶技巧ピアノといえばワイはやっぱり東方Projectピアノアレンジが好きやで(以下略

話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20241212212539

 言及でついた※から後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか? もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。

ブコメ

詳しくない分野の熱烈なテキストを読む快楽は他に代え難い。みんなどしどし書いてほしい。

が言う通りだと思う。

リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性はいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。

ロルティペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色コントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本女性ピアニストリストの曲に果敢にチャレンジしている動画結構ある。昔何かのコンクールリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人からいたことがあるのだが、似たような問題なのかな。

追記

anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。

マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので

音通リスト発音させるためにLisztと綴ったのだ。

単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから

Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。

ファーストネームリスト自身はFerenczと綴っていたことがうかがえる。

それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。

(再追記ウォーカーの本でしたかありがとうございます!!!

中学校の一軍女子と仲良くする夢を見る

もう45歳男性なのに

そしてなんで小中なんだ 高校大学ではなく

2024-12-11

このように、園児児童、生徒、学生ってそれぞれ定義があるんだから

中学生女児呼ばわりはおかしいと思うんだけどね。

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/143.html

学校教育法学校教育制度の基本を定めた法律で、まず第1章第1条で小中学校高等学校大学幼稚園など「学校範囲」を定めています。そのうえで、それぞれの学校に就学・入学入園する者について第2章以降の条文の中で、小学校は「学齢児童」「児童」、中学校は「学齢生徒」、高等学校は「生徒」などという表記呼称を使っています放送でも原則として、この法律の条文をはじめ文部科学省公文書、それに教育現場で実際に使われている表記呼称に準ずるかたちで使い分けています

具体的には、

幼稚園・・・・・・・・・・・・園児

小学校・・・・・・・・・・・・児童

中学高校・・・・・・・・・・生徒

大学高等専門学校・・・・・・学生

また、生徒(中学生高校生など)に関連した場合でも、「学生~」と付く語があります

<例> 学生割引、学生服、学生アルバイト

このほか、学校教育法上の「大学」とは異なり、国の行政機関・省庁が管轄する教育施設に「大学校」(防衛大学校気象大学校など)があります。これらの「~大学校」では、大学校生の表記呼称を「学生」としているところが多い一方、中には「研修生」などとしているところもあり、放送では随時確認する必要があるでしょう。

また、児童福祉法による児童福祉施設厚生労働省所管)の一つである保育所対象児は、法律では「乳児」(満1歳に満たない者)と「幼児」(満1歳から小学校就学の始期に達する者)と記されていますが、放送一般的に言う場合は「園児」と言っています

(『ことばのハンドブック』P37、P81参照)

2024-12-10

「い・き・し・ち・に」がうまく言えない側音化構音を笑う人たち

側音化構音という言葉をご存知だろうか。

この単語を聞いたことがなくとも、その現象体験したことある人は少ないと思う。

「い・き・し・ち・に」などのイ段がうまく発音できずに、口の横から空気漏れるような発音になってしまうことだ。

学生の頃、学年に何人かいなかっただろうか。もしくはあなた自身がそうではなかっただろうか。

本来日本語のイ段は口内を潰して前に空気を押し出すようにして発する。

日本語のイ段は口蓋化という現象も相まって、実は少々難しいのだ。

側音化構音になってしまう人々は、これを習得できずに舌の側面の破裂音を利用して、似たような音を出す。

子供残酷で、これを滑舌が悪いと言ってからかってしまうことが多い。

自分小学校時代に、イ段が苦手な女の子に「シーチキン」と言わせようとする男の子を横目で見ていた。

大人になった時、英語発音改善するために舌の動きについて勉強していた時、その女の子の思い出した。

そしてそれは「側音化構音」という名前があることが分かった。

最近YouTubeを見ていて「月曜から夜更かし」という、一般人面白おかしく取り上げる番組で、顔出しでインタビューに答えるイ段の発音が苦手な女の子の切り抜き動画を観た。

(いうまでもなく違法アップロードである)

番組はイ段の発音が上手にできないことを揶揄していた。はたから見ると彼女はとても明るく振る舞っており、一緒にいた彼女友達もうまく言えないことをゲラゲラと笑っていた。

当然YouTube動画につくコメント面白がるコメントばかりだった。

本人が苦しんでいるか、全く気にしていないのかはこちらには分からないが、自分には学生の時に見た「シーチキンイジメとさほど変わりがないように思えた。

自分はその動画コメント欄に、これには側音化構音という名前がついていること。幼少期に矯正されるべきことだが、大人になってからでも矯正可能なこと。望むなら専門家を頼ってほしい。などと書き込んだ。そして、驚いたことにたくさんのいいねがつき、体験談がコメントに返信される形で集まった。

ここにそのコメントを要約して引用する。

自分も同じだったが、子供の頃自分で気づいてなおした。

・小さい頃に親と特訓した。

高校生の時に気づいて1ヶ月でなおした。みんな諦めないで。

名前が知れて嬉しい。自分も同じで小中学校でよく馬鹿にされていた。ありがとうございます

・息子が同じ発音だったため、5歳の時に専門家を頼りトレーニングして2ヶ月で綺麗に発音できるようになった。

・「ことばの教室」に通っていた。

小学校に専門の先生がいてなおしてくれた。

などだ。自分滑舌の悪さに名前がついていることを知らなかった、ありがとう、というコメントが印象的だった。

やはり命名とは偉大で、名前が分かるだけで漠然とした問題が明確になり、情報を探すことで対策が練れる。

そして、「ことばの教室」という単語複数回出てきた。

自分も知らなかったので、簡単に調べた。

週に数時間自分の在籍する学校や近隣の学校に設置された「ことばの教室」に通い、各々の課題を克服するための場だそうだ。

側音化構音意外にも、吃音や話す聞くにまつわるさまざまな課題を克服したい子どもが通うようだ。

もしあなた学生発音に関することで悩んでいるなら「ことばの教室 + 地名」で検索してほしい。

もしあなた大人発音に関することで悩んでいるなら「言語聴覚士 + 地名」で検索してほしい。

もしあなた発音に関する悩みがないのなら、簡単に人の発音を笑わないでほしい。

自分本音で言うと、イ段がうまく言えないことなんてのは言葉が通じるのであれば、周りが揶揄しなければなんの問題にもならない、矯正する必要なんてないと思う。

しかし、学校仕事場では完全に誰の気にも留まらないと言うのは難しいのかも知れない。それならば、対策を望む人に正しい情報が伝わればいいと思う。

こういう(語弊を恐れずにいうと)些細な問題で、ゲラゲラ馬鹿にするのを見るのは好きではない。

優しい社会であってほしい。

anond:20241209144845

どうしてって地方公立中学校スポーツスポーツ選手ははてなでは無条件に叩いていいってルールじゃん

2024-12-09

(その2)クルド人ジャーナリストが語る在日クルド人

イルファン・アクタン, 長沢栄治, 稲葉奈々子, 村上薫, 岡真理調査報告 KARIHŌMEN 日本で《クルド》として生きるということ」、

プロジェクト・ワタン事務局2024年6月2024年9月3日

http://www.projectwatan.jp/wp-content/uploads/2024/06/20220717_FN-2.pdf

子供教育

特に男の子は、小中学校で直面する言葉の壁や人種差別的な経験もあって、しばらくすると学校を退学し、高校にも進学しません。思春期以降、18 歳になる前から父親や親戚と一緒に家屋解体仕事に就く者もいます。一方、仮放免女子は、男子に比べて働く機会が少ないので、どんなに困難があっても教育の場に残ろうとします。「学校をやめたら、結婚するしかない」と蕨のカフェ勉強していたクルド女子高生 2 人は口を揃えて言いました。

また、学業が非常に優秀だったり大学卒であったりしても、仮放免者の就職保証するものではありません。ビザがなければ教育ほとんど役立ちません。例えば、映画東京クルド』に登場するラマザンというクルド青年は、専門教育を受けたものの、ビザの発給を待つ間仕事が見つからず、家屋解体仕事を始めました。のちにビザを取得したのですが、今も家屋解体仕事を続けています。おそらく親族関係のなかで働くことが、彼に安心感を与えているのかもしれません。同様に、シリア出身クルド青年も、大学卒業日本修士号を取得したにもかかわらず、現在家屋解体仕事従事しています

家族の離散

先月(2022 年 6 月)、大変痛ましい一家離散のケースに遭遇しました。あるクルド高校生が、学校での差別言葉の壁からトルコに帰りたい」とずっと両親に訴えていました。トルコに戻りたい一心で、彼は学校試験白紙答案を提出し、わざと成績が悪くなるようにしていたと父親から聞きました。その結果、彼は学校を辞め、母親は泣く泣く息子を連れてトルコ帰国しました。

(中略)その家族は、日本が幼い子供たちを追い出し、一家崩壊につながったと考えています。母と息子はトルコに戻りましたが、父親政治的経済的理由日本に残ったからです。日本で働いて得たお金トルコ家族を養わなければならない父親は、今、川口の小さな家で一人、家族を恋しく思いながら、先行きの分からない生活を送っています

フキャン(川口多数派)以外のクルド

フキャン人と心ならずも共生余儀なくされている他地域出身クルド人もいます。マフキャン人が家屋解体業を営んでいるため、他地域出身クルド人はマフキャン人の雇い主に雇ってもらうことが多くなります仮放免クルド人は、他の業種で仕事に就くことができないため、マフキャン人と一緒に働くしかなく、彼らとうまく付き合っていかなければなりません。時には男女関係から生じる問題や、ハラスメント不倫事件、労使間の緊張からコミュニティ男性同士の喧嘩家族間の問題が起こり、共同体から個人排除されることもあります

フキャンの出身ではないあるクルド青年は、「マフキャン人同士で争ってもしばらくすれば和解するが、自分が彼らと争うとなると行き場がない。だから私たちはとても注意しなければならない」と語っています

日本人の責任

労働災害障害を負い、再就職できなくても、仮放免クルド人は、健康保険に加入できないため何の保障もありません。それがもうひとつ不安感につながっていきます。あるクルド労働者は、「若いうちに一生懸命働いてお金を貯めておけば、もし自分障害者になったり、明日死んだりしても、子どもたちが飢えることはないだろう」と語っていました。また、高齢病気を抱える仮放免者は、年金保障がないため飢餓に直面しています心臓疾患のある仮放免クルド人は、マフキャン部族の親戚の経済的支援を受けて家族を養っています。つまり日本に暮らす高齢クルド人が安心して暮らせるのは、日本政府ではなく、マフキャンの部族主義、氏族親族関係のおかげなのです。そのため、当人はつねにクルド社会内部のバランスを観察し、争いに与らず、必要に応じて強者の側につくようにしています

今日、この会場で私の話を聞いてくださっている日本のみなさまに申し上げます毎日、前を通っている家の中で悲惨事件が起こり、子供虐待され、女性暴力を受けていると想像してください。その家の前を通りかかるだけでは、何が起こっているのかは分からない。しかし、虐待被害にあった子ども暴力被害にあった女性がその家の窓から外を見たときあなたの姿が目に入るのです。その窓の前を通り過ぎるときあなたは楽しそうに笑っていることもあるでしょう。その家の中で起こっている悲劇を知らないのだからあなたには責任はない。しかし、その家で起こっていることを誰かに言われてもなお無関心でいれば、暴力を振るう加害者共犯者になってしまます

anond:20241209095654

1950年代までは日本人50%過半数農家だった、と書いている。

ちなみに江戸時代は85%。明治に入ってから工業化によって比率が下がってきた。

こういうの中学校高校で習うよな? この程度のことが分かってないならちゃんと復習しとけよ?

ずっと小中学校いじめっ子を殺すつもりでいたんだが

いざ復讐しようと思っても、もはやそいつの顔も覚えていない。

俺なんてそんなもんか。

2024-12-08

我輩が日本征服した暁には

視察と称して中学校水泳の授業を見学させて貰おうか…

勃起してねーわ!デフォでこの大きさだっつーの!

anond:20241208004549

誤魔化し方最悪で草

中学野球部

多くの中学校で野球部運動部の中でもガチ寄り、厳し目、スクールカースト最上位。位置けが少年野球とは全く違う。

登校拒否だった人間スクールカースト最上位だったフリするのはかなり危ない。

「クソみたいな文芸部で年1回発行の部誌に2ページくらいの文章書いていた」とかの方が安全だ。

修学旅行清水寺ケンカ

現実にはそんなことはまず起こらない。リアリティが無さすぎる。同じウソでも「風邪ひいて行けなかった」の方がマシなレベルで酷い。

友達少なかったし普段女子と接点無いか陰キャ女子と組まされてなんか清水寺行ったけどめっちゃ混んでた記憶しかない」とでも言っておけば十分。まぁ清水寺は一回行っておくと良い。

23歳男オタクvs結婚強迫

結論

結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。

なるほど「気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受(共有)」するのは幸せことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。

一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。

どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。

スペック

23歳・早慶政経法のどっか・4年(浪人した)

実家:都外。奥多摩山中やどこぞの島よりは皇居に近い。

上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。

私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。

かかる珍妙にして時代遅れ時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情からこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。

結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナー愛情喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。

あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。

結婚に対して、心理的阻害要因存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。

長くなりすぎた。問題本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。

私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。

逆に、「総体として」好きにならない女性存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。

「愛することができる」人を探すために、アトランダム努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。

これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。

結婚自体可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。

ただ、私は、結婚生活しろ親としての生活しろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。

そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。

諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手特別感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。

鬱屈とした諦観けがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズ烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベサボテンどもと共に、好きな音楽映画世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域本来、縮小されるべきなのだ

泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り貴女可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。

anond:20241208004549

幼稚園を頻繁に休み小学校休みがち、中学校不登校高校も半不登校だけど、隠さず普通に話してるな。まあ、同性愛者なの隠して初恋の話を捏造したりはしてたから、気持ちはわかるよ。

長めの不登校経験があった人って大人になってからどう取り繕ってる?

俺は小学校6年の途中から登校拒否をはじめて、中学は丸々不登校だった。

高校はフリだけでも普通学校生活を送りたいと思ったので、基本毎日登校の通信制に進学した。

その後は2年制の専門学校を出て今は普通に働いているんだけど、どうしたって職場学生時代の話になることがある。

職場以外でもありがたいことにネット上での緩い繋がりがあるんだけど、そこですら中学ほとんど通ってないんだよね、高校通信制に行ったたんだ、と明かしたことは一度もない。


不登校過去を隠し通そうとすると色々問題が出てくるもので、


例えば"部活"

最初中学からずっと帰宅部なんだよね、と適当に誤魔化していたが「中学って部活強制だよね?幽霊部員とかならわかるけど」と言われたことがあり、

俺はそれが嘘か真か、はたまた地域によって違うのか判断する材料がなく、それからというもの小学校の頃登校拒否になるまで野球をやっていたこから野球部だったと答えるようにしている

それ以外の部活はどんな活動をしているのかなんてアニメ知識しかないし、野球だって少年野球とは勝手全然違うだろうからかなり苦しいけど、少年野球時代エピソード積極的に話して無理やり中学部活の話から脱線させている


"修学旅行"

小学校中学校も行っていない

が、修学旅行がどんなものなのかは流石になんとなく想像がつくので「清水寺ヤンキーが他校の生徒と喧嘩して流血モノの騒ぎになってさぁ」みたいなどこかで聞いたことあるようなバイオレンスエピソードでっちあげ、自分の話はせず適当に乗り切っている


他にも、高校時代の話は全日制と通信制イベントの違いなど多数あるだろうから自分から話題提供することはまったくない。

一度「高校では理系文系?どっち選択してた?」と聞かれて、ああ、まあ、文系ですかね・・・ハハ、まあ底辺高校だったんでどっちでも変わらないですよ笑と適当に返答したことがある(実際は選択科目はあったと思うが、それは全日制で一般的にいう理系文系として区別されるレベルでないだろうし、追求されたら何も返答できないのでほぼ詰みだ)


成人式だって当然参加してない。


いっそのことおもしろ話として消化したほうが楽なんだろうけど、俺にそこまでの話術はないのですこぶる微妙な扱いをされそうで、かといって今のままでは地雷が多すぎて18歳までの話はほぼでっち上げ状態なんだよな。

自意識過剰かもしれないけど、とはいえ毎日健康学校生活謳歌してました、みたいな人が自分みたいな人間をどう思うのかがわからなすぎて嘘に嘘を塗り重ねる日々ですわ

2024-12-06

小学校教員の知性を見ていると

公立教員は、小学校中学校高校小学校とローテーションするべきなのでは?

教員免許の都合上困難であることはわかるが、小学生とかかわっているうちに小学生以下の判断をする教員が育成されてはいないだろうか

親が再婚同士で子供恋愛関係になる漫画、だけどアレじゃないやつ

ちょっと前にタイトルに書いた「親が再婚同士で子供恋愛関係になる漫画ってなんだけっけ?」みたいなネット書き込みに「それマーマレードボーイ!」とツッコミが入る流れを見た。

俺はそのとき別の漫画を思い出していた。

80年から90年代漫画だったと思う。少年漫画ではなく少し青年向け。マジな恋愛ものというよりはラブコメ

主人公は確か中高生くらいのヤンキー父親元ヤンキー?で現在弁護士

再婚相手になる義母美人で肝が太い女性。そしてやはり美人でシャキッとした娘がいる。

親同士の再婚一家の同居がはじまり、すぐに子供達が恋愛関係になりそうになる。

しか父親主人公に「俺たちは再婚したのだから子供達のお前らはきょうだいになった。セックスしたら違法。捕まるぞ」と脅す。

夜。ベッドで義母が「本当に捕まるの?」と笑いながら夫に聞くと「再婚同士であれば、その子供達は結婚できる。法的には結ばれようが問題ない」ニヤりと返す。

これが1巻だった気がする。

作者は湘南爆走族吉田聡だったと思ったけど調べたらそんな作品は出てこなかった。出版元は少年画報社とか、そういう三大メジャーじゃないとこだったと思う。

ヤンキー喧嘩、だけど義理の妹に手を出せない。

1週間くらい調べたけど結局わからなかった。

まだ小中学校のころに友達の家で読んだ漫画だし、色々な作品が頭の中で混ざった妄想なのだろうか。

この話にオチはなく結局わからないまま。

最近20年以上昔の情報ネット検索してもヒットしなくなったという感想

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